1187年5月 新政権
奥州平泉・伽羅御所
優介はお湯をいれた桶を持つと、寝室に引きこもっている藤原秀衡に会いにいった。一週間ぶりに見た秀衡は髪が真っ白に代わり、体も一回り小さく見えた。
「湯殿にも入らずに、いつまでふて寝しているんですか。ほら脱いでください。体を拭いてあげます」
床から秀衡を起き上がらせると、白の小袖を脱がせて、布で背中を拭いた。
「フン! 機嫌取りか? 奥州を奪い、皆の前で恥をかかせおって」
「ああしないと、俺は殺されていました」
「よく言う! 帝を隠していたのは、野心があったからじゃろうが」
「いいえ。帝は物心ついてすぐ戦火の中で育ち、身内の死を見て育った悲しい子です。俺は権力から遠ざけるために蝦夷の里に預けたんです――秀衡様、これを」
「勅」と記してある紙を渡すと、秀衡は皮肉な笑みを浮かべた。
「わしに怒るなという勅命でも書いてあるのか?」
「大納言の任官状です。朝廷に力を貸してください」
「陸奥守からの大昇進。狂喜すべきことだ。そなたの下でなければな」
「数年だけです。鎌倉に勝ったら左大臣の地位を秀衡様に譲り、政からも身を引きます」
「もう騙されぬぞ。奥州を奪うことより上の望みなどあるものか」
「俺にとっては奥州よりキララの命が大切です」
「い、妹のために朝廷を作り、鎌倉と戦う覚悟だというのか!?」
秀衡は優介の顔をまじまじと見た後、大きくため息をついた。
「寵姫のために国を傾けた話は古来多いが、妹のために国を滅ぼすやつは初めてじゃろう。後の世の笑いものになるぞ」
「奥州を滅ぼしはさせません。立派な国にします」
「――フン、では少しの間だけ奥州を貸してやる。約束を違えるなよ」
優介が礼をして秀衡の寝室から出ると、安倍晴兵衛が待っていた。
「秀衡を朝廷に加えることはないでしょう。引きこもらせておけば良いのです」
「平泉の街には、和人の帝が奥州を奪った、と言っている者もいる。だが、秀衡が帝に仕えれば、そんな噂は消え、逆に北朝の権威が高まる」
「――なるほど。ところで北朝というのは?」
「今、日本には二つの朝廷がある。ややこしいだろ? だから便宜上、奥州の朝廷は北朝、京の朝廷は南朝と呼ぶことにする。それと秀衡様お抱えの医者を呼んでくれ。背中の古傷に悪い気が入らないように、毎日、酒で清めてもらう」
藤原秀衡のミイラのレントゲン検査によると、死因は背中の傷から菌が入ったこととなっていた。この時代に菌や消毒といってもわからないので、優介はこの時代に合わせた言い方をした。
――今まで俺は秀衡の死を願っていたが、後ろめたさを感じていた。同じ願うなら長生きを願う方がよっぽどいい。
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広間に戻ると、平教経と吉次、弁慶、流為が待っていた。
平教経を前平家の棟梁・平宗盛が務めていた内大臣に任官しようとしたのだが、「虜囚の辱めを受けた臆病者より、壇ノ浦で見事に散った知盛の官位がいい」と言うので権中納言に。吉次と晴兵衛は参議、弁慶は左近衛中将、流為は右近衛中将になってもらった。流為の任官には本人も含め反対意見もあったが、北朝は和人・蝦夷の区別だけじゃなく、男女も平等であるということを、知らしめるために優介が押し通した。
他にも従六位以下の官位を豪族と浄土宗各寺の代表者に任官し、地域の政は両者で話し合って決めるように定めた。初めての任官の喜びと、勅命への恐れで反対する豪族はわずかだった。
――ゆくゆくは一向一揆が自治を行ったようになればいい。そうすれば民主主義に近づくはずだ。
会議が始まると、教経がしびれを切らしたように言った。
「平等だの、任官だの。そんな話はどうでもいい。戦の話をしろ」
「しばらく国内を固め、戦力を増やす。すぐには戦わない」
「戦には相手がいるのだ。鎌倉に奥州は弱いので待ってくれとでも言うつもりか? 大体、貴様や義経は平家に不意打ちばかりしてきたではないか」
「その通りだ。だから、まず戦端を開かせないようにする。晴兵衛、例の物を」
晴兵衛が宣旨と書かれた大量の封書を並べた。
「頼朝追討の勅命が書かれている。人を雇って日本中にばらまく」
「馬鹿め。宣旨というのは然るべき者が持っていってこそ信じられる。得体のしれぬやつに渡されても偽書と思われるのが関の山だ」
「別に構わない。日本には頼朝に不満を持つ豪族が多くいる。北朝とは関係なくね。そいつらは反乱する大義名分を欲しがっている。だから宣旨で背中を押してあげるのさ。頼朝や南朝と戦っても朝敵にはならないよ、ってね」
――鎌倉時代から室町時代へ移るときの南北朝時代には、武士の多くは忠義や大義ではなく、己の都合で北朝や南朝についたり離れたりしていた。南北朝時代までとはいかなくても、朝廷が二つあれば必ず世は乱れる。
次に優介は絹で巻かれた剣を取り出した。教経が怒る。
「おい! これは草薙剣! 盗んだのか貴様!」
「よく見ろ。木製の模造品に鉄色を塗ったものだ。五年後に本物の草薙剣を渡し、安徳帝は退位して上皇になる。この条件で、後白河院に頼朝の奥州征伐を止めてもらう。この使者は教経に頼もう。平家の生き残りが話したほうが、帝が生きてることを信じてもらいやすい」
「帝を退位させる密約などできるか!」
「大丈夫。俺に策がある。守らなくても問題は起きない」
――五年後には後白河法皇は崩御するはずだ。
「吉次さんには奥州の財政を任せます。南朝への年貢が無くなったことで、奥州はさらに豊かになるはずだ。弁慶、天台宗の僧兵には信仰心からじゃなく、食い詰めてなった者が多い。金を渡して日本全国の情報を探らせろ。教経には旧義経軍といっしょに軍事調練をやってもらう」
「フハハハ! 任せろ。最強の軍にしてやる」
「……私は」
「流為は俺と共に奥州巡り、地図を作る。つまらない新婚旅行でごめんな」
「……うれしい」
「俺は奥州を周る間、姿を変えようと思う」
「それは――」
広間にいる皆が目を見開いた。
「これで鎌倉もうかつには攻め込めない」
そう言うと、優介は猫面を被った。




