寄り道
背景は色々異なる歴史を歩んできた世界が舞台です。
前回投稿した短編《順番》の続き物ですが、読まなくても関係ない内容にはなっている・・・はずです。
今までは大学へ通うのに家主の車を勝手に使用していたのだが。
以前、家主が面倒見ている未成年の少女を夜中に連れ出して乗ったことが問題になり、それができなくなってしまい。
「あぁ~ッついわねぇ~」
今は通学の為、家主の仕事を手伝い、そのバイト代で買った原付きバイクに跨り。
炎天下の中、強い日差しで熱せられたアスファルトから立ち込める陽炎の中を走っている。
「義恭のヤロォ~・・・このクソ暑い中、原チャで行けとかマジ鬼かよ」
女の装いは、夏場だと言うのに厚めの長袖、長ズボン、更に皮の手袋に厚手のブーツと大変暑苦しい格好だ。
何故その様な格好なのかと言えば。
居候先の家主ー額戸 義恭ーが、いくら原付きバイクとは言え、バイク初心者が洒落た格好で乗るのは危ないと用意し、安全のために着せているからだ。
走っている時はまだマシだが、信号待ちで止まってしまうと、夏の日差しが女の体温を上げていき。
被っているムレムレの半帽タイプのヘルメットの隙間から、汗が滝のように流れ落ちてくる。
「冬場の寒さは重ね着でどうにか耐えられたけど・・・夏はコレ・・・マジで死ぬかも知れんね・・・」
女は大自然の猛威に愚痴りながら、服の袖で額から流れてくる汗を拭い。
暑さでボヤけそうになる思考を気力で保ち。
信号が青に変わるのを今か今かと待ち焦がれ。
信号が青になると同時に、待ってましたと言わんばかりに右手のスロットルをぶん回す。
すると、原付きバイクは景気よくエンジン音を鳴らし、女の身体へ加速による微かなGを与えて発進する。
「車欲しぃなぁ・・・」
女は、動き出した事で多少増しになった暑さに辟易しながら。
ヘルメットからはみ出した腰まで伸びる長髪を靡かせながら、右側から自身を次々追い越して行く車の後ろ姿を見て愚痴をこぼす。
「でも高いんだよなぁ~・・・お小遣い貯めても買える頃には卒業だし・・・バイトかぁ・・・」
女は夏の暑さが本格的になった頃から、大学に通う道程で同じ様な事をいつも考えては。
「でもなぁ・・・働きたくないでござる」
視線の先、青空の向こうに大きく立込める八重雲を見詰めながら、同じ様な帰結に至る。
大学に到着した女は、シート下の収納スペースから荷物を取り取り出すと被っていたヘルメットを中に入れ、管理棟へと足早に向かう。
大学の管理棟には更衣室があり、シャワー等の設備が揃っていた。
本来管理棟の施設は更衣室に限らず、一般学生が使用するには都度施設使用願いを提出しなければならないのだが。
女が所属するゼミの教授が、女の事情を汲み、夏の間だけ使用できるよう取り計らってくれた。
その御蔭で、女は汗だくの身体で気持ち悪いまま講義を受ける災難を回避することが出来ていた。
「ひぁ~・・・・気持ちぃぃ」
少し冷たく設定したシャワーを浴びながら。
「教授サマサマだぁ~」
女は更衣室のシャワーで汗を流し、持ってきた夏らしい薄手の服に着替えると。
貸してもらっているロッカーに今まで着ていた服を仕舞い、服に除菌消臭スプレーを吹き掛けて更衣室をあとにする。
管理棟を出てキャンパス内を歩く女には多くの視線が集まる。
女の容姿は、10人が見れば9人が振り返る程、整った顔立ちをしており。
線が細い身体のわりに、女性らしいメリハリの利いた身体を持ち。
今は、その身体のラインを見せ付けるかのようなタイトなアンクルパンツと飾り気のない半袖のシャツ姿に。
シャワー後にちゃんと乾かさなかったからか、水分を含んだ腰まで伸びた亜麻色の髪が、夏の日差しを反射し金色に輝いていた。
そんな女の姿に。
男達は慕情や欲望の眼差し向け。
女達は憧れや羨望の眼差しを向ける。
だが、女はそんな周囲の視線など意に介さず。
「あぁ~・・・ったり・・・一限目から講義とかホント勘弁ですよぉ~」
夏の暑さに辟易しながら、ダルそうに肩を落とし構内を歩いていた。
そんな女に。
「桜、おはよう」
後ろから声を掛けてきた者がおり。
桜と呼ばた女は足を止め、自身の名を呼んだ者がいる方へ顔を向けると。
「あぁ・・・愛花・・・おはようさん」
足を止めた桜に向かって、ルーズTシャツにタックショートパンツと涼し気な格好をした愛花と呼ばれた女性が、足早にやって来ると桜の隣に立ち。
「愛花、戻ってきてたんだね」
「うん。一昨日ね」
「身体の方は平気なの?」
「大丈夫だよ。楓さんも色々気を使ってくれてたし」
「へぇ~・・・姉さん、人に気を使えたんだ・・・」
「あぁ・・・流石にそれは失礼じゃないかなぁ・・・」
「・・・姉さんには言わないでね?」
「言わないよ・・・私もちょっと怖いし」
桜は隣に愛花が立つと再び歩き出し。
愛花はそんな桜の隣をキープするように歩く。
桜の隣を歩く愛花ー宮本 愛花ーは、以前大学内のドライブサークルに加入していたのだが。
サークル活動中、とある出来事に遭遇し、その際に特異な【力】に目覚めてしい。
以降愛花は、桜の姉で学者である楓からの依頼で、その【力】の研究・解明に協力することになった。
桜の姉である楓ー神威 楓ーは、普段は忙しくアッチコッチを飛び回り、一所に留まる事が少ないのだが。
愛花は、そんな楓が本州に戻ってきた際に、彼女の元を訪れては、異能についての研究材料という名のバイトをしていた。
「愛花も一限目から?」
「うん。第二外国語で中国語」
「あぁ、私も一緒だ」
「じゃぁ一緒しよ?」
「うん」
2人は他愛ない話をしながら目的の教室に向かって構内を歩き。
桜は愛花と話をしつつ、額から流れ出る汗や、学内に植えられた路樹の至る所から響き渡るセミの声を煩わしく思いながら、目的の教室がある学内棟へと辿り着く。
空調の効いた部屋で講義を受けること暫し。
「桜、この後の予定は?」
「午前中は講義ないんだけど・・・午後イチで先生んっとこに顔出さないとイケないんだよね・・・メンドクサイ・・・それがなかったら帰っちゃうのに・・・」
「そっかぁ・・・私はこの後の講義出て、午後イチで一限だけ入ってるんだよねぇ・・・午後は顔だしだけなの?」
「うん・・・多分」
講義を終えた2人は教室から出ると、少し蒸し暑い棟内の廊下を歩く。
愛花は暑さにげんなりとした表情を浮かべて隣を歩く桜に苦笑いを浮かべながらこれからの予定を確認すると。
桜は面倒臭いという言葉を体現するかのように気怠げに肩を落とし、ジト目を浮かべて愛花へ返答する。
桜のそんなだらし無い姿も様になっており。
彼女が持つ美しさを損なわせることなく、寧ろ魅力的に見せていた。
愛花はそんな桜を少し羨ましく思いながらも、桜が持つ魅力に惹かれる者の一人であり。
桜は彼女が発現してしまった異能に理解をしめす大事な友人でもあった。
「だったら、桜の用が済んだらタピらない?市内に新しいお茶の店オープンしたんだって。そこのミルクティー美味しいんだってよ。一緒に行かない?」
「タピオカかぁ・・・市内のどこ?」
「えぇっと・・・役所の方だね」
愛花はバイト明けに、そんな友人と久しぶりに再会したので。
積もる話もあり、もう少し一緒に居たいと思い、桜をお茶に誘い。
桜はダラシなく落とした肩を『よっこいしょ』と持ち上げ、胸を張るように小さくストレッチをしながら、お店がどこにあるのかを愛花に問う。
愛花は手提げバックのポケットから携帯を取り出し、地図アプリでお店の場所を確認して答えると。
「役所かぁ・・・学校の方ねぇ」っと、桜は小さく呟き。
自身もケツポケットから携帯を取り出すと。
「愛花、他にも誘っていい?」っとニカッと笑顔を浮かべる。
愛花は桜の言葉に、一瞬だけ誰を誘うのかと疑問を浮かべるが、桜が浮かべた笑顔で相手の検討が付き。
「いいよ」
愛花は快く承諾しつつ、敢えて桜が誰を誘ったのか聞くことをせず。
桜が誘った相手が思いついた人物なのか。
それとも全く別の人物なのか楽しむ事にして。
この後の待ち合わせの時間と場所を決めながら棟内を歩き。
「じゃぁまた後でね」
「はぁ~い」
愛花は桜と別れ、次の講義を受けるため、別の学内棟へと向かった。
桜は一人、ゼミへ顔を出すまでの暇な時間をどのように消化しようか考えながら学内を歩くが。
外の暑さとセミの騒がしさに耐えきれず、涼しさと静けさを求め、一番近い学内の食堂へと向かう。
桜が訪れた食堂は、学内で一番小さな食堂であったが。
オシャレなカフェテリアとなっており、学内でも人気が高い食堂であった為に。
「あれぇ?もしかして神威さんじゃねぇ?」
窓際のカウンター席で1人。
先程愛花と決めたお茶の話を、小さく可愛い友人へ伝える為、携帯片手にメールを打っていると。
「あ、マジ神威さんじゃん。いま1人なの?俺もマジ1人でさぁ、一緒していい?」
アロハシャツに顎髭を生やした、『大学で講義受けるのにその格好はどうよ?』と、突っ込みたくなる風体の男が声を掛けてくる。
桜にとってはこんな事は日常茶飯なので。
「神威さんじゃんないです。一人じゃないです。一緒しないで下さい」
携帯から顔を背けず、ぶっきら棒にあしらうが。
「え、ないそれウケるんだけど。神威さんマジおもしれぇ」
中には何を勘違いしているのか。
桜からの拒否に気付いていないのか、それとも分かっていて、敢えて距離を詰めてくる者も居た。
そして今回の相手は、学内でも珍しくなりつつある勘違いしている者らしく。
桜の拒否を物ともぜず、彼女の隣の席に勝手に座り。
「この後講義何でんの?講義ないなら遊びいかん?車出すよ?あ、そうだ暑いし海いかん?1人やなら友達誘ってもいいよ?俺も誘うからさ」
桜に顔を近づけ、声を掛け続ける。
そんな相手に桜はげんなりとした表情を浮かべつつ。
男へ背を向けるような体勢をとり、片肘を机に乗せるとその手の甲へ頬を付き、先程送ったメールの返信を待つ。
男はそんな桜の態度にも負けじと、遊びに行こうと声を掛けてくるが。
桜は一切を無視し、携帯をポチポチとイジりながらメールの返信を待っていた。
そんな桜達のやり取りを食堂に居た他の利用者達は、横目ながらも野次馬根性丸出しで見つめ。
沢山の視線が桜と男へ向けられており。
桜は居心地の悪さを感じていたが、自分から動けば逃げたよで負けた気になるで動こうとしなかった。
そんな時。
「おい、アキヒコ。止めとけ」
1人の男が、桜に声を掛けている男ーアキヒコーの肩に手を置き、桜に絡むのを止める。
アキヒコと呼ばれた男は、自身の肩に置かれた手を一瞬睨み、そのまま手の持ち主へ鋭くした眼光を向けるが。
「・・・おぉ、コウタロウ・・・もう用事はすんだんか?今な、サクラちゃんと遊びに行こうって話ししてたんよ。お前も来るだろ?」
手の持ち主が友人ーコウタロウーと気付くと笑みを浮かべ。
先程までの桜とのやり取りを都合の良いようにイツミに告げた。
その瞬間。
そっぽを向いて携帯をイジっていた桜の手が止まり。
ゆっくりとアキヒコへ顔を向けるが。
アキヒコはコウタロウへ顔を向けていた為にそれに気付けず。
代わりにコウタロウが桜と顔を見合わせる事になり。
「ッ・・・ほ、ほらアキヒコ。神威さんなんか用があるっぽいし、迷惑掛けたらマズイって。な?遊び行くなら俺が付き合うから。何なら他の連中にも声かけてよ。な?もう行こうぜ」
桜の顔を見たコウタロウは、強張りそうになる顔に懸命に笑みを浮かべ、椅子に座るアキヒコの脇下へ腕を通し、無理矢理椅子から立たせると。
「わ、悪かったね神威さん。コイツがうざ絡みしちゃって。俺等もう行くからさ。じゃぁね」
「ちょぉ!おい!まだサクラちゃんから返事もらって!?ッイテ!!」
「ご、ごめん神威さん。コイツ馬鹿だからさ!後でちゃんと言っとくから」
コウタロウはアキヒコを引っ張り歩き、桜からアキヒコを引き離そうとするが。
アキヒコは訳も分からず自分を引っ張るコウタロウの拘束から逃れようとする。
桜はそんな2人のやり取りにうんざりした表情を一瞬浮かべると。
「アキヒコ君・・・だっけ・・・私と遊びたいんだ?」
席から立ち上がり、コウタロウに腕を引かれるアキヒコの元へ歩み寄る。
アキヒコは自身の目の前に立つ桜を見詰め、今更ながら頬を赤らめる。
彼女の陽の光を反射して輝く亜麻色の長髪に可愛らしさと美しさが絶妙なバランスで共同する容姿と世界のトップモデルと言われとも通用する身体つき。
そんな女性から甘い体臭が感じられ、吐息が掛かりそうな側まで来られると。
男であれば反応せずには居られず。
「・・・・・・」
アキヒコは無意識に生唾を飲み、声も出せず。
桜の言葉に小さく頷きを返すことしか出来なかった。
桜はそんなアキヒコに柔らかな笑みを向けると。
ダラシなく垂れていたアキヒコの手を取り。
アキヒコの目線の高さまで持っていき。
されるがままのアキヒコは。
自分の手に触れられたマシュマロのような柔らかい感触に鼻の下を伸ばし。
そのやり取りを見ていたコウタロウは。
諦めたように・・・アキヒコから距離を取った。
「だったら・・・」
そう言った桜は。
ドスン!!
肉が何かに叩きつけられた音が食堂内に響き渡り。
「!?ッゥゥゥ・・・・ァァ・・・」
苦悶の表情を浮かべ、天井を向いて声にならない声を喉から漏らしているアキヒコに向かって。
「・・・身長は最低でも190cm以上で、腕は私の腿以上、足は丸太のように太くなってから声を掛けてね。私のようなか弱い乙女に投げ飛ばされるような貧相で貧弱なナリで、根拠もなく粋がっている男はタイプじゃないのよ」
腕を極めた状態で見下ろしながら言い放ち。
「後・・・気安く名前で呼ばないでくれるかしから・・・っね!」
「ぅあ!ゴメン!ゴメンなさい!」
極めた腕を更に捻り、アキヒコへ痛みを与え。
「最近はアキヒコ君のように声を掛けてくるのが居なかったから油断してたよ・・・だから・・・アキヒコ君?」
桜は床に転がり痛みに悶絶しているアキヒコに向かって。
「・・・私に声を掛ける時は覚悟するようにって・・・周りのお友達にも教えておいてね?」
とびっきりの笑顔を向けてから腕を離してやり。
「それとコウタロウくん?貴方もお友達に教えてあげないと・・・私に声を掛けたらどうなるか・・・身を持って知ってたでしょ?」
痛みで床に転がるアキヒコをそのままに、コウタロウにそう告げ、彼の横を通って食堂を後にした。
教壇に立つ近代史の教師は、片手に持った教科書を読みながら、もう一方の片手に持った扇子を扇ぎ。
「ーーーー年ー月ーー日にアメリカを介して連合国との平和条約を受諾した訳だがーーー」
空調設備が整っていない教室で教師の話を聞いている生徒の大半は涼を取る為に、教師のように下敷きを団扇代わりにして扇いでいたり。
額から流れる汗を首に巻いたタオルで拭ったりと、夏の暑さに抗うことに気を取られ、教師の話などまともに聞く者は少なかった。
「その前のーーーー年ー月ーー日に突如ソ連が日本に宣戦布告をし、南樺太への侵攻を始めた」
だがそんな中にも真面目に授業を受けている者もおり。
真面目に授業を受けている者の1人である|八意 春命《やごころ しゅんめい》は、暑さで締まりの無い表情を浮かべているクラスメート達を余所に、汗一つ掻く事なく、澄ました表情で教師の話をノートに纏めていた。
「更に南樺太と同時期に占守島に侵攻を開始したソ連は」と、教師が話をしていると。
キーンコーンカーンコーン。
終業のチャイムが校内に鳴り響き。
「・・・ぅん・・・まぁ授業は此処までだ。今日の授業は来週からの中間テストの範囲には入らないと言ったが・・・夏休み明けの確認テストで出すからな・・・ノート取ってない奴は・・・夏休み明け覚悟しとけよ・・・はい、じゃぁ号令」
教師は読み上げを止めると、そそくさと机の中へ教科書やノートを片付ける生徒達に向かって告げ。
「きりーつ!れー!」
ノートを取っていなかったのだろう日直の乱暴な号令に意地悪げな笑みを浮かべながら教室を去ると。
「クッソォォ斎藤のヤロォ~!!授業はじめに中間の範囲じゃねぇって言ってたから油断したぜ!」
「マジ斎藤勘弁してくれよぉ」
「あのジジィ・・・生徒イジメて面白いかよぉ」
教室内は、油断してノートを取っていなかった者達の阿鼻叫喚が響き渡った。
春命はそんなクラスメイト達を横目に教科書や筆記用具を机横のフックに掛けたバックへ仕舞いながら携帯を取り出す。
「シュンちゃん、ノートとった?」
そんな春命に前の席に座っていた女子生徒が振り返り声を掛ける。
「はい。斎藤教諭は黒板に書かない内容もテストに出しますから、教諭が読み上げた出来事の日付と事柄はノートに取るようにしています」
「あぁ~・・・シュンちゃん」
「・・・取ってなかったんですか沙織さん」
「うん・・・今日5限で終わりじゃん?・・・放課後ノート見せてくれないかなぁ?・・・お茶奢るよ!?」
春命の前の席に座る沙織ー泉 沙織ーは、大袈裟に両手を合わせながら頭を下げ。
春命はその姿にジト目を向けながらバックから取り出した携帯を視界の端で見ると。
携帯の着信を知らせるライトが光っているのに気付き。
「それは構いませんが・・・」
携帯に送られてきたメールを確認しながら答える春命に。
「ホント!ありがとシュンちゃん!愛してる!」
沙織は健康的な褐色の肌によって際立つ真っ白い歯を見せながら元気な笑顔を浮かべ。
「メール?珍しいねぇシュンちゃんの携帯に私以外からメールが届くの」
携帯を片手にメールを読んでいる春命に沙織は顔を近づけ。
春命はそんな沙織に不服そうな表情を向け。
「私にだって沙織さん以外に連絡を取る相手ぐらい居ます」
「えぇ・・・シュンちゃんの携帯に登録されている人って、私と桜さんと、会ったこと無いけど桜さんのお姉さんでしょう?・・・あと・・・あのデッカイ人「義恭さんです」そうそう義恭さんね・・・それぐらいしか無いよね?」
沙織は表情で不服を訴えてくる春命を無視して、一人ひとり指を折りながら春命の携帯に登録されている人の名を上げていき。
「え!?4人しか居ないじゃん!・・・シュンちゃん・・・もっと友達作ろうよぉ~・・・シュンちゃん可愛いんだから、遊ぼって声掛けたら断る子なんて居ないよ?」
「なんですそれ・・・私は別に可愛くないですし、沙織さんみたいに愛想よくありませんから、そんな意味もなく他人に声なんか掛けれません」
春命は諦めたように大きな溜息を吐くと、携帯に視線を戻し、沙織をあしらうように適当な返事をする。
「えぇぇシュンちゃんは可愛いよぉ!子猫みたいで。お膝に乗せてナデナデしたいぐらいだよ!」
そんな春命の言動に今度は沙織が不服そうに声を上げつつ、手を伸ばし、春命の柔らかく少し癖っ毛な黒髪の頭をヨシヨシと言って撫でつける。
「ぐらいって・・・撫でないでください」
「えぇ、イイじゃん。シュンちゃんは可愛いよ?ヨシヨシ」
春命はそんな沙織をジト目で睨みつけるが、彼女の手を振り払うことはしなかった。
「それで?メールは誰からだったの?」
「なんでそれを沙織さんに答えなくてはイケないんです?」
「当ててあげようか?桜さんからでしょ?」
「・・・・・・そうですけど」
「ほら、やっぱり」
「何がほらですか」
「なんて用だったの?」
「なんでそれを沙織さんに答えなくてはイケないんです?」
「まぁまぁいいから」
「・・・・・・・・・・放課後、お茶に誘われました」
「お!良いねぇ。テスト準備期間で部活もないし、私はOKだよ!」
「誘われたのは私なんですが」
「まぁまぁいいから」
「・・・・・・・・・聞いてみないと分かりませんよ?」
「じゃぁ聞いてみようか?」
春命は沙織とのそれなりに長い付き合いから、これ以上何を言っても無駄だと悟り、桜からのお誘いに沙織が同行したいと言っている旨を伝えると。
10秒も待たずに了解の返信が届いた。
そして、各々が自身の予定を終え。
市内の中心部にある役所から少し離れた幹線道路沿いにできた、目新しい平屋の建物前にセーラー服を着た2人の少女と私服の2人の女性が集い。
「ちわぁッス、桜さんお呼ばれ感謝ッス」
「ちわぁッス沙織ちゃん、お久しぶりだね。今日はおネェさんがおゴチャるけん」
「うわぁマジっすか!ごちになりまぁ~す」
「その代わり、学校での春ちゃんの話、聞かせてよ?」
「了解ッス!」
「愛花さんもいらしてたんですね。お久しぶりです」
「お茶に誘った言い出しっぺは私なのに、桜伝えてなかったのねぇ・・・久しぶり春命ちゃん。元気してた?」
「はい。愛花さんも・・・その後はお変わりなく?」
「うん?あぁ・・・大丈夫だよ。ありがとね」
「いえ」
各々が見知った顔に挨拶を交わし合い。
「初めまして泉 沙織って言います。シュンちゃんのマブダチです。よろしくッス!」
「初めまして、宮本 愛花よ。桜とは・・・「マブダチよ」マブダチです・・・よろしくね泉さん」
「あ、アタシのことは沙織で良いですよ。なんで、愛花さんって呼んでいいですか?」
「うん、いいよ。改めて宜しく沙織ちゃん」
「うッス、愛花さん」
知らない顔同士が挨拶を交わした後に。
「よぉ~っし!挨拶も済んだし、早速タピろう!少女達にはおネェさんが奢ってやるぞぉ。お前らついて来い!!」
桜が先人を切って真新しい建物へ歩みを進め。
「「ゴチになりまぁ~す」」「後で義恭さんにお小遣いせびらないで下さいね」
「せびらないし・・・後、愛花は自腹だよ!」
愛花と沙織は楽しげに桜の後に続き。
春命は桜にジト目を向けてはいたが、口元に小さな笑みを浮かべて、お店に入る3人の後に続く。
4人が店内に入ると話題に上がっているお店なだけあり、それなりの混みようであったが。
偶々なのか、持ち帰りの客が多かった為か、混雑していた店内でもテラス席だけが空いており。
フレーバーを決めた春命と沙織が席の確保をし、桜と愛花が注文にカウンターへ向かう。
幹線道路沿いに立つお店であったが、テラス席は道路の反対側、店の奥にある庭に設けられており。
庭はそれなりに広く、よく手入れがされており、季節の花が植えられ、咲いていた。
席の上にはお店の壁から日よけのサンシェードが庭先まで伸びており。
その先端には風鈴がぶら下がり、風通しが良いのか、小気味よく音を奏でている。
「店内よりかは少し暑いけど、風通しもいいし、お店の中から涼しい空気が流れてくるから思った以上に居心地いいね」
「そうですね。テラス席しか空いてなかったので、暑くて敬遠されているのだと思ってましたが・・・この席は当たりですね」
「シュンちゃんみたいに考えて、確認もしないで座らない人が多いんだろうね」
「・・・何が言いたいんです?」
「べっつにぃ~」
席に座り背もたれに寄り掛かる沙織を春命がジト目で睨みつけること暫し。
「お待たせぇ・・・はい、春ちゃんは抹茶だったね」
「沙織ちゃんはミルクティーね」
桜と愛花が両手にコップを持って席にやって来て、春命と沙織の前にお茶を置いていき。
「ありがとう御座います、桜さん」
「ありがとう御座います愛花さん・・・2人は何にしたんです?」
春命と沙織は2人にお礼を伝え。
沙織は2人が持つお茶に興味を移した。
「私は豆乳紅茶」
「私はジャスミンミルクティーよ」
桜と愛花は空いていた2つの席に各々座りながら沙織に答えると。
「へぇ~美味しそうですね。よかったら後で皆で回し飲みしません?ね、シュンちゃんも」
「いいよ」
「いいわよ」
「・・・」
沙織の提案に桜と愛花は笑顔で答え。
春命は澄ました表情で小さく頷き。
沙織の愛らしくコロコロ変わる表情や、誰とでも直ぐに打ち解ける事ができるコミュニケーション能力の高さに呆れつつも、少し羨ましく思う春命だった。
4人がお茶をしながら、各々の話ー今度の中間テストの事やその後の夏休みの予定などーをして時間を過ごしていると。
夏の長い日が傾き始める。
だが、女4人ー特に桜と愛花、沙織の3人ーの会話は終わりを見せる事もなく。
「それで、その子・・・急に記録が伸びだしたんですよ・・・今までは正直箸にもかからない記録しか出さなかったのに・・・ある時から急に記録が伸びて、今じゃ県大会にも出れる実力なのよ」
今は、沙織の陸上部仲間から聞いた不思議な話を肴に盛り上がっていた。
「普通に頑張った結果じゃないの?」
桜が沙織の話に疑問を投げかけると。
沙織は渋い表情を浮かべ、ストローを咥えたまま後ろ頭を掻き。
「そりゃぁ・・・まぁ・・・頑張った結果らならねぇ・・・」
「不服そうね?」
桜の疑問に納得できかねる表情を浮かべる沙織に。
愛花は彼女の気持ちを代弁するように問う。
「うぅ~ん~・・・例えばですよ・・・今まで100メートルを15秒で走っていた陸上素人が、1週間で11秒で走れるようになります?」
「無理ですね。陸上競技は選手のフィジカル面が目立ちますが、それ以上に技術も重要になる競技です。ただ走るだけでも技術の有る無しで、同じ人物でも差が出ます」
そして沙織は自身の納得いかない気持ちを自分なりに分かりやすく例えて言葉に出すと。
間髪入れずに春命はその言葉に答え。
春命の言葉を聞いた3人は納得するように頷き。
「まぁ・・・その子もすごく頑張ってるのは知ってするし・・・フィジカル面は問題ないんだよ・・・フィジカルだけなら記録を出せるポテンシャルは・・・まぁ・・・あるとは思う・・・でもねぇ・・・何というか・・・無いんだよね・・・センスが・・・」
沙織が言いづらそうにそれを言うと。
桜達は沙織が何を言いたいのか汲み取る事ができ。
「あぁ・・・分かるかも・・・身近にいるわそういうの」
「そうですね・・・義恭さん・・・球技系全般が全くできませんから」
桜と春命が具体的な例を口にすると。
愛花と沙織は驚いた表情を浮かべ。
「え!?そうなの・・・あの人・・・身体を使うことならなんでも出来そうな見た目なのに」
「マジか・・・あの見た目は伊達だったかぁ」
各々が思い思いに例に出た男に対し言いたいことを口に出して驚き。
「いや・・・単純にボールを投げるとか、蹴るは出来るのよ・・・ただ、競技となると・・・なんか知らないけど駄目なのよアイツ」
「ボールを投げると必ず相手の顔面に向かって飛んでいきますし。ボールを蹴ってもそう。テニスをすると打ち返した玉がノーバウンドで相手の顔面に必ずと言っていい程に飛んでいきます・・・本人にその気がなくても」
「ボウリングさせた時なんて、後ろに居た私達にボウリング玉が飛んできたからね。流石にそれ見てからはアイツを球技系の遊びには誘わなくなったわ」
続く桜と春命の話に。
「ナニソレ怖すぎなんですけど」
「・・・それは既に特異能力では・・・」
沙織と愛花は引きつった表情を浮かべ。
「ま、まぁ・・・デカい人の話は置いといて・・・その、急に記録が伸びた子なんだけど。まぁ何というかさ・・・才能がない子だったのよ。でも、本人は陸上が好きで続けてたんだけどさ・・・いくら頑張っても記録が伸びなくて、すごく悩んでたんだけど・・・それが最近になって急に記録が伸びてさ・・・まぁ良いことなんだけど・・・私も陸上やってるから分かるんだけど・・・その成長具合が不自然なくらい急なのよね」
沙織は引きつった表情を和らげるように苦笑いを浮かべてから、話を本題へ方向修正する。
「勘所ってのを覚えたんじゃないの?」
「そうね・・・アハ体験的な・・・急に勘所が良くなったり、気付くことって稀にあるし」
「その方の記録が伸びる前と後で競技のフォーム等に変化はあったのですか?色々試された結果、自身に合ったやり方を体得されたのかもしれませんよ?」
沙織の話を聞いた桜達は各々自身の考えを口にするが。
3人の言葉に沙織は何とも言えない複雑な表情を浮かべ、考えるように腕を組んで黙ってしまう。
その姿を見た春命は、沙織との長い付き合いから、彼女が本当に口にしたいことが別にあり、それを言い出せずにいることに気付き。
「沙織さんには、何か別の気になる事があるのでしょう?」
沙織の本来の気持ちを促すように優しく問い掛けると。
「はぁ~・・・・シュンちゃんには分かちゃうか」
「それなりに・・・長い付き合いですから」
沙織は諦めたような表情を浮かべ大きく溜息を吐き、春命の言葉に嬉しそうな笑顔を浮かべたあと。
少し真剣な表情に変わると。
「その子の記録の伸びは正直言って異常なのよ。だから私以外にも不思議に感じる子は出て・・・その子の友達がね直接聞いたのよ『何か特別な練習でもしてたの?』って・・・そしたらその子・・・特別な練習はしてないって・・・でも・・・『悪魔と契約したの』って・・・そして『どうすれば記録が伸びるかを悪魔に教えてもらった』・・・って・・・笑顔で答えたんだってさ。その話を聞いた時は鼻で笑っちゃたけど・・・でも・・・実際彼女の記録の伸びは異常で・・・それこそ悪魔と契約したからって言われた方が・・・納得できちゃうのよね」
沙織は話をしていくにつれて何やら思い詰めた表情に変わっていき。
「アタシはさ・・・彼女とは特に親しい訳じゃないし・・・種目が被ってる訳じゃないから・・・あぁ、そうなんだぁ~ぐらいで話半分に聞いてたけど・・・彼女と種目が被ってる子達はさ・・・やっぱり面白くないのよね・・・急に記録が伸びて・・・レギュラー入りしてさ・・・今までレギュラーだった子が外されて・・・それが積み重ねてきた実力でってならまだしも・・・『悪魔との契約』でってさ・・・ふざけた話じゃん・・・それからさ、なんか部活の空気が悪くてさ・・・なんかヤなんだよね・・・あの空気さ・・・居心地悪いっていうか」
最後はストローを咥え、頭の後ろに手を組むと、椅子の背もたれに体重を掛けてつまらなそうに虚空を見詰める。
普段から笑みを絶やさない沙織のそんな姿を見た春命は。
「そんな事になってたんですね・・・気付きませんでした・・・すみません」
心配そうな表情を浮かべてそう言うと。
「なんでシュンちゃんが謝るんだよぉ~」
「だって・・・その・・・友達が・・・悩んでいたのに・・・私はそれに・・・全然気付けなくて」
少し気恥ずかしげに答える春命の姿に沙織の表情が崩れ。
「もぉ~可愛いなぁシュンちゃんは!」
春命の椅子の隣に自身の椅子をズラしていき。
横から抱きつき、春命の柔らかい癖っ毛を楽しむように笑顔で撫でまわし。
「・・・頭を撫でないで下さい」
春命は不服そうな表情を浮かべながらも、沙織の手を払うことなく、なすがままそれを受け入れた。
桜と愛花はそんな2人の姿を微笑ましげに見ながらも。
「願いを叶える悪魔ねぇ・・・実際どうなのかしら・・・」
「まぁ、仮に・・・願いを叶えてくれる悪魔が本当にいるとして・・・無条件で願いを叶えるって事は無いわね・・・だって悪魔だし」
「古今東西・・・悪魔との取引に求められる代償は契約者の魂って相場が決まってるしね」
「そうね・・・それに沙織ちゃんの話を聞いていて気になったんだけど。何故記録を伸ばした子は悪魔と契約した事を正直に打ち明けたのかしら・・・折角他の子より優位に立てたのに、その優位を失うような事、普通するかしら?」
「・・・もし、その悪魔が契約者に何かしらの代償を払わせ、自身に何らかの益を得ている存在なら・・・記録を伸ばした子を広告塔にして、自身の存在を広く認識させることで多くの契約者・・・顧客を確保しようとしているのかも」
「だとすると、その悪魔は多くの顧客から得たモノで、何かしらをなそうとしている可能性もあるわね」
「単純に沢山のお客様にご利用いただきたいだけかもよ」
「どちらにしても、その悪魔には人の精神に作用する力はあるのでしょうね。じゃなきゃ、自分の利用者を広告塔には使えないわ・・・正常な思考ができるなら『悪魔と契約した』だなんて大ぴらに言えないわよ」
「うぅ~ん・・・まぁそれは・・・春ちゃんぐらいの歳の子なら中二病の発症・・とも考えられるけど」
「もしそうなら・・・それはもう黒歴史を通り越した暗黒時代ね」
2人は沙織が語った悪魔について色々な考察を行い。
そんな2人のどこかフザけながらも真剣さが感じられるやり取りを見た沙織は、少し焦った表情を浮かべ。
「チョイチョイお姉様方・・・自分から話して何なんですが、悪魔だなんて居るわけないっしょ?きっと初めの方で3人が言ったように、彼女の頑張りが実を結んだんですよ。ただそれを、私が勝手に納得できてないだけで・・・悪魔だなんだってのも、桜さんの言う通り偶々中二病を発症しちゃっただけだろうし・・・ま、彼女が落ち着いたらそれをネタに暫く揶揄ってやりますよ!」
自分から始めた話を少し強引に終わらせる。
沙織の焦ったような態度を横で見ていた春命は、彼女にどこか違和感を覚えつつも。
「そうですね。もう良い時間ですし、今日はお開きにした方がいいですね」
左手首を返し、腕時計に目をやると。
時刻は18時を少し過ぎていた。
時間を確認する春命の姿に、皆が携帯や腕時計に目をやり、改めて自身で時間を確認し。
「ありゃ、もうこんな時間か・・・それにしてもまだ明るいわね」
「そうね。夏を実感するわ」
桜と愛花のその言葉を合図に、全員が帰り支度を始めた。
お店を出た4人は幹線道路に沿った歩道を歩き。
「私、一度大学に戻ってバイク取ってこないと・・・春ちゃんは?沙織ちゃんと一緒にバスで帰るの?」
「帰るのが遅くなりそうと、先程義恭さんへメールしたら迎えに来てくれると。沙織さんも一緒に送ってくれるそうです」
「え!なにそれズルい!私も車で帰りたい!」
「アンタ・・・それだとバイクどうするのよ」
「仕事用の車なら後ろに原付きぐらい乗せれるわ!」
桜が居候先の家主へ電話を掛ける横で。
春命はお店を出てから黙って自分の横を歩く沙織を気にしていた。
普段の沙織であれば、その高いコミュニケーション能力を発揮して、楽しげに話に入って来るだろうに。
今、春命の横を歩く沙織からは、顔には楽しげな笑顔を浮かべながらも、その笑顔にはいつもの元気さが感じられず。
春命には・・・本当の表情を隠している能面のように感じられていたが。
自分の気持ちを上手く表現できない春命は。
笑顔の能面を付けて横を歩く友人を、心の中で只々気に掛ける事しかできずにいた。
それから暫く4人で歩道を歩き。
市内に住む愛花と別れ。
大学で待っていた義恭の小言を聞き流しながら桜の原付きを車に積み。
義恭の運転する車で沙織を家へと送る。
その車内で。
「ねぇ沙織ちゃん・・・よかったらさ・・・お店で話してた悪魔との契約の仕方・・・知ってたら教えてくれない?」
桜が沙織に願いを叶える悪魔との契約の仕方を聞く。
願いを叶えるには3つの条件がある。
一つ、夜中の0時ピッタリに十字路の中心に空の箱を叶えたい願いを思いながら埋める。
一つ、かわたれ時に十字路に埋めた箱を掘り返し、自分の大事にしているモノと体の一部を箱に入れ、叶えたい願いを思いながら再び埋める。
一つ、黄昏時に十字路に埋めた箱を叶えたい願いを思いながら掘り返す。
すると悪魔が背後に現れ、其の者の願いを叶えてくれる。
「またなんとも稚拙な儀式だね」
「先生には思い当たる悪魔とかいます?」
桜が通う大学の研究棟一室。
古めかしいキセルを吹かし、桜から『先生』と呼ばれた中年の女性は。
ゼミもないのにやって来た桜から受け取ったペラ紙一枚を見詰めた後。
再びキセルを口に咥え一度吸うと、机を挟んで座る桜に向かって煙を吹き掛ける。
「ちょっ!ちょ、止めてくださいよ」
「全く・・・君は私をなんだと思ってるんだい?私はタダの民俗学者であって、退魔師でも悪魔ハンターでも水木しげるでもないんだよ?私だって暇じゃないんだ。そういうのは君のお姉さんに聞いたらどうだ」
「いやぁ~・・・最初はそうしようと思って連絡取ろうとしたんですけど・・・なんか繋がらなくて・・・まぁ、姉のことだし心配は無いですけど」
先生は煙たそうに顔の前で手を振る桜へ呆れるような目を向けつつ。
机の上に置かれた煙草盆を軽く叩くようにしてキセルの灰を落とし。
「まぁ・・・専門では無いが思い当たる節はあるよ」
「さっすが先生!なんです、その節って?!」
「君ね・・・少しは自分で調べるとかしたらどうだい」
「だから調べてるじゃないですか。自分で知ってそうな人に当たりをつけて。自分の足で聞きに来てます。先生がそう教えてくれたんですよ?」
「いや君ね・・・私は地域に根づく昔話や民謡を知る上で重要なのは、その地元に直接赴き、地元の方に直接聞くのが一番だと言ったんだが・・・ハァ~・・・まぁいい」
先生は机を挟んで座る桜に呆れた表情を向け、キセルに新しい葉を詰めて火をつけながら。
「教えてあげる条件に一つ・・・頼まれてくれないか?」
「何をです?」
桜に不敵な笑みを向け。
「夏期休み中・・・君の実家に保存されている書物を閲覧させてほしい」
先生がそう告げると。
桜は顔を強張らせ、視線が右往左往と泳ぎ。
「あぁ~・・・それは・・・どうでしょう・・・私が言ってどうこうなるものでも無いよぉなぁ~・・・」
「内容は問わないよ。ご実家の方がコレなら閲覧可能と判断された物でいい」
「うぅぅぅん~・・・それなら・・・一度司書長の稗田さんに聞かないとなんとも言えませんが」
「コレはまた・・・凄い名前が出るものだ・・・稗田さんというのは、あの稗田氏に連なる方かな?」
「先生が言うあのって意味が分かりませんが。昔から代々家の蔵に保管してある書物の司書をしていただいている方です」
「神代の御世から続くと言われている神威家の司書で稗田の性を持つなら、まぁ間違えなく私が知る稗田だろう。書物が無理にしても、その方と話ができるのなら私はそれでも構わない」
「あぁ、それなら問題ないかも。稗田さんお喋りだから・・・今、聞いてみますね」
桜は携帯を片手に部屋から出ていき。
暫く経つと。
肩を落とし、とても嫌そうな表情をしたまま。
再び先程まで座っていた椅子に座り直す。
その姿に先生は断られたのだろうと思ったのだが。
自身の希望を叶える為に手を尽くしてくれたお礼に、桜の質問に答えてやるつもりになっていたのだが。
「駄目だったのかな?」
先生の言葉に桜は首を横に振り。
その姿に先生の頭に疑問が浮かび。
「では、許可は下りたのかな?」
先生のその言葉に小さく桜が頷くと。
益々先生の頭の中に疑問が浮かぶ。
「では何故そんなに肩を落としている?コレで君は知りたかった事が分かるかも知れないのに」
「だって・・・私が先生を家まで連れてこいって・・・って事はですよ・・・私実家に帰らないとイケないじゃないですか・・・」
「・・・家に帰るのが嫌なのかい?」
先生は桜の言動に色々と考察する。
古い・・・それこそ神代と言われる時代から続く家系であり。
この国を治める皇家と双璧をなす程の家である。
普段ふざけた言動が多い桜であるが、その背中には一般人が想像もできない程の重荷を背負っているのだろう。
そう思い。
「無理を言って済まな「だって!あの家携帯の電波は入らないし!周りに遊ぶ場所も無いし!帰ってもやること無いし!つまんないんだもん!」・・・かった・・・」
自身の願いを取り下げようとしたのだが。
桜は頭を抱え、無遠慮に我が儘を言う子供が如く不満をぶち撒け。
「あ!そうだ。帰るなら春ちゃんと・・・ついでに義恭連れてけばいいか!それなら暇しないでしょ!」
少しして、いい案でも思いついたように笑顔を浮かべる。
そんな桜の姿に。
先生は一瞬額に青筋を立てるが。
気持ちを落ち着けるように手にしているキセルを口に咥え、深く吸い込み、煙を肺に送り、一気に葉っぱを燃やし尽くすと。
桜に向かって吐き出した。
「ちょ、ちょっと先生!煙いって!」
「全く君という奴は・・・」
暫くして互いに落ち着きを取り戻すと。
「その条件に当てはまる私が知る悪魔は・・・四つ辻の悪魔やクロスロード伝説に出てくる悪魔だな」
「なんです、それ」
「・・・・・・まぁ、いいだろう・・・古今、四つ辻・・・十字路には色々な逸話があるが・・・私が知る話の一つに、十字路の悪魔にギターの弾き方を教わったという話がある・・・」
ギターの弾き語りを生業にし、アメリカ大陸中を渡り歩いていた男は、当時その巧みなギターテクニックで行く先々の者達を自身が奏でる音楽で魅了していた。
そんな彼の音楽に魅入られた者の1人が彼に尋ねる。
『どうすればアナタのように人種問わず、多くの者達の心を震わせる音楽を演奏することが出来るのか』と。
彼はその者にこう答えたそうだ。
『私は元々ギターの腕はからっきしだった・・・だが、十字路で出会った悪魔と契約をしてテクニックを教わったのさ。私が奏でるのは悪魔の音楽。私の音楽に魅了される者達は、心の中に悪魔が存在し、その悪魔が私の音楽を楽しんでいるんだ』と。
そう語った彼は、若くしてその生涯を終え。
今でも彼が奏でたブルースは、後の多くのミュージシャンに多大な影響を与え、彼は伝説となった。
「・・・というのが私が知る話だ。他にもブードゥー教には四つ辻に住む精霊でレグバという存在が信仰されている。レグバは運命の支配者で、気まぐれな存在と言われているな。ま、古来より様々な国で、道が交差し、人が行き交う場所には何かしらの意志が集まると言われているし。そういった集合的無意識によって生まれたのが、こういった悪魔なり、精霊として語られているのだろう」
先生は語り終えると、一仕事終えた表情を浮かべ、手にしていたキセルに新しい葉っぱ詰めて火を点けると、深く吸い込み椅子の背もたれに体重を掛ける。
先生の話を黙って聞いていた桜は難しい表情を浮かべ。
「その十字路の悪魔とはどうやったら契約できるんです?」
眼の前でキセルを咥えている先生に問い掛ける。
「うん?君は何か叶えたい願いでも有るのかい?いくら悪魔に願っても、私の君に対する評価は変わらないぞ?悪魔に願う前に先日伝えたレポートを提出したまえ。それが私から単位を得る唯一無二の方法だよ」
「違いますよ。ただ・・・ちょと気になっただけです」
先生はなんとも歯切れの悪い桜の言い分に不信感を抱くが。
キセルの灰を煙草盆へ音を立てて落し。
キセルを指に挟んだ手を額に当てると。
「方法かぁ・・・確か、深夜誰にも見られずに十字路で生きた獣の首を切り落とし、殺した獣の血液を身体に塗りたくって、獣の死体を十字路の真ん中に埋める・・・だったかな」
「うわぁ~・・・なんでそんな方法知ってるんです?」
「何だその反応は!君が聞いたんだぞ!」
「あははははぁ・・・すみません、怒らないで下さいよ」
「全く、人が親切に答えてやっているのに君ってヤツは」
「ごめんなさい・・・でも・・・私が教えてもらった方法とは全然違いますね」
「うぅん・・・君が持ってきた紙に書いてある方法は・・・なんとも子供っぽい気がするね・・・基本、儀式というのは血生臭いモノであり。それが悪魔との契約となれば生贄の一つも必要になるものだが・・・コレはどうにも・・・何というか・・・覚悟が足りない気がするね・・・」
先生は机に置かれたペラ紙を桜に見えるようにヒラヒラさせながらそう言うと。
「覚悟ですか?」
桜は複雑な表情を浮かべ、先生が手にする紙へ手を伸ばし、先生から奪い取る。
「その紙に書いてある儀式は曖昧で複雑だが稚拙だ・・・深夜0時ピッタリに十字路に穴掘って箱を埋めろとあるが、箱は空箱なら何でも良いのかい?作業を始めるのが0時ピッタリなのか、箱を埋め終えるのが0時ピッタリなのか分からんし、そもそもピッタリなんて不可能だろ・・・ピッタリということはコンマ一秒もズレてはいかんのだろ?それに、かわたれ時と黄昏時だが。かわたれ時・・・朝が明けるか開けないか・・・黄昏時・・・日が沈むか沈まないか・・・季節によってマチマチだし、儀式を行う者の感性に依存しすぎだ。これらの条件は簡単なように聞こえるが非常に難しい。そして呼び出す贄は自分の大事な物と体の一部・・・これらは、例えば大事にしているシャーペンでも良いのか?髪の毛一本でも体の一部だぞ?・・・この程度で願いを叶えてくれる悪魔とは、何とも安上がりな悪魔とは思わないかい?」
「・・・何が言いたいんです?」
紙を奪い取られた先生は笑み浮かべながら捲し立てると満足したようにキセルを吹かし。
桜はそんな先生をジト目で見詰め、先生が話している言葉の真意を問う・・・が。
「既に君は分かっているのだろ?」
先生はもう語ることはないと椅子から立ち上がり。
「どちらにしても・・・悪魔と契約した者は代償を払うだけでなく・・・周囲にいる者にも良い影響は与えない・・・あまり関わるモノじゃないよ」
桜の横を通り部屋を出ていく際にそう言い残して去っていった。
1人、部屋に取り残された桜は。
椅子の背もたれに体重を預けながら天井を見詰め。
友人と楽しげに話す春命の姿を思い出して。
「ま、正体が悪魔か精霊か他の何かなのか分からんけど・・・大事な妹のためだもの・・・お姉さん頑張っちゃうぞ!」
大きく伸びをした後、勢いよく椅子から立ち上がり。
意気揚々と部屋をあとにする。
そう腹を決めた桜の行動は早かった。
その日のウチに100均で空箱を買い。
舗装されていない十字路を探し、暑い日差しの中、市内を原付きで走り回る。
なんだかんだと、その作業が非常に難しく。
現在、国を上げての大規模都市開発が様々な地域で進んでおり。
桜が通う大学がある市内でも、建築工事や道路工事が至る所で行われており。
中々掘り返す事が出来る土の地面を見つけることができず。
掘り返すことが出来る土の道を見つけても。
そこには十字路でなかったり。
十字路を見つけても、人の往来が全くない、人1人が歩いて通れる農道だったりと。
悪魔を呼び出すには些か条件に合わなそうな場所ばかりだった。
「あぁ・・・どこで呼び出したかも聞ければよかったんだけどなぁ」
暑さに当てられた桜は、休憩のために一度大学に戻り。
空調の効いた人が少ない食堂のカウンター席で、溶けたアイスのように項垂れていると。
誰かに見られているような気配を感じ。
その気配の元へ項垂れたまま視線を向ける。
視線の先で、窓際に設けられたカウンターで項垂れる桜をガラス越しに見詰めていた愛花と目が合う。
「・・・ちょっと怖いんですけど愛花さん」
ガラス越で桜の言葉が聞こえるはずのない愛花だったが。
愛花は桜をジト目で見下ろし、桜が何かを言ったやいなや、ズンズンと歩き出して。
その勢いのまま食堂に入ってきては、桜の隣に座り。
「桜・・・アンタ何やってんの!?」
顔を桜の前に持ってくる。
「ちょっちょ、顔近いって・・・って・・・愛花肌綺麗ねぇ」
「ごまかすな・・・桜に褒められても嫌味にしか聞こえないわよ・・・全く・・・アンタ、1人で何やってたの?」
桜は愛花から距離を取るように仰け反り、視線を泳がした後、誤魔化すような笑みを浮かべ。
愛花も桜から少し離れると、眉を顰め心配している表情を浮かべる。
「嫌味って・・・人が素直に感心してるのに、それもまた失礼な話だよ。1人で何してたって・・・特に何もしてないわよ?暑いから涼んでるだけ」
桜は愛花に不貞腐れたように唇を尖らせて答えるが。
「今、アンタから初めてアレを見た時の感覚がする・・・」
愛花のその言葉にふざけた表情から真剣な表情へ変わり。
「・・・マジ?」
「マジよ。そうでなかったらこんな焦ったりしないわ。お願い、何をしているか教えて。変な事に首突っ込もうとしてすんじゃないの?」
愛花の本気で心配している気持ちを察した桜は。
彼女の気持ちを無下にもできず。
更には現状の手詰まり感もあり。
「あぁ・・・実はですねぇ~・・・」
今、自分が何をしているのかを打ち明け。
愛花に相談することにした。
「ハァ~・・・願いを叶える悪魔と会うために舗装されていない十字路を探してたって・・・なんでまたそんな・・・沙織ちゃんの話、本気にしてたの?・・・悪魔に願っても叶えたいお願いでもあるの?」
桜の話を聞いた愛花は、脱力したようにカウンターに突っ伏すると、その姿勢のまま顔を桜へ向け、呆れた視線を向けたが。
「いやぁ・・・特に叶えたい願いは無いんだけどさ・・・」
愛花は桜の真剣な表情を見て、姿勢を正し椅子に座り直すと。
「じゃぁ何でそなことしてるの」
桜と同様に真剣な表情を受けべて問い掛ける。
桜としては、十字路のあてがないかだけを聞くつもりだったが。
愛花の真剣な表情と先程愛花が自分に感じたと言う不穏な感覚の件もあり。
「春ちゃんの為・・・かな」
「春命ちゃんの?どういう事よ」
巻き込みたくない思いもあったが、協力を仰ぐことにする。
「あの日・・・沙織ちゃんから悪魔の話を聞いた時、少し違和感みたいのを感じたのよ」
桜はそう語り出す。
沙織から悪魔の話を聞いた時はその違和感を気にすることは無かったが。
愛花と一緒に沙織が語った悪魔について色々考察している時から、沙織の雰囲気が少し変わった事に気付き、最初に感じた違和感の正体にも気付く。
沙織とは春命を通して知り合い、それなりに長い付き合いがあり。
彼女のコミュニケーション能力や空気を読む能力が高いことを桜は知っていた。
そんな彼女が桜や春命だけでなく、その時初めて会った愛花の前で、悪魔などとオカルトやホラーめいた話をするだろうかと。
沙織の性格を考えれば、初めて会う人の前で自分がおかしい子だと思われるような話はしない。
わざわざ人におかしな子だと思われるような話題を出さずとも、沙織には人と無難に話せるだけのコミュニケーション能力があるし。
本人もそれを自覚して、他人・・・初めて会う人に対して、自分がおかしな子だと思われないように振る舞う子だ。
沙織という子は、誰とでも直ぐにある程度仲良くなるが、人の目を気にし過ぎる子で。
人に嫌われるのを極端に怖がり、少ない例外を除き、自身の両親も含め一定以上に仲良くしようとしはない子だった。
そんな沙織が初見の愛花の前で悪魔の話をする。
桜にはその行為が違和感の正体と気付き。
同時に彼女からの何かしらの訴えのようにも思えた。
だから、桜は沙織の事を知り、互いに一定の信頼を置いている者達しかいない帰りの車の中で、悪魔について沙織に色々質問したのだが。
沙織からは『儀式をした本人じゃないからよく分からない』と、はぐらかすような言動しか得られず。
聞き出せたのは儀式の方法までだった。
沙織の信頼を得られていないから・・・という事は無いだろう。
沙織の両親よりも信頼を置く春命にすら言えない何かが、彼女の口を閉ざしている。
桜はそう考え、唯一聞き出すことができた儀式の方法から、沙織の口を閉ざしているモノの正体を明らかにしようと心に決める。
それは、桜にとっても友人である沙織の力になりたいから・・・という気持ちもあったが。
何より、大事な家族である春命の友人だからという気持ちの方が、桜にとっては大きかった。
万が一、この話がきっかけで、春命が友人を失ってしまったら・・・と、あの時こうしていればと後悔したくなかった。
「だからって。自分が悪魔を呼び出そうって考えになるかしら・・・他にも方法あるんじゃないの?例えば、願いを叶えてもらった子を探し出して話を聞くとか」
「沙織ちゃんが愛花のいる前で悪魔の話をしたって事は・・・彼女相当焦ってて・・・もしかしたら時間が無いんじゃないかと思ってさ。悪魔呼び出して正体を確認した方は手っ取り早いと思ったのよ。正体が分かれば前回のように何かしらの手が打てるかも知れない」
「だからって「それに今、まずい状況だっていう確信が持てたしね」・・・儀式をしようとしている桜に、私の力が反応したから?」
「そ。だから愛花・・・ごめん・・・また怖い思いをさせるかもだけどさ・・・力を貸してくれないかな?・・・無理なら無理でいいんだけど・・・」
桜の話とお願いを聞いた愛花は、脳裏に以前味わった恐怖が蘇り、背筋が寒くなる。
だが・・・目の前で真剣に頭を下げる友人の姿を見て。
「ハァァァァ~・・・まずは十字路探しね」
深く溜息を漏らすと椅子から立ち上がり。
「ほら・・・行きましょう。当てがあるわ」
桜に背を向け歩き出し。
「ありがとう愛花!愛してる!」
桜は歩き出した愛花を追って駆け出し、彼女の腕に抱きついた。
2人が訪れたのは大学のサークル棟の一室。
以前愛花が加入していたドライブサークルが使用している部屋だった。
「久しぶり花園君」
「お、おう・・・久しぶり宮本・・・」
訪れた部屋に居たのは、以前愛花と共に超常的な出来事に遭遇した者の1人だった。
「花園君・・・まだ続けてるんだ」
「あ、あぁ・・・まぁ俺、やっぱり車運転するの好きだしさ・・・他の連中は辞めちまったけど。俺は辞められなくてさ・・・」
「そっか・・・今は花園君1人なの?」
「いや・・・アレから暫く1人だったけど、新しいメンバーが何人か入ってくれてサークルの体裁は保ててるよ。今はまぁ・・・冒険しないで・・・観光地や人気の名所を走るのを目的にしてる」
「そっか・・・良かってね」
「あぁ・・・ありがとう」
暫くそんな当たり障りのないやり取りを愛花と花園が重ね。
「それで・・・宮本が此処に着た理由は?戻りたい・・って訳じゃないんだろ?」
花園は物珍しそうに部屋を物色している桜を横目で見ながら、2人が部屋を訪れた理由を問う。
「花園君。以前この街の道は一通り走ったって言ってたよね?」
「あぁ・・・今も暇で遠出できない時は市内を走ってるぞ」
「じゃぁさ・・・」
愛花はそんな花園の質問に答えず、彼が今も走っているか確認し、彼の答えを聞くや、知った部屋のように壁際の棚から地図を取り出すと。
「この範囲内で舗装されてない十字路がある道って知ってるかな?」
部屋の真ん中に置かれた机に地図を広げ。
市内にある春命が通っている学校を中心にして一定の範囲を指定し、条件を花園に伝える。
愛花が指定した範囲は、春命達が通っている学校の学区であり。
例外はあるが、基本その学校に通っている生徒は、愛花が指定した範囲内に住んでいた。
「できれば、人通りがそれなりにある十字路がいいわ」
花園は愛花が何故そんな事を知りたいのか不思議に思いながらも、机に置かれた地図を覗き込み。
「うぅん~・・・今はどこも都市開発やってて舗装されてんだよなぁ・・・」
そんな事を言いながら地図の道を指でなぞる。
「範囲から多少外れても構わないわ」
「・・・だったら・・・」
花園がそう言って指差した場所は。
愛花が指定した範囲から1km程離れた、市外へ抜ける山道へ続く道だった。
「此処は地元の人間が市外から市内に入ってくるのに使う道でな。基本外から市内に入るには幹線道路を使うから、幹線道路はよく渋滞するんだけど。地元の人間はその渋滞を避けるために、この山道を使うんだよ。ちょっと回り道になるけど、渋滞がない分、市外から市内に入るには早いんだ・・だから人通りは少なくない」
「へぇ~・・・よく使われている道なのに舗装されてないんだ」
花園が地図上の道を指差しながら愛花に説明していると。
桜が花園の横からひょっこりと顔を出す。
「あ、あぁ・・・なんでも地元の地主が仕切ってる自治体が市と仲悪いらしくて。自治体が道路の舗装に難癖つけて、開発計画が進んでないんだと」
「へぇ~」
花園は桜から香ってくる甘い匂いにドギマギしながら桜の疑問に答えると。
桜は興味を失ったように再び地図から離れ。
「ありがとう花園君、助かったわ」
桜は花園に一言礼を言うと、そそくさと部屋から出ていき。
「ありがとね花園君」
愛花もその後を追って部屋をあとにした。
部屋に1人取り残された花園は。
桜が部屋に残していった微かな甘い香に頬を赤らめながら、2人が去っていった部屋の扉を見詰めた。
ドライブサークルをあとにした2人は、桜が原付きを止めている駐輪場まで移動すると。
「じゃぁ、私は実際に現地見てくるから」
「済んだら必ず連絡入れて」
「分かってる」
桜は原付きに跨り、花園に教えてもらった場所が儀式の条件にあった場所なのか確認に向かう。
桜の跨るバイクは、大学から市内の中心へ向かう幹線道路にでると、頻繁に行き交う車や市バスの邪魔にならないように、左側車線を速度を守って進み。
多くの車やバイク、バスが桜の横を追い越していく。
日に日に交通量が増していく道路や、都市開発による建築中の建物の骨組みがそこら中で見られ。
桜はそのような光景をバイクを走らせながら眺めつつ。
開発によって日増しに人口が増え、広がっている街なのだと実感する。
桜はそんな市内から少し外れた場所にある春命が通う学校まで辿り着くと。
今度は隣の市へと繋がる道へと向かってバイクを走らせ。
途中でその道を逸れて住宅街へ入る。
住宅街は目新しい戸建ての建物が多く。
都市開発によって造られた分譲住宅であることが窺えた。
そんな住宅街を少し走ると、急に視界が広がり、田園風景が現れる。
先程までの住宅街は、これらの田園を宅地造成して造られたのだろう。
田畑の合間に存在する、先程の住宅街に建てられた目新しい戸建てより明らかに古い作りの民家を見ながら、そう思ってバイクを走らせていると。
あるタイミングからハンドルを握る手や身体全体で、今まで感じなかった振動を受けるようになり。
視界に入る道が次第に荒れだし。
やがて舗装がされていない土道へと変わる。
桜はその道を山の方へ向かって走り。
少し走った所で。
山道へ続く道と住宅街へ向かう道が交差する場所・・・目的地へと辿り着く。
辿り着いた場所は、地面は土の道路で、何とか車1台がすれ違える程度の道幅であったが、交通量はそれなりにある十字路だった。
実際桜が現地に到着し、バイクを邪魔にならないように道の端に止めている間にも。
市外へ出る車や、住宅街を通って市内へ向かう車が数台通って行った。
桜はバイクを止めてから、それらの車が去っていくのを待ち、安全を確認すると十字路の中心へ足を進める。
気の所為か、十字路の中心へ一歩ずつ近付く毎に空気が重くなるのを感じ。
まだ陽が高いにも関わらず背中に寒気を感じ、鳥肌が立ってしまう。
桜はそんな身体が訴えてくる感覚を気の所為だと自身に言い聞かせながら。
辿り着いた場所で。
この場所が儀式に相応しい場所だと確信を得るとともに。
「まぁ・・・あまり遠出は出来ない学生だし・・・やるなら近場だろうとは思ってたけど・・・」
桜の足元にある、明らかに最近掘り起こしたであろう跡と。
「まさか一発でツモるとは思わなかったわね」
身体に感じる言いようの無い寒気が、本当に儀式が行われた事を感覚的に確信してしまう。
「世界の裏側を覗き込み、日常では決して感じる事なく、理解できない悪寒を味わった桜は、此処でSAN値チェック・・・1D6を振ってください・・・・ってね」
桜は身体の芯から立ち込めてくる異様な悪寒を誤魔化すために。
最近義恭に教わり、春命と一緒に遊んでるTRPG風におちゃらけて見せるが。
根が怖がりな桜であり。
以前も一人が怖くて未成年の春命を夜中に連れ出すようなビビりだ。
今回は陽が高かったから、1人でも大丈夫だと高を括って居たのだが・・・その口の端はピクピクと震え、情けない表情を浮かべていた。
「いやぁ~参ったねこりゃぁ~・・・もしかしたら本当に悪魔が出てくるかも」
「参ったね、じゃないわよ。桜から感じるアノ感覚、強くなってるわよ」
「マジかぁ・・・何かに取り憑かれちゃったかなぁ?」
儀式の場所を確認した桜は。
今は市内で一人暮らしをしている愛花のアパートに来ていた。
「取り憑かれたって事は無いみたいだけど・・・」
「ちょっとやめてよその意味深な話し方ぁ・・・怖いんだけどぉ」
桜は今日、居候先である義恭の家には帰らず。
今夜儀式を行うため、愛花の家に泊まることにしていた。
「ゴメン・・・ただ、以前楓さんから聞いた話を不意に思い出してさ・・・」
「姉さんから聞いた話?何を聞いたの?」
「世間話的な感じだったからよく覚えてないんだけど・・・人の行動って、自分が意識してから体が動くんじゃなくて、意識より先に身体が動いてて、その結果を認識した意識が自分の都合が良いように捉えているって話でさ・・・」
「何でそんな話をしてるのアンタ達は・・・暇なの?」
「まぁ・・・検査中とかは暇だし・・・私も何でそんな話をしたか覚えてないけど」
「まぁいいけど・・・それで・・・姉さんの話だと、人の行動には意識は関係なく、昆虫みたいに反射で生きてて、人が意識と思っている感覚は錯覚だって言いたいの?」
「詳しい話をするとまた違ってくるみたいんなだけど・・・難しい話だったから正直覚えてなくて・・・」
「・・・だったら愛花さんは何故今その話を私にされたのですかねぇ?」
「睨まないでよ・・・えっとね・・・その話の流れでさ、楓さんが・・・意識とは起きたことを認識する事しか出来ず、人とは常に過去を見る事しか出来ない傍観者だって言ってて・・・それを聞いた時思ったのよ・・・その話が事実なら人間は無意識によって運命が決められてるよなものだって・・・楓さん、私がそう言うと面白そうに笑いだしてさ・・・」
「それで?」
「それだけだけど?」
「何だよぉ!山無し落ちなし意味不明だよ!現役女子大生が2人揃ってディナータイムにする話じゃねぇぞ!」
「違う違う!えっとね、私が言いたかったのは・・・今日大学で桜を見かけた時、アンタに私の力が反応したって言ったじゃない?」
「・・・うん」
「その時ね、私・・・桜が何かヤッたんだって思ったのよ」
「ヤッたって・・・まぁ・・・100均で空箱買って、十字路を探してはいたけど・・・それだけじゃん」
「そうなのよね・・・でも、私には桜が既に何かやらかした後のように思えたのよ・・・だからすごく焦っちゃって」
「・・・それで?」
「うん・・・その事がすごく気になってったんだけど・・・さっきの楓さんの話を思い出してさ・・・もし人の運命が無意識か何かは知らないけど・・・既に決まられているのなら・・・桜が儀式をやろうと意識した時点で儀式が行われることは確定してて・・・その結果も決まってて・・・その兆候が既に出てるんじゃないかって・・・その結果を、私の力が感じ取って反応してるんじゃないかって・・・考えちゃったのよね」
「え、ちょっとやだ怖いんだけど・・・愛花の力ってお化け見えるとかじゃないの?未来視とかもできちゃうの?」
「私の力はお化けを見るんじゃないよ。人には感じられない磁気なんかを敏感に感じ取るだけ・・・の筈なんだけど・・・私も実際よく分かってない。楓さんにそう言われたんだけど、まだ調べてる途中で・・・楓さんもまだ正確に把握できて無いって」
愛花の住むワンルームの一室。
部屋の真ん中に置かれた小さな机には、コンビニで買ってきたお弁当が並び、その香りが存在を主張するが、手が付けられることはなく、段々と冷めていく。
桜と愛花はそんなお弁当が乗った机越しに対面で見詰め合い。
「此処で私が『ヤッパやぁめたぁ』って言ったら、悪い感じはなくなるかしらね?」
桜がおちゃらけながら言うと。
「・・・・・」
愛花は無言で首を振り。
「やめられるの?」
桜に問い掛け返す。
「・・・」
桜は考えるように暫く虚空を見詰めた後。
気を抜くように鼻息を漏らして。
「コレは無意識とか訳分からんモノとか関係ないの。私自身の選択だよ」
机に置かれたコンビニお弁当を手に持ちむさぼり食う。
「あぁ~冷めちゃって、くっつちゃってんじゃん・・・冷めたカルボナーラってマズイわねぇ」
時刻は23時が少し過ぎた頃。
2人は昼の内に借りてきたレンタカーで目的地に向かう。
「私1人でも大丈夫なのに・・・」
桜は助手席に座り、運転している愛花の様子を横目で窺い。
「儀式の条件に1人でって無いんだから・・・一緒しても問題ないでしょ・・・何かあっても1人より2人の方が良いわ。・・・何を願うかは考えてあるの?」
愛花は車のライトが照らす夜道を真っ直ぐ見詰めながら運転する。
「最初は『お前の消しかた』みたいに、真正面から悪魔の倒し方でも聞こうと思ったんだけど・・・私が悪魔だったら、そんなお願いをするヤツの前には出ないなって思って。取り敢えず『お前の正体を教えろ』にしようと思ってる・・・正体が分かれば対応の仕方も見えてくるでしょ」
桜は運転する愛花から視線を外し、横の窓に頭をくっつけながら昼間バイクで走った場所の夜の風景は。
家々から漏れる明かりや街灯、月や星、車のライトといった、太陽の光に比べ、とても頼りない光のみで照らされていて。
その光が届かない場所には、人が住む世界とは別の世界に続いているのではないかと思えるような暗闇が存在し。
昼間走って知っている景色の筈なのに、まるで別物のように感じていた。
「額戸さんには話したの?」
「義恭は・・・最近忙しいみたいでさ・・・家には帰ってくるんだけど、朝早くて夜遅いから会ってないんだよね・・・一応電話してみたけど・・・電源が入ってないか電波が届かないって・・・留守電には入れたよ」
「春命ちゃんには?」
「今日明日と愛花んちに泊まるとは伝えてある・・・今回の件は教えてないよ。いくら可愛い妹でも流石に言えんわ」
「じゃぁ・・・春命ちゃん今家に1人なの?」
「流石にこの時間なら義恭帰ってるでしょう・・・あの子、何だかんだ言っても寂しがり屋だからさ・・・それは義恭も知ってるから、どんだけ忙しくても、手間でも、必ず家に帰って春ちゃんの顔は見るようにしているみたいだし・・・1人ってことはないと思う」
「じゃぁ今電話してみたら?額戸さんが力になってくれるなら心強いでしょ?」
「何だお主・・・ビビってんのかぁ?」
「アンタに言われたくないわよ。内心ビビってるくせに」
暗い車の中で2人は会話しつつ。
桜は座席から少し腰を持ち上げ、ケツポケットから携帯を取り出すと、義恭の携帯へ電話を掛ける。
「やっぱビビってんじゃない」
「保険!これは保険ですぅ~・・・ビビってるからじゃありません~」
だが、携帯を耳に当て数回のコール音の後に聞こえてきたのは。
『おかけになった電話は電波の届かない場所にいるか電源が入っていないためかかりません』
無機質なアナウンスが聞こえるだけだった。
「・・・おかしいわね。家に居て電波が入らないって事は無いし。仕事にも使っている携帯だから、バッテリー切れなら充電してるだろうし電源が入ってない事もないでしょう・・・・」
不審に思った桜は次に家電に電話をするが。
プープープー。
耳に当てたスピーカーからは、話中を知らせる音が鳴るのみだった。
「愛花、携帯貸して」
「・・・うん」
桜は内心の焦りを抑えながら愛花の携帯から再び義恭や家、姉の楓など、知り得る番号に片っ端から連絡するが。
結果は変わらず。
繋がらないか話中であった。
「お、おぉぉ・・・いよいよもってって感じになって来たわね」
「あぁ~私もう泣きそう」
桜はそんな現象に、内心の恐怖を誤魔化すように無理矢理テンションを上げていき。
愛花は今にも泣きそうな表情を浮かべ、ハンドルを握りながら小刻みに震えた。
目的地の十字路に到着した2人は。
車を路肩に止め、十字路の中心へ向かって歩く。
時刻は0時の5分前。
十字路は時間も時間の為、道路を走る車はなく。
周辺には民家もない。
道路を照らす街灯は遠い間隔て設置され。
街灯と街灯の合間は暗闇が支配しており。
一つの街灯だけが十字路を照らしていた。
桜と愛花はそんな中を肩を並べて歩いていき。
目的地である十字路の中心へ辿り着く。
瞬間、桜がしている義恭から貰ったGショックがアラームを鳴らし0時を告げる。
2人には余裕が無いのか。
無言で手にしているスコップを十字路の中心へ突き立て。
黙々と穴を掘っていく。
2人は言葉にしなかったが、街灯や星明りが届かない闇に中から、何者か達の視線を感じていた・・・気がしていた。
そんな気の所為を感じながら掘り返す土の感触は。
車の往来で踏み固められた土にしては柔らかいと感じさせ。
誰かが掘った後を掘り返している事を自覚させる。
ある程度掘ると感触が変わり、抵抗が強くなる。
この場に居ない前回掘った者が此処までだと伝えるように。
桜はその場に跪くと、100均で買った空箱を自身の額に当て、願いを思いながら、祭壇に貢物でも捧げるかのように厳かに箱を掘った穴に入れ。
掘り返した土で穴を塞いでいく。
箱を埋め終えた2人には、何日も徹夜したような疲労感と倦怠感が襲う。
そんな感覚に襲われた2人は。
無言のまま車に戻るとシートをリクライニングさせて眠りについた。
暫くすると桜のGショックがけたたましく音を立てる。
時刻は4時前。
女性に月イチで訪れる身体の負担が数倍になって襲って来たような感覚を味わっている桜達は。
夏の早い日の出を逃さないため、まだ日が開けない時間に起きて、十字路の真ん中で掘り返すタイミングを見計らう。
2人は十字路の真ん中に座り込み、地面に突き立てたスコップに項垂れながら時を待つ。
冷静に考える事が出来ていたのなら。
花園に聞いた、この道はそれなりに人通りが多いと言うことを思い出せたろう。
運が悪ければ、朝早くこの道を通る車と事故を起こすかも知れない。
だが、今の彼女達にはそんな事を考える余裕が無く。
東の空が赤みがかって来たのを合図に、4時間程前に埋めた箱を掘り起こし。
桜はその箱の中に子供の頃好きだった人から貰って大切にしていたオモチャの指輪を入れ、腰まで伸びた亜麻色の髪を数本抜き、箱の中に入れると。
再び願いながら厳かに箱を埋め直す。
その間、運が良かったのか。
それとも何かしらの意志が働いていたのか。
儀式を邪魔するような車の往来は一切なかった。
儀式を終える頃には東の向こうから太陽が頭を出しており。
2人は一仕事をやり終えた営業マンのように大きな溜息を吐くと、互いに支え合うように肩を並べ車に戻り、愛花の自宅へと帰っていった。
キーンコーンカーンコーン・・・。
「!?はぇっ?!」
大きなベルの音によって意識を取り戻す桜。
「っ?・・・え?何でぇ・・・」
口元の違和感で涎が垂れていると感じた桜は、手の甲で拭いながら、未だにぼんやりとして焦点が定まらない瞳で周りを見る。
視界には、同年代の男女が集まって、楽しげにこの後カラオケに行く計画を立ている姿や。
少し年上に見える者達が机の上に広げたノートやらをバックに片付けては、そそくさと部屋を出ていく姿が見られた。
「え?・・・私・・・さっきまで十字路に居て・・・空箱埋めるのに穴ほってたよね・・・何で大学にいるの?」
そこにあったのは見慣れた風景で。
自分が居るのは普段通っている大学の一室であることに気付き。
自分が何故此処に居るのか理解できず呆けてしまう。
「どうしたの神威さん?」
「え、あ、なに?」
「何って・・・急に呆けちゃって。コッチがなにだよ」
そんな桜の隣から声を掛けてきたのは、自分が受講する講義がよく被る事で知り合いになった女性だった。
「え?何で此処に居るの?」
自分もそうだが、彼女が何故此処に居るのか未だに理解が出来ていない桜は、そんな事を口走ってしまい。
「え?何言ってんのよ・・・二限目から講義被っててそれからずっと一緒に居たでしょ・・・一緒にお昼も食べたし・・・大丈夫?寝ぼけてるの?」
隣りにいた女性は呆れた表情を浮かべつつも、落ち着きを失った様子の桜を気遣う。
桜はそんな彼女の様子から、今は自分の方が異常なのだと感じ取り。
「あ、あぁ、ごめんごめん・・・ゼミの先生に提出するレポートの作成で昨日あんま寝れなかったんだよ・・・その所為で今になって眠気が襲って来ちゃって・・・ちょっと眠いかも・・・」
咄嗟に話を合わせるように取り繕う。
「そっ・・・だったら良いんだけど・・・あまり根詰めないほうが良いわよ・・・急ぎのレポートならしょうがないけど、そうじゃないなら今日は早く帰って休んだほうが良いんじゃない?・・・」
そんな桜の対応を不審にも思わなかった女性は。
「私はこの後ゼミに行くけど・・・神威さんは気を付けて帰ってね・・・寝不足でバイクの運転は危険なんだから」
肩にブランド物の手提げバックを掛け、立ち去ろうとするが。
「あ、ちょ、ちょっと待って・・・あぁ~・・・私今日・・・何かおかしくなかった・・・かな?」
桜は立ち去ろうとする女性を呼び止め、女性の様子を窺いながら質問する。
女性は呼び止められた事で足を止め、桜へ顔を向け。
桜からの質問に『何いってんだこの子』とでも言いたそうな表情を浮かべながら。
「特に変わった様子は無かったわよ・・・この時期の普段と変わらず、何かに付けては『暑ぃ~』とか『学校面倒ぉ~』ってダラシない表情で愚痴ってさ・・・全く・・・だらけきった表情でも綺麗って納得いかないわね・・・羨ましい!じゃぁね!寄り道しないで真っ直ぐ帰るのよ!」
桜の質問に答えながら、途中勝手にプリプリ怒り出しては、最後には面倒見が良いかぁちゃんみたいのことを言って女性は去っていく。
「あ、あぁ・・・っそ・・・ごめんねぇ引き止めちゃって」
桜はそんな彼女の後ろ姿に謝罪しながら、彼女の姿が見えなくなるまで手を振って見送った。
いつの間にか部屋で一人になっていた桜は。
落ち着きを取り戻し、現状確認に動き出す。
先ず確認したのは日時。
腕時計を見ると、日付は穴を放り出した日から変わっておらず、時刻は16時を半分ほど過ぎていた。
部屋の窓から入ってくる陽の光はいまだに強く、夕暮れまでは余裕がある。
次にケツポケットから携帯を取り出し電話を掛ける。
相手先は・・・義恭だった。
今までの状況を考えれば最初に掛けるべき相手は愛花であるべきだろうが。
桜が最初に電話を掛けたのは発信履歴の最初に表示された義恭だった。
何処か期待もあったのだろう。
安心もしたかった。
だが、電話のスピーカーから聞こえてきたのは。
『おかけになった電話は電波の届かない場所にいるか電源が入っていないためかかりません』
聞き慣れてきたアナウンスだった。
桜はそのアナウンスを聞いた瞬間、頭が沸騰したような怒りが込み上げ、手にしていた携帯を床に叩きつけようと振りかぶるが。
《つれぇ時こそ、何でもねぇって風に不敵な笑みを浮かべてやるんだよ・・・それが俺のジャスティス》
脳裏にふざけたことを言う大きな背中姿が思い出され。
「ったく・・・人が素直に助けを求めてやろって言うのに・・・ホント、役に立たないヤツだ・・・全く」
愚痴りながら振りかぶった腕を降ろし、愛花の携帯に連絡をする。
愛花と合流した桜は、2人っきりになるのを避けるように、普段から利用者の多い食堂へ向かうが。
夕方という時間帯もあり、食堂には思った程人の姿は無かった。
だが、この後遊びにでも行くのだろうか・・・食堂には楽しげに話しているグループの姿があり。
その喧騒が桜と愛花に安心感を与えた。
「・・・日が沈む前にはもう一度あの十字路に行かないとだね・・・」
桜は愛花と合流すると、自分には夜中に穴を掘り始めてからそれ以降の記憶がなく、何故大学に来ているのか分からないと告げ。
愛花も桜と同様で、四限目の終業を知らせるチャイムまでの記憶がなく。
桜と合流する前に、自身の今日1日の行動を軽く調べてみると。
普通に、何事もなく大学に通い。
普通に、講義を受け。
普通に、友人知人達と会話を行い。
普通に、昼食を食べ。
今に至るという。
「・・・もし、ここで止めようとしても・・・また気付いたら知らずに十字路に居て、穴掘り返してそうね・・・」
だが、桜達にはその普通に過ごしていた記憶はない。
いよいよ日常や普通とは違う、非日常で異常な状況に腰が引け気味な2人であったが。
何故か恐怖心のようなものは感じず。
その時が近付くに連れ、内心には高揚感のようなモノが湧いてきていた。
「はぁ・・・まさか学校帰りに軽くタピるだけだったのに・・・こんな事になるとは思わんよなぁ・・・」
「とんだ寄り道になったわ・・・もっか継続中だけど」
「私、コレが済んだら、暫くは寄り道せずに真っ直ぐ家に帰るようにするわ」
「なにそれフラグ?・・・でも・・・私もそうしよ」
桜と愛花はそんな自分達の通常ではない異常な心境が、何者かによって意図的に操作されたものなのか。
この異常な状況に興奮してそうなっているのか分からなかったが。
「・・・ここで止めるって選択肢は・・・」
「それが何故か無いのよねぇ・・・」
2人は重い腰を上げ、再びあの十字路へと向かう。
時刻は午後6時30分を少し過ぎ。
夏の西空が赤く燃え、次第に世界が黒に染め始めた頃。
2人は十字路の少し先で止めた車の側に立っていた。
此処まで来る為に使った車も、昨日から借りているレンタカーであり。
普通に大学の駐車場に止まられていた。
2人には昨夜車で帰ってきた記憶は無かったのだが。
既に考えることを諦めていた2人は。
さも当然といった様にその車に乗ってここまで来ていた。
そしてここまで来た2人なのだが。
2人は黄昏時と言ってもよい状況にも関わらず、十字路の中心へ向かわず、その行く先を見詰め足を止めている。
「いやぁ~・・・ちょっと予想外だわ」
「なんか凄く釈然としないのよね・・・ミスマッチと言うか・・・」
その理由が。
「この時間・・・結構車の通りが多いぞ・・・」
「それなのに、普段じゃ感じないモヤッとした感じが全体的にあるのよね・・・日常と非日常が混ざった感が十字路全体にあって・・・この混沌とした雰囲気・・・見てるとなんか気持ち悪い・・・」
十字路を定期的に車が走っており。
十字路の中心へ行くだけならまだしも、箱を掘り返すような時間を確保できそうになかった。
「ヤバいわね・・・このままだとタイムアップかしら」
桜は赤みが薄まっていく西の空へ顔を向け。
「コレ・・・このまま日が完全に沈んだらどうなるのかしら・・・儀式は失敗として、何かしらのペナルティが発生するのかしらね?」
愛花は自身の持つ異能が感じている異常感と視界から入ってくる日常風景に脳が違和感を訴え、頭痛を起こし、眉間に皺を寄せ額を押さえていた。
2人は十字路の中心を見詰めながら、過ぎていく時間の流れにヤキモキしていると。
ようやくタイミングがやって来る。
畑仕事から帰るのだろうか。
その荷台に野菜を乗せた軽トラックが走り去ると。
十字路から伸びる道を走る車の姿がなくなり。
道の先からも車や人が来る気配が完全に無くなる。
西の空は若干明るく。
東の空に星々の弱い輝きが見える。
桜は今がチャンスと、スコップを担いで十字路の中心へ走り出し。
その勢いそのまま地面にスコップを突き立て箱を埋めた穴を掘り返していく。
愛花は頭痛が酷くなったのか足が動かず、その場で屈んでしまう。
桜はそんな愛花の様子に気付いているのか、それともいないのか。
脇目も振らず『悪魔の正体を知る』といった願いを口ずさみながら穴を掘り返し続け。
遂にスコップの先端が箱にぶつかった手応えを感じ。
掘った穴から自身が埋めた箱を取り出すと。
同時に自身の真後ろに何者かが立つ雰囲気を感じ。
振り向こうとした瞬間。
「さくらぁ!!!!」
強い光を目が捉え。
愛花の叫ぶ声を聞いて。
意識を失う。
意識を取り戻した桜は朦朧とする思考で、まるで脳味噌が溶けたらこんな感じなんだろなと思いつつ、周囲を見渡す。
だが、桜の視界に入るものは『何も無い』。
何も無い真っ黒な空間だけが広がり。
自分の身体が存在しているのかすら分からない。
まさに一寸先も闇といった感じだった。
この状況に不安を感じた桜は、無意識に自分の身体を弄ろうとする。
自分の身体のものでも構わない。
人の温もりを感じたかったのだろう。
だが、何も感じない・・・『何も無い』のだ。
暗闇の中には自身の手足どころか身体そのものがなく。
自身の体温や周囲の気温から匂いや音などもなく。
そのせいで当然に時間の流れすら感じられない。
桜は意識だけがその空間を漂っている事に気付く。
『私死んだ!?』
桜が叫ぶ。
だが、その意志を発現させる為の身体がないので、当然叫び声など出せるわけもない。
桜はなにかないかと藻掻こうとするが。
気ばかりが焦るだけで、身体を失っている桜には周囲に広がる暗闇に何の変化も与える事ができず。
暗闇の中にあるのは桜の『意識』だけだった。
『ヤダ・・・ヤダよ!!私まだ、何もしてない!何もしてあげれてないのに!こんな終わり方ヤダよ!!』
桜のそんな意識が暗闇の中を漂うが。
やがて桜の意識が暗闇に同化するように薄れていき。
消えかけようとした時・・・桜の意識が暗闇の中に小さな光を見る。
桜の意識は消えないようにその光を見詰め、意識が薄れていくのを必死になって堪えた。
光も桜に意識された事に気付いたのか、徐々にその輝きを強めていく。
どれだけの刻をそうしていただろう。
一瞬だったかも知れない。
1時間、1日だったかも知れない。
1年、10年・・・もしかしたら100年や1万年・・・それ以上かも知れない。
時間の流れすら感じられない暗闇に現れた、ただ1点の光だけを頼りに。
桜は薄れていく意識を保ち続けると。
ある時、暗闇の中に一つだけ存在していた光が爆発したような激しい光を放ち、桜の意識を飲み込んでいく。
そして、次に桜が意識を取り戻すと。
先程まで桜の意識が存在していた暗闇の空間には。
数える事が不可能な程の光が、桜の意識の周囲で輝き。
その多くの光が徐々にスピードを上げ、暗闇の彼方へと飛び去っていく光景が広がっていた。
やがて光に照らされた暗闇の空間は、以前国営放送でやっていた宇宙に関しての特番で見たような光景になり。
それを思い出した桜には。
暗闇の中で輝く光がその特番で見た宇宙に輝く星々のように思え。
それらの光を見詰めていた桜の意識は。
やがて眠るように薄れていった。
桜が次に意識を取り戻すと。
そこには海が広がっていた。
身体のない意識だけの桜は、突然変わった状況に戸惑っていると。
写真のスライドショーのように景色が変わり。
今度は見たことのない気持ち悪い生き物が泳ぐ水の中に意識が飛び。
再び景色が変わると。
どこかの図鑑で見た、3本の角を持った四足歩行の生き物が闊歩する光景が現れた。
その光景を見た桜は思い至る・・・自分が今まで見てきたのは歴史・・・なのではないかと。
だが、それに気付いたからといって、肉体のない意識だけの桜にはどうすることもできず。
出来るこ事と言えば、スライドショーのような歴史風景を只々見続ける事だけだった。
しかしある時を境に変化が起こる。
今までは歴史風景を俯瞰してみていた感じだったが。
サルが採取や狩猟のような事を始め。
背筋が伸び、二足歩行から。
言葉でコミュニケーションを取り。
群れから更に大きな集団を作り。
定住して村を作り農耕行い。
国を作るようになった時。
今まで俯瞰で見ていた風景が、何者かの視点で見るような光景に変わる。
そこから桜が見る歴史は。
桜が間借りしている何者かの歴史だった。
だが、桜が間借りして見るどの時代でも。
出てくる人物の姿や立場、国や言葉が違えど結果は同じだった。
桜は常に女性として、想い人である1人の男性と添い遂げることが出来ない終わりを迎える・・・そんな歴史を見せられ続ける。
終わり方は様々で。
歴史が古いものでは、女性が男性と番になる前に、男性が狩猟中の事故で死んだり、怪我で死んでしまったり。
人々が国を築きだすと男性が戦争で死んでしまう事が多くなり。
男女が家庭を築くこともあったが。
その時は必ずと言っていい程に、どちらかがその時代ではどうにもならない疫病や持病を発症し、愛している者を残し、短命に終わっていた。
やがて時代は進んでいき。
人が宇宙に進出し、その生息域を無限に広げていく中でも。
桜の意識は常にとある女の一生を見続けていた。
『何なの・・・なんなのよ・・・もぅ・・・やめてよぉ』
肉体を持たず意識だけの桜には感覚がなく、身体が感じる苦痛や疲れは無かった。
更に精神も肉体がなく苦痛等から開放された事に慣れたのか、何も感じなくなっていた。
だから・・・。
どれだけの長い時間暗闇に囚われようと。
どれだけの長い時間星の歴史を見せられようと。
自我を保っていられたのだが。
女の視点に変わってからは、その時代で視点を間借りしている女の気持ちが桜の精神にも影響を与えるようになる。
それが見も知らない女のモノであったのなら、映画を見て感動等をするような感覚でもいられたのだろう。
実際、時代が古いものはそういった感覚で桜は見ていたのだが。
歴史が自分の生きていた時代に近付くにつれ、視点を間借りしている女と男の容姿が、自分が知っている人物の姿と次第に似てきている事に気付き。
それを切っ掛けに桜の意識は、視点を間借りしている女と視点だけでなく精神も重なり始め。
間借りしている女のその時抱いていた喜びや愛しさ、怒り、悲しみ等の感情が桜の精神を侵食していき。
遂には・・・桜と同じ姓を持つ義恭に似た男性と、桜やその姉である楓に似た容姿を持つ女性との別れを体験した桜の意識は。
数え切れない程の愛おしい者との別れで終わる自分に似た女の歴史を追体験したことで摩耗し、発狂寸前までに追い詰められていた。
そんな桜の意識に。
『アナタが我々の正体を知りたいと願ったからですよ』
何者かが語りかける。
『私はただ・・・沙織ちゃんが・・・あの子が困っているなら助けたいって・・・春命が傷ついたり、悲しんだりして欲しくないって思って・・・』
『我々の正体を明らかにすることで、沙織が抱えている悩みを解消できれば・・・そう考えた』
『そうよ!・・・なのに・・・こんな訳の分からないもの見せられて!・・・なんでこんな思いしなきゃイケないのよ!・・・なんでこんな・・・悲しくて・・・苦しい思い・・・』
『こんな苦しくて辛い思いをすると分かっていれば、沙織の助けになろうと思わなかった。春命が悲しむなんてどうでもよかった』
『そう・・・・・・』
今まで追体験した多くの悲しみや苦しみで、身体を失ったことで鈍化していた感情が一気に爆発した桜は。
語り掛けてくる何者かの正体など気に掛ける事も出来ず、只々感情任せに喚き散らす。
だが、何者かの言葉を反射的に肯定しそうになった瞬間。
いつも目で追ってしまう大きな背中を思い出し。
『そう・・・そんな事・・・そんな事ある訳ないでしょ!!』
力強く何者かの言葉を否定し。
追体験して感じていた感情に押し潰されそうだった意識を奮い立たせると。
『私の願いはアンタの正体を知ることよ!こんな宇宙誕生特番見たいなモノ見せられても意味分かんないのよ!こんな訳の分からないもの見せて、私の心を折って誤魔化そうとしてるならそうはいかないわ!まるっと正体明かしなさい!』
そこには、胸を張り、語りかけてきた何者かを指差しながら不敵な笑みを浮かべる桜の姿があった。
『神の威とはよく言ったものですね・・・我々は、アナタが考えているような存在ではありませんよ』
そして。
身体を得た桜の前に現れたのは、輪郭がブレた透明な人形だった。
『それがアンタの正体?・・・透明人間?ぶっ飛ばせるのかしら?』
桜は、目の前に現れた透明な人形に向かってファイティングポーズを取り、シャドーボクシングをしながら威嚇するが。
透明な人形は桜を馬鹿にするように肩を竦めると。
『ぶっ飛ばせませんよ。存在している位相が違いますから、互いに物理的な干渉は出来ません・・・まぁ、仮に同位相でも我々は肉体を持ちませんから、物理的な接触は元々出来ませんがね』
『・・・幽霊ってこと?』
透明な人形はどことなく残念そうな口ぶりで返すと。
桜は透明な人形を怪訝そうに見詰めるが。
『いいえ。我々は生きている人ですよ』
『・・・・・・・・・はぁ?』
透明な人形の言葉に、桜は間を置いてから気の抜けた言葉を漏らし、小首を傾げる。
『まぁ、今の我々を正確に表現すると、生きていると言って良いかは議論の余地がありますがね。端的に貴女でも分かりやすく言うのであれば・・・我々は未来人です』
桜が生きる時代より遥か先。
人々は新天地を求め、無限の宇宙へと旅立って行くのだが。
その歴史の中で人類は、存亡に関わる多くの選択をしてきた。
その選択の一つに。
肉体を捨て、一つの意識として永遠に存在し続けるというモノがあり。
当時生きていた人類は。
肉体を持ったままこの世界に留まる者達と。
物理的な肉体を捨て、一つの意識として別次元で生きる者とに二分した。
肉体を持って留まった者達は、長い時間を掛け、8つの銀河にまでその生息域を広げていきながら、衰退と繁栄を繰り返していたが。
肉体を捨てた者達は、一つの意識として、決して衰えず、だが栄えることもない、時間や空間に囚われない存在となった。
『じゃぁ、アンタはその肉体を捨てた方の未来人ってこと?』
『えぇ、そうなりますね』
桜は透明な人形から聞かされた話を信じて良いものかと疑いながらも。
何処か他人事のように語る透明な人形から哀愁のようなモノを感じていた。
『なんでその未来人が、この時代の人間の願いを叶えてるのよ?』
『我々には誰かの願いを叶える力はありませんよ。我々は肉体を持たない・・・故に、時間も空間も我々を縛ることはできず、我々はどこにでも存在することができる。ですが、肉体を持たない故に・・・物質世界に干渉をすることはできず、見詰めることしかできない・・・我々は只の傍観者なのですよ』
透明な人形の話を聞いた桜の頭に、昨夜愛花から聞いた姉の話が思い出される。
『その私達の世界に干渉できない傍観者さんが、何故人の願いを叶えるような真似をしているの?』
『先程も申しましたが、我々には誰かの願いを叶えるような力はありません。・・・ですが、多少の知識を与えることはできる・・・今のようにね』
『知識?』
『えぇ、知識とは力です・・・例えば・・・其の者が持つ肉体のポテンシャルを発揮させるため、どの様に身体を動かすことが最も効率がよく、ポテンシャルを十全に発揮させることができるか・・・その知識を貴女達で言うところのプログラムとして意識に書き込むのです。意識に書き込まれたプログラムは其の者の肉体をプログラム通りに動かします。そして我々が与える知識は、少なくとも貴女達にとって遥かに洗練されているので、まるで願いが叶ったように感じるのでしょう』
桜は透明な人形の話に釈然としないモノを覚えつつ。
『なんでそんな事してんのよ?』
透明な人形に知識を与えている理由を尋ねると。
『・・・お礼・・・のようなものでしょうか』
透明な人形は考えるような間を置いてから答える。
『お礼・・・なんの?』
『貴女もここに至るまでに体験しましたでしょう?意識が薄れ、感情を失っていく感覚を・・・今の貴女は個としての意識が強いので、我々のような一つの意識とは感覚が多少異なっていますが・・・肉体を捨て一つの意識となった我々は感情が希薄なのです・・・無いと言っていい程にね・・・ですが・・・我々も人間なのです・・・肉体を持った人間だったが故に、感覚を失っても人の温もりを求めてしまう。・・・ぼんやりと感情が残っているが故に、他者との関わりを求めてしまう・・・だから、極稀に現れる・・・肉体を持ったまま我々と意識を同調できる者の意識を通し、失った温もりを感じ、濃厚な感情を共有させて頂く事で・・・我々もまた人である事を自覚させて頂いております・・・それが、肉体だけでなく、あらゆるモノを捨てでも平穏を手に入れたいと願い・・・それでも人でありたいと思っている我々の・・・唯一の楽しみでもあるのですよ』
どこか諦めたような口ぶりで答える透明な人形の話に。
桜はその真偽はともかくとして、悪意がないことは感じ取れ。
『そう・・・あぁ・・アンタが誰かに知識を与えることでの・・・なに・・・その・・・知識を授かった人のデメリット的なモノはあるのかしら?・・・寿命が縮んだりとかさ』
桜は、この自称未来人の話を一応信じる事にして。
本来の目的の一つである、自称未来人がお礼と言って授けてくる知識を得ることでの危険性を確認すると。
『先程も申しましたが、我々は物質的にそちらの世界へは干渉が出来ませんし、お礼をした者の命を奪う理由などありません』
『まぁ・・・そりゃそうよね』
『・・・ですか・・・』
『・・・なによ?』
『我々のお礼は、膨大な情報量を有しているので、この時代の人の脳では処理しきれず、過大な負荷が脳に掛かる可能性があります。その為、その知識を使い続けると、その負荷によって早死する可能性はありますね』
『ありますね。・・・っじゃぁねぇわよ!』
自称未来人はなんでもない風にその危険性を説明し。
『ですが、その知識を使わなければ関係はないかと』
ケロッとそう告げると。
『では、我々はそろそろ失礼致します。本来、この宇宙での貴女と我々の接触は観測されていなかったのですが・・・どうやらイレギュラーの存在によって、この宇宙は我々が知るモノとは違うモノへと変質しつつあるようですね。これ以上この世界で貴女と関われば、我々がイレギュラーに捕捉される恐れがあります・・・悠久なる平穏を求める我々にとって、イレギュラーからの干渉は、我々の存在目的を脅かしかねませんから』
周囲の景色が目まぐるしく変わっていく。
桜にはその光景が、世界が早送りか巻き戻しされているように思え。
やがて世界が再び暗闇に包まれる。
『ちょ!ちょっと待ちなさいよ!まだ聞きたい事があんのよ!』
桜は暗闇の中へ消えていく透明な人形に向かって叫ぶが。
『では、また何処かで、お会いした時にでもお話しましょう・・・神威 桜さん』
桜は1人、暗闇に取り残され。
次に眩い光に包まれる。
「・・・・・・知らない天井・・・」
何処かで聞いたような台詞が口から漏れ出ると。
「桜!」
桜の視界一杯に愛花の顔が現れるが。
「先生ぇ!誰かぁ!桜が!神威 桜が目を覚ましましたぁ!誰か来てぇ!」
愛花は直ぐに顔を引っ込め。
大声を上げながら駆け出していく。
桜はそんな愛花の後ろ姿を見送った後、改めて周囲を確認する。
自分はどうやらベットに寝ていて。
恐らくここは病院と・・・昔、嗅ぎ慣れた匂いで判断する。
何故自分が病院のベットで横になっているのか分からず。
取り敢えず寝っっころがっている身体を起こす。
その時、自身の首に違和感を覚え。
首が何かに締め付けられている事に気付く。
そのタイミングで。
愛花が医者らしい男性と数人の看護師を連れて、先程出ていった扉から入ってきた。
「桜・・・動いて平気なの?」
「まぁ・・・大丈夫みたいだけど・・・何がどうしてこうなってるの?」
桜は、駆け寄って心配そうに声を掛けてくる愛花に、何故自分が此処に居て、ベットで横になっていたのかを確認する。
あの日。
儀式の最終段階として、桜が十字路の中心に埋めた箱を掘り出し終わると。
桜は箱を両手で持ったまま、十字路の中心で棒立ちになってしまい。
そのタイミングで、十字路の山道へ続く道の方から、無灯火の車が走って来た。
更に車は明らかなスピード違反を行っており。
気分を悪くして動けなかった愛花は、車が山道から走ってきている事に気付かず。
愛花が車の存在に気付いた時には、桜立っている十字路に向かって車が入る所だった。
愛花は叫んだが。
桜は当時トランス状態だった為、車にも気付かず、十字路の中心で棒立ちだった。
もう桜が助かるには車が自ら止まるしか無かったが。
その車も止まる気配はなく、真っ直ぐ桜に向かって突っ込んでいく。
愛花の目にはその光景がまるでスローモーションの様に見えたというが。
その時間が遅く流れる世界で、車とは違うエンジン音を響かせる一つの大きな光が桜を照らし。
光は車と桜の間に猛スピードで割って入ると。
愛花の視界から桜の姿を消し。
直後にけたたましいドリフト音を周囲に響かせた。
その少し後に、山道から走ってきた車が十字路を唯一照らしている街灯の柱に突っ込む音が周囲に鳴り響く。
愛花は街灯の柱に突っ込んだ車に驚くが。
直ぐに桜の姿を探す。
桜は十字路には居ない。
市内へ続く道の方・・・車とは少し違うエンジン音が鳴る方へ視線を向けると。
大きなバイクに跨る巨大な人影。
日が沈み掛け、人影の正体はパッと見で分からなかったが。
跨るバイクを道の端に止め、小脇に項垂れた人影を抱えながら愛花の元へ向かって歩いてくる巨大な人影の姿に、愛花はそれが誰なのか直ぐに確信した。
「それで私はむち打ちか・・・どうりで首が動かんと思った・・・」
首にギブスを巻いた桜は、自身の首に巻かれたギブスを撫でながら愛花からの話を聞き。
「街灯に突っ込んだ車はどうなったの?」
「アンタねぇ・・・自分の心配しなさいよ・・・」
自身に突っ込んできた車の運転手を心配する。
愛花はそんな桜に呆れたながらも。
「桜と似たようなものよ・・・全身打撲だって・・・でも、命に別条はないって・・・額戸さんが現場で応急処置したお陰だって先生が言ってた・・・あの運転手、相当ヤバい薬やってたみたいでさ、そっちの方が問題になってるみたい・・・警察来てアレコレ面倒だったけど、額戸さんが全部対応してくれたよ」
桜を安心させる様に優しくその後を語り。
「それで・・・桜の方はさ・・・願い・・・叶ったの?その・・・どうにかできそうなの?」
少し聞きづらそうに『願いを叶える悪魔の正体を知る』為に行った儀式の結果を確認する。
桜はギブスを巻かれた首を窮屈そうに少しだけ動かし、顎を上げ、真っ白な天井を見上げながら。
「アレは悪魔じゃなかったよ・・・」と呟くように答え。
自分が体験した内容を掻い摘んで愛花に語った。
後日、桜が入院している病室に春命が沙織を連れて見舞いに来た際、桜は自身が儀式をしたことを伏せつつ。
沙織に自称未来人ー十字路の願いを叶える悪魔と言う事にしてーから授かった知識を使い続けると寿命を縮めるから、願いを叶えた子に力ー授かった知識ーを使わないように伝えて欲しいと説明すると。
沙織は一瞬驚いた表情を浮かべ。
「そっか・・・色々調べてくれてありがとうね桜さん・・・ちゃんと伝えておくよ」
直ぐに笑顔を浮かべてお礼を言い。
「バイクで転んでむち打ちで入院なんて・・・運動神経だけはイイと思ってたんですが・・・義恭さんには私から、桜さんをバイクに乗せるのは危険と忠告して、車通学に戻して貰えるようお願いしておきます」
春命は病室のベットの上でヘラヘラとしている桜へジト目を向けながら呆れつつ言って。
見舞いに来た2人は去っていく。
その日の夜。
面会時間ギリギリになり、沙織が1人だけで桜の元を訪れ、桜に語る。
儀式を行ったのは自分だったと。
陸上が好きだったけど記録が伸びず。
自分一人だけが周囲から置いてかれているような気分になり焦っていた。
両親は相変わらずで、自分の事には見向きをしてくれず、話もままならず、相談すらまともにできない。
春命に相談しても、春命はスポーツをしないから陸上の事は分からないだろうし。
門外漢の事を相談して、春命に面倒臭い奴と思われるんじゃないかと怖かった。
でも、日増しに焦る気持ちが強くなって。
自分の才能の無さに嫌気が差してきて。
そんな自分がどうしようもなく惨めに感じてきて。
何かに縋りたくて・・・。
そんな時、テレビのオカルト特集で願いを叶える悪魔の話を見て。
色々調べてみたら十字路の悪魔の事を知って・・・。
何でも良かった。
今の苦しみが少しでも和らげば。
偶々見つけた十字路の悪魔との契約方法を試してみたら。
ホントに透明な悪魔が出てきて・・・急に身体の動かし方っていうのが理解できたみたいで。
身体がその通りに動くようになって記録が凄く伸びて。
始めは嬉しかったけど。
次第に怖くなてきた。
昔からお話では・・・悪魔と取引した人は何かしらの代償を払うものだったから。
私は一体何を犠牲にして願いを叶えたのだろう。
よくある話。
悪魔が求める代償は其の者の命か。
其の者が命のように大切にしているモノ。
自分自身の命なら・・・正直どうでも良いと思ったけど。
もし、私の大切にしているモノだったら。
もし、私の大切な友人の・・・春命に何かあったのなら。
そう考えた時。
自分がしたことが怖くなって・・・。
本当の事を春命に話したら嫌われるかもしれなくて。
でも、春命になにかあったら嫌で。
どうしたらいにか分からなくて・・・。
勝手に助けてくれることを期待して・・・あんな形で話すことしかできなくて。
「桜さんが怪我したのも、私の声に気付いてくれて、それをどうにかしようとしてくれからでしょ?!私が悪魔なんかと契約したから桜さんが・・・春命の大事な家族が傷ついて・・・私の所為で・・・私の・・・ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・」
桜のベットの横に置かれた椅子に座り。
項垂れながら涙を流し、謝り続ける沙織。
桜はそんな沙織へ手を伸ばし、彼女の頭を優しく撫でながら、自分の方へ引き寄せる。
「そっか・・・そうだったんだね・・・」
だが、桜は沙織に慰めの言葉を掛けたり。
彼女のした事を否定したりはしなかった。
桜は只々、沙織がしたことを受け入れ。
彼女が泣き止むまでそばに寄り添う事しかせず。
やがて泣き止んだ沙織は。
改めて桜に謝ると。
1人で病院を去っていた。
数日後
桜の退院前日。
「陸上部を辞めたんだと」
首のギブスを外して、ベットの上で漫画を読んでいる桜の横で、同じ漫画を読んでいた義恭がボソリと告げる。
「そう・・・」
桜は漫画から目を外さず。
「春に全部話したと」
義恭もまた、漫画から目を外さず語り。
「・・・そう」
少しの間を置いて桜は返し。
「春が、お前が退院したら3人で遊びに行こうってよ」
「春ちゃんは兎も角・・・義恭も一緒なの?」
春命からのお誘いを告げる義恭に。
桜は漫画から目を外し、横に座る義恭にジト目を向ける。
義恭はそんな桜の視線を無視したように、椅子に座りながら大きく伸びをすると。
手に持っていた漫画を桜へ放り投げ、椅子から立ち上がり。
「バカかオマエ。話の流れから春とお前と沙織の3人に決まってるだろう」
そう告げると、病室の出口へと歩き出す。
桜はその義恭の言葉に口角が少し上がり。
「じゃぁアンタは私達のあっしい兼荷物持ちね」
病室を去っていく義恭の大きな背中に言い放つと。
義恭は足を止め。
桜に背中を向けたまま呆れたように大きな溜息を放ち。
「まぁ偶にはな・・・また変な寄り道されて、ガキ共が面倒事に巻き込まれてもかなわねぇからよ・・・」
肩越しに振り返りそう告げると病室を後にした。
桜は自分を子供扱いする義恭に腹を立て、去っていく義恭の背中に向かって中指を立てるが。
彼の背中が見えなくなるまで、その大きな背中から視線を外すことはしなかった。
桜は義恭の背中が見えなくなった後、窓から見える夏の景色を見詰めて思う。
沙織はどこで儀式の方法を知ったのだろう・・・。
大学の先生に言わせれば『稚拙で覚悟が足りない儀式』らしいのだが。
確かに実際やってみて思う。
面倒で手間ばかり掛かるが誰にでもできる子供騙しの儀式だと。
だが、その癖得られるリターンが大きい。
願い・・・知識を得ることで寿命を縮める事になるだろうが・・・それだけだ。
自称未来人から知識を得ることでどれだけの事が実現できるか分からないが。
一時の名声を得るために命を厭わない者にとっては神からの天啓にも等しいものだろう。
自称未来人は同調できる者は限られているとは言っていたが・・・それでも方法が簡単すぎる気がする。
誰がどのようにして確立した方法なのだろうか。
それに・・・。
儀式中で起こった意識の喪失と異常な悪寒。
あの夜聞いた沙織の告白からは、彼女にそのようなことが起こった様子は無いように思えた。
桜と愛花だけに起きた異常な現象なのだろうか。
あの自称未来人はその事は答えずに消えていった。
桜は窓から見える青空に聳え立つ八重雲を見ながら、学校帰りの寄り道から始まった今までの出来事を思い出しては。
「・・・ま、良いか!無事に生きて日常に戻れた私の勝ちって事でしょ!」
余計なことを考えるのは止め。
「4人でどこ行こうかなぁ」
コレから始まる夏休みに思いを寄せることにした。
「あ!一度先生連れて実家に帰らないとイケないのかぁ・・・そうだ!愛花なんかも誘って皆連れてけばイイじゃん!皆一緒なら辺鄙な場所でも暇しないでしょ!私天才じゃん!」
言葉にはしないが・・・暫くは・・・家に帰る時は寄り道をしないで真っ直ぐ帰ろうと・・・心に誓いながら。
新田 義恭 (にった よしやす)
普段は額戸性を名乗っている。
球技全般が残念なマッチョ。
神威 桜
残念美人。
実家に帰るのが嫌なお年頃。
八意 春命
あだ名・・・春ちゃんだったり、シュンちゃんだったり。
オマセサン。
携帯には4人しか登録されていないお友達が少ない子。
神威 楓
桜の姉
超天才
宮本 愛花
異能力者
お化けとか見える。
泉 沙織
陸上部で褐色元気っ子。
春命とは小学校からの幼馴染。