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必要な物(おくすり)

「実はこの病院って、終戦間際に大量虐殺のあった場所に立ってるんだって」


「えー! 怖いー」


 昼食も終わり、夕食や巡回にもまだ間がある午後三時。若い子がダレるにはちょうどいい頃だろう。それに今日はそんなに忙しくもなくて、今年の夏の暑さには私でもダレたくなる。

 とはいえ気を緩めるわけにはいかない職業なので、きちんと指導しなくては。


「だからね、夜になると……」


「はいはい。夏だから怪談話をしたいのも分かるけど、患者さんが怖がるでしょ?」


 若い子ならではな事ではあるのだけど、職務中に話していい事ではないだろうと止めに入った。


白樺しらかば師長は、ここに勤めて長いんですか?」


「まあ、十年くらいかしら?」


「なら、なにか見たり聞いたりした事あるんじゃないんですか?」


「まさか」


 ハッキリと首を横に振った。


「なんだ、つまんない」


「そんなのを見てたら、患者さんより先にこっちが参っちゃうわよ。ほら、手が空いているのなら書類の整理をしましょう」


「はい」


 日笠さんと三浦さんは背筋を伸ばすと、棚の中になるファイルへと手を伸ばした。


「はあ」


 彼女達の若さからのやりとりに溜め息が出たのではない。


「噂は噂、であって欲しいわよね」


 私は知っている。

 この『近藤中央病院』 が曰くつきである事を。



 あれは私がここに入ってから二年目の頃の話。

 例の母子絞殺事件から数年経った程の頃だろうか。


「白樺さん、伊吹さんの様子は?」


「食事も残さすに食べてましたし、血圧にも異常はありません」


「良かった。熱中症で運ばれてきた時には動く事さえできていなかったのに、しっかり回復してくれて。退院も近そうね」


 婦長はそう言って笑った、彼女は患者さんをまるで家族かのように扱い親身になって看護している。白衣の天使とは彼女の事だと思うし、私の憧れの人だった。

 今の私は彼女に少しでも近づいているのだろうか。



「はい、処置終わりました」


 食後の巡回をし、顔色や血圧などをメモする。


「お薬、きちんと飲んでくださいね」


 患者さんの名前が書かれた袋を手渡す。


「はい、分かりました」


「では、また消灯前に来ますね」


 そう言ってワゴンを動かした。


 カラン。


「ん?」


 ワゴンの一段目にある作業用の棚を見るが音の出どころはそこじゃなさそうだった。

 屈んで床を見るが、何かが落ちた風はなかった。


 ゆっくりと顔をあげると、二段目に白い錠剤が残されているのを見つけてしまった。


「あっ」


「どうしたの、ナースさん?」


「いえ、なんでもないです」


 私は慌ててナースステーションへと逃げるように戻った。


「婦長」


 彼女は私の顔を見て、驚いていた。


「どうしたの、そんなに慌てて!?」


「あ、あの。これ、なんですが」


 私は残されたままだったの錠剤を彼女へと見せた。


「私、きちんと渡したはずなんですがこれがワゴンの二段目に残っていて。私、どうすれば?」


 その時の私の頭の中には『ミス』 をした事でいっぱいだった。


「……うん、大丈夫よ。後は私に任せておいて」


 彼女の顔は今までに見た事のない固まった笑顔をしていた。



 あの錠剤の残りを発見してしまってからというものしばらくの間、その事が頭から離れなかった。患者さんを治すための薬を渡し忘れるなんてのは、看護婦としてやってはいけない事と学校でもいいだけ言われていたのに。

 あの日から一週間程経った頃に、また事件は起きた。


「どうぞ、お薬です」


 巡回の最後の患者さんに薬を渡す。


「ありがとう」


 薬の袋に破れはなかったし、その前までに渡し残したのもないのは確認済み。

 あんな事があってからというもの、どうしても神経質な程に注意深くなってしまう。


「じゃあ、また後で来ますからね」


 ワゴンを押してナースステーションへ戻ろうとした所で、


「あれ? 何か落ちてません?」


 患者さんがそう言った。


「え?」


「ほら、そこですよ」


 と、ワゴンの横の床を指さす。


 カラン、と聞こえた気がした。

 そこには一粒の錠剤が落ちていた。



「大丈夫よ。あなたは気にしないで」


 婦長は前回と同じように話す。


「けど、私は確認したんです」


「いいから」


「何度も確認したんです。どの袋も破れてなかったですし、渡し忘れもありません。きちんとメモもしてあります」


「いいって」


「なのに、どうして?」


「いいから!」


 婦長の大きな声が響いた。

 近くにいた患者さんがこちらへと驚いた顔を向ける。


「ご、ごめんなさい。けど、コレは大丈夫だから気にしなくていいわ」


「わ、わかりました」


「ほら、涙を拭いて。そんな顔をしていては患者さんが不安がるわよ」


 そう言われて涙が溢れていることに気づいた。



 それから錠剤がワゴンに残る事が何度もあった。

 その度に婦長へと報告し、その度に彼女の笑顔は凍りついた。


 あとから聞いた話だが、その薬は当時にはもう使われる事が無くなった物だそうだ。

 だからこそ、婦長は恐怖であんな笑いをしていたのだろう。


 婦長が『近藤中央病院』 である事に関わっていたというのを聞いたのは彼女が亡くなってからだった。


 医療ミス。

 彼女自身が担当していた患者が医者のミスにより気管を損傷して亡くなっていた。

 その当時使われていたのが、あの薬。


 婦長はその薬を病院内の倉庫から集めてきて病院内のトイレで大量摂取して亡くなった、というのが警察の見解だった。


 けど、あの薬は倉庫から持ってきたものではないと私は知っていた。


 彼女は私が渡した薬を服用してのだろう。

 あの錠剤は亡くなった患者から、彼女に宛てたおくすりだったのだろう。



 ワゴンを押していると、今でもあの錠剤が見つかることがある。もう数十年も昔の薬なんて病院内にも残っていないはずなのに。


 それを私は拾い、ポケットへとしまった。


 これには亡くなった婦長の思いが入っているのかもしれない、と。

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