西の大陸
日本は国内の安定と資源の再調査に3年ほどかかった。
3年の間にはいろいろ有った。
転移以前は失業率が5%前後で推移していた国内労働環境であったが、転移後の国土再確認や軍の拡大などで大量の人員が必要となったため、ほぼゼロに近かった。夢の完全雇用とも言えた。
南アタリナ島の資源は、最初クロム鉱山が発見され次いで油田が発見された。
油田は、中質油であり硫黄分も少なめの使いやすい油田で、精製も楽だった。
推定埋蔵量は、日本の正和15年使用分の300年分という物だった。
発見半年後には、第1期パイプラインが完成。本土に向けてタンカーの運航が始まった。
いまだ、天測航法をするには観測不足で基準になる星や太陽の運行がはっきりしなかった。何より日本がこのランエールのどこの位置にあるのか分かっていなかった。
航法は、南鳥島、父島、硫黄島、八丈島、石廊崎、串本に電波源を設置して簡易な電波航法とした。
電波は500kmほどで減衰してしまう強度の電波だった。
電波は電離層の関係か、到達距離が地球に比べて7割ほどだった。
ランエールの1年が、460日くらいと分かった。正確な夏至と冬至が分からないため、暫定。
これが判明して一番混乱したのが教育現場だった。
気圧が地球に比べて20ミリバールくらい低いこと。
重力はいくら調べてもやはり、0.98Gで有ること。
対馬海流が強力になり日本海側が暖かくなったこと。それでもドカ雪は降るのであった。
オホーツク海が巨大になり、間宮海峡が深く広くなったため日本海へ流れる寒流が多くなったこと。寒流と共にアムール川とユーコン川から大量の冷たい水が流れ込むこと。
冬はアムール川から大量の氷が流れ出し、一部は津軽海峡まで流れることもあった。
男鹿半島沖から奥尻沖は寒流と暖流がせめぎ合う屈指の好漁場となるのだった。
いろいろ有ったが、とくに注目が集まったのが西大陸調査隊だった。
何しろ初めて日本領土の外に出るのだ。
初めてランエールの大地に踏み入れる。
注目されないわけが無かった。
南アタリナ島の油田を確認し日本に帰った陸軍工兵大隊と歩兵中隊だったが、束の間の休暇が終わると任務が待っていた。
西大陸調査隊である。
次の任務があると聞いていたが、これは無いと思った。
南アタリナ島の調査だって命がけだった。正体が分かる前は、常にビクビクして過ごした。
それをまたやれというのか陸軍は。
曰く、その経験を生かして欲しい。中核部隊として活躍して欲しい。
本音。他の部隊は皆国土拡大の混乱で活動中であって、部隊ごと引き剥がせない。みんな嫌がる。
その最後の本音を嗅ぎ取った工兵大隊隊長と歩兵中隊隊長は、ごねにごねまくった。
「我々だって、嫌なのは変わり有りません。相手は敵軍隊ではありません。回り全部、自然も敵と言えます。そのような所へ再び行けと」
「兵の精神的体力的消耗が激しかったのです。再び同じ事をやればかなりの兵が使い物にならなくなる可能性もあります。どうか、ご一考を」
本来なら抗命罪で処分されるところである。しかし、他に人材を確保していなかったのも事実である。
参謀本部は詰めの甘さを指摘された。
よりによって陸軍大臣と陸軍事務次官と教育総監にである。一番知られたくない相手だった。
さらに、南アタリナ島の時の見積もりの甘さと部隊の待遇の悪さを知られた。
結局、参謀本部には任せられないとして3人が出張ってきた。陸軍大臣・永田鉄山、陸軍事務次官・東条秀樹、陸軍教育総監・梅津美治郎。
「お前ら、あの時。部隊が南アタリナ島で苦労している最中も、北で毎晩飲み歩いておったな」
「「…はい…」」
参謀本部作戦課の数名が左遷または予備役編入され、参謀総長は責任を取って辞任 (させられた)。などの厳しい措置が執られた。
その3人に説得され、西大陸調査隊への参加を呑まされた。ただし、部隊全員1階級昇進という措置を執ってくれた。
内務省防疫部隊も同じだった。
西大陸調査隊は海軍の協力の下出発するのだが、護衛兼空撮の空母が整備中で1月中旬以降となった。それならと言うことで年明け2月の出航とした。
空母は転移時4隻しか配備されていなかったので、すべてこき使われた。とくに火龍と雷龍は使い勝手が良く、南に北に西にと走り回っていた。元々16年年末に定期整備に入る予定だった。そのため整備が必要になってきていたのだった。
ようやく、翔鶴・瑞鶴、瑞鳳・翔鳳の部隊配備で整備機会がやってきたのだ。先延ばしする気は無かった。
正和17年2月5日
西大陸調査隊は出航した。一度大阪湾に集結し、見送られながらの出航だった。
紀伊水道を南下し屋久島で西に代われば、後は目的地まで直進だった
目的地は山東半島。二航戦、九戦隊、二水戦で一度偵察に行った。
南北に1000km東西に2500kmほどのこの半島。
中央に山東山脈と名付けられた、標高2000から3000メートル級の山々が連なる大山脈だった。
山脈の西には山東台地と名付けられた、標高500から1000メートル程度の台地が広がっていた。
半島東側中央よりやや南にほどよい入り江が在り泊地にするには都合が良かった。
また、山東半島沿岸は同程度の科学技術の痕跡も無く比較的安全だろうという判断だった。
西大陸沿岸東側はアムール川河口から山東半島南側付け根まで上空から簡単な偵察を行ったが、脅威となる存在は確認出来なかった。
船団は、海軍に守られながら山東半島柳素湾を目指した。
「誰だろうな。この地名を付けた奴」
農林水産省種苗研究所の柳沢が言った。
答えたのは、工兵大隊隊長の金山大佐だった。1階級特進した。
「それはもう、あれですよ。4人で卓を囲むのが好きな奴でしょう」
「君も好きなのかな」
「下手の横好きですが」
「そうか、今度1卓囲もうじゃ無いか」
「しかし酷い名付けですな」
「まあ我々にはなじみがあって覚えやすいが」
「はあ」
川は河川総幅では無く、流水部分で幅500m以上有る川に名付けがされた。それ以下の川は名が無かった。多すぎて名付けは困難だった。国土地理院が出てきたらやってもらうつもりだった。それまでは番号で済ます。
湾も艦隊泊地に出来そうな大きさの物だけ名が付けられた。
山東半島の地名は「名付けた奴出てこい」と言ってもいいくらいだった。
東風湾はいいとする。
だが、大陸付け根北側から始まる名前が酷かった。
まず、居素川・居素湾「いそがわ・いそわん」
東に両素川・両素湾「りゃんそがわ・りゃんそわん」
時計回りで、三素湾「さんそわん」
枢素川「すうそがわ」
卯宇素川「ううそがわ」
柳素川・柳素湾「りゅうそがわ・りゅうそわん」
布里込湾「ふりこみわん」
知居素川「ちいそがわ」
把亜素湾「ぱあそわん」
仲素川「ちゅうそがわ」
「これはあれかな、いー・りゃん・さん・すー・うー・りゅう・ちー・ぱー・ちゅう、なのか」
「そうとしか読めませんが」
「ふりこみわん、とは酷いな」
「そこですか」
「ん、君は」
「私は、この船の航海長です。名波と申します。お見知りおきを」
「おお。ご丁寧にどうも。私は、柳沢と言います。気の知れない仲間からは、教授と呼ばれています」
「自分は、陸軍工兵大隊・大隊長、金山肇大佐です」
「ではご説明しますね。ここの地名由来はどうでもいいでしょう」
「どうでもいいんだ」
「その程度です。さて振込湾ですが、暗礁や浅瀬が多く小型船も安全とは言えません。そんな危険な海域なので振り込むなよと」
「酷いな」
「全くです」
正和17年2月16日
調査船団は柳素湾に投錨した。
柳素湾は、奥の方が広く空母が艦載機の発着訓練を行えるほどだった。
上陸を目前にして、みな表情は硬かった。当然だった。神の贈り物の南アタリナ島でもあれだけ緊張したのだ。
全くの未知の土地である。緊張しない方がおかしかった。
今回未知の病気や危険な野生動物などの被害を真っ先に受けるだろう、上陸部隊指揮官・真田昌幸の表情は特に硬かった。
「真田大佐、まあそう硬くなるな。貴公が緊張すれば兵も緊張する。指揮官たる者、泰然とするものだ」
こんな危険な場所に来るのは嫌だと散々ごねた、工兵大隊・大隊長、金山大佐が言う。
(こいつ、確か参謀本部で散々ごねたという噂じゃ無いか。どの口で言うか。でも、そんなに緊張していないな。2度目の余裕という奴か)
「そうですな。金山大佐。確かに言われるとおりだ。ですが、学者達のように浮かれるのもどうかと思いますぞ」
「ああ、あれですか。あの人達は南アタリナ島の時もあの状態でした。あの人達は全員志願者です。それも応募者多数の中から選抜されたのです。嬉しくてたまらないのでしょう」
「我々のように上意下達では無いので気楽でいいですな」
「全く」
指揮官真田の号令により、上陸は始まった。
南アタリナ島の時とほぼ同じ事をやれば良かった。経験者は要領よくやっているが、未経験の者達も多数いる。ギクシャクしていた。
今回、歩兵部隊は連隊規模である。1番規模の大きな歩兵連隊連隊長の真田が指揮官。次席が金山で有った。
歩兵連隊の中で経験者は前回南アタリナ島の時の中隊だけだ。その中隊は非常にテキパキと事を進めていくのに対して、未経験部隊は無様なほどだった。連隊参謀が息巻いているがそれでスムーズに行くものでも無い。
真田はそんな連隊参謀をいさめるのに忙しかった。
1日で歩兵1個連隊と工兵大隊を上陸させる予定であったが、上陸出来たのは工兵大隊と歩兵2個大隊だった。
それでもランエールの大地に初めて足跡を付けたのだ。
従軍記者達が船の上ではしゃぎ廻っていた。
何でこいつら連れてきたんだろう。多くの人間が思った。
そして学者連中は、まだ上陸できんのかと文句を言う。
工兵大隊は南アタリナ島の時と同じようにまず野営地を作り始めた。
事前の航空偵察では、海岸から2kmほどの所に草原が在りそこを野営地にしようと言うことだ。
大騒ぎする日本人を見つめる二つの目があった。