迂闊なヒーロー
1993年 校外学習に出かけた時のお話
人に親切にするのが好きだ。
しかしどこかの宗教団体のように世界平和を願っているわけではない。むしろ世界平和などはどうだって良い。マンガのヒーローのように正義感に燃えているわけでもないし、他人の幸せを願っているわけでもない。ましてや人によく思われたいからやっているのでもない。
ではなぜ人に親切にするかというと理由は簡単明瞭「そういう行為が好きだから」である。つまり自己満足なのだ。ナルシストだったのか、私。
とはいえ親切が評価されれば、とてもうれしいものだ。どんどん持ち上げてほしい。そんな想像を思い描いてしまうのは人として仕方がないことではないのか。
ひょっとすると新聞記事になったりしないか。会社で表彰されるかもしれない。すぐにウワサになってしまうだろう。家族はどう思うだろうか。友達は?弱ったぞ、これではみんなに憧れの目を向けられ、かわいいあの娘に告白されてしまうかもしれないではないか。そんなつもりは全然ないのになぁ、ああ、困った。ヒーローと呼んでも、いいぜ?
しかしいつだって世間の人々は小さな親切に無関心だった。だがヒーローにとってはそれが幸いするだろう。
もし電車で席を譲った後、その話で持ち切りになったりしたら大変だ。ジロジロ見られてしまうじゃないか。そんな中では迂闊にしゃっくりもできやしない。しゃっくりが止まらないヒーローでは幻滅されかねないし、ポカンと口をあけて眠ってしまうのはもっといけない。ピンクのシャツにファンキーなキャラクターのアップリケをつけるなどもっての他だ。こう考えると、ヒーローに迂闊な行動は禁物だということに気付かされる。
まだ学生の頃、学校行事で川に校外学習へ出かけた時のことだ。
規定されたイベントが終了しのんびりしていると、なにやら上級生が団体で走り回り始めた。何かと思えば「全校生徒の中からランダムに決めたターゲットを捕まえ、担いで川に放り込む」というお遊びが始まったのだった。どうやら毎年恒例の行事らしい。
次々に被害者が出る中、ある女生徒が川に投げ込まれた。下級生達は次に自分が狙われるのが嫌で上級生達を目で追うばかりで声も出さない。投げ入れられた生徒はずぶ濡れで、次々に川から上がってくる。だが、その女生徒は水に浸かったまま動く気配がなかった。
怪我でもしたのか?と思ったがすぐに違うことが判明した。
女生徒は白いTシャツしか着ておらず、下着のラインが丸見えとなり、恥ずかしくって出てこられないのだ。
私の中のヒーロー願望がうずく。
すぐに自分のバスタオルを持って駆け寄ると、女生徒の頭にかけてやりながら言うのだった。
「ホラ、使えよ」
私はこういう恥ずかしいセリフを平気で言える男だった。
しばらくするとその女生徒は、友達を伴って私の元へやってきた。
おや、ホレさせてしまったか?無理もない、さっきの私はヒーローだったからなぁ。告白されたらどうしようか。こんな衆人環視の中で告白とは困ったなぁ、なんて返事をしよう。当たり前のことをしただけさ、か、いやいや、カワイイ君に風邪をひかせるわけにはいかない、これだな!
「ありがとう、これ、洗って返すね」
女生徒はごく当たり前のことだけを伝えてきたのだった。そうですか。
落胆した私は、たいして考えもせずに言ってしまった。
「いいよ、洗わなくても」
バスタオルを受け取ろうと手を差し出す私に、女生徒たちは厳しい顔を向ける。彼女は何も言わなかったが、彼女の瞳は雄弁に語っていた。
「あたしが体拭いたタオルで、あんた一体何しようっていうのよォ!?」
この日、私は「ヒーロー」から「変態」にジョブチェンジした。
ヒーローたるもの迂闊な事を言ってはならない。
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