1184年2月 一ノ谷の敗者
一ノ谷で大敗北した平家は讃岐国・屋島へと退却した。
葬儀のような暗い雰囲気の中で、唯一の明るい話題は、最後まで残って兵を助けた鉄船・宮城丸と、戦場で舞ったキララのことだった。
キララは敦盛が討たれた直後、泣き崩れたが、すぐに立ち上がって舞った。
優介はキララを何度も止めたが、
「恋人がカッコつけたのよ。あたしも情けない姿は見せられない」
と言って聞かなかった。
源氏が追撃をあきらめるのを見届けた後、キララは気を失った。
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讃岐国屋島・鉄船「宮城丸」
屋島は讃岐国から突き出た出島で、船の係留には適している。
優介は宮城丸の中でキララの看病を続けていた。
敦盛が自ら助かる機会を放棄し、誇りのために死ぬのは史実でわかっていた。その結果、敦盛が歴史に名を残すことも。
キララの青白い顔を見ると、優介は後悔した。
――恋人の首が斬られるのを見れば、こうなるのは当然だ。俺は牢に閉じ込めてでも引き止めるべきだったんじゃないか?
「……優介は間違ってない」
肩に乗せられた流為の手が温かった。
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平家との交渉をしていた吉次が宮城丸に戻ってきた。
「多くの兵を救った鉄船が献上されると聞いて、平内府様は大層お喜びになられ、宴を開くとおっしゃっています。さあ、早く支度をしてください。キララは流為に看病させます」
「キララの側を離れたくありません」
「帝が直々に褒詞をくださるというのに、断れるわけないでしょう」
「俺も病気になったと言ってください。鉄船は渡せば文句は無いはずです」
「駄々をこねないでください――そうだ。帝に会って屋島にいる医師を紹介してもらいましょう。キララに必要なのは看病よりも医師と薬です」
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讃岐国屋島・仮御所
仮御所と呼ばれる屋敷に行くと、大広間に平家一門がズラリと並んでいた。一番奥には、平宗盛、清盛の妻である二位局、その二人に挟まれるように清盛の娘で国母の建礼門院がいて、その膝の上に童形の安徳帝がちょこんと座っていた。
「優介、よくやってくれた。朕はうれしく思う」
帝の愛らしい声を聴いているうちに優介は悲しくなった
――五歳の子供に何もわかるはずがない。大人に言わされているだけだ。この子は来年死ぬのだ。深く暗い海の中で……。
「兵を助けるのに気力を使い果たし、妹は倒れました。願わくば、医師をお借しいただきたく」
「噂の狂巫女だね。朕も心配だ。いいでしょ、宗盛」
「御心のままに」
「元気になったら朕も舞を見たいな」
その後、宴が開かれたが、大広間には重い雰囲気が漂っていた。
当然だ。宴席にいる者で親兄弟を失わなかった者は一人もいない。
敦盛の父・経盛のように、一日で息子をすべて失った者もいるのだ。
「勝負はこれからぞ! 落ち込んでも死んだ一門は浮かばれぬ!」
そんな中、平教経が一人気を吐いていた。
「逆賊の卑劣な手によって負けたが、正々堂々戦えば我らが勝つ! 弱点もわかった。賊には船がない。この教経が船戦で逆賊を打ち破り、必ずや頼朝の首を清盛公に捧げる。今宵はその前祝いぞ!」
大盃を持つと教経は一気に飲み干した。
「そうだ!」「次こそは!」という声が上がり、宴席は決起集会のような雰囲気に変わった。
教経は歴戦を経て、平家軍の中心になっているようだった。
しかし、読みが甘い。正々堂々に囚われないのが義経であり、船数もいずれは追い付かれる。
そんなことを考えていると、教経が優介の前に瓶子を持って座った。
「兵を助けてくれたそうだな。盃を取らす」
手に盃を取ると、教経が酒を注いた。
「平家の味方と考えて良いのだな」
「俺は誰の味方でもない。命を救いたかった。それだけだ」
「世迷言を――他の者ならそう言い放つところだが、飢饉の際に民を救った貴様のことだ。嘘とも思えぬ。まったく奇妙な男だ」
教経は顔を近づけると声を落とした。
「義経に伝えよ。此度は不覚を取ったが次は射殺す、と」
「………」
「敦盛から聞いた。あの臆病者が我の目を真っ直ぐ見て、静御前を助けたと言ってのけた。笛好きの子供とばかり思っていたが、知らぬ間に男になっておった……」
教経の言葉の最期は涙声になっていた。
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医者にもらった薬のおかげでキララの体は回復した。
しかし、表情は暗く、心の傷が深いのは誰の目にも明らかだった。
「吉次さん、早く奥州へ帰れませんか」
「キララには気の毒ですが、次は義経様に戦勝のお祝いに行きます。一ノ谷の戦いの英雄を無視して奥州へは帰れませんからね」
今の京は安全で、東国と奥州から米が大量に入ったことにより、飢饉状態からも抜け出していた。長い船旅より、京で静養させたほうがいいかもしれない。そう思い、優介は吉次の言葉に従った。
だが後に、優介はこの選択を後悔することになる。
無理にでも奥州へキララを連れ帰るべきだった、と。




