有能なやつから消えていく
ネジ工場で働く俺は最近ある事で悩んでいた。
同僚の酒井とソリが合わないのだ。
そいつは新卒でこの会社に入ってきたエリート様で、生産技術とかいうよく分からない役職についていた。対する俺は期間工から登用された口で、明らかに出世は見込めない。年は同じだが給料もかなり差があるのを知っている。まあ、要するに嫉妬だ。
「よう袴田。今日の夜空いてるか?」
件の同僚から飲みの誘いだ。
俺は基本的に断らない。飲みニケーションは時代遅れだとか言われているが、俺の処世術としてはまだまだ現役なのである。
「空いてるよ」
「よし、じゃあ今日は駅前の焼き鳥屋な」
酒井は現場の人間を誘うときは決まってリーズナブルな店を選ぶ。そして、こいつは奢ったりしない。賢い選択だ。俺たち下々の民は見下されるのを何より嫌う。高い店に付き合わされるのは嫌いだが、これみよがしに奢られるのはもっと許せないのだ。こいつはその辺の気遣いはほとんど完璧だった。
その場での会話はそれっきり。業務中の私語は長々としていると上司から睨まれるのだ。
きっかり8時間の勤務を終えて焼き鳥屋に向かうと、流石に酒井はまだ来ていなかった。店の前で適当に待っていると、期間工の奴らが集まってくる。期間工はひょろがりのコミュ障、いかにもなヤンキー、早期退職で前の会社を追い出されたおっさんの3通りしかいない。ちょうど3通りのやつ二人ずつ、計六人が集まると、遅れて酒井がやってきた。八人は飲み会としては微妙に多いが、まあいいか。
「遅れてすまん! みんな集まってるみたいだな。とにかく入ろ
店内の座敷に上がると水、おしぼり、割り箸の三種の神器が配られる。適当に手を拭きながら全員ビールを注文した。俺はレモンサワーの方が好きだが、初めの一杯だけは周りに合わせてビールを飲む。これが社会人ってやつだ。
乾杯をして酒が入ると口も回る。
工場勤務の話題と言えば上司の悪口しかない。うちの工場長は波平スタイルのおっさんで、とにかく怒鳴る。手が止まってるだの、私語は慎めだの、細かい事で怒鳴り散らすのだ。当然現場の人間からは受けが悪い。
それぞれが工場長の悪い点を好き放題言い始め、酒井はそれにうんうんと相槌をうつ。
なるほど、こうやって人心を掌握するわけだ。
一通り悪口が出揃うと、待ってましたとばかりに酒井が口を開いた。
「うちの工場長はとにかく頭が固い。学校じゃないんだから、ちょっとした会話で怒鳴りつけるようじゃみんな萎縮してしまう。そんなんじゃかえって作業効率が落ちるだろう」
『そうだそうだ!』
おっさん組が合いの手を入れる。
「俺は、工場長に意見してみる事にした。でも、若造の俺が何かいうだけじゃ、あの人が素直に聞き入れるとは思えない。だから、みんなの力を貸してほしい」
なにか雲行きが怪しくなってきた。
酒井の提案はこうだ。
・酒井が工場の改革案を作る。
・現場の人間から改革案への署名を募る。
・全員分の署名を集めたら工場長へと提出する。
なるほど、実現すれば労組の要求もどきが出来上がるわけか。うちの工場は期間工向けの労組が骨抜きにされて機能していないから、その代わりのつもりなのかもしれない。
流石に全従業員の署名があれば波平のおっさんも話くらいは聞くだろう。ストライキだって脳裏をちらつくはずだ。工場は稼働率が命。それが待遇の不満で止められたとなれば、工場長も首が涼しくなってくる。
すげえなこいつ。
そう素直に思った。同い年なのにこいつは年上を扇動して、上司と社内政治で戦おうとしている。俺にはそんな事できない。ああ、お前は間違いなく俺より有能だよ。
「袴田も賛同してくれるか?」
「サインくらいいくらでも書くよ」
「おお、お前が味方してくれりゃ百人力だ!」
そんなバカなことあるかよ。ちょっと面白れえじゃねえか。
なんだか話が大きくなったところでその日はお開きになった。
数日後、酒井は期間工全員の承諾を取り付けたらしく、ずらりと名前がはいった紙をもって俺の前に立っていた。最後は俺というわけだ。まいったよ、こいつは俺の性根をしっかり見抜いてやがる。
「ほら、みんなの署名は集まった。あとは袴田だけだ」
「お前には敵わないな」
ここで拒否ったら裏切り者扱いだ。断れるわけがない。スラスラ書いて返してやると、満面の笑みを返してきた。
「これから出しに行くのか?」
「ああ。こういうのは勢いが大事だからな」
「乗りかかった船だし、俺もついてくよ」
そう言うと酒井は意外そうな顔をした。
「それは心強い」
今は昼休憩だから工場長は食堂で飯を食っているはず。俺は酒井の後ろにひっついて行く事にした。気分は金魚のフンだ。
食堂につくと工場長が一人で飯を食っているのが見えた。酒井はまっすぐと工場長の背中に立つと、でかい声をあげた。
「お時間よろしいですか!」
よろしくはねえよなと思っていたら意外にも返事は「いいぞ」だった。
「この工場を良くするための改革案です!」
ズバッと紙を差し出す酒井。どうやら改革案を先に見せるらしい。工場長は無言でそれを受け取ると、中身を一瞥して机に置いた。
「話はこれだけか?」
「いえ」
今度は本命の署名を差し出す。工場長も流石にそれには面食らったらしい。先程のように放り出すこともなく怪訝そうな表情を見せた。
「ここは学校じゃない。だから、生徒指導みたいな締付けは今どき必要ないんですよ」
酒井が言うと工場長の禿げた頭に血管が浮かんだ。
「若造がなめた口きくじゃねえか」
「正しい事を口にしているだけですから」
バチバチの対立だ。
目線だけで火花が散ってもおかしくない。
「どうですか、それ」
ここで俺が口を挟むと、しぶしぶといった感じで波平が答える。
「話にならんな」
そんな事を言うが、周囲には続々と集まる期間工達の視線がある。まさかつっぱるだけというのも難しいはずだ。そこで俺の出番がくる。
「じゃあ、試しにいくつかやってみるというのはどうですか。ほら、この作業中ラジオをかける、とか。三ヶ月くらいやってみて業績が落ちるようならやめればいいですし。逆に効果ありってなれば、他のやつも取り入れる。それなら問題ありませんよね」
「……」
俺が言ってるのは試用期間みたいなもんだ。お試しでやってみて、だめならポイ。落としどころとしては悪くないはず。
工場長はしばらくだまりこくっていたが、やがて目を見開くと、「袴田の言う通りやってみよう」の約束した。酒井と言わなかったのはプライドが許さなかったのだろう。
次の日から工場にラジオが設置された。夜勤にオールナイトジャパンが聴けるとあって作業員からの評判は上々。一月目の実績は前月比120%を記録した。
ライン工はひたすら同じ作業を何時間も繰り返す。単調な作業を時間の感覚が麻痺するほどしていると、人間だれしも精神が参ってくる。ラジオの導入はその解消にもってこいだった。
望外の結果に酒井は鼻を高くし、工場長へ他の案も採用するようにと持ちかけたが拒否された。期間工たちはこぞって酒井を持ち上げ、工場長が酒井ならいいのにと口々に言った。あのハゲは結果が出たのにまだ自分の間違いを認めねえ。そんな感じの空気が工場に流れていた。
しかし、酒井が有頂天でいられたのもそこまでだった。
ニヶ月目の実績は前月比80%、三ヶ月目は90%とむしろ効率が落ちていったのである。
半年後、酒井は逃げるように会社を辞めていった。
捨て台詞は「どいつもこいつも馬鹿ばっかりだ!」という救いようがないもので、俺は暗い自尊心が満たされてご満悦だった。
酒井が退職した日、俺は工場長室に呼び出された。
「失礼します」
「おう、よく来たな。まあ座れや。いい話だ」
俺は言われた通り客用のふかふかソファーに腰掛けた。
「お前のおかげてあのアホが辞めることになったから、お前にはご褒美をやろうと思ってな。本社に掛け合ってやったんだから感謝しろよ。ほら、辞令だ」
「ありがとうございます」
雑に渡された封筒には辞令の文字が目立っている。中をあらためるとそこには昇進した事が書かれていた。
「それにしても、一月目はどうしたもんかと冷や冷やしたぞ」
「ああ、あれですか。最初はどいつも『酒井のため』とか言って張り切ってましたからね。ちょっとくらい業績上がっても不思議じゃないですよ」
「だが、それなら三ヶ月目で元より効率が落ちたのはどういう事なんだ?」
「ああ、それっすか。単に、ラジオだの音楽だの聞きながら作業したら効率落ちるってだけですよ。俺が社員登用される前も似たような事やって、結局効率ガタ落ちでやめた事があるんです」
音楽くらいで効率が上がるならとっくに会社はやっているのだ。特にライン工は効率を上げることに血眼を上げている。簡単な改善案ならだいたい既にやっているか、やってみて止めている。酒井はそれを知らなかっただけだ。
「なるほどな。ラジオ案は失敗するって知ってたわけだ。じゃあ、他の案もそうだったのか?」
「いや、他はやってみないとわかりませんね。全部が全部うまく行くとは思いませんけど、中には良さげな案もあったんじゃないですか?」
「おいおい、じゃあなんでラジオ案で試したんだ?」
そりゃもちろん。
「あいつが有能でムカつくからに決まってますよ」
この会社は有能なやつから消えていく。
いや、本当に有能な奴は俺みたいな二流に嵌められたりはしないか。酒井、お前も所詮は二流だったって事さ。
この話に全くの無能もいなければ、完璧な有能もいません。それぞれに長所と短所があり、それとどう向き合っているかという違いだけがあります。
現実でも足を引っ張られる事はありますし、かと言ってこちらが同じ事をすると仕事が回らない。
世の中ままならないなと感じたことをぶちまけた短編でした。