1190年8月 土御門通親
平安京・土御門通親の屋敷
朝廷工作のため上洛していた大江広元は、大姫入内の鍵を握る男、土御門通親と話し合っていた。
「上洛の際、公方殿には我が屋敷お立ち寄りくださるようお願いいたす。さすれば、公卿、貴族ことごとく月輪殿から離れるでおじゃる」
大江広元は土御門通親がニコニコしながら話すのを聞きながら、蜘蛛の糸に絡めとられるような感覚を抱いていた。
「大姫様の入内が優先です――」
「反対しているのは月輪殿とその取り巻きでおじゃる。大姫君入内と月輪殿の力を削ぐのは、これすなわち同じこと」
――始めは同じでは無かった。しかし、笑顔しか見せないこの男は、巧みに入内問題を権力闘争に組み込んでいったのだ。
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土御門通親と大江広元の関係は、通親が広元への明法博士と左衛門大尉の任官を推薦したことから始まった。朝廷には頼朝に媚を売る公卿はいたが、その腹心である広元にまで媚を売ってくる者は通親ただ一人だった。
だが、広元はそんなことで気を良くするほど単純な男ではない。
まず、これまでの通親の経歴を調べた。すると動乱の時代に、高倉天皇、後白河法皇、平家、源氏のどこにも憎まれずに上手くやっていたことがわかった。宮廷遊泳術が上手い男。それが広元が下した評価だった。
広元は親しく付き合う振りをしながら、朝廷の情報源として通親を利用した。しかし、情報というのは人の行動を左右する。通親は巧みに広元を誘導していった。
「大姫君が後鳥羽帝へ入内できる余地がある。麻呂が推薦してもよろしいか」
当時、法皇の側近だった通親はそう言ってきた。頼朝と法皇の関係上、ありえない話だ。広元は疑いつつも、通親が後鳥羽帝の乳母夫ということもあり、わずかな可能性を頼朝に伝えた。頼朝も「まあ、上手く行けばいいだろう」と、大して期待もしていなかった。
法皇が崩御すると、通親は積極的に大姫の入内を推薦した。だが、関白となった九条兼実は難色を示す。当然である。先に後鳥羽帝の中宮として娘の任子を入れている兼実としては、娘のライバルが増えるのを良しとするはずがなかった。
通親は大姫入内の最大の障害は九条兼実と伝えてきた。そして貴族たちが九条に逆らえないのは、背後に鎌倉の力があるからとも言った。
頼朝はこれまでの盟友が、大姫入内の障壁になっていることに怒りを覚えた。
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「月輪殿の役目は鎌倉のために後白河院を牽制すること。後白河院が崩御された後、朝廷の反幕府派は力を失ったでおじゃる。もう、月輪殿は必要おじゃらぬ」
――その通りだ。
「しかも、月輪殿は浄土宗開祖の法然を庇護しておじゃる。鎌倉を苦しめている奥州浄土宗と関係無いと申しておるが、怪しいものでおじゃる」
――通親の言っていることは間違っていない。幕府にとって月輪殿を排除することは、利しかない。しかし、言葉とは裏腹に鎌倉ことを考えているように聞こえないのはなぜだ。
「大姫君の入内には鎌倉贔屓が露骨だと言って反対する公卿もおじゃる」
「それでは、月輪殿のほかにも取り除くべき公卿がいると?」
「いや、排斥ばかりしていては大きな怨恨が残る。だから説得したでおじゃる。入内するのは大姫君だけではない、公卿から在子も入内させると」
「在子? どこの姫ですか?」
「麻呂の養女でおじゃる。後鳥羽帝とは乳母姉弟で仲も良いでおじゃるからな」
「なっ!?」
表情こそ変わらないが、広元の全身に鳥肌が立った。
――違和感の正体はこれか! 通親が接近してきたとき、すでに養女入内を計画していたに違いない。通親が熱心に薦めてきた「大姫の入内」を「養女の入内」に替えると、すべてに納得がいく。「鎌倉のために」という衣の下に、野心を隠し続けていたのだ。
そして、「大姫入内」の一手だけで、通親はこの状況を作り上げた。
「心配召されるな。在子はもう十九歳でおじゃる。大姫君はまだ十二歳。帝の寵愛を受けるのは大姫君でおじゃるよ」
――通親の養女の在子、関白の娘の任子、そして大姫。先に皇子を産んだ娘の父が、次の天皇の外戚になる。通親は大姫を担ぎ出すことによって、通親は関白兼実や公方頼朝と同じ舞台に上がってきたのだ。
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土御門通親の屋敷を出た広元は、輿の中で扇子を仰ぎながらつぶやく。
「奇術の種がわかっても止めらない。通親はそこまで考えている。私はあの男の力を見誤っていた」
頼朝に通親の野心を告げても、頼朝は大姫入内を諦めないだろう。零か三分の一の選択なら、三分の一を取る。関白の娘が男子を産めば今まで通り。通親の娘ならば関白は失脚し、朝廷は通親が牛耳る。大姫ならば、頼朝の血が天皇家に入る。
「この福引き、当たりを引くのは誰になるのか? 祈祷師が忙しくなりそうだ」
広元は扇子をあおぐ手を止めた。
――あれだけ周到に入内を計っていた男が、最後は運に頼るなんてことはあるのだろうか?
輿の外から子供がはしゃぐ声が聞こえてくる。
「こんな夜更けに子供とは」
窓を開けると、双子の幼子が駆けていた。
「ドルチ。あのお姉ちゃん、牛みたいだったね」
「うん、ガバナ。歩くたびにバインバインって跳ねてた」
――ドルチにガバナ。奇妙な名だ。花の香まで漂わせている。通親といい、京には物の怪の輩が多い。
上洛の下準備を終えた広元は、翌日、鎌倉へと下っていった。




