1187年8月 大姫
鎌倉・大倉御所北館
北条政子は深刻な顔でキララを見る。
「わが夫が女子に手を下すなど、初めてのことです。敵の女子でさえ、わらわが妬くほど慈悲をかけるのに……。キララの秘密と関係があるのですね」
「はい。あたしは男だったことがあります。頼朝様が殺したいのは、キララではなくこの男でしょう」
キララは猫面をつけた。
「それは――、静御前の舞のときにつけた九朗殿の面」
「あたしは源九朗義経なのです」
「今は戯言を言っているときではありません。わらわは九朗殿の顔を鎌倉で何度も見ました。そなたとは似ても似つきませぬ」
「それは――」
キララは義経の死から身代わりになった経緯を話した。
「すると、わが夫は九朗殿の死を知りながら、追捕の令を下した……。しかし、なぜ今になってキララを斬るというのです?」
「それは……わかりません。でも、謀叛は嘘です! ヨッシーを演じていたときも無実の罪を着せられたんです!」
政子は黙ってじっとキララを見つめた後、首を振った。
「嘘か真か見定めるのは、わらわには無理のようです。調べる時もありません。だから、今はお逃げなさい」
「夜のうちに男装して大倉御所を抜け、兄のいる奥州へ向かいます」
「わらわは遠くへ行けるよう時を稼ぎましょう」
外からテーン、テーンと手毬の弾む音がして、政子とキララがギョッとした。
「♪てんてんてんまり~、てん、てまり~♪ キララの~、く~びが、てんてまり~♪」
「大姫! 盗み聞きはいけませんよ!」
「うふふ。ここは姫のおうち。どこにいたっていいでしょ」
青白い肌をした少女が手毬をつきながら入ってきた。
大姫。九歳になる頼朝の愛娘は、大倉御所では誰よりも気を使われている存在だった。
「キララの首が手毬ですって。不吉な唄はおやめなさい」
「そんな逃げ方じゃ、キララの首が転がっちゃう。姫がいい逃げ方を教えてあげよっか」
「遊びじゃないのですよ!」
「――大姫様、お願い教えて!」
「うふふ。キララは他の大人と違うから好きよ。姫が考えたのはね――」
大姫が話した作戦は大胆だった。政子は声を荒げ、キララは戸惑った。
「母は許しません!」
「大姫様にそこまでしてもらうわけには――」
「いいの。その代わりこれを持っていって」
大姫が渡したのは掛け軸を丸めたものだった。
それが何かを知っているのか、政子は涙ぐむと口を閉ざしてしまった。
「ほら、母さまもいいって言ってる。決まりね」
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男装に着替えたキララは、政子の部屋で合図を待っていた。
「御台様、今までありがとうございました」
「わらわもいい侍女を持てて良かったわ」
「――もし、わたしが義経に戻ったら、危険だと思わないのですか?」
「別に構いません。わが夫は日の本一。誰にも負けないのに、気にする必要はないでしょう?」
政子が微笑むと、キララも笑った。
「さすが、何百年もバズる人は違いますね。カッコいい!」
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その日の夜。北条時政と夕食をしていた頼朝の耳に馬のいななきが聞こえた。
小姓が頼朝の前にひざまづく。
「厩から馬が盗まれました!」
「下手人は?」
「一人は面をつけておりました」
「――時政。政子がキララを逃がしたようだ。御家人を集めて追え。余の馬は脚が速い。すぐに捕まえられると思うな!」
「ハハーッ!」
時政が転げるように出て行くと、頼朝はあることに気づき、小姓に言った。
「先ほど、一人は、と言ったな」
「はい。馬に乗っていたのは二人で、もう一人はよく見えませんでした」
「――奥州の刺客が潜んでいるやもしれぬ。警固を増やせ!」
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尾張国・日本海沖
「ああ、いい風」
数日後、キララは商船の甲板上にいた。青空に向かって大きく伸びをする。
「うーん、気が晴れるわ。解放されたって感じ。御台様は優しかったけど、行儀良くするのは正直しんどかったし」
「これからどこへ行きなさる。金は多すぎるほどもらっとるから、どこでも連れていてやるぞい」
「南の島でバカンスを満喫したいけど、リゾートなんてどこにも無いもんねー。京で遊んじゃお。船頭さん、摂津国へ向かってくれる?」
キララは大姫から預かった掛け軸を拡げた。
「大姫様。彼も無事に逃がすことができたよ」
掛け軸に描かれていたのは優し気な顔をした少年だった。




