1185年10月 都落ち
摂津国・大輪田泊
法皇から院宣を受取った優介は馬を飛ばし、湊で弁慶たちと合流した。
「驚いたな。まさか院宣を土産に取ってくるとは。ところで晴兵衛が連れてきた、あのみずぼらしい坊主は何者だ?」
「質素と言え。法然上人だ。大事に扱ってくれよ。浄土宗は知っているだろ?」
「ああ、あれが。奥州に連れて行って役に立つのか?」
「お前の百倍。いや万倍も力になる」
「はっ! 笑わせるな。某が坊主に後れをとるなど――おい!」
優介は弁慶の言葉を無視して法然のそばへ行くと、深々と頭を下げた。晴兵衛を通じて、奥州への同行を懇願し続けていたのだ。
「天台宗との宗論にも疲れていたところだ。少し気分を変えるのも良かろう」
「京とは違い、奥州ではすでに上人の教えが広まりつつあります。上人が説法して周れば奥州は浄土へ変わるでしょう」
「大言壮語だな。しかし、優介が言うと真になる気がするから不思議だ。説法が終われば京へ戻る。それで構わぬな」
「はい。後は奥州で生まれる弟子がいれば十分です」
「そして、その弟子たちの上に優介が立つというわけか」
「そんなことは――」
優介は法然から目を逸らしそうになるのをかろうじて堪えた。
――さすがは天下一の智者だ。俺の構想の一部をすでに見抜いている。
「すぐに奥州へ立ちます。さあ、船へ」
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駿河国・黄瀬川 鎌倉軍本陣
義経への院宣宣下を知った頼朝は慌てることなく、畿内の御家人に義経追討の命を下すと、自身は鎌倉から大軍を引き連れて上洛する構えを見せた。
朝廷では再び戦乱かと動揺が走った。法皇は勅使を頼朝に下し「義経に脅されて仕方なく宣下した」と弁解したが、頼朝の怒りは収まらず、北条時政を大将に兵三千を京へ先行させた。
そして鎌倉軍本陣では、頼朝が大江広元の書いた上奏分の草案を読んでいた。
『乱世は梟悪者がはびこり、反逆の輩を断絶するのは難し。東海道は頼朝の威光をもって静謐になれども、他方においては乱あり。これを鎮めんため関東より兵を発すれば民と国も疲弊せん。ゆえに、諸国に守護地頭を置かば乱を恐れることなし』
「良い文だ。これで守護地頭の任命権は鎌倉のものとなり、時が経てば、諸国の武士を束ねる守護は、朝廷の任命する国司を凌駕していく。武士の世の到来だ」
「判官殿を捕えるためといえば、朝廷と院も異を唱えられません」
「大天狗は悔しかろう。欲をかくからしっぺい返しを食らうのだ」
広元は草案を記した書状を受取る。
「では直ちに時政殿へ届けます――ところで、判官殿が生きているというのは真でしょうか?」
「ふふふ。流言を流した張本人が何を言う」
「守護を朝廷に認めさせるため、判官殿に朝敵として逃げ続けてもらう。これが当初の策でした。しかし、すでに亡くなり入れ替わっていた」
「あのときは余も内心慌てた。だが、そなたが機転を利かせた」
「死を確認できなければ、永遠に捕らえることができない。これほど都合の良い存在はいません。ですが、生きて院宣を賜ったとなると幕府の脅威に――」
「九朗は死んでいる。キララは嘘のつける女子ではない」
「一度しか会ったことがないとお聞きしましたが?」
「余は人を見抜くことにおいて他者に引けは取らぬ。直感でわかるのだ。敵か味方か。勇者か怯者か。心が有るか無いか」
「よく存じております」
「ふふふ。疑っておるな。ならば余の才を今一度見せてやろう。広元は朝廷に強き味方が欲しいと言っていたな」
「はい。大天狗は手強き御方ゆえ」
「九条右大臣が良い。摂政に推挙せよ」
「御意。では直ちに――」
大江広元が立ち上がると頼朝が優しく声を掛けた。
「九朗のことが気がかりならば、調べても構わぬ。余は直感を信じるが、そなたの智も信じている」
「ありがたき幸せ。命を懸けて信に応えます」
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一カ月後、平安京・九条兼実邸
「夢の如し! 幻の如し! 定家よ、優介の予言が当たったぞ。鎌倉が余を摂政に推挙した。あの男、やはり只者ではなかった」
「詐欺師の出まかせが偶然当たっただけです! 私の恋歌を騙し取り、義経に売るような奴だ。世には義経と静御前の私の恋歌として広まっている。あああああ! 口惜しい!」
「歌はまた詠めばいい。もっと大きな舞台でな。余が摂政になった暁には定家を殿上人に引き上げてやろう」
「ま、まことですか。私が殿上人に……。ふははははは! やってやる! やってやるぞおおお!」
藤原定家は髪をかきむしりながら気を吐いた。
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平安京・静御前邸
屋敷を鎌倉の兵が囲んでいる中、新しく京都守護に任じられた北条時政が踏み込むと、静御前は白拍子姿で座っていた。
「――待ちくたびれてましたわ」
「京都守護・北条時政だ。大逆人・義経の愛妾、静御前だな」
「源氏の大将軍・判官義経様の妻、静よ」
静御前は微塵も怯えた様子を見せない。時政はそのふてぶてしさに苛立ちながら、京都守護館に連行するよう兵に命じた。
「無駄よ。そんな舞台じゃ、狭すぎて口を開く気にもならない」
「ちっ、何が舞台だ。どこなら話すというのだ」
「鎌倉よ。義兄上様に天下無双の舞を馳走いたしますわ」
そう言うと、静御前は不敵に笑った。




