見せてくれ!お前のパンツを!
2004年 時代の最先端を見た時のお話
平日のある日、講習を受講しに出かけたときの事だ。
久しぶりの都会の雰囲気を楽しんだ帰り道、駅構内で女子高生の一団に出会ったのだった。
彼女らは駅の小さな階段に座り込み、なにやら熱心にしゃべっている。地べたに座り込むという行為にも驚いたが、もっと驚いたのはその女子高生達がパンツ丸見せで平気でしゃべっている事だった。
え!なに!?一体どうなっているんだ?新たなムーブメントの到来か?
さすがは大都会、私にはとうてい理解できないことがブームになっていやがる。仕掛け人は誰だ、変態確定ではないか。それとも間違って見えてしまっているのだろうか。しかしだからといって注意する事なんてできない。
女子高生のパンツが見えているとき、男子たる者、どういう行動をとるのが正解なのだろうか。
以前、友人の彼女を含め数人で花見をしたときのことだ。レジャーシートに座った彼女の短いスカートからパンツが見えてしまっていたのだ。友人は隣でしゃべっており気がつく様子がない。私は窮地に追い込まれた。彼女に「パンツ見えてるよ」と教えることは、私がパンツを見てしまったと宣言するに等しい。隣に座る彼氏はどう思うだろうか。しかし教えなかった場合、私は彼女のパンツを衆人の視界にさらし続けた罪とともに、彼女が気がついたときには「黙ってパンツを見続けていた変態さん」というレッテルが貼られることになるのだ。
言うも地獄、言わずとも地獄。
だから駅の階段でパンツを見せている女子高生に出会ったとしても、軽々に注意することなんてできない。
「君達、パンツ見えてるよ」
などと注意すればどんな悲惨な末路が待っているか、考えるだけでも恐ろしい。
しかしなぜ彼女らはパンツを見せているのだろう。団体でパンツをさらしておいて、気がつかないなんてことがあるのだろうか。それともどこかにカメラでも仕掛けて笑いものにするつもりだろうか。いや、やはり見せたいからではないのだろうか。それ以外に理由などあるものか。ならば見てやることこそが正義ではないのか。
うおおおおーーーッ!勇気を出せ!俺ッ!!彼女らがどんなに勇気を振り絞ってパンツをさらしているのか分かるか。男たるものッ!女性がパンツをさらしたならば見てやらなければならない!例え結果がどうなろうとも!!彼女のスカートの前にしゃがみこみ、パンツを見つめてひとこと言うだけで良いのだ!
「その勇気に敬意を表する!」
私はしばらくパンツを見ながら悩み続けたが、結局「勘違いヤロー」とののしられるのを恐れて声をかけられなかった。許せ!女子高生!
だが、パンツはやはり見せているのだという事が後日判明する。翌日の講習からの帰り道、同じ場所でパンツを見せている彼女らに出会ったし、しばらく後にその講習を受けた同僚も、同様の場面に遭遇したというのだ。
これはもはや偶然ではない。いまやパンツを見せるという行為は恥ずかしい事ではなくなったのだ。
自分の常識とのギャップがありすぎて、一気に年をとってしまったかのような寂しさを感じるが、慣れてくると多くの女子高生がパンツを見せている姿がフツーに見えてくるから不思議だ。むしろパンツを見せていない女子高生が異常に見えてくる。だからといってパンツを見せていない女子高生に「お前のパンツを見せろ!」などと詰め寄ってはいけない。恐ろしい結果が待っているだろう。
私が知らない間に「パンツ見せファッション」は時代の最先端になっていた。腰パンとも違う、見せパンツ。さあみんなでしてみよう。みんなですれば恥ずかしくない。
2021.04.27 タイトル変更 旧「新たなムーブメントの到来」→新「見せてくれ!お前のパンツを!」