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湖沼の伝説 竜の娘と異類の愛

作者: 風花 香

 昔々のお話。

 各地を行脚していた徳の高い僧がいた。名を一旭(いっきょく)といいある夏の日、彼は日本海に浮かぶ小さな島に渡った。島では海女による漁が盛んに行われ、餌を求めて旅する渡り鳥たちが休息地にと降り立っている。

 一旭は島の北にある池の側のお堂で島民たちに有難い法話を幾夜にも渡って語り聞かせていたのだが、いつの頃からか末席に一人の若い女が座っていることに気が付いた。女は毎夜その席に座り話を聞いているのだが、おかしなことに一旭以外の人々にはその姿が見えていないようなのだ。白い着物を纏い漆黒の髪は漆を塗ったように艷やかで、ほっそりとした顔は慎ましく淑やかで高貴な雰囲気が滲み出ている。

 

 ある夜、一旭は法話を終え島民たちが去った後、女に素性を訪ねた。


「もし、お嬢さん。いつも熱心に耳を傾けてくれているね。ときにお嬢さんは島の人間かな? どうも佇まいが他の皆とは一線を画しているようだが」


 女は俯いていた顔を上げると、抑揚のない静かな口調で切り出した。


「上人様が話しかけてくださるのをずっと待っておりました。実は(わたくし)、人間ではありません。この池に住む竜です。実は上人様にお願いがあり、こうして毎夜お話を聞きに訪れていました」

「左様か、随分待たせたようですまなかったな。して、願いとは何かな?」


 一旭は驚くことも疑うこともせずに訊いた。その実直な態度を目の当たりにして竜を名乗る娘の顔にもようやく笑みが浮かぶ。


「やはり上人様なら信じてくれると思っていました。彼と同じでございます」

「彼?」

「上人様。図々しいのは承知ですが、お願いの前に(わたくし)の話を聞いてくださりませんか?」


 上目遣いに頼む竜の娘に一旭は柔和な表情で頷き、腰を下ろした。


「ああ、もちろん。ずっと誰かに語りたかった胸の内を全て吐き出すといい」

「ありがとうございます上人様。あれは今日のような暑い、暑い夏の日でした」


 竜の娘は謝辞を述べ、ぽつりぽつりと語りだした。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 遡る事数百年前。当時はまだ無人島だったこの島に一人の青年が足を踏み入れた。さして大きくない島だ、青年が島を探索するうちにこの池に辿り着くのは必然だった。やって来た青年は目を疑ったことだろう。池の(ほと)りにうら若き乙女が背を向け佇んでいるのだから。

 ザッ、と砂利を踏んだ音にその乙女は弾かれたように振り返り、目が合った。


「何者です?」

「ほう、斯様な未開拓地で()に麗しき女性に会えるとは思わなんだ」

「近付かないでください。私に近付くと酷い目に遭いますよ」

「そう警戒するな。わしがそんな無頼漢に見えるか? まあ、この状況じゃ仕方のないことか。わしは七弦(しちげん)舳倉(へぐら)七弦(しちげん)と申す。流浪の旅人じゃ。其方は?」

「……名乗るような名は持ち合わせておりません」

「名は無いと? まぁよいわ。よっこらせっと」


 七弦と名乗る青年は忠告を無視して無遠慮に隣に腰掛けた。その図々しい態度に最初こそ驚いた竜の娘だったが、その(おお)らかな人柄に触れるうちに次第と心を惹かれていった。


「はっはっは! して、其方はいったい何者じゃ? 物の怪の類か?」


 豪快に笑い飛ばしながら訊ねる七弦であったが、竜の娘はその問いに黙り込む。不覚にもこの人間を気に入ってしまった手前、自らの正体を明かすのが怖くなったのだ。


「沈黙は肯定を示す。どうやら其方は人間ではないようじゃな」


 意外にも鋭く核心を突く七弦。竜の娘は驚きつつ、ふっとため息を吐いた。


「観念するしかありませんね。私はこの池に住む竜です。今のこの姿も仮初めのものに過ぎません」


 告げるや否や七弦は目をまん丸く見開き驚愕の表情を浮かべる。ああ、やはり幻滅なされたか、と竜の娘はひっそりと落胆した。


「なんと! このような小さな池に住んでおるのか!? 竜には手狭ではないか?」

「驚くのはそこ……でしょうか? 人間にとって竜は伝説上の生き物かと思いますが……」

「其方が嘘をつくとも思えぬし本当なのであろう? それより誠にこの池に住んでおるのか? 然程深そうにも思えぬし、狭そうじゃのう」


 七弦は池を覗き込みながらそんなズレた心配をしている。しかしそれがどうやら本心のようで、純真なその心に竜の娘は更に惹かれた。あまりにも覗き込むものだから、池に落ちそうになり慌てふためく姿は可笑しくて可愛かった。


「心配には及びませんよ。この池は竜宮へと繋がっておりますので」

「なんと! 竜宮とな!? 即ちこの池は竜宮へと通じる入り口に過ぎぬわけじゃな?」

「はい。ですからこの池は水が枯渇する事もありません」

「なるほどのぅ。わしも落っこちれば竜宮に行けるのか?」

「いえ、竜宮へ通じる(みち)は竜にしかわかりません」

「ようできておるのぅ!」


 惹かれ合った二人がその距離を縮めるのに時間は掛からなかった。恋に異類であることなど関係なく、触れ合う肌は硬く柔らかで、かかる吐息は熱かった。


「怖いか?」

「……いいえ。七弦様ならば恐れはありません」

「でも、震えておるな」

「初めて、でありますから」

「無茶は致さぬ」


 熱帯夜の池近くの草の上で、絡み合う二つの影。二人は幾月にも渡り、生活を共にした。 

 やがて。


「七弦様、私は貴方と伴に行きたく思います」


 膨らんだお腹を擦りながら、竜の娘は頬を朱に染めて告げた。七弦も屈託ない笑顔を浮かべ応える。


「うむ、わしもじゃ。わしも其方と共に生きてゆきたい。だが竜である其方が人間であるわしといていいのか、それがわしは気ががりでならぬ」

「暫しお待ち下さりますか? 一度竜宮へ戻り許しを得て戻って参ります」

「うむ……気を付けてな」

「はい。すぐに戻ります」


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 そこまで話した竜の娘は静かに目を閉じた。後悔と懺悔の念が込められているのを察した一旭は哀れんだ。


「今にして思えば、あの時の七弦様の憂いた表情はその後の未来へのものだったのでしょう」

「うむ……」

「人間に恋をし契りを結び、(あまつさ)え子をその身に宿すなど、竜界において禁忌以外の何ものでもありませんでした。浅はかな私は自ら殺されに帰ったようなものでした。上人様、ここからがお願いなのですが」


 過去を振り返った竜の娘はさめざめと涙を溢しながら訴えた。


「殺された私は生前の罪科の為に成仏する事ができず、骨は池の底に沈んでいます。どうか上人様のお力で私を成仏させてくれないでしょうか?」


 一旭は無言のまま見つめている。簡単な頼みではないことは竜の娘とて重々承知している。しかし、最早縋る事ができるのは一旭をおいて他にいないのだ。


「七弦様は……」

「うむ?」

「七弦様は私が竜宮に戻ったあともずっと私を待っていてくださいました。まだかのぅ、明日には来るかのぅ、と七弦様らしく明るく振る舞われている姿を、私は霊魂となり見つめることしかできませんでした」

「そうか……」

「このお堂も七弦様が私の帰りを待つ間に建てたものなのです。ですが、竜の存在を知った人間を竜界が見逃すはずがありませんでした。七弦様は竜の雷に打たれ誰に看取られるでもなく、この地で果てられました」

「随分長い間苦しんできたのだな」


 竜の娘は涙に濡れる顔を上げた。目の前には仏のように慈悲深い笑みの一旭。


「愛する者が目の前で朽ちていく様を見るのは我が身を切り裂かれるより辛いことであったろう。お主はよう頑張った。あとのことは儂に任せてお主はゆっくり休むとよい」

「上人様……ありがとうございます」


 竜の娘は深々と頭を下げ暫く頭を上げなかった。




 翌日、一旭は島の人々を集め池の水を汲み出した。すると池の底からは大小二つの竜の骨が現れ、それらは四斗樽に四杯分もあったという。


「小さい骨は腹に宿した赤子の竜か」


 一旭は読経し二匹の竜の魂を慰めると、骨は島にある寺に埋葬し懇ろに供養した。それ以来、一旭の法話の席に竜の娘が現れることはなくなったのだった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 白い靄がかった空間で竜の娘は覚醒した。上下左右の区別もつかず、ふわふわと浮いているような感覚が身を包む。


「上人様のおかげで、私は成仏する事ができたのですね」


 現状を理解し、一旭に対し改めて深い感謝をする。


「待っておったぞ」


 靄の奥から優しい声色が降り掛かる。声を辿ればそこには愛しい人の姿が。数百年に渡り焦がれ続けたその姿を認めた瞬間、とめど無く感情が溢れだした。


「あ、あっ、あああぁーッ!!」


 涙で顔をくしゃくしゃにし、竜の娘は七弦の胸へと飛び込んだ。七弦は泣きじゃくるその髪を優しく梳き、震える身体を優しく包み込む。


「さぞ辛かったであろう」

「お許しくださいませッ! お許しくださいませッ! 七弦様!」

「其方が何を謝ることがある?」

「私が浅はかにも竜宮へ戻りなどしなければ、七弦様がお亡くなりになられる事はありませんでした! お許しくださッ!?」


 懺悔の言葉を七弦の優しい口付けが塞いだ。魂のみの存在となったはずなのに身も心も絆され温まるような、そんな接吻であった。


「七弦……様」

「よい。其方が自らを責める必要は一切ない」

「でも、私を待つことなどしなければ……」 

「わしはわしの意志で其方を待っておったのじゃ。そして其方はわしの想いに応えこうして逢いに来てくれた。これ以上何を望むことがあろう。おっ、そうじゃ」


 七弦は何かを思い出すとはにかんだ。


「其方のことを考えていれば待つ時が長いなどということはなかったが、思い耽る時間はたっぷりあった。故にわしは其方への贈り物を思い付いたのじゃ」

「まあ、何でございましょう?」


 明るく楽しげに振る舞う七弦の気持ちに寄り添う為、竜の娘も指先で涙を拭い微笑む。


「無論、死んでしもうたわしが其方に送れるものは限られておる。だが、とても良いものを思いついたのだぞ!」

「ふふ、期待が膨らんでしまいますわ。勿体ぶらず教えてくださいまし」

「うむ、贈り物それはな、ズバリ其方の名じゃ!」

「名前……にございますか?」

「そうじゃ、其方名乗る名は無いと言っていたであろう。しかし愛する者を呼ぶのに何時までも其方では味気ない。そこでわしは閃いたのじゃ」


 弾んだ声で楽しげに話す七弦を見ていると、竜の娘も段々と元気が湧いてきた。


「確かに、私も愛する七弦様から名前で呼んでいただけるなんて、胸が踊ります。して、その名とは?」

「うむ、それはな」


 一瞬の間。唇を舌で舐めた七弦が大事な宝物を口にするように呟いた。


竜胆(りんどう)

「りんどう……」

「左様。竜の胆と書いて竜胆(りんどう)と読む。竜胆とは花の名前でもあるのじゃが」

「まあ、お花の?」


 嬉しそうに綻ぶその笑顔を見て七弦も気恥ずかしそうながら、彼らしい無邪気な笑みを浮かべ誇らしげに続けた。


「竜胆は群生せずに単独で育つ花じゃ。気高く直向(ひたむ)きな其方にぴったりであろう?」

「はい。素敵な名前をいただけて竜胆は嬉しゅうございます」


 竜胆の眩い微笑みを向けられ、七弦が照れたように鼻の頭を掻く。


「それからの」

「はい?」

「竜胆の名を送るにあたってわしからの想いも込めておる」

「どのような?」


 七弦はふぅっと息を吐くと、真っ直ぐに竜胆の瞳を見つめた。


「竜胆の悲しみに寄り添い、如何なる時もわしは竜胆の味方であり、どんなに竜胆が悲しみに暮れようとも……竜胆を愛し続ける」

「七弦様……」

「竜胆の花言葉じゃ。わしの柄ではないが、笑うでないぞ? さあ逝こう、竜胆。わしらはこの地で夫婦(めおと)となり、守護霊としてこの島を見守っていようぞ」

「はい、七弦様。竜胆は何処までも七弦様と伴に参ります」


 こうして、二人は白く光る靄の中に消えて行った。

 そして、竜神池の周りには紫色の竜胆の花々が咲き誇るのだった。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 日本海上に浮かぶ小さな島がある。

 その島には竜の伝説が残る池が存在する。

 周囲一八〇メートル程のさして大きくもない池であり、その伝説を知る者は少ない。

 そこには人間と竜の異類の恋愛があったのかもしれない。


 舳倉島(へぐらじま)の竜神池伝説。




 おわり

この作品は舳倉島の竜神池伝説にストーリーを構築した作品になります。


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― 新着の感想 ―
優しく、胸を打つ作品でした。 豪胆な七弦とつつましく美しい竜の娘の愛情に溢れた互いの存在が、異類同士であるために無惨な結果となってしまうその切なさ。 素直な文体で描写されることでリアルに、より強く惹き…
[良い点] とても素敵なお話しでした。 本物の伝説をモチーフにしているのですね。 龍と湖、私も大好きです。 来世で、結ばれたふたり、幸せになってほしいです。 竜胆、漢字はじめて知りました。竜という字…
[良い点] 素敵なお話ですね。場面場面がきちんと一繋ぎになっていて、最後には大きな感動が待っている。 「赤子の竜の骨」のくだりでうるうるとしてしまい、二人が再会できたところで涙腺が崩壊しました。 …
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