花束をおくろう
2019年 花の魅力に気付いた時のお話
花が嫌いな女性はいないらしい。
実際はいないわけがないと思うのだが、少なくとも妻は花が大好きだ。毎週買物に出かけると花を買っている。家のリビングに飾るだけではなく職場にも持っていく。どんだけ好きなんだ。
とはいえ男目線からすれば「数日間飾るだけの装飾品に毎週300円かける」というのは理解できないことなのではないか。何が良いんだろう。
花束をプレゼントすると「うわぁ~!」と満面の笑顔を見せる妻に対し、懐疑的な気持ちを持ってしまう私はひねくれているのだろうか。だって花だ。毎日水を換えなければいけないし、すぐに枯れてゴミになってしまうではないか。どうせなくなるなら食べられるものの方が良いのではないか。どうにも納得できなくて直接聞いてみると、妻はまっすぐに言い切ったのだった。
「え~?花を貰って嬉しくない人なんかいないよぉ!」
うおっ、まぶしいな!やめろ、私が汚れているみたいではないか。
「だって部屋が明るくなるでしょお?ほらどお?コレ、きれいでしょ?」
ぐふっ!花に価値を見出せない私の心がすさんでいるとでもいうのか。このまま会話を続けては私のダメージは甚大だ。撤退あるのみ。
妻は花を飾り毎日水切りしている。本当に花が好きらしい。となれば簡単だ、誕生日などのイベント事には花を添えれば間違いないのだから。と、打算的に考えてしまう私はやはり汚れているのだろうか。
花屋に行って花束を注文する。最初の花束こそお任せにした私も、2回目以降ともなるとすでに常連だ。要求がエスカレートする。
「おとなかわいい感じでお願いします」
「永遠の愛をテーマにまとめてください、包み込むような感じで」
「プロポーズするのか?ってくらい情熱的なやつに、いつも見守っているよ、っていう気持ちを添えて」
いい大人がマジメにそんな注文をするところを誰かに見られたら、私の築き上げてきたイメージが台無しではないか。は、恥ずかしい、ここは花屋に見せかけた拷問部屋だったか。だが、そんな注文でさえさすがはプロ、受け取った瞬間「確かに」と思わせるものをつくってくるのだった。
何がきっかけだったか、ある時妻と喧嘩したのだった。一晩口もきかず、そのまま黙って仕事に向かう。どうもいけない。私は花に頼ることにした。
「妻と喧嘩してしまって、、、仲直りしたいっ!っていう気持ちがあふれているようなのを、いやむしろほとばしっているくらいのをお願いします!」
我が家のプライバシーは花屋にダダもれだった。花屋も迷惑だろうがこちらも死活問題、引くことはできぬ。
家に帰ると夕食の準備をしながら妻の帰りを待つ。
ピンポーン
妻が暗い顔で帰ってきた。私は玄関で花束を抱えて待ち、妻がドアを開けた瞬間、花束を差し出した。
「昨日はごめんっ!!言葉が悪かった、仲直りしてくれないかっ!」
おそるおそる妻の顔を見ると目をウルウルさせて抱きついてきた。どうやら仲直りしてもらえそうだった。万が一のためにケーキも買ってあったが、、、まぁ、後で一緒に食べようか。
花は偉大だ。
そんな妻が冬に鉢植えを買ってきたのだった。デンドロビウムというその花は春になると全て落ち、緑の茎と葉っぱのみになってしまったが、妻のやつ、水をやっているのだろうか。仕方がない、私は花のないデンドロビウムをベランダに移し毎日水をやるようになった。
翌年も妻はデンドロビウムを買ってきた。しかも2鉢。
まてまて、花を咲かせていないとはいえ、ベランダには育児放棄したデンドロビウムがあるではないか。やはり春になると茎と葉っぱだけになってしまったデンドロビウムを哀れに感じた私は、肥料を買い、株分けをし、毎日水をやったのだった。
3年目、肥料をやったかいもあって、デンドロビウムにたくさんのつぼみが付いた。なんだかうれしい。妻にも見せる。
「すごぉ~い!」
というか、妻め!何もしていないじゃあないか。
満面の笑顔を見せる妻に、なんだか騙されているような気もするが、そんなことは些細な問題だ。騙されているのなら一生騙されてやればいいだけのこと。そして花の魅力がなんとなく分かってきた。
「貰って嬉しくない人はいない」
「部屋が明るくなる」
「ただそこにあるだけで良い」
そう、私にとって妻の笑顔こそが「花」だ。
ノロケ話、いかがでしたでしょうか?
予定通り、このエッセイは2ヶ月の間、投稿休止させていただきます。
ここまでのお付き合い、ありがとうございました。読んでいただいた皆様に花束をおくりたい気分です。
花屋へのオーダーは「海よりも深い感謝と、笑ってくれてありがとうという気持ちを、コミカルに表現した花束」ですかね。
再開は2021年10月10日の予定です。
また、お会いできる日を楽しみにしております。
たんばりん




