1187年8月 初恋の計
鎌倉・大倉御所
庭には縛られた安達藤九郎盛長が座っていた。それを回廊から頼朝夫妻と大姫が見下ろす。頼朝が藤九郎自慢の熊の骨兜に向かって扇子を投げつけた。
「あいたっ! すまねえ兄貴」
「姫をさらって生きていられると思うな!」
「オラはさらってねえ! お嬢の言う通りにしただけだ」
頼朝は大姫を見るが、大姫はそっぽを向いて言った。
「知らなーい。疲れちゃったから、もう寝る。じゃあね~藤九郎」
「お嬢~!」
「あなた、藤九郎は戦場で役に立つ男です。話を聞いてから斬るか決めてもよろしいのでは? わらわも大姫が何をしたのか気になります」
「――藤九郎、すべて話せ。嘘を申せば斬る」
藤九郎は何度もうなずくと、大倉御所から大姫を連れ出した日のことを話し出した。
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藤九郎が厩舎で頼朝の愛馬を眺めていると、大姫がやってきた。
「何じゃあ、お嬢。男の恰好なんぞして。男舞の稽古か?」
「うん。藤九郎はお馬さんが好きなのね。いっつも見てる」
「ああ。兄貴の馬はどれだけ見ていても飽きん。特にこの若駒がいい」
「父さまにおねだりすれば?」
「手柄を立てないと、くれとは言えん。平家も滅んだ。もう戦う相手がおらん」
「父さまが奥州を攻めるって。こっそり聞いちゃった」
「まことか! お嬢」
「今から行けば、一番乗りの手柄だよ」
「う~ん。しかし奥州といっても広いからなあ。どこを攻めるのかがわからんとどうしようもない」
「姫はどこか知ってるよ。連れてってくれたら教えてあげる」
「ダメだ、ダメだ! 危ない」
「だったら、教えな~い。お馬さん欲しくないの?」
藤九郎は腕を組んで悩み始めた。
「連れってくれないのなら、父さまと母さまに藤九郎にいじめられたって言っちゃおうかなあ」
「お嬢よ……。勘弁してくれ」
「ねえ、このお馬さんで行こうよ。どうせ、藤九郎のものになるんだし」
藤九郎はゴクリとツバを飲み込んだ。
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頼朝は藤九郎の話を聞き終わると呆れたが、同時に納得もした。坂東武者にとって名馬はどんな宝よりも上だ。黄金よりも効き目はある。
「馬に釣られたというわけか。言っておく、余は奥州を攻める話などしていない」
「面目ねえ……」
「大姫は奥州へ行ったことがありませんわ。道は知らないはず」
「兄貴の馬はみな奥州馬だ。馬の歩みに任せれば、勝手に奥州へ向かって歩く。馬は生まれた地に戻る習性があることをお嬢も知っていた。だからまだ鎌倉に慣れていない若駒を選んだんだ。だが、とろとろ進んでいるうちに、仲間に追いつかれちまった」
「すぐではない。キララが逃げるには充分すぎる時を稼いだ――ひと月の間、閉門して頭を冷やせ。間抜けが少しは治るだろう」
「生かしてくれるのか、兄貴!」
「若駒はくれてやる。娘のわがままにつきあわせた礼だ」
「うっ、うっ、やっぱり優しいなあ。この恩は命を懸けて返すぜ、兄貴ぃ!」
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藤九郎が連れていかれると頼朝と政子の二人になった。
「よい御采配だと思います」
「――藤九郎を殺せば、大姫にも罰を与えねばならぬ」
「そうですね。でも、大姫が馬に詳しいなんて知りませんでしたわ」
「木曽の人質に聞いたのだろう。木曽は馬の産地だ」
「許嫁の清水義高どのですね。二人はいつもいっしょでしたから――」
政子は人質という頼朝の言葉を言い直した。
頼朝が木曽義仲との対立が表面化したとき、義仲は和平のために十一歳の息子・義高を大姫の婿に差し出した。しかし、一年後、木曽義仲は頼朝に討たれる。息子を危険視した頼朝は義高の誅殺を決意。大姫は密かに義高を逃がしたが、追手に捕まって殺された。
「キララの策にやられた。義経を演じただけあって機略を使う」
「大姫の策です。キララは一人で奥州へ逃げるつもりでした」
「大姫が? 九歳の女子に考えられるわけがなかろう」
「あの子は義高どのが木曽へ逃げられずに討たれたことをずっと悔しがっておりましたから……」
「その話はもういい。まだ余を責めるつもりか」
「違います。大姫はどうすれば義高どのが生き続けられたかを考え続けていたのでしょう。そして、義高どのと同じように追いこまれたキララがいた。それだけのことです」
「――余への意趣返しか」
「幼子のやったことです。どうかお許しを」
「気に病むな。乳の出が悪くなる」
そう言うと頼朝は政子の肩を抱いた。
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頼朝は自室に戻ると、すぐに大江広元を呼んだ。
「北への追捕をやめさせろ。キララは奥州へは逃げない」
「大姫様がそうおっしゃったのですか」
「いや、清水義高は故郷へ帰る途中に討たれた。だから大姫は奥州を避けさせるはずだ」
「確かに。西国に逃げられて旗揚げでもされたら厄介です。すぐに手を考えます」
「やめよ。余に惑わされるなと言ったのはそなたではないか。キララが義経を演じられたのは、弁慶たちが女子であることを隠したからだ。キララ一人ではすぐにバレる」
「ご明察です。いつもの頼朝様がお戻りになり、安堵しました」
「安徳帝や義経が生きていたとしても、こちらがより強くなれば良いだけのこと。広元、京に兵を入れろ。理由は西国の異変に備えるためでいい」
「ハッ、ただちに。これで院は身動きできなくなるでしょう」
「九条殿も動きやすくなる。奥州征伐の前に征夷大将軍になっておきたい。それと、例の物は出来たか?」
「ここに――」
広元が人名を書き連ねてある紙を見せると、頼朝は冷たい笑みを浮かべた。




