1180年7月 藤原秀衡
奥州平泉に入ると数千軒の家が立ち並び、大きな寺院がいくつも見えた
「どうです? 立派な都でしょう。これが鎮守府将軍・藤原秀衡様が造られた平泉です。これより大きな都は平安京ぐらいです」
優介は吉次が誇らしげに言う気持ちがわかる。ここまでに見た集落や、大きな村程度の国府とは明らかに規模が違っていた。どんな辺鄙なところに連れていかれるのかと怯えていた少女たちも、安堵した表情に変わっていた。
北上川沿いを歩いていくと、広大な伽羅御所が見えてきた。
北上川は現代でいう岩手県平泉市から宮城県石巻市の海へ繋がっており、日本だけではなくアジアの物産が、この川を上って平泉に運ばれてきている。
「優介はここで待っていてください。秀衡様に女子を納めてきます。キララ、これからは伽羅御所で働くのです。酒の席で舞を見せたり、伽をしたり――」
「ちょ、ちょっと! 伽なんて嫌! お酒も飲めないし!」
「妹にそんな真似はさせませんよ」
吉次が切れ長の目で優介を睨む。
「私を商人だと思って侮っていませんか?」
「身の丈は五尺四寸。いかり肩で肉付きよく、幅広く厚い胴回り。鼻筋が通った高い鼻、顔は長く顎の張っていて、短く太い首。それに――」
「待ちなさい! なぜ秀衡様の容姿がわかるのです。会ったことは無いはず」
「俺たちの身を解放してくれたら、秀衡様の寿命を延ばしてあげますよ」
驚く吉次を前に、優介は不敵に笑った。
――頼朝に会ったときはとまどったけど、時代がわかればやりようはある。歴史オタクの知識を舐めるなよ。
「答える気はなさそうですね。手の内は明かさないというわけですか」
吉次は優介を見据えた後、伽羅御所の中へ入っていき、すぐに戻ってきた。
「秀衡様がお目見えを許します。寿命の話を信じられたら解放しましょう。ただし、疑われたら、主を騙した罪で命はありませんよ。よろしいですね?」
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寝殿造りの大きな屋敷の中は、奥州藤原氏の勢威を誇示するように、所々に金箔が打ち付けられていた。秀衡がいる間は豪華絢爛で、中国や東南アジアの宝物や珍品がこれ見よがしに飾られていた。その中央には優介が言った特徴そのままの秀衡が黄金の椅子に座っていた。
「まるで、皇帝の玉座だ……」
「ほう、椅子を知っているのか。この国ではまず見ない代物なのだがのう。吉次の言う通り、只者ではなさそうだ。優介、わしの寿命を延ばすと言ったそうだな」
「はい、秀衡様は歯茎から出血したり、冷水を飲むと痛みが走りませんか。それは歯槽膿漏といい、年々ひどくなっていく病です」
「顔を見ただけでわかるのか!?」
「わかる方とわからない方がいます。治したければ美食を控えて、菜を多く食してください。枝の先を噛んで房にして歯を磨く、歯木はお持ちですか?」
「ああ。寺院に行く前、身を清めるときに使っておる」
「これからは毎日、歯木で磨いてください。歯が強くなります」
「面倒だのう。すぐに治るのか?」
「俺とキララの身を自由にしていただければ、歯木よりも良い物を差し上げられます。それを使えば治りも早いかと」
「――ふむ。吉次、仏像作りは他の者にさせろ」
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伽羅御所から出てきた俺を見ると、キララが笑顔で飛びついてきた。
「無事だったのね! でもどうやったの?」
「奥州藤原四代のミイラは今でも残っていて分析結果も出ている。本当に合っているか不安だったけど、容姿をズバリ当てられたから、歯槽膿漏も当たっていると思ってね。本当の死因は背中の外傷から細菌が入ったことらしいんだけど、俺には治し方なんてわからないから言わなかった。このことは吉次さんには内緒だよ」
こうして、優介とキララの身は自由になった。
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一週間後、奥州平泉・優介の借家
秀衡から与えられた家で、優介は歯ブラシを作り続けていた。適当な大きさの枝木に、馬や豚の毛を差し込んでいく。転生後の体は手先が器用なので作業は苦ではなく、むしろ楽しかった。
「明治時代まで日本に歯ブラシはなく、江戸時代には房楊枝で磨く習慣があったぐらいだ。上手く作れればみんなに喜ばれる商品になる」
「バズりそう? だったら、あたしが最初に使う! インフルエンサーになる!」
「奥州のインフルエンサーは秀衡様だ。気に入ってもらえれば、奥州藤原家ご愛用ということで歯ブラシが売れる」
キララは不満気な顔をすると家を出て行った。というか、ほとんど家にいない。色白ぽっちゃりのキララはこの時代では美人なため、街を歩けば皆が振り返る。それがうれしくて、外を出歩いているのだ。
「ほう。これが歯ブラシですか?」
キララと入れ替わるように家に来た吉次が、勝手に試作品を手に取る。
「塩をつけて歯をこすってください。続ければ歯が丈夫になるだけじゃなく白くなります。豚の毛は固くて長持ち。馬の毛は少し柔らかいです。これからは歯ブラシを作って生活します。贋作作りをしていると悪評が拡がりそうですから」
「だったら、あなたの妹を家に縛っておきなさい。誰彼構わず、バズる場所はないかと聞いて回り、良い話を聞くたびに『神キター!』と叫ぶ。町人からは狂巫女という二つ名までつけられています。ようやく、平泉の迷惑王がいなくなると思ったのに……」
「お恥ずかしい――ところでいなくなる迷惑王って?」
「源九郎義経様。落ち着きの無さではキララに劣りません。秀衡様のご子息たちに、兵の調練だといって模擬戦を仕掛け、完膚なきまでに叩きのめし、暇があれば豪族の屋敷に侵入して悪戯をする」
「悪戯はともかく、調練は仕方ないんじゃないですか?」
「やり口が良くありません。模擬戦の決め事を守らず、夜討ち、騙し討ち、何でもありです。だから勝っても嫌われて、評判がすこぶる悪い。おもしろがっているのは秀衡様ぐらいです」
――史実でも、奇襲を得意にしていたもんなあ。
「あっ! 義経様がいなくなるってことは、もしかして――」
「ええ。頼朝が挙兵しました。それを知った義経様は秀衡様の反対を押し切り、頼朝の元に行く気です。私がどれだけ苦労して奥州へ落ち延びさせたか――」
この後、吉次の愚痴を延々と聞かされた。義経には相当不満があるらしい。
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「お兄ちゃん! 超バズる人と会っちゃった! ほら見て」
キララが声を弾ませて戻ってきた。だが、誰も見当たらない。
そのときバキリと音がして、窓から小柄の若者が飛び込んできた。
驚く優介の顔を見てケラケラ笑っている。
「まさか窓を壊して入ってくると思わなかっただろう」
吉次がため息をつく姿を見て、優介はこの男が義経だと確信した。
キララがうれしそうに話す。
「驚かすのが得意な人がいるって聞いて会いにいったの。ドッキリってバズリの定番でしょ。そしたら、ヨッシーだったの。やっぱ歴史でバズる人は違うわ」
「ヨッシーって……。義経様、失礼な妹ですいません」
「構わないさ。キララは僕を褒めてくれるから気分がいい。やれ、ドッキリ王だの。歴史に名を残す有名人になるとかね。ここでは皆、僕の血筋しか認めずに、あれもするな、これもするなと縛りたがる。なあ、吉次」
「貴種の御身を大切にしているのです」
「源氏嫡流は守られるほどひ弱じゃない! 見てろよ、吉次。僕は平家を滅ぼし英雄になる! 日本中に僕の力を認めさせてやるんだ!」
義経は宣言するように言い放った。
「ねえ、お兄ちゃん。ヨッシーが鎌倉へ行こうって言うの。ついていっていいでしょ? ドッキリの方法を学びたいの」
「ドッキリじゃなくて奇襲な。大事な妹を戦場なんかに行かせるわけないだろ。今、一番安全な場所は奥州なんだ」
吉次の眉がピクリと動いた。
「ケチ! だったら京に連れていってよ!」
優介とキララが揉めているのを、義経はニコニコして見ていた。
「僕は兄弟が多いのに会ったことがない。だから兄妹喧嘩すら羨ましく見える。鎌倉にいる兄上はどんな人だろう。楽しみだなあ」
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奥州平泉・伽羅御所
黄金の椅子に座る秀衡が、手のひらの上で歯ブラシを遊ばせていた。
「吉次よ。確かに優介が奥州は戦場にならぬといったのだな。源平両氏からの誘いに乗らず、動かず、利用する。我らの方針を、ただの仏師が見抜けると思うか?」
「京への行商隊に同行したいと申しております。いかがいたしましょうか?」
「解放したのだ。止めるわけにもいくまい。ただし、優介が異才ならば必ず連れて戻れ。義経を失った今、奥州には新たなる才が必要だ」
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奥州平泉・優介の借家
優介は京へ行く前にもう一度、史実を思い出していた。
源頼朝が挙兵してから、東日本では源氏勢力と平家勢力、さらには源氏勢力同士の戦いが続く、そして木曽義仲が入京し平家が都落ちするまでは、まだ三年ある。
「キララ、バズったら奥州に戻る。それが京行きの条件だからな」
――京が戦場になるまで、まだ猶予がある。それまでに逃げ出せばいい。
数日後、優介は吉次の行商隊とともに京へ旅立った。




