1186年3月 北条政子
鎌倉・大倉御所
守護・地頭の任命権を握った源頼朝は、東国政権の主から幕府の主へと変わっていた。今では法皇ですら遠慮する頼朝に、挑むように問いかける女がいた。静御前である。
「時政、静御前は余になら九朗の隠れ先を話す。そう申したな」
「ハッ、それ故に京から連れて参りました」
「では、なぜ余が問いかけられておる」
「義経様の居場所を教えてくださいますか」
戸惑う北条時政を無視して、静御前は問いを繰り返す。瞳は頼朝を捕えて離さず、縛られている虜囚の態度には見えなかった。
「その問いに答えるのは余ではない。そなただ」
「頼朝様のほうがお詳しいでしょう?」
「もうよい! この女を連れていけ!」
時政がたまりかねて叫ぶと、郎党が静御前を頼朝の前から連れていった。
「狂女を謁見させ、申し訳ありませぬ。そもそも義経の愛妾というのも怪しく、義経は自邸には住まわせず、屋敷を与えていたようです。会うことも許さず、悲嘆した静御前は義経の館の前で恋歌を歌っていたそうで」
「ふっ、九朗に振られたということか」
「恐らくは。逃げた義経一党とも行動を共にしておりませぬ。鎌倉殿の前なら話すと申すので連れてきたのですが、あのような無礼を働くとは。すぐに京へ戻します」
「――時政、静御前はそなたの館で預かれ。弟が傷つけた恋心を余が癒そう。兄として責任を取らねばな」
「はっ。(誰に浮気を手伝わせようとしているのだ)」
政子の父である北条時政はげんなりした。
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頼朝の前から下がった時政が大倉御所の回廊を歩いていると声を掛けられた。
「見ない顔だな。新しい侍女か」
「キララよ。京から戻ってきたのに、奥へ顔を出さないのって変じゃない?」
「後で行く。御台様にそう伝えてくれ」
「静御前のことなら、御台様はもう知ってるよ」
時政は激しく舌打ちした。
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大倉御所の北館は、頼朝夫妻の私的空間である。
娘である北条政子の前に座った時政は、これから訪れる災いを知っているのか、何かに耐えるような顔をしていた。
「父上が急いで御所から出ようとしたのは、やましいことがあるからでは?」
「年を取ってから長旅が辛くてな。一度休んでから――」
「ネタは上がってんだよおおお! 静御前を隠すんだろおおお! どいつもこいつも、浮気をそそのかしやがってよおおお!」
「ち、違う! あれは義経の愛妾で、義経の隠れ場所を吐かせるために連れて来たんだ。だが、静御前が嘘をついておってな」
「嘘をついてんのはテメーだろおおお! 夫に女を近づけやがってえええ!」
「あ、謝る! だから落ち着いてくれ。腹の子に触る」
政子は荒げた息を落ち着けると、膨らんだお腹を撫でた。
「頼朝様は『政子だけを愛したいのに。いつも周りが女を薦める』と嘆いていますわ。ああ、かわいそうな頼朝様」
「そ、そうだな(頼朝め。どの口が言うのだ。どの口が!)」
時政はうんざりした顔をして黙っていた。ここで頼朝が嘘をついていると言えば、今度は頼朝から責められるのはわかっている。
「で、静御前をどうするつもりですか?」
「わしの館で預かるよう命じられた。気に入らぬなら鎌倉殿へ直接言ってくれ」
「え~、そんなこと。わらわが夫を信じてないようではないですか」
「そ、そうだな(疑っているだろうが!)」
「とにかく。もしも頼朝様が父上の館に通っているのがわかったら――容赦しねえからなあああ!」
時政が這う這うの体で退出すると、政子は優しい顔に戻った。
「キララ、教えてくれてありがとう」
「御台様には救ってもらった恩があります。頼朝様の周りに近づく女はあたしが見逃しません」
「はぁ。これで何度目かしら。みんながキララのように誘いを断れればいいんだけど、わが夫が素敵すぎるから……」
政子が頬を赤らめるのを見て、キララは思う。
結婚して九年経った今も御台様は頼朝様が好きでたまらないのだ。浮気を見つけると烈火のように怒る政子だが、頼朝には一度として怒ったことがない。浮気をされてもしおらしく泣いて見せるだけである。嫉妬の炎に焼かれるのは浮気相手の女と関係者だけだ。
――静御前を使ればお兄ちゃんに無事を知らせられるかも。
「御台様、わたしは静御前を知っています。義経様の愛妾というのは本当です。でも、義経様に会えないとわかったら、頼朝様に惚れるかも」
「そうでしょ! 心配だわ」
「鎌倉から追放する方法があります。それは――」
政子はキララの話を聞くと、大きくうなずいた。
「いいわ。わが夫にお願いしましょう」
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大倉御所の南館では熊の骨を被った安達藤九郎盛長が頼朝に土下座していた。
「兄貴ぃ。許してくれよお。半年も謝っているじゃないかあ」
「キララを閉じ込めることもできぬ無能め。今では政子の立派な物見だ」
「あれは無理だって! 何度も言ったじゃないかあ」
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藤九郎はキララを大倉御所から連れ出す際、運悪く政子と出会ってしまった。政子は勘がいい。キララの姿を見るなり、髪が逆立ち目に炎が宿るのが見えた。
(あっ、終わったな。わしも女も)。
藤九郎はそう悟ったという。
しかし、次の瞬間、キララが政子の側に駆け寄りこう言った。
「助けて! あたしは浮気相手になりたくない」
「ああん? 頼朝様をたぶらかす女狐があああ!」
「これを見て!」
キララは自分の髪を掴むと引きはがした。すると髪の無い頭が現れた。
「おめえ、尼だったのか……」
「政子様。これで信じてくれますか。あたしを侍女にして!」
「藤九郎、キララはわらわが預かります。いいわね」
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「余もキララが尼だとは見抜けなかった」
「だろお~。兄貴ぃ」
だが、今ではキララは髪を伸ばし、政子の有能な侍女として、頼朝の浮気を何度も阻止している。それを思うと怒りが湧いてきた。
「いや、まだ許さぬ」
「兄貴ぃぃぃ~!」




