1185年4月 壇ノ浦の戦い・前
瀬戸内海沖・鉄船「岩手丸」
優介は彦島へ向かう間、吉次と積み荷の確認をしていた。
吉次が物惜しそうな顔をする。
「兵糧に酒、玩具まで。平家に渡しても無駄になるだけでは?」
「それくらいしないと、屋島で敵だった俺の話を聞いてもらえません」
「銭を使ってまで人を救うなど、お人好しにもほどがあります」
「助かった人は奥州に感謝します。無駄じゃありませんよ」
――弁慶から「人の覚悟を辱めるな」と言われたが、壇ノ浦の戦いの史実を見れば、平家にも死を選ばない人が多くいたことがわかる。戦場にいる人間がすべて死を覚悟しているわけじゃない。そして、俺は平家が行う作戦を知っている。その敗因も。それを利用すれば救える命がある。
「優介、あれが彦島です」
吉次が差した先には外周10kmぐらいの小さな島が見えた。
――――――――――――――――――――
長門国・彦島
吉次が顔なじみの取り次ぎの武士に話すと、帝のいる御所に呼ばれた。御所といっても、丸木作りの大きな家のようなものだ。吉次の後ろから優介が入っていくと、帝の左右に並ぶ平家の諸将が騒めいた。
「下郎! どの面下げてやってきた!」
教経が立ち上がると太刀を抜いた。
「控えよ、教経。御所を血で穢してはならぬ」
「だが、知盛。屋島ではこやつのために!」
「卿の郎党は殺されなかった。そう聞いている。それに一ノ谷では多くの兵を助けてもらった。話ぐらい聞いてやってもよかろう」
低い声で教経を制したのは平知盛。清盛の四男で平家軍の大将だ。
知盛だけは優介が現れても動じずに静かだった。他の諸将が長い戦争生活のため、すさんでいるように見えたが、知盛だけは気品と威厳を保っていた。大将がいつもと変わらない姿を見せることで、敗戦続きの平家軍の崩壊を防ごうとしている。そう優介は感じた。
――横にいる小太りの平家の棟梁・宗盛より、よほど総帥にふさわしい。
優介は用意していた紙を知盛に見せた。教経がのぞき込む。
「……これは真なのか、優介」
「真実だ。賢明な知盛様なら薄々お気づきのはず」
知盛は何も言わず、悟ったような瞳で優介を見つめてきた。
「すいません。だけど、まだ源氏はこの事実を知りません。逆手に取れば鎌倉の思い通りにはならないはずです」
周りの公達がどんな策かとざわめく。教経は複雑な顔をしていた。知盛が居並ぶ公達に言う。
「秘中の秘だ。それより、奥州はこの戦に勝てば、さらに兵糧と酒を持ってくるという。運ばれてきた米と酒はすべての兵に配って良い。さあ、前祝いぞ!」
公達が喜びの声をあげると、御所から出て行った。
優介は袋から品物を取り出して、帝に差し出す。
「帝には菓子と玩具をお持ちしました」
「へえ。鉄船の玩具だ。うわあ、いろんなところが開く」
「一ノ谷で献上した鉄船・宮城丸を建造したときに作った精工な模型です。二つに割って中を見ることができます。隅々まで見ればおもしろい発見がありますよ」
御所から退出した優介たちは、再び岩手丸に乗り込んだ。
「一ノ谷のように海から救い上げても、平家が滅べば、鎌倉に引き渡さねばなりません。それでもやるのですか?」
「はい。吉次さん、帰りは源氏の水軍を避け、外海周りで奥州に戻ります。船頭と航路の確認をお願いします」
―――――――――――――――――――――
周防国・瀬戸内海沖 干珠島
一方、キララのもとには、着々と軍船が集まりつつあった。屋島の戦いの後、味方に付いた水軍も加えると、船の数は平家水軍の1.5倍を超えていた。
「キララ、御家人どもがいつになったら軍議を開くのかとうるさい。もう優介無しでやるしかない」
「弁慶、そういえばお兄ちゃんが、困ったときに読め、っていってた紙があったよね」
「おお、そうだ!」
弁慶が腰袋から紙を取り出して拡げると、キララがのぞき込む。
「えーっと、『心に正直になれ』。たったこれだけ?」
御家人を集めた軍議が開かれた。キララが奥の上座に、左右に諸将が並ぶ。どの顔も興奮をあらわにしていた。大手柄をあげる機会が間もなくやってくるから当然だ。
「此度は戦に勝つより大事なことがある。帝と三種の神器の確保だ。これは鎌倉殿からの厳命である。コラっ! 貴様たち、聞いておるのか」
戦目付で頼朝お気に入りの御家人・梶原景時が説明したが、諸将はまるで関心を示さない。
「帝は幼子だからわかるが、神器なんぞ見たことがない」
「そんなつまらぬことは梶原がやれ。わしは弓矢しか持っていかぬ」
「まったく困ったやつらだ。キララ殿、ここは梶原が先陣に立ちまする。こやつらに任せたら帝まで討ちそうだ」
「待って。作戦は任せてもいいけど、先陣はあたしがやる」
「ハハハ、ご冗談を。大将が先陣など聞いたことがない」
「だからバズるんでしょ。あたしは英雄にならなきゃいけないの!」
「自分勝手すぎる! 大将の器ではない!」
「それなら戦目付が先陣ってのもおかしいでしょ。あんたこそ、器じゃないんじゃないの?」
「なんだと、このハゲ猫!」
「ハゲっていうな! キモ親父!」
軍議が殺気立ち、諸将たちが慌てて二人をなだめた。だが、二人は止まらない。
「絶対に先陣はわたしがやる。命令よ!」
「その身勝手、鎌倉殿が聞いたら必ずやお怒りになるだろう」
「大丈夫。兄上様は優しいもん。キララがバズったらきっと褒めてくれるわ」
「バズバズ、バズバズ、奇妙な言葉を並べるな、ハゲ猫!」
こうして軍議は険悪な空気のまま解散した。
部屋の隅で不機嫌な顔をしている弁慶にキララが言う。
「ど、どう? 心に正直にやったわよ。本当にこれで上手くいくのかしら」
「いくわけなかろうが! 優介も優介だ。わけがわからぬ」
優介の助言は鎌倉軍の結束を乱しただけだった。




