1186年1月 疑念
奥州のとある村
藤原秀衡の嫡男・泰衡と侍大将の由利維平は、雪が積もっている丘の上から学校砦を見下ろしていた。二人の視線の先には優介と法然。そして説法を聞くために集まった民衆がいる。
「優介は父上の大将軍任命を断ったそうだ。義経軍の残党である自分が奥州にいることがわかれば、鎌倉に攻める口実を与えると言ってな」
「だが、旦那は疑っている。だから雪の中を寒い思いまでして、ここに来たんだろ? 俺様には坊主と仲良く念仏を教えているようにしか見えねえけどな。このまま出家するんじゃねえのか」
「あやつは妖怪だ。人が思い及ばないことをやる」
「そうかあ。奴は前から人を殺すのを嫌ってたじゃねえか。不殺の軍を作るとか馬鹿なこと言ってよ。臆病者が坊主になるのはおかしくねえ」
「義兄になった吉次も油断できぬ男だ。再び優介を父上に推挙するかもしれぬ。蝦夷の里の調べはどうだ?」
由利が舌打ちをする。
「わかんねえ。送った物見はぜーんぶやられたからな。一人だけ戻ってきたが『赤鬼がいる』とだけ言ってくたばっちまった。相当の手練れが守っている。無論、俺様が行けば勝てるが――」
「同族殺しのユーリが行けば血みどろの殺し合いになる――か。大和人と蝦夷の融和政策がうまく行っている今、それはまずい。父上のお叱りを受ける」
優介の開拓推進により奥州の収穫量は飛躍的に伸びた。食物が豊かになった結果、大和人が蝦夷の勢力圏に入って開墾することも無くなり、揉め事が減ったのだ。
「なら放っておくしかねえ。伽羅御所の許しをもらってやってんだろ?」
「だが見ろ。あの民衆の数を。他の村からもやってきている」
「狂巫女の言葉を借りりゃあ、バズってるな」
「民は文字を覚えたせいで、余計なことを考えるようになった。民は従うだけで良いのだ。これもすべて優介のせいだ。害悪は取り除かねばならない」
――――――――――――――――――――
奥州・学校砦
優介は法然の説法を聞きながら感心していた。仏典の用語を極力使わず、民の言葉でわかりやすく話している。人々も法然に応えるように一言一句を聞き漏らすまいと熱心に聴いていた。民の熱気が伝わったのか、壇上から降りてきた法然の顔は上気している。
「民が浄土宗の教えを読んでいるなどと信じがたかったが、考えを改めねばならぬようだな。拙僧の言葉が清流の如く民の心に流れていくのがわかる。奥州の民の知性は日ノ本一であろう。学校の何と素晴らしきことよ」
「奥州には百を超える学校があります。どんどん回っていきましょう。田植えが始まる前は民も集まりやすいですから」
「おうおう。喜んで老骨に鞭打とうぞ」
京では異端視されていた浄土宗が、全面的に受け入れられる状況には理由がある。優介は学校の教材として百人一首を使ったが、それ以外の読み物は奥州ではなかなか手に入らない。そこで優介が法然に頼んで本を書いてもらったのだ。知識欲に芽生えた民はこぞって読み、法然は奥州に来る前からベストセラー作家並みの人気を得ていた。
夜になると、宣伝ポスターを先行してバラ撒いている晴兵衛が戻ってきた。
「奥州の一番弟子である殿の名声も広まっておりまする。このために上人の教えを広めていたとは。鎌倉に便乗して奥州の権利を認めさせたときといい、殿は人のふんどしで相撲を取るのが得意ですな」
「それ褒めてないだろ。言っとくがな、俺は策として広めたんじゃない。平等思想を教えたかったんだ。だけど、この時代にあった伝え方がわからなかった。だから浄土宗の中にある誰でも浄土へ行ける、という教えを借りたんだ。俺の名をいくら高めても、あの人に勝てると思うか?」
優介は藤原秀衡のポスターを指して言った。
「俺がいない間も秀衡様のプロパガンダは続けられていた。成果は抜群で今じゃ神のような存在だ。奥州獲りの最大の壁だよ。寿命が尽きるまで待つしかない」
「悠長なことを。秀衡様を討てぬのなら、君側の奸を取り除くとか、適当な理由を作って宗徒を蜂起させれば良いではありませぬか」
「無理だよ。奥州の民は豊かになった。不満が無きゃ蜂起なんてしない。そして、ポスターには豊かになったのは、すべて秀衡様のおかげと書いてきた。まさか自分で自分の首を絞めることになるとはね。笑うしかない」
「ならば、もっと政を良くすると言いましょう。年貢を半分にするとか」
「国が回らなくなる。安易なポピュリズムで取った政権が長持ちするわけない」
「殿は頑固すぎまする。国を奪うためには力技も考えるべきです」
「強引にやれば死人が増える。だからダメ」
「まあた、殿の殺したくない病が始まった」
「不確かな戦略はダメだ。だから秀衡様が死ぬを待つ。俺の読みではそう長くないはずだ」
「神頼みならぬ死神頼みですか? どっちが不確かなんだか……」
「話は終わりだ! やることはわかっているな。言ってみろ!」
「ハッ! 学校砦を浄土宗の寺に変え、民による宗教組織の編成。ならびに他宗からの妨害を警戒、でございまする」
「弁慶や吉次さんとの繋ぎも怠るな。行け!」
晴兵衛を追い立てるように部屋から出すと、俺は史実を思い起こす。
藤原秀衡が死ぬのは一一八七年十一月。後二年もないはずだ。
――――――――――――――――――――
「……晴兵衛、くやしそうな顔をしてた」
外を見張っていた流為が戻ってきた。
「性急に事を運ぼうとするから叱っただけだ」
「……優介、不安そう」
優介はどきりとして流為の目を見た。
「流為、祝言の挨拶に伽羅御所へ行ったよな。そのとき秀衡様の姿を見てどう思った? 病気を患っているように見えたか?」
「……元気そう。歯が光ってた」
優介は胸の奥に押し込めていた疑問を流為に言い当てられた気がした。
――そうだ。ずっと俺は見て見ないふりをしていた。歯ブラシを薦めたことで、秀衡が健康になっていることを。




