1185年5月 直談判
相模国鎌倉
キララは藤九郎と箱根の山を越え、鎌倉の街を歩いていく。その姿は猫面の義経ではなく、カツラを被っただけのキララだ。街からは槌の音が聞こえ、新しい木の香りがした。
「新築の家の香りって好き。でも何か地味ね。平泉のほうが街に色彩があったわ」
「派手にすりゃ強くなるのか? ここは武の都だ。浮ついた都じゃねえ」
「ねえ、藤九郎。あの立派な輿は――」
「伏せろ!」
藤九郎はキララを覆い隠すように地に伏せた。
「ちょっと、痛い!」
「兄貴に会いてえのなら、黙ってろ……」
「震えているの? あなた地獄の藤九郎でしょ」
「あの殺気を感じねえのか? 閻魔より恐えんだよ。姉貴は……」
輿が通り過ぎると、キララは砂ぼこりを払った。
「姉貴って北条政子のこと? 鬼嫁なんだ」
「いや、姉貴は慈悲深くて優しいんだ。ただ妊娠中は鬼になり、鎌倉に血の雨が降る。なぜなら兄貴が必ず浮気をするからだ。言っておく、兄貴といい仲になりたけりゃ、戦に出るぐらいの覚悟をしろ」
「お、大げさすぎない? だいたい、そんなに怖いならわたしを頼朝さんの元に連れていかないはずでしょ?」
「浮気に力を貸さなきゃ、兄貴が鬼に変わる――大倉御所では誰にも見られないよう気をつけろ」
「……忍びみたいね」
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鎌倉・大倉御所
キララたちは大倉御所に忍び込むと、藤九郎はキララの手を引き庭の奥へ進んでいった。ある場所で止まると建物に向かって声を掛けると、厳しい声が返ってきた。
「今は広元と大事な話をしている。後にしろ」
「兄貴の恋歌を持った女を連れてきました」
少し間が空いた後、頼朝が庭に面した回廊に出てきた。
「そなたは……、確かキララか。日に焼け、細くなった」
「凄い! 会ったのは五年も前なのに」
「フフフ。顔を覚えるのは統べる者の務め。それにいい女は十年経とうと忘れはせぬ。さあ、上がれ。ちょうど別邸に隠していた女を政子に追放されて、余も寂しかったところだ」
「頼朝さん、訴えたいことがあってきたの」
頼朝の顔が不機嫌に変わった。藤九郎が慌てる。
「兄貴すまねえ! おい、女。直訴だなんて聞いてねえぞ。訴えなら明日、問注所に行け」
「待って! あたしの訴えは問注所では裁ける大きさじゃない。ヨッシー、じゃない、義経くんのことよ。実は義経くんは一年前に亡くなってるの」
「九朗が!?――どういうことだ」
「一ノ谷の合戦で受けた傷が元で亡くなったの。その後はあたしが遺言で影武者をやってたわ。義経くんを英雄にするためよ。義経くんは頼朝さんに認められたがっていた」
頼朝は黙って聞いている。唐突な話を疑っているのは明らかだった。しかし、キララは構わず続ける。
「でも、義経くんが謀反者になるのなら、あたしが影武者だったことを世間に明らかにするわ。だから、義経くんを頼朝さんと仲の良い兄弟のまま死なせてあげて」
「信じられねえ。女が平家を通したなんて。なあ兄貴」
「藤九郎は黙っていろ。広元、どう思うか?」
奥から大江広元が姿を現した。
「満福寺で会った判官殿と声がよく似ています。キララという名も判官殿の法名と同じ。信じても良いかと」
「ありがとう、人形男! 頼朝さん、だからわたしの願いを――」
「叶えるわけにはいかない。そうだな、広元」
「はい。判官殿には生きてもらわねば困ります」
「どういうこと? キモ親父の讒言で怒ってたんじゃないの!」
「藤九郎。女をそなたの屋敷に閉じ込めておけ」
「何でそうなるの! ちょっと待ちなさいよ! ウグッ!」
藤九郎はキララの口を押えると引きずるように連れて行った。
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数日後、相模国腰越・満福寺
「何をもたもたしているのです?」
「もうすぐ出立する。少し待っててくれ。支度がその……」
大江広元の催促に弁慶は困り顔で応じていた。
頼朝に面会した平宗盛はすでに一日前に鎌倉から引き渡されていた。義経の任務は宗盛を連れて京へ戻り、処刑することである。
「……キララはいったい何をしておるのだ」
「何か言いましたか? 鎌倉殿の許しが出ないことで、判官殿が不満を抱いているという噂が立っています。遅滞も不満が理由では? 直接、判官殿と話がしたい」
「そんなことは断じてない! だから、会う必要もない。すぐに出立する」
弁慶は急いで郎党に指示をし始めた。
「――キララ、すまぬ。無事に京へ戻って来い」




