妖精とエルフと大浴場
千幸はアホな子なんです
千幸は迷っていた。
アストロフェティアの言葉を信じるべきか、否か。
どれもこれも、まるで元の世界とはルールが違う。異世界へつながる扉って、なんだそれ。
すきを見て館を抜け出し、自分が起きた森へ行ってみれば、何かわかるかもしれない。
入り口は出口だ。着た場所に戻れば、帰れないわけがない。
しかし正直なところ、森で出会った黒い怪物に自分が太刀打ちできるとも思えなかった。
そして、あの道標も何もない、深い森の中、全く同じ場所に迷わずたどり着けるとも思えなかった。
それに、この館のエルフたち(リーシェを除く)は、アストロフェティアの采配なのか、千幸をずいぶんと丁重に扱ってくれる。食事も、見たことないものばかりだったが、おいしく豪勢だったし(一応食べることをためらいはしたが、食欲に勝てなかった)、何かと横について世話を焼いてくれるアマダシアは、口調こそ締まりがなく適当な雰囲気だが、細やかな気遣いができる親切な妖精だ。
今日会ったばかりのエルフの言葉をまるっと信じられるわけではない。しかし、自分ひとりで、元の世界に帰る方法は全く分からない。しかし、信じられるわけではない。旅と言われても、旅なんてしたことがない。しかし、あの森の怪物には勝てそうもないし、あの森に一人で戻るのも怖いし、この館は居心地がいいし、しかし――
そんなわけで、千幸は考えることをやめていた。堂々巡りは精神衛生上悪い。
***
食事の後は客室に通され、その後、浴室へ通された。
「え、でかくね。」
「そうですか?」
浴室は広かった。
さんさんと湯の沸く小さな噴水を中央に、円形状の浴槽が鎮座しており、浴槽内には乳白色の湯がたぷたぷと溢れていた。ほのかに花の香りがする。
千幸も、口は悪くも年頃の乙女。疲弊した心と体に、この風呂は嬉しい。
「ちゃんと、体洗ってから浸かるんですよぉ。」
「父ちゃんかよ。」
アマダシアの小言に口を尖らせつつも、素直に洗い場へと向かった。そこもまた、千幸の好奇心をくすぐったからだ。
浴槽と同じく、広い洗い場だった。こちらは銭湯に似た作りで、蛇口と小桶、腰掛が置いてある。腰掛の前に備え付けられた鏡の淵には、白銀色や蜂蜜色、薄紅色や呂色といった、統一感のない色味の鉱石がはめ込まれていた。薄いガラスで覆われたそれは、上品な輝きを放っている。
「ダイヤモンドですよ。」
手を伸ばしていた石の横に、アマダシアがつるりと現れた。
「アイオーニオン家の家玉なんです~。」
「かぎょく?」
「んーと、その家を代表する宝石、みたいなものでしょうかぁ。エルフ族は、ほとんどの家が何かしらの家玉を持っていて、その宝石の価値が、その一族の価値を表すとされているんです。」
「ふぅん。ダイヤモンドってことは、やっぱすごい家なんだ。」
「そうですねぇ、エルフの王様ですね。」
冷えますよ、とアマダシアに渡された壺には、さらさらとした粉が入っていた。指示されるままに受け取り、一つまみ湯に溶かすと、薄い泡が生まれる。
腕、肩と滑らせると、たちまち体中が泡に包まれた。
「うっわぁ!」
アマダシアも、はしゃぐ千幸の横にミニチュアサイズの腰掛を持ち出して、丹念に体を洗い始める。蜂蜜色の羽が、リズミカルにゆれていた。よく見ると、髪も羽もまったく同じ色だ。
それをついさっきどこかで見たような気がして、ふと顔をあげる。思わず声が出た。
「あれ。おんなじ色じゃん。」
鏡の淵の鉱石のひとつを指さす。アマダシアの髪、羽と全く同じだった。
指摘されたアマダシアは、泡だらけのままいたずらっぽく微笑んだ。
「バレましたぁ?」
「え、なんで? っていうかあんた、そもそも何なの?」
異世界が異世界であることに慣れ過ぎて――いや慣れてはいない、そうだ、慣れたのではなく、考えることを放棄しすぎて、アマダシアが15センチも満たない体躯であることも、羽を持ち空を飛ぶことも、バイクに変身したことも、『なぜなら妖精だから。』と無理やり落とし込んでいたのだ。自分の順応性に引く。なぜならも何もあるか。
「鉱石の妖精ですよぉ。あの石とぼくがそっくりなのは、ぼくらダイヤモンド属が、アイオーニオン家と契約を結んでいるからなんです。ぼくはイエローダイヤモンド。上の黒いのがヴォルツで、桃色がピンクダイヤモンド。銀のやつは、皆ご存知ダイヤモンドで~す。」
斜め四十五度の回答に、思わず思考が止まる。
鉱石の妖精? ぼくはイエローダイヤモンド?
「……鉱石の妖精って何、あんた石なの?」
「まぁ本質は?」
意思のある石なんです、なんちゃって。というしょうもないギャグは聞かなかったことにして、千幸はさらに質問を投げた。
「じゃあ、この家の家玉っていうのは、実質あんた……っていうか、あんたたちってことね?」
こんがらがった頭を紐解きながら、そう確認すると、まぁ、大体そんなかんじですかねぇと返事をされた。
「じゃーさ、あんたって、この家の、しもべみたいなかんじなわけ?」
「しもべ、というより、契約相手ですかねぇ。」
アマダシアは、泡だらけの体をゆっくりと流した。いちいち優雅だ。
きちんと説明してあげますから、そろそろ湯につかりませんか。アダマシアの提案で初めて、体が冷え始めていたことに気付いた。腰を上げ、湯船に向かう。
***
「遠い昔に、ダイヤモンド属の妖精とアイオーニオン家は契約を結んだんです。それから長いこと、ぼくらダイヤモンド属はアイオーニオン家のパートナーにあたります。」
ちゃぽ、と湯が肩にぶつかりはねる。
アマダシアの説明によると、鉱石の妖精は魔力をエルフに貸しているのだという。その代わり、エルフは契約先の妖精を保護し、快適な環境を提供している。
鉱石の妖精は、莫大な魔力を保有しているものの、使える魔法が限られている。一方エルフは、魔力の扱いが抜群にうまいが、魔力自体はほとんど持っていない。お互いの足りない部分を補いながら、共生関係を育んできたらしい。
「じゃ、リーシェはあんたが横にいれば、魔力使って空飛べたりすんの?」
空は飛べないんですけどぉ、例えば~、とアマダシアは首をひねった。
「あなたが森で、ジャヴァウォック……おっきい黒い怪物に追われていた時、リーシェ様がそいつを刀で切りつけたでしょ~?」
「あの、一瞬で首を落としちゃったときのやつ?」
「ですですぅ。あの時リーシェ様は、魔力で脚力とか、跳躍力とか色々底上げして、戦っていたんですねぇ。」
「へぇえ。」
驚く千幸に気を良くしたのか、アマダシアは得意げに続けた。
「あと、二輪車になったぼくを飛ばしたのも、リーシェ様の魔力ですねぇ。ぼくは二輪車には化けられるけど、空を飛ぶことはできません。リーシェ様あってのぼく、ぼくあってのリーシェ様、といったところでしょうか。」
「ほぉぉお。」
さらに続いたアマダシアの説明によると、魔力をどれほど使いこなせるかは、使い手であるエルフによるらしい。リーシェの実力はかなり高く、ダイヤモンド属との相性もかなり良い。リーシェの話をするアマダシアは誇らしげだった。仲がいいようだ。
「妖精とエルフって、なんかいい関係じゃん。なんつーの、モチつモタれつ?」
「といっても、今の綺麗な共生関係が生まれたのは、ほんのここ数百年の話なんで~。それまでは、まぁ、妖精側が一方的に搾取されていたっていうかぁ……。」
いい時代になりましたよねー、としみじみ呟くアマダシア。
血の通っていそうなセリフに、あ、そっかと目からうろこが落ちかけた。
魔法だの、妖精だの、おとぎ話の様な世界だが、そこには息をしている生き物が暮らしているのだ。華やかな世界観に目をくらまされていた。
「ここって、あたしの世界と案外似てるのかもしんないわ。」
「へえ、そうなんですかぁ?」
疲れた大人のような顔で、アマダシアはへらりと笑った。