1181年1月 吉次の焦り
年が明けると、キララが南都(奈良)から帰ってきた。
「周りに迷惑かけなかったか?」
「わけないじゃん。めっちゃ頑張ったし! 落ち込んでいる人を歌で励ましてきたわ。あっ、それとね! 南都のお坊さんとに聞いたんだけど、今、京で一番バズっているお坊さんって知ってる? バズりすぎて、他のお坊さんから超ディスられてるんだって。法然さんっていうの」
「はぁ……、中学の授業をちゃんと聞いていたのか? 法然上人は浄土宗の開祖で鎌倉新仏教の代表的な人物だ。大偉人だよ」
「それじゃ凄さがわかんないよ。フォロワー数で言ってくれないと」
「フォロワーじゃなくて信者な! 現代だと浄土宗は六百万人。枝分かれした浄土真宗まで入れると千八百万人だ。勉強してなくても南無阿弥陀仏は聞いたことがあるだろ?」
「知ってる! 千八百万人ってめっちゃ凄くない? マジ会いたい! コラボしてバズりたい! なんで、そんな凄い人がお坊さんたちに嫌われているの?」
「法然上人の教えは既存の宗派からすれば、異端なんだ」
吉次が不機嫌な顔をして入ってきた。
「騒がしいと思ったら、帰ってきたのですね。優介、これは何です?」
吉次が木片を投げてきた。優介が吉次の似顔絵を描いたものだ。
「すいません。見本として置いてたんですけど、落としてしまって――」
「目つきが悪くて感じの悪い。恩を感じているのなら、いい男に描きなさい」
「俺は見たまましか描くことができないって、知っているでしょう」
木片には証明写真のような、愛想のない顔が描かれていた。
「フン、言い訳で嫌味ですか? 実に気分が悪い」
「どうしたんですか、吉次さん。らしくないですよ。カリカリして」
「南都焼き討ち以降、人に会いづらくなりましてね。これでは黄金のばら撒き損です。何も得られない」
「誰に会いたいのですか?」
「帝と関白。と、言いたいところですが、帝はまだ幼い。関白・近衛基通も平家の傀儡です。力があるのはまず後白河院と相国の平清盛。そして藤原摂関家の重鎮で右大臣の九条兼実」
「雲上人ばかりだ」
「そういうことです。あなたたちも早く荷造りなさい」
「えっ? どういうことです」
「朝廷工作ができなければ、京にいても仕方ありません。私が奥州に帰れば、この宿坊にあなたたちが住めるわけがないでしょう」
――それは困る! 似顔絵描きの収入だけでは生活できない。
「俺が平清盛に会わせます」
「大きく出ましたね。秀衡様のように寿命を延ばすと言って近づく気ですか?」
秀衡の病状がわかったのはミイラの解析結果を知っていたからだ。
清盛の死因は熱病としかわかっていない。そして――その死期は近い。
「清盛の願いを叶えます。コイツを使ってね」
優介は道具箱からノミと木槌を手に取った。
――――――――――――――――――――
平安京郊外・六波羅館
二週間後、優介たちは清盛がいる六波羅館にいた。
回廊には平家の公達がずらりと並んでいる。
優介たちは回廊に面した庭に座っていると、奥から怒鳴り声が聞こえ、皆がビクリとした。吉次が緊張した顔を見せる。
「相国は最近は怒りっぽくなっていると聞く。本当に大丈夫なんでしょうね?」
「その怒りを解消させるための品がこれです」
優介は絹布に包まれた物を膝の上でポンポンと叩く。平清盛は怒鳴り声とは裏腹に、足元がおぼつかなく、教経に肩を支えられて入ってきた。
「特別な見舞いを持ってきたそうだな。見てやろう」
優介が絹布の結び目をほどくと、木像が現れた。回廊に座っている平家の公達が前に乗り出す。
隣にいる吉次も驚きで目を見開いていた。
「頼朝の首を持って参りました」
「おお、これが頼朝か! 命を助けてやったのにも関わらず、恩を仇で返した、殺しても殺したらぬ男! 一門の者ども、頼朝のあの目を見よ。冷酷さがにじみ出ておる。教経! 大弓を持って頼朝を射抜け!」
「かしこまって候」
教経は矢を放つと、見事に木像を射抜いた。
真っ二つに割れた頼朝像の首を見て、清盛は満足そうにうなずく。
すると、隣にいた吉次が立ち上がった。
――ちょっと、吉次さん。今、いい感じなんだから、余計なことしないでよ。
吉次は小刀を抜くと、頼朝像に突き刺した。
「はっはは、小気味のよい奴。名は?」
「藤原秀衡の家人、吉次と申します。これは奥州の意志でございます」
相国がにやりと笑う。
「タダではあるまい。秀衡の望みは?」
「陸奥守を賜りたく」
「よかろう。近衛に宣旨を用意させる。教経、もう一つ、頼朝の首を造らせて、屋敷の門前にさらしておけ。一門の者どもよ。奥州も味方になったからには、本物の頼朝の首を見る日も近い。今宵は祝おうぞ。酒をもて!」
酒宴が始まると、教経が庭へ降りてきた。
「久々に相国の笑った顔が見れた。我もうれしい」
「教経様に相国の口癖を聞くことができたからです」
「貴様が頼朝について相国が何か言っていないかと聞いたから、思い出したのだ。次は我が本物の首を取ってくる番だ。それまで壮健であられるといいが……」
教経の願いもむなしく、一カ月後、平清盛は熱病にうなされながら死を迎えた。
遺言は「葬儀は無用。頼朝の首を我が墓前に供えろ」だった。




