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0 翼に会った日

割と軽率に『ラフィアの翼』のネタバレをぶち込んでいくので、シリーズ既読の方はご注意ください。

「やっぱりおれ、聖職者に向いてないと思うんだ」


 キリクは、硝子(がらす)のはまった窓をながめて、呟いた。


 曇った硝子のむこうでは、白い雪が静かに舞っている。対して、彼の背中側にある暖炉では、薪ぱちぱち爆ぜていた。

 どこまでも静かな空間。それをキリクと共有する少年は、膝の上に広げていた分厚い聖典を閉じ、目を丸くした。


「どうした、キリク。いきなり」

「いや。ずうっと思ってることを口にしただけ。だって、こういうふうに静かに過ごすのが、まず性にあわない。兄ちゃんとは違うんだよ」


 キリクは淡々と断言すると、両腕をぐっと伸ばした。退屈を全身で訴える少年に、兄は笑い声を贈る。


「まー、キリクくんは遊びたい盛りですもんなあ。でも、十二歳で向き不向きを決めるのは早すぎると思うぜ」

「いいじゃんか。面倒なんだよ、聖職なんて。教会はやる気に満ちあふれた兄ちゃんに任せて、おれは軍でも騎士団でも行くよ」


 キリクはあくびをかみころし、顔をしかめる。十二歳の少年には、教会を継ぐことの大事さというのが、いまいち分からなかった。ラフェイリアス教の浸透しきったこの帝国、教えを伝える神父も教会も、掃いて捨てるほど存在するのだから。


 それでも、キリクの視線の先で大人ぶって椅子に座っている兄のクランは、教会を継ぐ気でいる。昔から当然のようにそう触れまわっていて、気持ちは以前と変わらないらしい。穏やかな兄は、弟のささくれた態度を目にしても、顔を微妙にそむけて笑っているだけだった。


「おまえの気持ちはわかったから、今日のおつとめくらいはちゃんとこなせよ」


 しかし、そう言った瞬間、ゆるやかだった目もとがひきしまる。


 いきなりまじめになったクランの気配に、キリクは少しひるんだ。ため息をのみこみ、そのまま長椅子に身を投げ出すと、「わかってるよ」と冷めた声を返す。


 今いる山の麓には、小さな町がある。そこの教会の司祭である父から、息子二人に言い渡された、初めての「おつとめ」。それは、山頂の神殿に向かう人々の案内だった。父いわく、その人々は教会にとって何やら特別な存在なのだというが、キリクは詳しく聞かされていない。


 不安はある。疑念もある。それでも、断るわけにはいかなかった。


 雪はひらひら舞い落ちる。

 少年は、しばし落ちる白をながめていたが、ふいに目をすがめた。灰色の雲によってもたらされた静けさを打ち破るかすかな音に気づく。


「足音?」

「……いらっしゃったみたいだ」


 首をひねるキリクとは逆に、クランは安堵の表情で立ちあがる。聖典を文机に置くと、キリクに向かって手招きをしてきた。キリクは、兄の態度に少しむっとしつつも、大人しく後についていった。


 扉を開けて、踏みだす。とたん、冷たい風が肌を切り裂いた。ぶるりと震えたキリクはそれでも、空色の法衣をなんとか追いかける。クランはすぐに、麓からのびる道の方へ手を振った。人影が少しずつ、二人へ近づいてくる。影が色と形を持つ頃になると、キリクは思わず目を見開いた。


 やってきたのは六人。その全員が、クランと同じ年頃の少年少女だったのだ。学のある人間の顔つきをしているから、少なくとも田舎の子ではないだろう。キリクが驚いて立ちすくんでいる間に、兄が愛想よく六人を出迎えた。六人と簡単な挨拶を交わした彼は、キリクの方に体を向けた。


「私と、弟が、山頂までの案内をつとめさせていただきます」

「へえ、兄弟か。いいねえ」


 六人のうちの一人。亜麻色の、妙な帽子をかぶった少年が弾んだ声を上げる。猫を思わせる目が、くりくりと輝いた。その彼の帽子を背後にいた短い髪の少女が軽くはたく。


「こら、トニー! 初対面の人たち相手になれなれしすぎ!」

「やだな、ナタリー。俺に今さら礼儀作法を求めるのかい?」

「開き直るな。そして威張るな」


 この学生たちはどんな堅物だろう、と身構えていたキリクは、そのやりとりで拍子抜けしてしまった。口を開けば、なかなかどうして、気さくな人たちらしい。二人の会話をはたで聞いていた別の少年が緑の目を兄弟に向けてくる。


「すんませんね、騒がしくして。ふだんからこんな感じで。参っちゃうよなあ、もう」

「いえ」


 からからと笑う少年を前にして、クランは恐縮したように頭を下げる。キリクは一瞬、眉根を寄せた。今の兄は、いつも以上に腰が低い。彼はとりわけ、『特別な人』なのだろうか。キリクは考えこみそうになっていたが、ふと視線を感じ、思考を打ちきる。長い栗毛を風に遊ばせている少女が、キリクを見てほほ笑んだ。


「えっと、それじゃあ、案内よろしくお願いします」

「はい。こちら、こそ」


 ぎこちなく返したキリクは、つい少女をまじまじと見てしまう。無骨な長剣を佩いた少女は、けれど強そうに見えない。それなのに、キリクは、彼女を前にしてひるんでしまった。

 不思議な感覚は、いったいどこから来たのか。なぜ、自分は彼女にわずかな恐れを抱いたのか。少年が答えを見つける前に、短い山登りが始まってしまった。



 帝都の学生だという六人は、本当ににぎやかだった。


「にしても、静かすぎてぶきみな山だな。寒いし」

「そうですかね。私は、神秘的で、すてきだと思いますけど」

「いずれにしろ、決戦の舞台にはふさわしいじゃないか。身がひきしまる思いがするよ!」

「相変わらず前向きだな、団長殿は」


 かわるがわる口を開く彼らは、話し声を途切れさせることがなかった。たわいもない会話だけでなく、作戦行動についての話し合いのようなこともしていた。彼らについて詳しいことは知らないが、どうやら戦いにいくらしい。兄と並んで前を歩いていたキリクは、彼らの会話が気になってしかたがなかった。胸がうずうずして、何度も聞き耳を立てそうになった。けれども、出発前にクランから「あんまり盗み聞きするなよ」と釘を刺されていたため、高まる好奇心を苦労して押さえつけていた。


 彼らはきっと、ただの学生ではないのだろう。ただの学生ならば、辺境の冬山にいるわけがない。


 頂に神殿をもつこの山は、幸い標高が低い。登山はそれほどかからず終わった。急斜面の先に、巨大な白壁の神殿がそびえ立つ。何度か目にしているキリクでさえも息をのんで、足を止める、荘厳なたたずまい。兄弟に導かれた六人は、しばらく黙って神殿の威容を目に刻んでいたようだった。


 彼らは、ややして、兄弟にお礼を言うと、にらむように神殿を見た。


「さあて。明日は騒がしくなるぞ」


 緑の目の少年が、不敵にほほ笑んで呟く。彼の隣に立った栗毛の少女が、勇ましい顔つきでうなずいた。山頂を取り巻く空気が鋭くなる。キリクは戦場を知らないが、きっと戦場はこんな雰囲気なのだろうと想像できるほどはりつめていた。

 クランが、六人の前で恭しく膝を折る。無事を願う旨の言葉を告げたあと、静かに祈りのしぐさをした。


「皆様に、女神のご加護がありますように」


 そのときの兄は、別人のようだった。キリクは遠巻きに、息をのんで見ているしかなかった。一方、六人の中から進み出た先の少年と少女が、クランに対し、見事な返礼をしている。


 場を取り巻いた清浄な空気は、寒風にさらわれてすぐに消える。それじゃあ、と言って彼らが背を向けた瞬間、キリクは、呪縛が解けたかのように身を乗り出していた。


「あの!」


 飛び出た声は、キリク自身が思っていたより大きかった。六人とも、ぎょっとしたように動きを止めた。少年は羞恥に頬をそめたが、すぐ、気を取り直して表情を引き締める。


「お気をつけて。また、迎えにきますから」


 喉がからからに乾いている。激しい動悸をよそに感じつつ、なんとかそれだけを言いきった。学生たちはしばらく呆然としていたが、そのうちの一人、栗毛の少女が快活に笑った。


「うん。ありがとう。――行ってくるわ」


 そのほほ笑みは、純粋な少女のものでありながら、死を見すえた賢者のもののようでもあった。言い知れぬ神秘にキリクが息をのんでいる間に、彼らは神殿の方へ歩いていく。少年はただ、小さくなってゆく背中を兄とともに見送った。


 翌日、山頂で何があったのか、キリクもクランも知らない。ただ、その日は山頂付近で何度も光が瞬いて、奇妙な現象がいろいろと観測されたらしい。次の朝に二人が六人を迎えにいくと、神殿のまわりには数えきれないほどの穴があいていた。そして、六人の学生はぼろぼろだった。それでも一応、全員が生きていて、また晴れやかな表情だった。


 知らなくとも分かった。厳しい戦いが終わったのだと。彼らが勝ったのだと。


 兄弟は彼らに混じって笑い、少しだけ泣いた。うるんだ瞳で見つめた朝日は、神聖な黄金色に輝いていた。それが、最初で最後のおつとめの終わりを飾る光景だった。



 その後の日々は、今までとさほど変わらず、穏やかに過ぎていった。

 山でのおつとめが、印象的な出来事だったのは確かだ。それでもキリクは、神や宗教にどうしてもなじめなかった。何度も父には苦い顔をされたが、見ないふりをし続けた。


 やがて、少年は十五歳になる。彼らの小さな社会では、十五歳はもう大人だ。どんな仕事をするのか決めなければならなかった。そのとき、彼が選んだ道は――

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