出会い、少年は鍋をかき混ぜる
ちょっとだけ長くなりました。
会話中心なので、のんびりとお楽しみください。
「な~にが『君には弱者の心が分からない』よ!」
なにコロッと性悪令嬢に騙されてるのよ!
パーティーから放り出されるかよわい令嬢は、弱者じゃないんですかね!?
30分ほど経ったでしょうか。
私は心の中で文句を言いながら、どことも知れぬ森の中を歩いていました。
気配を消しながら、こっそりひっそりと。
私に戦う力はありません。
モンスターに狙われるのは極力避ける必要があります。
「思っていたより余裕ですね……」
必死に地図を頭に入れてきた甲斐がありました。
――殿下たち、大丈夫かしら?
殿下の真っ直ぐすぎる性格を補うように、私はもっぱら裏方の能力を磨いてきました。
王者の剣と言われる殿下の剣術は、不意打ちにはめっぽう弱かったのです。
常に周囲を警戒し、殿下が最大限実力を発揮できる環境を整える必要がありました。
――人のことを心配している余裕はありませんね
あんな目に遭わされたのに……。
ついつい心配してしまった自分のお人好し具合に、少しばかり嫌気がさします。
いっそ私が本当にイリアの言うような悪女であれば、ここまで損することなく立ち回れたのでしょうか。
「そうです。あんな人たち、知ったことではありません。
不意打ちを喰らって、全滅してしまえば良いんです」
小さな呟き。
甘さを捨て去るように。
自分自身に言い聞かせるように。
着々と森の出口に向かっている自信はあります。
誰も知らない土地で身一つ。
森を出てからどうするか。
今後どうやって王都まで戻ろうか。
考えることは山積みでした。
◇◆◇◆◇◆
さらに歩き続けること半日。
「さすがにきついですね……」
これだけの距離を、モンスターの気配に気を付けながら歩き通すというのは、なかなかの重労働でした。
パーティーメンバーもいないので、下手すると夜間も休憩を取れそうにありません。
かといって、夜の森を歩き続けるのは自殺行為ですよね。
「……本当は避けたいですが。
木の上で一晩過ごすしかないですかね」
木をわざわざ登ってまで餌を探す生物は少ない。
だから地上よりは安全なはず……正直、気休めレベルではありますが。
そんな昔読んだサバイバル本の知識を脳内から引き出します。
人生、知っておいて損することは何もありませんからね。
面倒なことを何かと押しつけてくれた、殿下のお陰とも言えます。
……これっぽっちも感謝する気にはなりませんが。
そんなことを考えていると
「あら……?」
ふと前方から、何とも言えない良い匂いが漂ってきました。
煮込まれた野菜と香ばしい調味料の合わさった、何とも食欲をそそる匂いです。
――この演習中に? なんのために森の中で?
なぜ森の中で、目立ちそうなことをしているのでしょう。
あれでは、モンスターに襲ってくださいと頼んでいるようなものです。
さすがに今回の遠征に参加している学園の生徒が、モンスターを集める愚かな行為をするとは思いたくありません。
そんなことをしでかしたら、それこそパーティーから追放されても文句は言えないでしょう。
「冒険者のルーキーが紛れ込んだのでしょうか?」
それもあり得ないはずです。
今この森は、遠征のために学園で貸し切っているはずですから。
そっと回れ右することもできました。
論理的に考えても、相手の正体も分からないのに接触することは得策とは言えません。
安全を取るなら、すぐにでも立ち去るべきでしょう。
それでも……。
なぜか私は、その匂いのもとにフラフラっと吸い寄せられるように近づいてしまいました。
食欲から?
それとも……パーティーを追放された人寂しさから?
理由は分かりません。
◇◆◇◆◇◆
「誰だ?」
匂いをたどって近づくと――
視界に映ったのは、学園の制服を着た私と同い年ぐらいの少年の後ろ姿。
こちらに背を向けたまま振り返りもせず、一心に鍋をかき回しています。
ああ、美味しそう……
じゃなくて。
「エルネスティ・マリアンヌと申しますわ」
重要な課題である遠征の最中に、この人は何をしているのでしょうか?
「何だってこんなところに?」
「それはこちらのセリフです。
どこの誰だか存じませんが、こんな所で何をなさっているんですか?」
グツグツと沸き立つ鍋からは、良い匂いが漂ってきます。
ここ半日歩き通しだった身には、なかなか魅力的な匂いではありますが……
「見て分からないかい? 鍋を作っているのさ」
「見れば分かります。
なんでこんな場所で鍋を作っているんですか!?」
わざとやってるんですかね?
「そんなところで火を起こしたら、モンスターを呼び寄せます!
それにその匂い、遠くまで漂ってました。
学園で学ぶまでもない常識ですよ、それこそ子供でも知ってる常識ですよ!」
思わず大声を出してしまった私に、
「マリアンヌ嬢……」
「何ですか?」
「あまり大声を上げると、モンスターをおびき寄せる。静かにしてもらえないだろうか……」
困ったようなのんびりとした声。
「誰・の・せ・い・で・す・か!」
どこまでもマイペース。
まったくペースが一向に掴めない人です。
いまだにこちらに視線を向けもせず、鍋をかき回し続ける集中力には驚かされます。
まったくもって見習いたくはないですが。
「まあまあ。そうだ、せっかくだし一緒に食べないかい?」
「……結構です。持ってきた保存食がありますので」
注意しておきながらご飯はもらうというのも、恥ずかしい気がしますね。
断ろうとした私ですが、体は正直です。
空腹を訴えるように、グゥっとお腹が音を発しました。
「我慢する必要はないよ?」
「分かりました、いただきましょう」
――変に意地を張っても仕方ないですね。
あっという間の手のひら返し。
……次期王妃としての責任から、今までは我慢に我慢を重ねる生活でした。
少しぐらい自らの欲望に正直に生きてもバチは当たらないでしょう。
私は、彼の正面に移動して
――どこかで見たような気がしますね
小首をかしげました。
鍋を美味しそうに食べる少年は、瞳をキラキラさせ無邪気な表情を浮かべています。
特徴的な白髪に、エメラルドグリーンの瞳。
どこかで見たような気がしますが、思い出せません。
そんなことよりも、今は目の前のお鍋です。
――本当に美味しそう。
「お待ちどうさん」
彼はどこからか器を取り出しました。
手際よく鍋をよそうと、こちらに渡してきました。
「ありがとうございます」
思っていたより、遥かにお腹が空いていたようです。
パーティーから追放され、危険地帯を1人で彷徨っていた今まではいわば緊急事態。
アドレナリンがドバドバと出ていた状態です。
こうして落ち着いてみると、一気に食欲が戻ってきました。
「こんなにあるからな。慌てる必要はないぞ?」
美味しい――!
匂いから予想していましたが、これほどまでだとは……!
わき目も振らず、ぺろりと平らげてしまいました。
そんな私の様子を、目の前の彼はどこか呆れた様子で眺めていました。
……今までならこんな食べ方は決してしませんでした。
「……こほん。美味しかったです、ごちそうさまでした」
「おかわりもあるぞ」
非常に魅力的ですが、これ以上はNGです。
見ず知らずの人とはいえ、いきなり食いしん坊イメージを持たれるのは遠慮したいところです。
婚約破棄された公爵令嬢。
すでに名誉は地に落ちたと言っても過言ではないですが、それとこれとは話が別です。
「……お気遣いありがとうございます。もう大丈夫ですよ」
「そう? 食べ足りないと顔に書いてあるよ?」
……先ほど、自らの欲望に少しだけ素直になろうと思ったばかりでしたね。
たまには素直に生きても良いかもしれません。
「……では、もう少し」
それにしても、この方は誰なのでしょうか?
今回の遠征にあたっての、パーティーメンバーもいないみたいですし。
「そういえばパーティーメンバーはいないのですか?」
「ああ……それはだね…………。
というかマリアンヌ嬢? 僕を見て、本当に誰か分からないのかい?」
そう言われても……
顔をじーっと眺めながら記憶を探りますが
「申し訳ありません。見覚えはある……ような気もするのですが。
どこかでお会いしましたかね?」
見覚えはあるのですが、さっぱり記憶に引っかかりません。
同じ学園に通う学友です。
どこかですれ違ったことはあるのでしょうが……。
言ってみればそれだけですし、名前と顔が一致していないことぐらい許して欲しいです。
「まあいいか」
鍋少年は、苦笑しながらそう呟きました。
「僕にパーティーメンバーがいるか、だっけ?」
私は黙って話の続きを促しました。
「パーティメンバーは僕1人、余りものだね。
この学園は、実力主義だから。
コネでパーティーを作り上げることはできない」
ヴォン殿下のもとには、学園でもトップレベルの者たちが集まっていましたね。
ヴォン殿下の友達と婚約者の私、そして殿下に溺愛されていたイリア。
「……変人・奇人と呼ばれる厄介な変わり者。
僕に対する評価は、決して間違ってはないからね」
「演習の最中に、堂々と匂いを発する調理をしていましたからね……。
否定はできないです」
「こんな僕でも、ケガでもさせようものなら責任問題だ。
さぞ扱いにくいだろうね……」
――責任問題?
どうやら相当に高位の貴族なのかもしれません。
それを言うなら、私もそうなのですが。
「もとから1人だったんですね。
てっきり、パーティーから追放でもされたのかと思いましたよ。
料理で足を引っ張ってパーティー追放。笑い話にもなりませんね。
……いただいた以上、料理は止めませんけどね」
「さすがに場所は選ぶよ。
寄ってきたモンスターなんて、片っ端から切り捨てれば良い。
餌に釣られて寄ってくるモンスターなんて雑魚だ。
相手にもならない、新鮮な食材だ」
命の危険もあるモンスターを、まさかの食材呼ばわり。
決して強がっているわけでもなく、それが彼にとっての日常なのだろうなと思います。
自然体。貴族特有の自分をどう見せようか、という打算をまったく感じません。
「あなたにとってはそうでも、他の方にとっては違うでしょう。
……そんなことをしているから、パーティーを組むことすらできない。
結果として、1人で鍋をつついているのでは?」
「否定はできないね。
まあ、それならそれで良いじゃないか」
――他者の評価をまったく気にしないからなんだろうな
変人・奇人の評価をありのまま受け入れ、それでなお自分の道を歩き続ける。
今までの私には理解できない考え方です。
受け入れられる努力をしないのは逃げでしかない。そんなものは無価値だと。
こんな状況でなければ、鼻で笑っていたかもしれません。
「決められたやり方に従うだけじゃ、見えないこともあると僕は思ってるからね。
これまでの道は、僕が自分で選び取ったものだ。
ならその結果もどんなものであれ、納得して受け入れるべきだ」
周りの期待を背負い、自らの欲求を殺し続けた私。
その答えとして与えられた婚約破棄という結末は。
おまけのように突き付けられたパーティーからの追放。
「素敵な生き方ですね……」
ポツリ、と言葉から出てきたのは素直な感想。
目の前の少年の生き方は、まるで私の生き方とは真逆です。
「君がそう言うのは意外だね。
『受け入れられる努力をしないのは逃げです』とでも言うかと思っていたよ」
「あなたは、ずいぶん私のことを知ったようなことを言うんですね」
内心をずばりと言い当てられました。
貴族社会に生きる令嬢としては、一般的な物言いなのでしょうか。
「こう言ったら失礼かもしれないけど。
まあ……どこにでもいそうな、貴族らしい貴族だとは思ってたよ」
どこにでもいそうな貴族……ですか。
なんとなく面白くない表現です。
ムッとしたまま、鍋に手を伸ばしました。
そこで「まだ食べるんだ……」とか、そんなしみじみと言わないで欲しいです。
貴族としてとか、変人・奇人であるとか、それ以前の問題として。
ただただ人として、普通にデリカシーに欠けています……。
◇◆◇◆◇◆
目の前には空になった容器。
遠慮を捨て去った私の3度のおかわりにより、鍋はすっかり空になりました。
目の前で「明日の朝食が……」とショックを受けているみたいです。
ごめんなさい、美味しかったのでつい……。
でも止めなかった方も、ちょっとは悪いです。
今の私は"遠慮" "慎み"なんて言葉を投げ捨てた、心に素直に生きるダメ令嬢です。
遠慮しないで食べてね、と言われたら食べつくすまで止まりません。
「そういえば、さっきはパーティーから追放とか言ってたよね?
なぜそんな誤解が生じたのかは分からないけど、最初に出てくる発想じゃない」
突然、そんなことを聞かれました。
それは少々答えづらい質問です。
"真っ先に追放という発想が出てきたのは、実際に追放された直後だから"
もちろん悪いのは、私ではなく、ヴォン殿下やイリア。
そう思っていても、パーティーから追放されたということは率先して話したいものでもありません。
返事をしない私をよそに、目の前の少年は言葉を続けます。
「演習中、1人で彷徨ってる人を見つけたら。
普通は"パーティーからはぐれた"ことを疑うと思うんだ」
――それなのに、君は最初に"追放"と言った。
なぜだい?
そう問われて、返す言葉もありませんでした。
真っ先に「パーティーから追放」なんてことを言い出すのは、実際に追放されたことがある人ぐらい。
「ええ。あなたのご想像の通りだと思います。
殿下から直々に『居てもいなくても良い』と言われて追放されました。
婚約破棄まで言い渡されましたよ。
……殿下の心をつなぎ止められなかった私を、無様だと笑いますか?」
すでに目の前の少年には、自らの名前を名乗ってしまっています。
ヴォン殿下と婚約しており、今回もパーティーメンバーとして同行していたのは周知の事実のはずです。
自嘲するように言った私に
「あいつ、何しでかしてくれちゃってるの!?」
目の前の少年は、呆れた口調でヴォン殿下を"あいつ"呼ばわりしました。
誰かに聞かれていたら、不敬罪と難癖付けられそうな発言です。
「あー、もう。滅茶苦茶だよ。
いつまで経っても、面倒そうなことはことごとくマリアンヌ嬢に押しつけてさ。
自分はイリア嬢といちゃいちゃいちゃいちゃ。
……いつか、愛想を尽かされるかもしれない、と心配はしていたけれど」
――婚約破棄かあ
鍋少年、なんか遠い目をしています。
どうしたのでしょう?
「パーティーを追放だと。護衛すら付けずに。
何てことを、やらかしやがるんだ……」
怒涛の独り言に、私は口をはさめません。
「ヴァン殿下が王になれば、民思いの優しい賢王になる、とまた噂を流そう。
合わせて、フラフラしてる能無しだと僕の悪評も付け足して。
あ、そうだ。品種改良の手柄も、あいつに押し付けよう。
それで、どうにか挽回できるかなあ……?」
う~ん、と考え込むと。
「……うん。無理だな。
聖女様に婚約破棄を叩きつけて、こうして命を危険に晒したこと。
その罪をもみ消せるほどの功績なんて……あるわけがない。
詰んだな、兄上。さよなら」
いったい、この少年は何を言っているのだろう?
頭にクエスチョンマークを浮かべていた私ですが――
ん? さっきまで話していたのは、ヴォン殿下が私を追放したことについて……ですよね。
それで、兄上ってことは……。
「あ!」
思わず目の前の少年を指さしてしまいました。
お行儀悪いことこの上ないですが、驚きが上回ります。
「まさかデューク殿下!?」
「あ、ようやく気が付いた?
『どこかでお会いしましたかね?』なんて初対面の反応をされて、少し傷ついたよ」
鍋少年、改めデューク殿下が私に困ったような笑顔を向けました。
続きは明日の夜に投稿予定です。