1191年6月 泰衡の誤算
鎌倉・化粧坂
大岩の上で金色の袈裟をまとった優介が演説している。
「奥州浄土宗が戦うのは浄土宗を守るときだけだ! 他国を侵すために命を捨てるな! すぐに故郷へ戻るんだ!」
「法主様がそう言われるのであれば――」
法主である優介の言葉は宗徒にとって重い。素直に従うものがほとんどだった。優介が宗徒の前に現れるのは久々なので、ひたすら拝んでいる者もいる。迷っている宗徒が優介に問いかける。
「法主様、幕府は浄土宗を迫害しています。藤原左大臣様は浄土宗を守るためには避けられぬ戦いとおっしゃいました。法主は坂東の宗徒をお見捨てになるのですか!」
「俺が幕府と話をつけてきた。今後は浄土宗を認めると約束した」
「おおーっ!」「さすがは法主様だ!」
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優介のいる場所に向かいながら、藤原泰衡が平教経に聞いた。
「教経、北朝軍における宗徒の割合は?」
「十万の内、六万が宗徒だ。武士の中にも信者は多い」
「抜けられたら、負けるか?」
「今はいわば敵と組み合っている最中だ。抜ければ、たちまち体勢は崩れて倒れる」
「ならば幕府軍に勘づかれる前に優介の口を塞ぐしかない」
「――斬るのか。宗徒が反発するぞ」
「偽の法主と言い張る。どの道、浄土宗徒は優介に切り崩されるのだ。やらねば北朝軍が崩壊する」
「承知した。後に露見したときは、我もともに罪を被ろう」
教経は太刀を抜くと、優介に向かって走った。
「法主の偽物め! 我は騙せぬぞ!」
「五郎、守れ!」
「ほいきた!」
曾我五郎は大岩から飛び降りると、教経の太刀を受けた。
教経は表情を変えたが、なおも連撃を加えてくる。
「優兄ぃ! こいつ、めっちゃ強い!」
「大したことない。お前の師匠と同じぐらいだ」
「それ、十分強いって!」
「天下無双なんだろ?」
「その前に大怪我してんの!」
「根性を見せろ」
「またそれかよ! もう何度も見せてるっつーの!」
五郎が教経の太刀を弾き返す。
「ほう、優介め。面白い男を手に入れたな」
「教経聞け! 俺を殺しても無駄だ。幕府軍の一部はすでに気づいている。なぜかって? 俺が北条時政に話したからさ」
「なんだと! 北朝軍を壊滅させるつもりか!」
泰衡が前に進み出る。
「優介、私への恨みで北朝の武士を巻き込むな」
「多くの犠牲が出る戦をやっておいて、よく言う!」
「――私は公事のために戦っている! 必要な犠牲だ!」
「じゃあ、お前の大好きな公事の話をしてやる! 幕府と共に生きろ。それが奥州のためにもなる」
「言っている意味がわからんな」
「間もなく北条時政が停戦の使者としてくる。まだ時政は幕府に浄土宗徒の離反を話していない。だが、決裂すれば幕府軍は攻めに転じるだろう」
泰衡と教経は顔を見合わせた。教経が泰衡にささやく。
「どうする?」
「……時政の話を聞くしかないようだな。教経、交渉中は戦が止まる。組み合っている敵と離れて、信徒を除いた武士だけで軍を整えろ。攻守どちらにも応じられるようにな」
「承知した」
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しばらくして時政が泰衡の本陣にやってきた。
「奥州浄土宗法主、優介が立ち会い人になる。両者依存はないな?」
「おう、それはいいことじゃ」
「優介、茶番はいい。時政殿、話を聞こう」
北条時政は優介との打ち合わせ通り、北朝の有力者を幕府の最高会議に迎える用意があると言った。浄土宗の坂東への布教も認めた。
「合議の人数はこれから決めるところじゃ。北朝からも希望を出してくれ」
「我らが源氏将軍家の下になるということか?」
「いやいや、ここだけの話じゃが、公方様はもう助からぬ。これからは幼い頼家様をお飾りにして、合議ですべて決めていくつもりじゃ。つまり、幕府と北朝は対等の付き合いになる」
「――優介、貴様が担ぎ出した帝はどうするつもりだ?」
「上皇になっていただく。元々、後鳥羽帝は安徳帝の次の帝として後白河法皇が立てたものだ。その形に戻せば皇統は自然に帰り、無理なく南北朝の統一は果たせる」
「甘いな。安徳帝を京へ渡した後、流罪にされたらどうする?」
「京へは渡さない。伽羅御所で上皇として自由に過ごしてもらう。政とは関係ない生活をね」
「南朝が許すはずがない」
「草薙剣を渡すことを条件にする。向こうが喉から手が出るほど欲しい神器だ」
「フッ。良くできた筋書きだ――優介、いつから南北朝の統一を考えていた?」
「安徳帝を担ぎ上げると決めたときからだ。あの子は平家の戦陣の中で育ち、戦の大義名分として利用され、平家の滅亡を体験した。もう、辛い目には合わせたくはない」
泰衡が優介を睨みつける。
「可哀想だから、辛い目に会わせたくないから上皇にする、か……。貴様はいつもそうだ! 私情で動く! 政とは簡単に変えて良いものでは無い!」
「まあまあ、泰衡殿。落ち着いてくだされ。交渉の相手はわしじゃ。それにおぬしはわしに借りがあるはずじゃ。見返りはいらんと言うておったのに、攻めてきおった」
「借りなど無い。見返りとはもらうものだ。私は鎌倉を己の手で獲りにいった」
「はぁ……。優介といいおぬしといい、奥州者は強情なやつばかりじゃて」
時政は呆れると持ってきた紙をポンポンと叩いた。
「今、話したことはここに記してある。頭を冷えたら読んでくれ」
「いや、今ここで承諾しよう。ただし、条件が一つある。私は当然、合議に加わらねばならぬ身だが、父上から引き継いだ奥州を離れる気はない」
「泰衡、それじゃ奥州は孤立する!」
「そこで、代理を立てたい」
「誰だ? 義兄の国衡殿か?」
「貴様だ。優介。幕府内で奥州の立場を守れ」
「俺が!?」
優介がとまどっていると時政が笑った。
「ハッハハ! 大嫌いじゃが、誰よりも優介の才は認めている。歪んだ信頼関係じゃのう。優介、おぬしが描いた絵図じゃ。責任を取れ」
「……わかったよ! やればいいんだろ! やれば!」
翌日、両者の合意が正式に決まると、北朝軍は奥州へ引き上げていった。
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鎌倉・大倉御所
富士の巻狩りの後、源頼朝は寝所でずっと伏せっていた。医師も手の施しようがなく、看病し続けている北条政子は毎日のように泣いていた。
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真っ白な世界を漂い続けていた頼朝に娘が語りかける。
「……鬼武丸、鬼武丸」
「娘よ。なぜ余の幼名を呼ぶ」
「幼いときを知っているもの。京で見たわ」
「娘のそなたが? 馬鹿な。歳が合わぬ。この場所といい奇妙なことよ。もしや、ここは黄泉か? ならば余を現世に返せ。まだ死ぬつもりは無い」
「そうね。死の予定よりずいぶん早い。あなたには生きる権利があるわ。でも、鎌倉にいたら治らない。このまま夢の中で死ぬだけ。鎌倉を離れ、私の元で数年の間、身体を癒せば毒を抜くことができる」
「死を司る娘よ。余に天下を捨てろと言うのか」
「決めるのはあなた。裏山で待っているわ」
娘は頼朝に丸薬を渡すと姿を消した。
頼朝は薬をしばらく見つめた後、意を決して飲み込んだ。
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頼朝が意識を取り戻すと、かたわらに憔悴した政子が眠っていた。自身の身体を見ると驚くほど痩せていた。内臓の痛みがひどく気を失いそうになる。頼朝は命の終わりが近いことをすぐに悟った。
――夢の娘は嘘は言ってないように見えた。娘を信じてみるか。いや、娘ではない、余の心眼を信じるのだ。
政子が目を覚ましたとき、頼朝の姿は大倉御所から消えていた。




