1184年9月 出家
京郊外・吉水の草庵
剃刀を手に持った法然上人の前で、キララは激しく抗議する。
「スキンヘッドなんて嫌よ!」
「縁談を断るためだ。出家したと言えば頼朝も諦める。一年後には必ず還俗させるから。少しの間、イメチェンすると思えばいい。猫面を被ったスキンヘッドの英雄。きっとバズるぞ~」
「色物みたいな売れ方は嫌! いろいろ乗っかりすぎて、キャラわかんないよ! それにこんな出家の仕方、罰が当たるって!」
「念仏を唱えれば許してくれるさ。浄土宗が説く阿弥陀仏はそんなことで怒るようなケチな仏じゃない」
「阿弥陀仏は便利屋ではないぞ、優介」
優介は法然に叱られた。だが、法然の瞳は慈愛に溢れている。
日本一の知識を持ちながら、愚者でもわかるように説法をする本物の智者。
「偽る心は浄土宗に反する。しかし、優介の行動は常に人を救おうとする真心から出ている。だから、愚僧も力を貸すのだ。キララも優介を信じなさい」
「ほら、バズりの神もこうおっしゃってる。いいか、源義経じゃないことがバレて戦に出られないようなことがあれば、間違いなく戦は長引く。そうなれば失われる命が増えるんだ。南無阿弥陀仏」
優介はキララに向かって手を合わせて拝んだ。
「……本当に一年だけだよ。絶対だよ!」
キララの黒髪が床に落ちていく。
「法名は雲母です」
「え? まんまじゃん」
「義経の法名だから変わったことになるんだよ。呼びやすい名前にしてもらった」
「もう! 阿弥陀様も大変ね。こんな人まで救わないといけないんだから」
「まったくだ」
そう言って法然が笑った。
「ところで上人。教えを書いた書物についてですが」
「ええ、用意してある。だが、書物だけでよいのか?」
「奥州の民は文字を知っています。版木で印刷すれば、みんなが上人の教えを知ることができます」
「お兄ちゃん、そんなことお願いしてたの」
「教科書が欲しかったんだよ。仏教の経典は漢文だ。民からすれば文字とは別の教養が必要になってくる。その点、上人の言葉はわかりやすい。それに浄土宗の教えは民を大事にしているから好きなんだ」
「民が文字を読める国・奥州。一度、行ってみたいものだ」
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源義経が病の治癒祈願と、一ノ谷の戦いで死んだ霊を慰めるために出家したことを公表すると、すぐに京中に噂が広まった。武家が出家することはよくあるが、二十五歳という若さでの出家は珍しい。
鎌倉からの使者もキララの沿った頭を見ると、「心優しき大将かな」と言い、疑わずに帰っていった。
このことで激怒したのは静御前である。
優介は静御前に呼び出され、散々に罵られた。
「奸臣! 義経様にまた余計なことを吹き込んだわね! 恋歌からは出家するなんて読み取れなかったわ」
「落ち着いてくれ、静御前。これは縁談を断るための方便だ。実は鎌倉から正室の話が来ていた。だが、義経様は静御前のことを好いている。断わろうとすれば出家しかなかった」
「わたくしのために義経様が! もう、だったら早く申しなさい」
静御前は顔を赤らめて照れ始めた。
――部屋中の物を投げつけて言わせなかったのはお前だろうが。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏――」
屋敷から出ると、優介は静御前を騙した自己嫌悪を振り払うように念仏を唱えた。
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平安京・源義経邸
秋に入ってから、優介とキララはより一層、弓矢の稽古に励んだ。
平家と源氏の間を死の商人として暗躍していた吉次も久しぶりに顔を見せた。
頼んでいた奥州の名馬と鉄船を運んできてくれたのだ。
「いろいろ噂は聞きましたよ。奥州の英雄も苦労していたようですね」
「吉次さん、全部、俺にぶん投げてひどくないですか」
「奇才の邪魔をしては悪いですからね。その代わりといってはなんですが、西国の状況を知らせにきました」
吉次の話によると、戦力では源氏が優勢だが、平家討伐軍の大将である源範頼は兵糧と船の調達に難渋していて大軍の利を生かせていないという。優介の知っている史実通りだった。
「吉次さん、俺たちが出陣すれば平家は滅びます。船は源氏に売ったほうがいい」
「大した自信ですね。しかし、滅ぼす必要はないでしょう。秀衡様からも戦を長引かせるよう命じられています」
「戦が長引けば民が苦しみます」
「奥州の民ではありません」
「……その考え方はどうかと思いますよ。鉄船にこの紙に書いた荷を積んできてもらえませんか。平家に渡します」
「――異なことを。今、平家に船を売るなと言ったばかりではありませんか?」
「考えていることがあります」
「――何か策があるようですね。積み荷を手配しましょう」
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年が明けて二月。平家追討の遅延にしびれを切らした頼朝が、院に対し義経を追討軍へ加えることを奏上し、勅許が下りた。一ノ谷の合戦の後、鎌倉も水軍の必要性を感じ、一年近くかけて、熊野水軍と伊予水軍を口説き落としている。優介自身も弁慶に命じ、屋島までの進軍経路を調べさせていた。
優介は追討軍の大将に任じられたその日のうちに出陣を命じた。
「殿、水軍の招集をかけたばかりでございまする。そんなに急がれなくても」
「お兄ちゃん、わたし怖い」
「キララは身を守ることだけを考えていればいい。普通に戦えばそこらの武士には負けない腕前になった。そうだろ? 流為」
「……二人とも強くなった」
「指揮は俺がやる。みんな行くぞ!」
「「「「おう!」」」」
源平合戦の大勝負の一つ、屋島の戦いが始まろうとしていた。




