1186年4月 涙舞
鎌倉・鶴岡八幡宮
鶴岡八幡宮は源頼朝が鎌倉を本拠地に決めた時に今の場所に遷し、街作りの中心に据えた。広大な敷地の奥に本宮があり、少し離れた前方に5m四方の舞殿がある。
頼朝をはじめ、有力御家人たちは、一人の白拍子が舞殿に上がっていくのを見つめていた。
静御前である。
頼朝に直接問いただせば何かわかるかもしれない。そう思って鎌倉に来た静御前だったが、頼朝との会見は早々に打ち切られ、以後は北条時政の館に閉じ込められた。時政に抗議をしても、「わしのほうが困っておる!」と叫ぶだけで、まったく取り合ってくれなかった。
しかし数日後、頼朝から鶴岡八幡宮に舞を奉納せよと命じられた。時政が「頼むから余計なことはしてくれるなよ」と、くどくど言ってくるのが、静御前には煩わしかった。
静御前は深呼吸すると、静御前は全身の神経を研ぎ澄ませる。
――この機を生かすしかない。わたくしが鎌倉にいることを知れば、義経様はきっと会いに来てくださる。平教経から救い出してくれたときのように。
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静御前の舞が一番よく見える正面の桟敷に、頼朝と政子が並んで座っていた。
「白拍子姿だと一段と美しい――コホン、政子には及ぶはずもないが」
「まあ、あなたったら」
「静御前が舞の名手であることをよく知っていたな」
「キララが教えてくれました。あの子は物を良く知っております」
「藤九郎がキララを妾に欲しいといっている。どうだ? 悪い相手ではあるまい」
「妹のように可愛がっておりますゆえ、わらわが良き者を見つけたいと思います」
「――そうか。そのキララの姿が見えないが?」
「お見せしたいものがあると言っておりました。支度をしているのでしょう」
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静御前は舞の一指し一指しに視線が集まるのを全身で感じていた。天下無双の舞を見せている自信はあった。観衆は見終わった後、御家人は賞賛し、鎌倉中に静御前の名が響き渡るだろう。
――だが、これだけでいいのだろうか。
静御前の頭に「バズる」という言葉が浮かんだ。キララが良く使っていた言葉だ。キララの舞は静御前に遠く及ばなかった。しかし、過激な行動で京中の注目を集めていたのはキララのほうだった。
――バズらなければ。義経様を鎌倉に探しに来たと歌おう。頼朝の怒りを買って騒ぎが大きくなれば、義経様の耳にもきっと届くはず。
「静は義経様を追って――」
静御前が歌を替えたとき、観衆の目が自分自身から離れるのがわかった。
観衆の視線の先には――。
「義経様!」
猫面を被った義経が舞殿へ向かって歩いてきた。御家人たちが叫ぶ。
「あの猫の面を見たことがある! 義経だ!」「捕まえろ!」「斬ってしまえ!」
しかし、義経は罵声など聞こえていないかのように舞台に上がってきた。
「義経様。逢いたかった。ずっと……」
「静、謝りたかった。ずっと……」
義経が猫面に手をかけると、静御前の胸に不安が急激に拡がった。
「だめ! 義経様! 取らないで!」
「ごめん」
猫面が床に落ちた。瞬間、目の前にいる義経がキララに変わった。
優介に言われても信じなかった義経の死が現実になった。
「あなたたち兄妹って酷い! 帰って! 目の前から消えて!」
「……わかったわ」
キララが舞殿から去ると再び静御前は舞った。
今度は義経への想いを歌った。顔を涙で濡らしながら。
美しく舞うのではなく、感情のまま、泣き叫ぶように。
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「なんだ女子ではないか!」「余興か?」「危うく斬りかかりそうになった」
義経がキララの男装だとわかると、観衆の間に張り詰めていた緊張が解けた。
頼朝は不機嫌を隠さずに立ち上がる。
「政子、これは何の真似だ。なぜ余が九朗への恋歌を聞かされねばならぬ」
「あなたが石橋山で敗れて行方がわからなかったとき、わらわも静御前と同じ気持ちでした」
政子が熱をこめた眼差しで見上げると、頼朝は昔を思い出したのか、黙って腰を降ろした。
静御前の舞が終わると、鶴岡八幡宮は賞賛に包まれた。
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鎌倉・大倉御所
数日後。静御前が京へ帰ることが決まると、政子は上機嫌だった。
「あれだけ九朗殿への恋心を歌われれば、静御前を諦めるしかありませんわ。それにね、キララ。あれからわが夫は女遊びを控えるようになられたの」
「きっと御台様の御心がわかったのでしょう」
「ふふふ。でも見張りは続けてちょうだいね。いつまで決心が続くかわからないもの。そうそう、静御前へ褒美を持たせなくては」
「御台様。褒美の中に兄宛の手紙を入れてもらえますか。安全な場所にいるので心配しないようにと書きました」
「いずれわらわが鎌倉の外へ出られるように計らいましょう。だけど、なぜキララは狙われているのです? わが夫がまたあなたをわらわから引き離そうとしてきました」
「それは、妾の御誘いを断ったから――」
「わが夫はそのようなことでお怒りになる御方でありません。わらわが一番知っています。わけを話してくれないかしら?」
「御台様には嘘をつきたくありません……」
「――正直なのね。口から出まかせを言っても良かったのに」
「いつか必ず話します。だから……」
「いいわ。待ちましょう」
政子は微笑むと、キララの頭をそっと撫でた。




