小説好きは動かない
2021年 恋愛小説を読んだ時のお話
恋愛小説を読んだのだった。
小説といってもその実、小説投稿サイトにあった膨大なお話の中の数編だ。大雑把に感想を言えば面白い、そして分かりやすい。ヒーローヒロインの想いが読者に伝わるように、馬鹿みたいに簡単に言葉にする。
「なに言ってんのよ!私が好きなのはあな、、、、なんでもないわ!」
そんな事を顔を真っ赤にして言われれば、誰でも好意に気付いてしまうではないか!なんて迂闊な奴、本当に隠す気があるのか。あざとすぎやしないか。それなのにだ、主人公ときたら全く気付きやしない。どうなっているのだ、現実世界ならそんな態度に業を煮やして立ち去る女性がほとんどだが、小説の中の女性はあきれるほど一途だ。
これはいけない。現実の女性へのハードルがどんどん高くなるではないか。
明治の時代には「女性はつつましく、好意を口にするなどはしたないこと」だったのが、令和の時代には「女性は好意を口にしても、意中の男性に気付かれもしない」になったのだった。現代女性の苦労を考えると涙が止まらない。
人は周りの環境を「標準」としてしまう向きがある。
私の友人に「会う女性が地味」で好きになれないという男がいたのだった。地味とはどんな女性なのか、と聞いてみれば至って普通の女性だ。友人の好みを聞き出してみると、どうやら友人の「標準」が見えてきた。
キャバクラ嬢だった。
ばっちりメイクに、全身着飾り、気遣いが出来て、トークもうまい。キャバクラ嬢の素晴らしさを熱く語る友人。
そりゃ仕事だからだよ!給料のうちなんだよ!普段は地味子ちゃんなんだよ!!
キャバクラ通いを続ける友人の中で、いつの間にやら「キャバクラ嬢」が女性の標準になっていたようだ。そりゃ一般女性が地味に見えるわけだ。なれば恋愛小説を読んでいる男は「わかりやすく好意をさらし、そっけなくしても一途に思い続け、自分の意を汲んでくれる」女性が標準だと思ってしまうのではないか。
世の中の女性たち、ご愁傷様です。
いつの間にかこの世界は、恋する女性にとってハードモードになっていたようだ。小説と現実の区別くらいつく!と人は言うが悲しいかな、私はいくつもの事例を知っている。
その男は実家に帰るたび、知り合いの女性と2人きりで飲みに行くのだった。デートではない!と頑なに言うがどう見たってデートではないか。
「振られるくらいなら今のままが良い」
そうか、好きなんだな。だが彼女も同じ思いであれば、告白は男側が担ってやるべきではないか。しかし彼は言ったのだった。
「もうちょっと、ハッキリした好意を見せてくれたら動けるんだけど、、、」
恋愛小説の毒にやられた男がそこにいた。2人きりで飲みに行くのが好意でないのなら、好意とはいったい何だというのか。
もう一人例を出そう。
40を超えたその男は、幸せな事に一回り以上年下の大好きな彼女ができ、順調にデートを重ねていたが、1年たっても手もつなごうとしないその消極性に見切りを付けられ、別れを切り出されたのだった。その時点ですでに挽回の余地はなく、彼は現在も独り身を貫いている。
完全に受身ではないか。残念だが現実の女性は待ってはくれないのだった。
皆、恋愛小説の毒が全身に巡り、取り返しのつかない事になったのだ。恋愛小説のヒロインを標準にしてはいけない。無論キャバクラ嬢もいけないし、アイドルもいけない。幼女は、、、別の意味でダメだ!
男ども!肝に銘じるのだ!
最後までお読みいただきありがとうございました。
「G.W.集中投稿作戦」完遂です!
これにて通常の投稿頻度に戻りますが、
今後ともおつきあいしていただけるとうれしいです。




