就職しましょうそうしましょう
1999年 無職だった頃のお話
就職。
そう、就職口を探さねばならない。無職でフラフラしていると親に「てめェ就職する気があんのか?」とあらぬ疑いをかけられてしまうため、とりあえずカモフラージュとして新聞の求人欄に(必ず親の見ている前で)目を通すことになる。
そこに掲載されている求人は「営業職」「タクシー乗務員」「医療介護関係」そして「IT関連」ばかりだった。
いやいや、私が求めているのはそんなんじゃない。もっとエキサイティングでエキセントリックで思わず飛びついてしまうようなヤツだ。
そこで、こんな求人を発見することになる。
「陶芸家、弟子募集」
おっと、思わず応募しそうになってしまったじゃあないか。だがこれは求人なのか?陶芸教室の生徒募集ではないのか?求人だと思ったら授業料取られた、なんて詐欺じみた事件に発展しないだろうな。おかしいぞ、芸術の伝承というものはもっとこっそりと行われるべきで、大々的な募集はかえって怪しくなるばかりだ。反社会勢力が好条件をエサに美術品の贋作製造でも目論んでいるのではないのか。先を読んでみよう。
「月6万、忍耐強く○○へ引っ越し可能な方」
月6万というあまりのインパクトに思考が停止する。家賃だけですでに赤字ではないか。すでにこの時点でかなりの忍耐力が必要なことは明らかであるのに、そこにあえて「忍耐強く」という条件を付け加えてしまうあたり、広告主の闇を感じてしまうのは果たして私だけだろうか。どれだけブラックなのだ。この悪条件で応募があると思っているのか。
だがそのことを考えると、もはや仙人と化してしまった巨匠の姿が浮かんできて悲しくなる。
人里離れた村の小さな工房でただひたすらに己の技を磨き続け、納得ができる作品ができる頃にはすでに年老いていたのだろう。気がつけば周囲には後継者となるべき人間どころか嫁もなく、だが、生涯をかけて磨き上げてきたこの伝統の業を後世に残さねば、と思いつめる。そうして巨匠は思いつくのだった。
「新聞広告だ」
だがしかし、巨匠とはいえ一介の陶芸家、生産力にも限界がある。当然給料は安く福利厚生だってない。就業規則などあってないようなもの、朝起きてから寝るまでが勤務時間だ。修行は厳しく、逼迫する生活の中、時にはパワハラと言われかねない叱責が飛ぶが、すべては弟子を鍛えるため。そこにはなにものにも代え難い創造する喜びがある!あふれる大自然がある!この素晴らしい環境で好きな仕事に就けるのだ、月給6万の一体何が不満だというのか!
どうもいけない。なんだか退廃的な香りがする。これはやりがい搾取といわれる類のものではないのか。
ならば次のような求人はどうか。
「村役場職員募集」
これだ!なんて堅いんだ!きっとリストラなど無縁の世界に違いない。良いんじゃないのか?コレ。
しかし、この広告に潜む恐ろしい響きに気付いた者が何人いるだろうか。
「村」
恐ろしい響きだ。もう一度言ってみようか。
「村!!」
ああ恐い。どこなんだ一体。先を読んでみると果たして思った通りだった。
そこは東京都とは名ばかりの太平洋に浮かぶ孤島、都会のオアシス。波の音が聞こえてくる。果てしなく遠い目つきになる。きっと誰もいないんだろう、誰も来ないんだろう。
どういうことだ、これではさっきと同じではないか。なんだか老人ばかりの中で働く姿が目に浮かぶ。いや、ひょっとしたらこれは一種の村おこしではないのか?求人を装った人口増大計画。
この求人広告によって職にあぶれた多くの若者が離島へ移住する。村役場の職員が人口の80%を占めるようになる。なんだか多いような気もするが給料は都知事に捻出してもらおう。だが、ただでさえない役場の仕事がさらになくなる。村役場ばかりがやたらでかくなる。しかも男性職員ばかり募集してしまったので人々は根付かず、ゲイバーばかりが乱立するのだった。
、、、次いってみようか。
こうして私は新聞の求人欄が「創造力を刺激する読み物」だということを発見してしまった。
明日の新聞はまだか。まだまだ新聞は深い。
2021.03.30 文字修正
2021.04.27 タイトル変更 旧「新聞を読もう」→新「みんなで住もうぜ!ゲイの島!」
2021.04.29 タイトル変更 旧「みんなで住もうぜ!ゲイの島!」→新「就職しましょうそうしましょう」
 




