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お母さまとリーシェ

 『お母さま」と慕われるにしては、あまりに若く美しかった。

 リーシェとは対照的な透き通るような銀の髪と瞳、陶器のような肌。薄紅色の形の良い唇。まるで造形物のような美しさだ。


 扉の先は、アイオーニオン家の当主、アストロフェティア・アイオーニオンの執務室だった。だだっ広い部屋の真ん中に、白い石造りのデスクが鎮座している。デスクの後ろの棚には、沢山の書籍とインク瓶が一つ几帳面に並んでいて、不必要なものはひとつもなさそうだった。自然と融合させたような涼やかな廊下とはうって変わって、洗練された印象をかもしている。


 リーシェから事のあらましを聞いたアストロフェティアは、優雅に足を組み替え、口を開いた。


「まさか本当に人間が捕まるとは、思ってもいなかったが。運はこちらに向いて来たと言うことか。」

「はい。これがあれば、おそらくアイオーニオン家の本懐は遂げられるかと。」

「居場所が不明であることばかりが原因ではなかろう。行き倒れる要因は星の数ほどある。」

「……は。」

「しかし、目的地の分からんまま彷徨うというのは、精神的に参るものだ。大きな第一歩と言えるか。」


 アストロフェティアの瞳が優しく細まる。


「よくやった。さすが我が娘よ。」

「……ありがとうございます。」


 千幸は、鉄仮面のようなリーシェの耳の端が、ほんのり赤くなるのを見逃さなかった。

 えーなに、めっちゃ喜んでんじゃん。


「して、<人間>、お前にひとつ頼みたい。」

「え、あたし?」

「そうだ。ああ、名は何という?」

「出海、千幸……だけど。」

「イズミ・チユキか。イズミ、お前はここに来たばかりであろう?」

「まじでそう。わけわかんないことばっかでハゲそう、まじで。」

「口を慎みなさい、<人間>。」


 鋭く睨み付けてくるリーシェを、千幸も負けじと睨み返す。


「出海千幸だっつってんだろーが。」


 『お母さま』がどんなに偉い人間か知らないが、千幸には関係のない人間だ。

 自分に布を突っ込んだ女の母親なんかには、絶対に敬語を使いたくなかったし、そもそも誰かに媚びること自体が、千幸は嫌いだった。

 この性分のせいで、何度バイト先でトラブルを起こしたかわからない。


 にらみ合う2人を、まぁまぁと宥め、アストロフェティアは続けた。


「頼みごとをする前に、この世界と、我がアイオーニオン家、ひいてはエルフ族についての話をさせてほしい。」

「難しい話? 結構バカだけど、あたし。」

「ふふ。そうかでは、かいつまんで話そうか。」


 アストロフェティアは足を組み直す。どうやら癖のようだ。


「気付いているとは思うが、この世界とお前の生まれた世界は別物だ。世界というのは無数にあり、その正しい数は未だ解明されていない。幾千とも、幾万とも言われているが、なにせ早々行き来できるものではないからな。ここまではわかるか?」

「ま、まぁ、なんとなく……?」

「この世界には、稀にお前のような別世界の生き物が紛れ込んでくる。まるで迷い子のような状態でな。お前は、どうやってこちらへ来たのか、覚えているか。」


 たしかに、いくら思い出そうとしても、やはりマンション以降の記憶は出てこなかった。


「わかんない。気づいたら森の中にいたし。」


 千幸の答えに、大きくうなずく。


「やはりな。迷い込んできたものは、みな、どうやってこの世界へ来たのか覚えていない。」

「えー、怖っ。」

「大丈夫だ、逆の方法は既にわかっている。」

「逆の方法?」

「つまり、この世界から、別の世界へ行く術は解明されていてな。異世界へと通じる扉があるのだ。」

「へ、それって……。」

「平たく言うと、お前は帰れる。」

「まじで!?」


 思わず体が飛び跳ねた。自覚はなかったが、それなりに不安を抑圧していたらしい。


「ただし、ひとつ問題がある。」


 問題がある、というわりに、彼女の表情は楽し気だった。


「お前が目指すべき扉、<ポロス・ポルタ>は、そうすぐに見つけられない。」

「へ、なんで?」

「移動する扉なのだ。」

「移動する、扉……?」

「ふふ、想像もつかないだろう?」

「エスカレーターってこと?」

「なんだそれは。」

「いやうそ、ゴメン、冗談。」


 横に控えていたリーシェに頭をはたかれる。


「はは、肝の据わった奴だ。」


 アストロフェティアは優しい。どのくらい偉いのか分からないが、このくらい器が広くなければ、こちらも素直に話したくない。


「しかしお母さま、先ほどから見ていれば、こいつ、あまりに無礼ではありませんか。」

「チユキはエルフではない。私が、いや、我が一族は権威を持つべき相手は、エルフのみだ。わかっているだろう。」

「……まぁ。」

「あとでケーキでも食べましょうね、リーシェ様。」

「ちょっと、なだめないでよ。」


 口々にたしなめられるリーシェ。調子づいて舌を出してみせると、睨まれた。


「続けてもいいかな。」

「あ、ごめん。」

「うむ。<ポロス・ポルタ>は、常に移動し、姿も見せず、どこにあるのか容易にわかるものではない。我が一族は、わけあってその扉を探していてな、そう、ここ30年ほど延々と探し続けているのだが……いまだその扉をくぐれた者はいない。手掛かりをつかんだかと思えば霞のように逃げて行ってしまう。まるで生き物のような扉だ。」

「じゃあ、結構頑張らなきゃ、見つかんないってこと?」

「それが、お前の場合は、そう頑張らなくても見つけられるんだ。それが、この話の肝だよ、チユキ。」


 頑張らなくても見つけられる。

 アストロフェティアは、つくづくわかりやすい言葉選びが上手い。

 わけのわからない世界に、わけのわからないまま放り込まれた中、突如現れたわかりやすい希望の光。思わず身を乗り出した。


「まじで?」

「ああ。少し、目を閉じてみてくれないか。」

「目? こう?」

「集中して、チユキの故郷を思い浮かべてごらん。」

「……。」


 マンションの壁、エレベーター、玄関、家の鍵、父ちゃん――


 言われるままに思い返していると、にわかに体が動き始めた。

 知らない感覚に、慌てて目を開ける。

 誰かが千幸に触れていた様子はない。どうやら、体が勝手に動いたらしい。


「へ!?」

「――なるほど、すごいな。」


 千幸が問う前に、アストロフェティアが呟いた。目が爛々と輝いている。

 興奮しているのだ。

 千幸のいぶかしげな視線を感じてか、咳払いをして取り繕う。しかし目の奥の光は瞬いたままだった。


「失礼。私も生で見るのは初めてでね。どうだ、体が勝手に動いたろう。」

「うん。なんか、勝手に、ふわーって。」

「チユキはこの世界の生き物ではない証だ。体が、元の世界に戻ることを望んでいるんだよ。」

「それって……」

「ああ、チユキが動いてしまう先に<ポロス・ポルタ>は存在する。」

「……ま?」

「お前は羅針盤だ。」

「……ら?」

「いや、失礼。早急すぎた。」


 立ち上がったアストロフェティアに、そっと右手を取られる。


「チユキ。どうか、我が一族のために、我が一族を<ポロス・ポルタ>へ導いて欲しい。代わりと言っては何だが、お前が元の世界に戻るまでの全てのサポートを約束しよう。」

「……ウン?」

「運よく、我が一族は、エルフ族にて最も権威をもつ一族。大抵の物なら揃えられる。また、武芸に秀でたものも多い。」

「……ウン。」

「そしてこんなことは言いたくないが……正直、チユキひとりでの旅の完遂は無謀に等しい。<人間>は総じて、武力に劣る。魔獣や他部族の猛襲に、お前ひとりではとても耐えきれまい。」

「そ、あ、ウン。」

「お互いにとって、もっともよい選択だ。私は、そう確信している。」

「ウン。あ、ウン。」


 ふたたびリーシェに頭をはたかれた。


「はっきり答えろ!」

「いやまって、だって、頭がついてってないっていうか。え、どゆこと?」

「本当にバカなのね、あんた。」

「はぁ? うっざ!」

「リーシェ。」


 ふたりの小競り合いに、静かな声が割って入る。


「チユキの旅には、お前が同行なさい。」

「……。」

「はぁ!? ムリムリ!」


 千幸の文句は、微笑みで華麗に一蹴された。

 どうやら、選択権はないらしい。千幸にも、リーシェにも。


「リーシェ。返事は。」

「……しかし、私は次期当主の身。館にて学ぶべきことがまだ多く残っております。」

「そんなにチユキが嫌いか。」

「はい。いえ、そんな、お戯れを。」

「本音が漏れましたよ、リーシェ様。」

「あたしだってお前なんか嫌いだし!」

「少し黙ってろ。」


 つめよる千幸を払い、リーシェはアストロフェティアに顔を向けた。


「正直、この<人間>がいけ好かない、というところもあります。しかし、それ以上に……。」


 なぜ私を、と続けた言葉は小さかった。リーシェの気丈な顔が、かすかに曇る。

 

「お前を愛しているからだよ。」


 アストロフェティアの真意は読めない。

 感情が微笑みの下に隠れて、言葉通りにはとても受け取りがたい。

 伝えるべきことは伝えた、明日の朝には発ちなさい。

 話はそれで終わった。


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