第三話 マリア
「私はマリアといいます」
「マリア様…」
僕は今日も主とお話しをさせてもらっていた。
これだけ話をしていたのに名乗っていなかったということで、お名前を聞かせていただいたのだ。
歳が近いとはいえ、お嬢様と使用人だ。
本来なら、こうして話をすることさえ無い関係だろう。
それだけでもきっと光栄なことに違いなかった。
マリア様。
素敵な名前だな、と思った。
「あ…」
主…マリア様の顔が少し赤くなっていた。
「し、失礼しました」
「…構いません」
マリア様は軽く咳払いをした。
「それで、あなたのお名前は?」
「僕は…」
言い淀んでしまった。
僕は自分の名前さえ覚えていなかった。
「そうですか…」
マリア様は僕の心を読み、僕よりも先に状況を理解してくれたようだった。
「ですが、そういった者は少なくありません」
「え…そうなんですか」
「ジェシカも、です」
「え!」
驚いた。
あの明るいジェシカも、僕と同じで名前がなかったとは。
僕の場合は特殊な事情がある。
けれどジェシカは恐らく、この世界で生きてきた人なのだろう。
それなのに、名前がない…。
僕はこの世界に来てから、使用人としての仕事を丁寧に教えてくれたジェシカのことを考えていた。
そして、そんな僕を見つめるマリア様の表情の変化には気が付かなかった。
「今度は何があったんだよ…」
使用人室で僕の顔を見るなり、ジェシカはげんなりして言った。
どうやら僕は思っていることが顔に出てしまうらしい。
「またお嬢様となんかあったワケ?」
僕の複雑な表情の原因は、ジェシカについてのことと、マリア様についてのことだった。
マリア様はジェシカの話の後、あまり喋らなくなってしまった。
「うーん…よく分からなくて」
「んんん?」
「その…ジェシカのことを話してたんだけど」
「あたしのこと?」
そう言うとジェシカは腕を組み、うーんと唸りだした。
「推測だけど…やな予感がするなぁ」
「そうなの…?」
「あたしの何について話したの?」
どう答えようか迷っていると、ジェシカはあっけらかんと言った。
「名前のこと?」
う、うんと頷く。
「『ジェシカ』はね、お嬢様に名付けてもらったの」
「あ!そうだったんだ」
「いい名前でしょ。気に入ってるんだ」
ジェシカは歯を見せてにっこりと笑った。
「大丈夫。あんたが心配するようなことはないよ」
「…ごめん」
「謝んなくていーってば」
それより、とジェシカは続けた。
「どうしたもんかなぁ」
ジェシカは腕を組みながらくるくると回っている。
「ま、やってみるか」
「どうするつもり?」
「それは秘密」
ふふん、といった顔でこちらを見下ろすと、明日に備えてさっさと休みなというなり、どこかへ行ってしまった。
僕はなんだかモヤモヤとした気持ちのまま、今日の疲れを取ることにした。
「…」
マリア様は、掃除が終わった僕を呼び止めたものの、何も仰らなかった。
どうしたものか。
そして、ジェシカは何をするつもりなのか。
「うーす」
そんなことを考えていると、ジェシカが部屋に入ってきた。
「「ジェシカ!」」
「わ!びっくりした」
マリア様と僕の声はぴったりと重なっていた。
「どんな感じかなーって思ってさ」
「…別に、変わったことはありません」
「ふーん」
僕は会話に入って行けず、二人を交互に見るしかない。
そんな僕にジェシカはちらりと目線を寄越した。
そしてマリア様を見て言った。
「マリア」
「な、なんですか?」
二人はじっと見つめ合っていた。
…が、マリア様が急に赤面した。
「そ、そんなこと考えていません!」
「まぁ、そーいうこと」
「…!」
マリア様はそっぽを向いてしまう。
しかし、不満があるというわけでもなさそうに見えた。
「じゃ、あたしは仕事に戻るね」
「あ、ジェシカ…」
何が何やら分からなかった。
多分、ジェシカが何かを考えていて、それをマリア様が読み取ったということだろうか?
しかし、その内容の想像がつかない。
「あの、マリア様…」
おずおずと話しかけた途端、マリア様はこちらをキッと睨んだ。
だが、顔は赤いままだ。
「きょ、今日は下がりなさい!」
「か、かしこまりました」
僕は慌てて立ち上がる。
「あ…」
と、マリア様が何かを言いかけた。
「…なんでしょう?」
マリア様は俯いた。
そして、少ししてから顔を上げて言った。
「明日も、来るように!」
「は、はい!」
とりあえず、なんとかなったみたいだ…。
状況は全く理解できないが、ジェシカに感謝し、僕は部屋をあとにした。
「ふぅ」
最近、立て続けに色々なことが起こる。
使用人室で少し休もう。
廊下の角を曲がると、一人の少女がいた。
僕がまだ知らない使用人かもしれない。
僕はぺこりと頭を下げた。
「おい、おまえ」
少女は僕を見上げながら言った。
「おまえがジェシカか?」
「い、いえ、違います」
「ジェシカはどこだ」
随分、不躾な感じだ。
先輩かと思ったが、ジェシカを知らないとはどういうことだろうか?
「ジェシカでしたら、そろそろ使用人室に戻る頃かと」
「よし、案内しろ」
「え…?」
使用人ではないのだろうか?
しかし、使用人の格好をしている。
「今日から世話になる、ガブリエルだ」
今日から…!?
「はやくしろ!」
「は、はい!」
まだまだ休むことはできないようだ。
最後までお読みいただきありがとうございました!
次回は9月22日(金)の12時ごろに投稿予定です。
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