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ファーストインプレッション


「いやああああああああああっ。」


 出海千幸いずみ ちゆきは駆けていた。

 草を踏み、苔を蹴り、大木を右に左によけながら。

 漆黒の怪物に追われて。


「グガアアアアアアアアア!!」

「うっそなんでまじで、何ここユニバ!?」

「ギャアオアアアアアアア!!」

「キャストさん頑張りすぎっしょぉ~~!?」


 紺色のスカートが乱暴にはためく。背負ったリュックサックについたうさぎのストラップは、ちぎれんばかりに振り回されていた。

 

 見ず知らずの怪物に追い回される恐怖に飲まれてはいけないと、ほぼ無意識に冗談めいた悲鳴をあげ続けていた千幸だったが、やがて息は徐々に荒くなり、悲鳴をあげる余裕もなくなっていく。ついにまともに動かせなくなった足は、飛び出た木の根につまずいて、勢いよく転んでしまった。二点三転する視界の暗緑に、いつの間にか随分と深いところに来ていたと、どこか冷静に感じ入るも、つかの間。


 鋭い爪が日の光を反射した。白目のない瞳。鋭い歯。怪物の、漆黒の鱗がきしむ。

息をのむと血の味がした。


(ごめん父ちゃん。一足お先にアーメンするわ――)


 その鋭い爪に切り裂かれる、と思ったその時。

 頭上から何かが振ってきた。“それ”は勢いよく回転すると怪物の首を深く切り裂き――耳をつんざくような断末魔が響いた。

 どす黒い血がしたたり落ち、振り抜かれたのは蜂蜜色の刃。


 崩れ落ちる怪物から飛び降りてきたのは、濡れ烏色の髪と透き通った肌、そして尖った耳の凛とした少女だった。

 

「〇▷◆×*…!$%&●●?」

「……はえ?」


 あっけにとられた千幸をいたわることなど微塵もせず、少女は怪物の血が滴る刃を千幸に向ける。


「●◇*▼〇●**◆!」

「え、外国? まじで? 英語わかんないんだけど。」


 千幸の英語は評価2だ。そもそも少女の話している言葉が英語かどうかもわからないくらいには英語ができない。


「ベ、ベリベリセンキュー。アイアムチユキ。」


 はあ? という顔をされた。せっかくない知識を絞って会話をしたのに。心外だ。

 モリイズドコ? ココハナンテクニ? と、なおも会話を続ける千幸を無視して少女は虚空に向かって呼びかけた。

一瞬、宙が煌めいたかと思うと、小さな人型の生き物が現れた。宝石のように輝く羽と髪を持つ、小人のような生き物。千幸はそれを知っていた。アニメや絵本で見たことがあったからだ。

その生き物は、そう、妖精、という生き物だ。

 

「……え。」


 生き物は、首をかしげて千幸を見ると、一言二言、少女に告げた。

 少女が首を縦に振る。妖精は、軽やかに右手を振り上げ、千幸に向かって何かを唱えた。

 金粉が宙に舞う。そして声が聞こえてきた。


「貴様、どこから侵入した。」


 目の前の、少女の声だった。

 今度は何を話しているのかがわかる。

 どこから侵入したのか、聞いているのだ。

 目をしばたたかせる。頬をつねっても、目をこすっても、何も変わらない。意味が分からない事ばかりだ。


 さっきまでの、訳の分からない言語はどこへ行ったのか、というか、そもそもその妖精は何なのか、あの怪物は何なのか、ここはどこなのか――


「……ふぇぇ?」


 やっと出た言葉は、信じられないほど情けない声だった。

 これが、後にエルフの伝説として語り継がれる、ふたりの少女の出会いだった。


***


 時は少し前にさかのぼる。

 少しやんちゃな普通の女子高生、出海千幸いずみ ちゆきは、深い森の真ん中で目を覚ました。


「……なに、ここ。」


 巨木が生い茂り、苔むした岩の間を、水が薄く流れている。倒れた巨木もまた苔に覆われ、水色に発光したキノコがぽつぽつと生えていた。空中には、ワタのような姿をした生き物が、ふわふわ舞っており、鳥の鳴き声が、遠くからかすかに聞こえる。


静かだった。


体を起こし、制服についた枯れ葉を払う。

 目を凝らした遠くの森は暗く不気味だった。思わず目をそらす。


「どこよ、ここぉ……。」


 リュックサックからスマートフォンを取り出す。

 こういう時は連絡だ。報告連絡相談が大事って、バイト先の店長も言っていた。

 しかしお約束のように電波は圏外。いよいよゾっとした千幸は、落ち着くために、これまでの、記憶をたどってみた。


「んっと、がっこー行って、アキにバイバイ言って、帰って、アパートついて、……。」


ついて?


「が、がっこー行って、アキにバイバイ言って、帰って、アパートついて、……それで……なんだっけ……。」


 見慣れたクリーム色のアパート。自宅は303号室だ。

 エレベーターのボタンを押し、扉が開き、そしてそこから記憶は途切れていた。

 何度思い返しても思い出せない。

 まるで夢の内容を思い出そうとしているようだ。考えれば考えるほど記憶が上書きされていくようで、恐ろしくてやめた。


 改めて、周辺を見渡す。かすかな木々のざわめき、ほのかな土のにおい。

 人の気配はまるでない。まるで森の腹の中だ。


誘拐、レイプ、殺人、生埋

血の気が引くのがわかった。思わず立ち上がる。恐怖に飲まれる方が怖かった。


「ね、ねえ!」


 震える声は森の奥に消えていく。


「ねー、誰かいないの?」


 リュックサックを背負い直し、一歩ずつ歩く。初めは恐る恐る踏み出していたが、何も現れたり、襲ったりしてこないことから、安心が生まれた。歩けば歩くほど、気分が落ち着いたので、とにかく声を出しながら歩いた。


「もしもーし。もしもし亀よ、亀さんよ~。へい! へい誰か! ここが誰か教えて!」


 もともと調子のいい性格だという自覚はある。大声を出して気分もあがっていった。あがりすぎた。あがりすぎて、真後ろに降り立った、漆黒の怪物に全く気付かなかった。

 そしてもろもろ省き、千幸は超巨大生物に追われる羽目になったのだった。


 ***


 そんなわけで千幸は、なぜこの森にいたのか、どうやって来たのかなんて全く分かっていなかった。知らない間に森の真ん中にいて、出口を求めて歩いていただけだ。しかしそんな言い分を、出会ったばかりの赤の他人が鵜呑みにするわけがない。


「そんな話信じられるか。」

「いや、つーか、こっちも色々聞きたいことあるし!」

「あなたに教えることなんて何もない。」

「はあ? なんでそんなに偉そうなわけ?」

「偉そう? 侵入してきたのはそっちでしょ?」

「だから侵入してないっつーの!」


 拉致の開かない言い合いにしびれを切らしたのか、隅にたたずんでいた妖精が初めて口を開いた。


「リーシェさま~。とりあえず、館に連行して、お母さまにご報告しませんかぁ?」

「でも、」

「もうすぐ日も暮れますし~。ぼくの見立てでは、この子、何か力を隠しているようでもありませんから。」

「……確かなの。」

「はい~。というか、この子……。」


 妖精の銀の瞳が、千幸を捕らえて細まった。


「おそらく、<人間>ですねぇ。」


 リーシェと呼ばれた少女の仏頂面に、わずかに驚きの色がにじむ。

 妖精によく似た色の瞳が、じっと千幸を見た。千幸は思わず身を固くする。


「これが、<人間>か。初めて見るわ。」

「はい。お母さまも、お喜びになるかと。」

「え……食べる気?」


 青ざめた千幸を、リーシェはまたも無視する。そして、無遠慮に千幸の髪をかき上げた。


「ふぅん、ちゃんと耳が丸いのね。」

「ひぁ!? ちょっ、触んないでよ!」

「顔も、妙に平たいと思っていたけど、そういうことか。」

「はあ!? ハーフ顔って言われたことあるし!」

「それにしてもよくしゃべるのね。<人間>ってこういうものなの?」

「以前見たものは寡黙でしたので、個体差かと。」

「そう。」

「おいムシすんなよ!」


 ぐい、と顎を引かれ、顔を覗き込まれる。

 人扱いではない、モノ扱いだ。


「悪くないわね。アダマシア。」

「は~い。」


 アダマシアと呼ばれた妖精は、軽やかに一回転すると、まるで初めからそうであったかのように、バイクによく似た乗り物へと変化した。ハンドルやタンクは陶器のように艶めいていて、エンジン部分は薄黄色い光が生き物のように強弱している。タイヤがあるはずの場所には、光の輪が付いていた。


「はぁ?」


 いい加減にしてほしい。

 もともと短気な性分だ。度重なる混乱が、ついに怒りに変わろうとしていた。

 しかし千幸の怒りはまったく尊重されず、あっという間に縛り上げられ、バイク(によく似た乗り物)の後部座席に固定された。あろうことか後ろ向きだ。前が見えない。


「ちょっとぉ!?」

「行こう。」

「パノプリラさま達、あっと言わせましょうね~。」

「……そういうつもりじゃないわ。」

「またまた。隠さずとも、ぼくはいつでも、リーシェ様の味方ですってぇ。」

「だからそういうつもりじゃないって。早く飛んで。」

「は~い。」

「聞けやァ!」


 バイク(によく似た乗り物)は、ふっと浮いたかと思うと、そのまま勢いよく浮上していく。金切り声をあげる千幸を、リーシェはまたも無視し、生い茂る木々の上を悠々と滑空していった。


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