1187年4月 南無阿弥陀仏
奥州のとある学校砦
優介と法然は縛られると砦の外へ連れ出された。天台僧兵の頭という小太りの僧もいたが、由利維平のダミーに過ぎない。藤原泰衡に向かって優介が叫ぶ。
「晴兵衛! 晴兵衛はどこだ!」
「浄土宗をまとめるのに忙しくてここにはおらぬ。なにせ法然と後継となる貴様が一度にいなくなるのだからな。優介、浄土宗は私の手足として使ってやる。安心して冥土へ行け」
「上人、俺のせいで……」
「南無阿弥陀仏」
法然は静かに念仏を唱えていた。
――まだ法然には京で為すべきことがある。死なせるわけにはいかない。
「泰衡。未来を教えてやる。お前は二年後に家人に裏切られて死ぬ」
「ふっ、裏切られたのは貴様だろう。死の恐怖で狂うたか」
「ただの偽仏師に過ぎない俺が、ここまでの働きができたのはおかしいとは思わないか? 理由は簡単。未来がわかるからだ。もう一度機会をやる。裏切り者の名前を知りたくないか?」
「――取引を持ちかけても無駄だ。貴様はだけは殺す」
「俺のことはいい。法然上人を鉄船に乗せてくれ。上人には二度と奥州へ戻らないと約束させる。お前の目的はそれで叶うはずだ」
「惑わされるなよ、旦那」
砦の外では隠れる必要が無いのか、兵の中から由利維平が出てきた。
「どうせ俺様の名を言う気だろう? チンケな策だ」
「じゃあ、違う未来を言ってやろうか。二年後、奥州は鎌倉に攻め滅ぼされる」
「ハハハハ、やはりインチキだ。旦那は鎌倉と戦うつもりはねえ」
「ユーリのいう通りだ。父上は鎌倉に屈する気は無いようだが、私は奥州を守れるなら御家人として鎌倉に仕えてもいいと思っている」
「平和ボケだな。考えが甘すぎる。頼朝は脅威になる者を許さない。弟の義経さえ無実の罪を着せたんだ。奥州をそのままにしておくワケがないだろ? まあ、自分だけが助かろうと考えているのなら別だけどね。案外、もう降伏の使者を送っているんじゃないのか?」
「――そうなのか? 旦那」
「惑わされるなと言ったのはユーリだろう。これは虚言だ」
「ユーリ。俺なら奥州を守れる。力を貸せ!」
由利はふーっと息を吐くと太刀を抜いた。
「ユーリ! 裏切る気か!」
「違えよ、旦那。やっぱコイツは危険だ。人の心を揺さぶる力を持っている。早く殺っちまったほうがいい。ここで首を刎ねる」
――ここで俺は死ぬのか。キララ、ダメな兄でゴメン。救えなくてゴメン。
「上人、お先に行きます」
「死を恐れず念仏を唱えよ。阿弥陀が浄土へ導いてくれる」
キララの分まで唱えよう。俺は声の限り叫んだ。
「ナームーアーミーダーブーツー!!!! ……ふぅ。これで思い残すことはありません」
山々から南無阿弥陀仏と聞こえてきた。
「念仏の山彦だ。山々も浄土へ行けますかね」
「――山彦ではないぞ、優介」
法然の言う通り、「南無阿弥陀仏」の声は鳴りやまなかった。むしろ大きくなり迫ってきた。
「上人、これは――」
「宗徒が来ているのだ」
優介が目を凝らすと、見渡す限り宗徒がいた。数千どころではない。万はいる。浄土宗の組織作りはまだ途中なのに、これだけの動員がどうやったらできるのか。
優介が驚いていると、信徒の中から晴兵衛が現れた。
興奮した泰衡が晴兵衛に向かって叫ぶ。
「もう宗徒をまとめたとは! この数で押し掛ければ国衡も敵ではない」
「一言。たった一言、申しただけにございまする」
「一言とな! 流石は晴兵衛だ。しかし、何と申したのだ?」
「――法然上人の命が危ない。それだけです」
「どういうことだ、晴兵衛!」
「そう思われるのもごもっとも。お答えいたしまする」
だが、晴兵衛は泰衡を見ず宗徒のほうを向いた。
「浄土宗徒へ告ぐ! 上人と優介様をお守りし、仏敵を捕えよ!」
「まさか、裏切りは嘘だったのか……」「ハメやがったな!」
呆然とする泰衡、激昂する由利の言葉は「南無阿弥陀仏」の大合唱にかき消された。宗徒が津波のように押し寄せ、泰衡軍を飲み込んだ。群衆の海であえぐように抵抗していた泰衡と由利も、半刻後には宗徒に捕らえられた。
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縄から解かれた優介の心は喜びと怒りが入り混じっていた。
「晴兵衛、助けてくれたことには感謝する。だけど、泰衡をそそのかさなければ、危機は起こらなかった。上人の命まで危険にさらさせてまで、お前は何がしたいんだ!」
「情けなや。殿に奥州をお獲りいただく。晴兵衛の思いは寸分も変わっておりませぬ」
「――俺もそのつもりだ」
「違いまする。殿は呑気に、私は速やかに、でございまする」
「それが騒ぎを起こすことと関係あるのか?」
「宗徒の心を一つにするためです。法然上人が危機に陥る。その他の理由では万の信徒は動きませぬ――そして、殿に覚悟を決めていただくためでもございまする。嫡子の泰衡を捕えたことを知れば、秀衡は殿を許しますまい」
「ふっ。俺は秀衡と対決するように追い込まれたわけだ。万の信徒というお膳立て付きで」
「お叱りは奥州をお獲りになった後で。見ての通り、法然上人が縛られている姿を見た宗徒は怒り猛っておりまする。この勢いで平泉に攻め込めば、勝ちは必定」
宗徒を見ると晴兵衛の言った通りだった。ここで俺が断ったとしても宗徒は伽羅御所へなだれ込むに違いない。いずれにしろ奥州藤原家は崩壊する。よくできた策だ。なかなか動こうとしない俺に苛立ちながら、晴兵衛は何とかしようと考えたのだろう。そう思うと、晴兵衛を憎む気にはなれなかった。
「――わかった。平泉に行く」
「おお! 決心なされましたか」
「ただし、血を流させない。秀衡様も殺さない。それが条件だ」
「まーたでございまするか。まっこと面倒くさい」
「悪かったな。今度は俺の策を見せてやる」
優介は流為と教経を呼ぶと、吉次への伝言を託した。




