1185年8月 反逆
平安京・静御前邸
静御前を前に優介は大きな問題を片付けようとしていた。
「信じませんわ! 義経様が亡くなっているなんて!」
「ひゃあ、なんれ俺をボコボコにするんら」
優介の顔は扇子でぶたれてパンパンに腫れあがっていた。
静御前は扇子をパチリと閉じる。
「折檻ですわ。義経様が生きていても亡くなっていても、騙したことは同じ。そうではなくって?」
「そうれす……」
「もう一度、義経様の館を隅々まで探してきます。折檻の続きは後よ。首を洗って待ってらしゃい!」
静御前は怒ったまま屋敷を出ていった。
流為が優介の顔に傷薬を塗るのを安倍晴兵衛が呆れて見ていた。
「殿、わざわざ言わずとも良かったのではありませぬか? 静御前は何をしでかすかわからぬ女子ですぞ」
「もう隠し続けるのは無理だよ。特にこれからはね」
晴兵衛はうれしそうにうなずく。
「奥州獲りに婚姻。ようやく伏龍が目覚めましたな。これからどうなさいます」
「奥州へ帰る前に打てる手はすべて打っておく」
――――――――――――――――――――
平安京・源義経邸
三カ月後、弁慶が義経の病死を院と鎌倉に報告すると、京は騒然となった。しかし、秘密が漏れないよう密葬をしたことで、実は病死は計略で、義経様が鎌倉に対抗するために身を隠しているという噂が拡がっていた。
噂に首を傾げる弁慶に優介が言う。
「静御前でさえまだ信じていないんだ。院や鎌倉の使者は遺骨しか見ていない。疑う者が出てきても不思議じゃないよ――ただ、噂の広がりが早い。鎌倉の作為を感じる。やはり、頼朝は義経の死を知っている」
「おかしくないか? 義経様が生きている方が頼朝に取って不都合だろう。噂があべこべではないか」
「死んでもらっては困るってことさ」
「解せぬ。そんな理由があるのか?」
――ある。頼朝の大きな政治的意図が。後の鎌倉幕府の形を知る俺にはわかる。しかし、ここで弁慶に説明しても混乱するだけだろう。
「義経を謀反者にしたいなら、頼朝の願いを叶えてやろうじゃないか。鎌倉は噂の真実味を増すために、この館に刺客を送ってくるはずだ。それを迎え撃つ」
「鉄船が迎えに来ているのだろう。わざわざ戦う必要はあるまい」
「危険を冒してでも、欲しいものがある」
―――――――――――――――――――――
平安京・源義経邸
それから一カ月も経たずに、頼朝の意を受けた土佐坊昌俊という御家人が六十余騎を連れ、六条館に夜討ちを仕掛けてきた。無論、警戒していた優介たちは余裕を持って迎え撃つことができた。
「弁慶、討つのは土佐坊だけでいい。他は馬から叩き落とせ」
「夜にそんな器用なことができるか!」
「……わたし、できる」
流為が土佐坊の額を射抜いた。
「な!? おぬしの嫁は獣か」
「……次、獣って言ったら」
「すまぬ、すまぬ。弓を向けるな。敵は向こうぞ」
土佐坊が討たれたため戦闘は半刻もせずに勝利した。
「さあ、弁慶。館を引き払うぞ。火を放て」
「逃げるのなら、戦わずとも良かったではないか」
「いいから、皆を連れて湊へ向かえ。俺は土産をいただいてからいく」
――――――――――――――――――――――
平安京郊外・仙道御所
優介は仙洞御所の前に来ると下馬をして、「勅」の御筆が記された猫面を被った。
「源判官義経だ。法皇陛下の御見を賜りたい」
「ヒッ! た、ただいま」
死んだはずの義経が夜中に現れたので、門番は腰を抜かした。ヨロヨロと立ち上がると、奥へ向かって駆けていく。待っていると遠くに灯りがともるのがわかった。先ほどの門番が優介を庭へ案内する。
庭に面した回廊には法皇が不審な表情を隠さずに待っていた。
「奇怪な。誠に生きておるのか――いや、違うな。体が一回りほど大きい。朕をだぶらかす気か!」
「申し訳ございません。わけあって判官は参内できませぬ」
優介は猫面を外し、自分の名を言った。
「――判官の軍師か。平家との戦いではそなたの力によるところ大だったそうな。判官は噂通り、身を隠しているというのか」
優介が義経邸の方を指すと、空が赤く染められていた。
「郎党が住む館も燃やされてしまいました。今は頼朝に対抗するために力を蓄える必要がございます」
「英雄義経でも今の鎌倉には歯が立たぬということか――で、そなたは朕を落胆させるために来たのか」
「否。頼朝追討の院宣を賜りたく」
「勝てぬと申したばかりではないか。院宣を出せば――」
「頼朝から責められるでしょう。そのときは義経に脅されたといって、今度は義経追討の院宣を出せば良いだけの話」
「判官は逆賊になる。それでも構わぬのか?」
「はい。頼朝が増長し、院をないがしろにしたとき、義経は陛下のお味方として立ち上がります。そのときの大義名分として頼朝追討の院宣が必要なのです」
「そして判官は義経追討の院宣こそが、頼朝に脅されて出したものだと喧伝する」
「ご賢察です。頼朝は武家による政を考えております。このまま捨て置けば――」
法皇は苦い顔をして黙りこんだ。
――考えるふりをしたって無駄だよ。あなたの思考はわかっている。どうしたら自分に権力を取り戻せるか、親政を行えるかしか考えていない。しかし、平清盛も木曽義仲も平家も、はじめから法皇に逆らう気なんてなかった。法皇が相手を没落させるために陰謀を仕掛けるから、追い込まれたから牙を剥いただけなのだ。
「朝臣とはかるゆえ、控えておれ」
しばらく待っていると法皇は白絹に包まれた院宣を持ってきた。
「頼朝追討を命ず」
優介は平伏して拝領した。武家の世への流れを加速させる院宣を――。




