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夏色ハナビ

作者: celestial


今の季節は思い切り冬です。


まあ、些事は気にしてはいけません。


「面っ!」


 裂帛の叫びとともに快音が道場内に響き渡った。

 一足一遠の間合いから摺り足ですっと一歩を詰めた彼女は、そのままノーモーションから一気に僕の懐まで飛び込む。

 振り上げられた竹刀は、まるで意志を持つ生き物のように弧を描き、僕の頭頂部へと吸い寄せられていった。

 気がついたときにはもう遅い。それはいつも既に勝負が終わった後だったのだから。




「ふぅー、疲れた……」


 あれから数時間。部活時間もとっくに過ぎて、今道場に残っているのは僕と先輩だけである。陽はすっかりと落ち、板張りの床に映える夕陽を横目に僕は面をとった。

 頭に巻いていたタオルで汗を拭うと、胴とタレを外す。防具を取り外すたびに体が軽くなるのが分かる。全ての防具を外し終えて開放感いっぱいの僕は、おもいっきり伸びをした。パキポキと骨の鳴る音がする。


「………」


 一方、僕の隣で同じく防具を外していく先輩の表情は芳しいものではないようだった。

 綺麗な黒髪をおしげもなく肩でばっさりと切り落とした先輩は、凛と毅然とした仕草も相まってか、やたらとカッコいい。涼しげな目元にしゃんと伸びた背筋。女性にこういう表現はどうかと思われるが、そこら辺の男どもよか先輩の方がずっと男前である。

 面をとった先輩は僕と同じように汗を拭く。

 淡々と事務的に防具を外していく先輩の顔はどこか不機嫌そうなものだった。

 とは言え彼女は余り表情を表に出さない性質のようでパッと見には分からないのだが、あきらかに機嫌が悪そうなのは感じとれた。

 流石に知り合ってから一年ともなるとそのくらいは分かる。付き合いは短いけれど、深いものではある。先輩の機嫌が悪いときは、空気がピリピリとするのだ。


「先輩、どうしたんですか? 何かイヤなことでも?」


「……別に。何もない」


 髪の隙間から覗く先輩の表情にさしたる変化はない。

 しかし、別に何もないはずがなかった。

 先輩の剣はいつもに比べて少し荒かったように思える。それでも先輩は僕が足元に及ばぬ程に強いことには変わりはないのだが、いつものように流れるような綺麗な剣ではなかった。そう……まるで憂さ晴らしをするかのような、超暴力的な剣だったのである。

 だから何か理由があってもらわなければ困る。そうでなければ、一方的に憂さ晴らしされた僕が浮かばれないといものである。

 今から遡ること数時間前。部活動も終了した後、先輩に「キミはちょっと残っておいて」と言われて、何事かと思いつつも少しドギマギしながら待っていたらコレなのだ。

 その後は簡単。鬱憤を晴らすがごとく試合を始める先輩。当然のことながら、修羅がごとき強さを誇る先輩に僕が敵うはずもなく、試合という建て前のもとでボコボコにされてしまったのである。

 うん。何てゆーか、アレだ。僕をストレス解消グッズにしないで欲しい。ってかもはやていの良いサンドバック状態だったのだから、僕にとっては災難以外の何者でもない。


「それで、スッキリしましたか?」


「……全然」


 ……あ、死んだな、これは。


 僕が訊ねると素晴らしい反射速度でお答えになる先輩。

 要するに『まだ全然殴りたりねぇZE、グハハハッ』ということらしい。

 この調子でいくと間違いなく体が持たない。既にボロボロでクタクタの僕には考えるまでもなくこれ以上は無理だった。

 そもそもが僕をポカスカ殴ったところで根本的な解決にはならないのではないかと思う。なぜ先輩が不機嫌なのかは知らないけれど、その根元たる問題を解決しなければこの負の連鎖はメビウスのように永遠と続くのだ。

 つまるところが、このままいけば僕は死んじゃう。


「ホントに何があったんですか、先輩? 僕はバカですけど相談にくらいになら……」


 と、いうわけで。愚直にも単刀直入に質問をぶつけてみる僕。

 婉曲な言い回しとか変化球とか小手先の技だとか、どうにも性格的に僕は苦手らしい。いつも直球勝負、常にストレートがモットーだ。

 まぁもっとも剣道に変化球もへったくれもないんだけどね。


「キミに話すことは何もないよ。寧ろキミにだけは絶対に話さないから」


 予想はしていたけれど、どうやら先輩は理由を述べる気はこれっぽっちもないらしい。

 というか、僕にだけは絶対に話さないとは一体どういうことだろうか? 地味に傷付くんだけど……。


「先輩、話てください!」


 だけどそこでメゲることのない屈強な精神を持つのが僕という男である。有り体に言えばかなりしつこい。

 先輩に話すつもりがなかろうが、無理にでも話させてやるぜ!


「話してください」


「……ヤダ」


「話して」


「絶対にヤダ」


「話せ」


「敬語を使え」


 スパーン!


 ついついタメ口で話してしまった僕の頭に竹刀が炸裂した。

 何だか一瞬頭の周りを星が飛び交った気がするけど、気にしてはいけない。


「先輩、どうしても話せそうにはないんですか?」


 今度はキチンと先輩と向かい合って真面目な声色で訊ねてみた。

 もし先輩がどーしても話したくないというのなら、無理にそれを聞き出そうとするほど僕も野暮ではない。誰にでも触れて欲しくないことの一つや二つはあるだろう。

 だから誰にも相談できなくてムシャクシャしているなら、それを僕にぶつけてくれても構わない。そりゃあ痛いのは大嫌いだしそーゆーのは極力避けたいけど、でももしそれで先輩の気が楽になるというのなら、このくらいは安いもんだと思う。


「先輩。僕じゃ信用に足りませんか?」


「………!」


 僕がそう問うと先輩の顔が少し焦ったような表情になった。

 これは何ともレアなものだ。無表情がデフォルトな先輩がこうも分かりやすい顔をするとは。


「や、キミが信用できないという問題ではない。信用はしているさ」


 先輩はポツリと呟いた。

 焦ったような表情も束の間のことで、すぐにいつもの毅然とした態度に戻ると少しだけ視線を宙に彷徨わせて僕から目を逸らす先輩。


「ただ信用はしているけど……絶対にキミには言えない」


「それを世間では信用していないと言うのでは?」


「………そんなに聞きたいのかい? 聞いたら後悔すること請け合いだよ?」


 先輩の言葉に神妙な面持ちで僕は頷く。

 もはやここまで来たからには聞かないわけにはいかんだろう。後悔とかよりも遥かに好奇心が勝ってしまっているのだから仕方がない。

 すぅと一つ深呼吸をした先輩は以下のようにのたまった。


「昨日は何の日だった?」


 何の日って……。昨日は特別な何かイベント的なものでもあったっけか? 因みに現在は8月なのだが、特に行事があった記憶はない。

 となると先輩の誕生日? いやいやいや、先輩の誕生日はまだだし、僕が忘れるはずもない。


 なら何だろう?


 しばしの間思案する。そして不意に答えに思い当たった。


「もしかして………夏祭り、ですか?」


 コクリと頷く先輩。

 昨日、我が町では夏祭りがあったと聞いている。毎年そこそこ大きな規模で催されるこの祭りは、ここら辺では割と有名なものなのだ。花火なんかはとても綺麗で、まさに圧巻。本当に凄い。

 まぁ僕は夏祭りには行ってないんだけれどもね。自宅のベランダからポケーっと花火を見ていたくらいのものだ。べ、別に誰も祭りに誘ってくれなかったとかじゃないんだからね!

 こほん、閑話休題。

 少しだけ話がズレたけれど、問題は先輩が夏祭りで何があったのか、だ。

 財布を落としたとかそんな感じだろーか? 去年着ていた浴衣が着られなくなっていたとか?


「キミは私が太ったとでも言いたいのかい?」


 うわっ……。

 先輩の背後からズゴゴゴッてな感じで大量の暗黒オーラが出ていらっしゃる。ダークサイドに堕ちたらしく、僕を睨み付ける先輩の瞳が恐ろしく暗い。

 ……はい、すみませんでした。


「だいたい私がそんな詰まらないことを気にするわけがないだろう。太ればその分動けばいいだけだ」


「じゃあ夏祭りで一体何が?」


「……行ってない」


 む? 今何と?


「だから、祭りには行ってない」


 ……いや、意味が分かりません。祭りで何かしらの事件が起こって不機嫌になっているのではなかったけか?

 そもそもが夏祭りに行っていないとは、これいかに。


「一緒に行きたかったヤツがいたけど、誘えなかった……だから不機嫌」


 首を傾げる僕を一瞥した先輩は少し顔を赤らめて僕から思いっくそ顔を背けると、ポツリと蚊の鳴くような声で呟いた。

 そんな小さい声で恥ずかしそうにしている先輩は、何だからしくない。いや、らしくないと言えば先輩のセリフの方だろう。

 これではまるで乙女のようではないか。よもやあの先輩の口からこんな言葉が聞けるとは、この世は誠に不思議なものである。


「キミ、失礼なこと考えてないだろうね?」


 あんたは超能力者か何かですか?

 や、確かに失礼なことを考えましたけれどね?


「ふん、まぁいいさ」


 不機嫌そうに鼻を鳴らした先輩。そんな先輩を見ながら少しだけ気になった。

 ──彼女は誰と祭りに行きたかったのだろうか?

 そんなこと僕には知る由もない。


「それで昨日は眠れなかったんだ。ヤツを誘えなかった自分に腹が立ったり、一緒に花火を見たかったなぁって思うと妙に切なくなったり……よく分かんない気持ちがグルグルと渦巻いて」


 今日の先輩はやけに饒舌だ。基本的に口数の多い方ではないのに、こんなに喋るとは珍しい。

 まぁそれだけ今回の件について思うところがあるということだろう。

 先輩はそこで一呼吸おくと、自らの左側に置いてあった竹刀をスチャリと構える。

 ……むぅ、何だかイヤな予感。


「それで色んな気持ちでグチャグチャになって、やっと気付いたんだ。あれもこれも全部ひっくるめて……すべてお前が悪いっ!!」


 スパーン!


「……やるな、後輩」


「伊達に一年間も先輩の後輩を務めてませんから」


 竹刀を振り下ろした姿の先輩と、それを白刃取りで受け止める僕。先輩と一緒にいるといつの間にかこんな大道芸じみた技を覚えてしまうのだから、不思議なものだ。

 しかしまぁ、それはいいとしても。夏祭りに誘えなかったのが、何故に僕のせいになるのか、と三時間はこんこんと問い詰めたいところではある。


「キミが朴念仁で鈍感だからに決まっているだろう」


 全くもって意味不明である。何だそのギャルゲーの主人公のような設定は。

 僕は目が隠れてしまうほど髪は長くない。

 不思議そうに小首を傾げる僕を見て呆れたように先輩は溜め息をついた。地味に傷つく。


「それで先輩は不機嫌になって僕で憂さ晴らしをした、と?」


「憂さ晴らしというよりは因果応報に近いけどね。キミが余りに愚鈍なのが原因だよ。……まったく、こういうのは後輩から誘うものだというのに……」


 セリフの後半部分はゴニョゴニョと何を言っているのか分からなかったけど、どうやらまだ先輩はご立腹のようで。

 このままだと僕は死んでしまうのは確実だ。腹いせに稽古という大義名分のもとに殴られ続けるか、しこたま奢らさせられるか。

 以前にも似たようなことがあったが、その時は財布に氷河期が訪れたことは想像に難くない。確かそれは去年のクリスマス明けくらいだろうか?

 まぁ現在進行形でピンチなのに変わりはない。

 何となく死刑を目前とした囚人のような心境で、これから待ち受ける死を達観し始めたとき。

 ふと天啓が舞い降りた。


「じゃあ先輩、今から花火でもしますか?」


「へ?」


 僕はさっと立ち上がると先輩の手を取って男子の部室の前へとズルズルと引きずっていく。先輩はというと少し困惑した様子だった。

 そんな先輩を余所にガサゴソと部室内を物色する僕。確かこの辺に……お、あったあった。

 果たして出てきたのは少し色あせた花火セットだった。まぁ一年前のものだけどまだ使えるだろう。


「どうして部室にんなもんあるのさ?」


「男子の部室は摩訶不思議なのです」


 まぁ実際は去年男子剣道部内で派手に花火大会をやったのだが、そのときの余りものだったりする。

 まさかこんな形で役に立とうとは思いもしなかった。


「ま、それじゃ屋上で二人だけの花火大会とでもいきますか」


「……そうだね、たまにはこういうのも悪かないか」


 少し思案したのち、いつもの調子でニヤリと笑う先輩。

 ようやく今日初めて笑った先輩を見て、少しホッとしたのは内緒の話。





 パヒューッ


 そんな間抜けな音と共に、暗くなり始めた夜空に一輪の綺麗な花びらを咲かせる打ち上げ花火。

 花火を見つめる先輩の瞳に光が映った。せっかくの花火も見ずに、何となしに先輩を見ていた僕は改めて思う。

 貴方は誰を夏祭りに誘いたかったのですか?

 心中で呟いたところで返事が返ってくるはずもない。


「なぁ、後輩。次はこれをやらないか? 先に落ちた方が負けだぞ?」


 そう言って先輩は思案する僕に満面の笑みで線香花火を突きつけた。

 そんな無邪気な笑顔を見ていたらつい口元が綻ぶじゃないか。つられてクスリと僕も笑う。

 屋上で花火をしていたのとかがバレたら教員方に凄く怒られるだろうなぁ……まぁ怒られる時は先輩も共犯だから構わないか。

 なんて考えてさらにおかしくなった僕はもう一度笑う。


「いいですよ、その勝負受けましょう。じゃあ負けた方は罰ゲームですからね?」


「では敗者は勝者の言うことを何でも一つ聞くというのでどうだ?」


「勿論構いませんよ」


 かくして二人だけの花火大会は幕を開け、デッドヒートしていったわけなのだが。

 さて、勝ったら先輩に何を言おうか。


 とりあえずは祭りに誰を誘いたかったのか、聞いてみようと思う。


 夜の屋上に先輩と僕の笑い声が響き渡った。






  ☆おわり☆


剣道のあるあるネタを一つばかし。



防具をつけ直すふりをして休憩する。



……共感してもらえたかな?

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