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5-3 キリクとクリス

 キリクはもともと、陸軍の一般の連隊に入るつもりだった。実際、軍門を叩いてすぐは、第三連隊は歩兵第一小隊に配属されて、上官に散々しごかれた。ほかの新兵と同じように、時には血をぬぐって涙をのみながら、見習いの訓練を終えた。しかし、それよりひと月ほど経った休日の朝、唐突に告げられたのである。「休み明けから皇室師団の配属になる」と。


 驚きと戸惑いの中、それまでと一味違う皇室師団に放りこまれ、再び「見習い」として訓練せねばならなくなった。とはいえ、訓練の内容はもともといた隊とさして変わらない。彼は銃器の扱いをよく褒められていたが、不思議とすなおに喜べなかった。今までほど厳しくないが、今までより淡白な日々が続いた。同期の兵士たちとうまく馴染めず、いつも一人だった。


 あの日も、一人で射撃場から食堂に向かおうとしていたのである。やかましい足音がするな、と思ったら、隣に誰かが追いついてきた。わざとらしい追いすがり方だった。キリクは足音の主を追い払うため、わざと強くにらみつけようとしたのだが、その試みがなされることはなかった。その前に、耳が痛くなるほどの大声で話しかけられたので。


「あ、あのっ!」


 少年の声はまだ高い。ぎりぎり変声期を過ぎていたキリクは、懐かしさとやかましさを同時におぼえた。耳の奥がきんきんする。思いっきりしかめた顔を上げた。


 そばかすだらけの顔の少年が、大きな目をさらにみはってこちらを見ている。そのあまりの眼力に気圧されて、キリクは壁の方へ半歩ぶん逃げてしまった。


「な、なんだよ、いきなり」


 キリクはとげとげしく訊いたが、少年はすぐには返してこなかった。キリクの方に穴があきそうなほど凝視したあと、顔をぐっと近づけてくる。赤茶けたくせ毛が揺れて、キリクの額を少しくすぐった。キリクがさらに語気を強めて「言いたいことがあるんなら言えよ」と怒れば、彼はやっと口を開く。


「君、実家が軍人家系だったりするのか? それとも武器商人?」

「……はあ?」

「だって、すごく銃の扱いがうまいからさ!」


 気を削がれて呆然とした後、キリクは納得して小さく息を吐いた。そういえば――この赤毛の少年は、先ほどの訓練で散々な結果を叩きだし、副隊長にしごかれていた気がする。


「家は軍人家系でも武器商でもないよ、別に」


 ふうん、と少年は小首をかしげる。疑われているような気がするのはなぜだろう。その反応は心外だったが、キリクそれを言わなかった。代わりに、提案を舌に乗せる。


「銃のこと、教えてやってもいいけど」


 提案した理由は、特にない。本当に、ただの気まぐれだったのだ。

 相手が目を輝かせたのを見て、ああ、やってしまった、とは思ったが、発言を撤回する気にもならなかった。勢いづいた少年を止めるように、顔の前で両手を広げる。


「ただし、基本操作と手入れのことだけな。射撃なら、俺よりもうまい人がいくらでもいるだろ、ここ」

「けど、隊長はへたくそだって言ってたよ」

「……ま、隊長はもともと古い武家の出だからな」


 騎士の家で、剣や槍は学んでも、銃器の扱いは学ばなかったろう。銃じたい、歩兵に普及しだしたのは最近なのだ。


 それはともかく、少年に今度銃器についての講釈をする、と投げやりに約束した。その際、成り行きで名前も教えた。すると、少年はまた目を見開いて、汚れを知らぬ幼子のように笑ったのだ。


「そうか、キリクか。俺はクリストファー・ノーマン。よろしく!」

「クリストファー……クリスでいいかな。長いから」


 キリクがため息混じりに言えば、なぜかクリストファーは感激したふうにうなずいた。


「キリクとクリスって、なんか兄弟みたいだな」

「なんだそれ」


 ぶっきらぼうに吐き捨てつつも、キリクはかたくなな口もとにかすかな笑みを浮かべていた。早くもこの少年に感化されかけているらしい。思いのほか単純な自分に呆れたが、悪い気はしなかった。


 これが、キリクとクリストファーの出会いだった。彼ら二人が友人になるまで、さして時間はかからなかった。



     ※



「なんで、こんなことになってんだろうな……」


 クリストファーの動きをうかがいながら、キリクはひとりごつ。


 彼と初めて出会った日には、まさかこんな展開になるとは思っていなかった。それも、キリクの方だけだったのだろう。クリストファーは最初から、セルフィラ派の導師として軍部に身を潜めていたのだから。キリクに近づいたのが意図的なことなのか違うのかは定かではないが、どちらにせよ、いずれ道を違える運命だった。それだけのことである。


 穏やかな静寂は、すぐに通りすぎた。再び、クリストファーの剣が風を切り裂いく。それでいい、キリクは冷えた頭で思った。兵士なら誰もが持っている素朴な剣は、けれど尋常でない勢いで振るわれていた。キリクは内心舌を巻きつつ、顔に出さぬよう努める。剣先から、相手の腕の動き、足の動きまでをできる限り観察し、一歩、一歩、足を動かした。少しずつ後ろへ下がり、すれすれのところで剣戟をかわす。いっとう強い斬撃が打ちおろされ、キリクは慌ててのけ反った。


「逃げないでくれよ。せめて、痛い思いはさせたくないんだ」


 銃撃と魔力が天地を穿つ。轟音の嵐の中で、彼のささやきはなぜかまっすぐキリクの耳に届いた。とっさにひとつやふたつ言いかえしたくなったが、キリクは口をつぐんで、耐える。眉ひとつ動かさず、ただクリストファーの剣を避けながら跳び続けた。


 数を数える。頭の中に、ここへいたるまでの風景を正確に描き出しながら。


 白刃が、また風を切った。キリクは寸前で頭をひねり、突きをかわす。


 軍服の裾が、とがったものに触れた気がした。かさり、と背後で響く音。


――今だ、と胸中で叫んだ少年は、瞬間、導師に背を向けて、藪の中に飛びこんだ。驚きと怒りが入り混じった少年の声が、背を打つ。けれどもキリクはそれを無視して、がむしゃらに細い草をかきわけた。奥へと分け入り、木と木の間をくぐり抜け、やがて一本の大木の陰に身を隠す。荒くなった呼吸を整え、息をひそめ、ハシバミ色の瞳だけを大木のむこうへ向けた。


 銃声は遠い。夜をかいくぐって、ぱきりと枝の折れる音がした。クリストファーがこちらへ向かっている。おそらくは、いくばくかの怒りを両目にたぎらせて。寒々しささえおぼえる導師の気迫を思い出して、キリクは右手をにぎりこんだ。鼓動が早くなっていることに気づき、一度、呼吸を深くする。


 冷静になれ。これでいい。狙いどおりだ。


 何度も己に言い聞かせ、心身をただ闇にうずめた。


 足音はかすかだ。けれど、確実に近づいている。キリクは木の幹につかのま背を預け、喉を鳴らした。そこから先は物音を立てぬよう、自身の心をいましめる。


 帝国西部の夜は、概して冷える。そのはずなのに、キリクの首筋には汗がつたっていた。


 なじみ深い彼の息遣いが近づきつつある。キリクは木陰で少なからず驚きを噛みしめていた。歩調も、呼吸の律動リズムも、ほとんど彼の知るクリストファーのままだ。導師であってもそこまで偽り抜くことはできなかったのか、それとも、わざと偽らなかったのか。――考えても、詮無きことだ。そしておそらく、答えは「クリス」にしか分からない。


 今さら過去を求めても意味はない。今、キリクにできるのは、今までのすべてを終わらせることだけだ。


 思えば、声をかけるのはいつもクリストファーの方だった。キリクはそれを受けとめる側だった。いつも前後から声をかけられていたから、その前兆を、キリクの体はすべて覚えてしまっていた。こんなところでそれが幸いするとは、皮肉なものだ。


 キリクは沈黙したまま唇をゆがめる。だが、次の瞬間には木の幹から上体を跳ね起こし、大木の先へ体半分を乗り出していた。少年の瞳がこちらを向くより前に、上着の下から魔導銃を引き抜いて、安全装置を外し、両手で固定する。一連の動作に一秒もかからない。まっすぐに銃を構えた少年は、鋭く息を吐きだすと同時、引き金を引いた。


 やけに甲高い破裂音が空を揺らす。一瞬の反動。それとほぼ同時に撃ち出されたのは、薄緑色の結晶のようなものだった。それは鉛の銃弾よりすばやく飛ぶと、少年姿の導師の頬に一筋の赤い線を刻みつけた。


「キリク、おまえ……っ!」


 クリストファーの怒声がほとばしる。激情に体を震わせた導師は、相手への呼び方が兵士のときのものになっていることにすら、気づいていないようだった。彼はすぐさま長剣を捨て、腰から別の刃物を引き抜いた。投てき用に細く作られた短剣だ。古めかしい武器が、雲間から顔を出した月の光に照らされて白々と輝く。導師の手もまた、闇の中で浮き立った。キリクは、皮肉げな笑みを浮かべる。


「武器を取らずには、いられないよな」


 冷たい言葉に、クリストファーが頬をこわばらせる。彼が言葉の意味をのみこみきるより先に、奇妙に甲高い発砲音があたりの音をかき消した。


 緑色がちかりと光り、次にはクリストファーの体が揺れた。右腕から細い血が噴きだして、その手から短剣が滑り落ちる。


 わずかな間の、出来事の連続。キリクはそれをすべて見届ける前に駆けだした。構える前とは逆の流れで銃を上着の下にすべりこませ、後は駆ける。何度も強く地面を蹴り、ややして、短剣に手をのばそうとするクリストファーに、飛びついた。


 二人はしばらくもみ合った。導師の力強い腕は、何度も少年の体を突き飛ばし、引きはがそうとしてきた。それでもキリクは食らいつく。赤い頭を押さえ、すがりつき、投げられては跳ね起きる。ついには傷のある右腕を強引に押さえつけて相手の動きを止めた。うつ伏せになったクリストファーの上に乗り、左腕をねじって拘束した。


 草の音が途絶え、二人の荒い呼吸だけがこだまする。その短い平穏は、背後から届いた軍靴の(とどろき)に破られた。

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