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若き警備員の話


「おはよう、警備員さん」


「おはようございます、白樺師長。夜勤、お疲れ様です」


 玄関から出ていこうとする彼女の疲労した顔を見て、昨晩も大変だったのは想像に難しくない。


「お疲れ様。じゃあ、頑張ってね」


 去っていく彼女の背を見送ると、


「やっぱり医者や看護師ってのは大変な仕事だな」


「あ、後藤さん。おはようございます」


 気だるそうに制服を直しながら、先輩の後藤源二ごとうげんじが持ち場である正面玄関へと来た。


「おはよう、そろそろ時間だし巡回に行くか」



「今日も一日お疲れさん」


「お疲れさまでした」


 こういう警備の仕事をしたのは今回が初めての事なのだけど、まさか道案内や看護師さんや患者さんの連絡係も兼ねているだなんて思ってもいなかった。


「さてと……明日は綱島つなしま野上のがみが夜勤だったな」


「はい」


 夜勤か。

 それ自体が初めての事だし、それをまさか病院で体験する事になるんて。


「……まあ、野上が一緒なら大丈夫だろう。アイツの指示に従ってればいいからな」


 じゃあな、と背を向けて後藤さんが去っていく。



「まさか、野上さんが熱を出すだなんて思ってませんでしたよ」


 警備室で俺は後藤さんに愚痴っていた。


「それは俺もだよ。おかげでせっかくの休日が潰れちまった」


 人の数がまばらになってきたホールを写す監視カメラの映像を見ながら、後藤さんが眠そうにつぶやく。


「すみません、自分勝手な愚痴を……」


「いいよ、初めての夜勤だからな。緊張はするもんさ」


 言われて気づいたが、確かに緊張しているようで手がじっとりと湿っていた。


「そんなに気を張らなくてもいいさ。外来も終わる時間だし、見舞い客もあと数時間で来なくなる。そのあとは急患が来た時と見回りくらいだから、大丈夫」


「そうなんですか」


 その言葉にちょっとだけ胸を撫で下ろした。


「ただ、睡魔には注意しろよ。慣れてないとどうしても眠くなるからな」


「分かりました」


「それとリハビリテーション室の方にはあんまり近づくなよ」


「リハビリ室って、一階北側のですか?」


「ああ」


「どうしてですか?」


「向こうの方の扉は昼番の担当者が鍵をかけているし、何かあったら分かるように警報もあるからな。見に行く必要がないんだよ。そこだけは頭に入れとけよ?」


「はい」



綱島つなしま、起きろ! 急患だぞ」


 肩をガシガシと揺らされ目を開けると後藤さんが警備室を出ていく背が見えた、慌ててその姿を追いかける。


「すみません」


「次、注意すればいい。ほら、救命に行くぞ」


「はい」


 救命救急センターに着いたが、まだ救急車は訪れていなかった。


「邪魔にならないようにこっちに寄るんだ」


 と、後藤さんが手招く方へと小走りで向かう。


「こいつに付き添いの特徴を書いとけ。誰か居なくなったりしたら問題だからな」


「はい」


「昔、急患が入った隙に入り込んだ頭のおかしなやつがいてな。事前に気づいて止められたから良かったもののソイツがナイフを持っていて問題になった事があってな。それから警備は厳重に……っと、来たな」


 サイレンの音に緊張感で背筋が伸びる。

 救命救急センターから白衣の男性ひとりと女性の看護師が飛び出して自動ドアの前に立つ。

 救急車が止まりサイレンの音が消え、背後のドアが開け放たれると運転席から人が降りて来て、ストレッチャーを慣れた手つきで病院内まで運び込んでくる。


「男性二十八歳、事故により全身打撲。腹部を押さえて苦しんでます」


 付き添いの女性が泣きながらストレッチャーにしがみついているのを、看護師が待合室へと案内する。


「了解。さあ、運ぶぞ」


 呻き声をあげながら男性が俺達の前を通って、治療室へと運ばれていく。

 

「さて、ここからはこっちの仕事だ。彼の家族に兄弟、あの女性が奥さんだとしたらそっちの両親。もしかしたら友人なんかも来るかもしれない。それをどんどん書き留めてくれ」


 その後は後藤さんの言った通りになった。

 定年が近そうな夫婦に怪我人と同じような年頃の男性達、他にも中年男性や複数の女性が訪れた。そんなのが数分ほど続いたが、パタリと止まった。


「あとは、しばらく来ないだろう。ちょっと警備室のカメラで院内の様子を見てくるからここは任せたぞ」


「はい」


 後藤さんはその場から駆け足気味で去っていった。

 待合室からはすすり泣く声が聞こえてくる。


(彼に何があったのかは知らないけど、いたたまれないな)


 カチリ、カチリと時計の秒針が過ぎていく音が聞こえる。


「あの……すみません」


 耳が痛くなるような沈黙の中で聞こえた声の方へと目を向けると、髪が長くゆったりとしたワンピースを着た女性が立っていた。


「私の子供がどこかに行ってしまったんです、探していただけませんか?」


 子供? これまで書いてきた付き添い人のリストには子供なんて書いてない、というかこの女性にも見覚えがなかった。

 一体いつの間に入ってきたのだろうか?


「お願いします」


「ちょ、ちょっとお待ちください」


 書き忘れをして怒られるのも困ると慌てて書き込む。


「お願いです」


「わ、分かりました。それで、その子はどっちに行ったか分かりませんか?」


 彼女は右腕をまっすぐにある一角へと向けられ、自然と俺もそちらへと目を向ける。


「あっち、ですか」


 女性の方へと尋ねながら振り返る。


「あれ? どこに?」


 今まで立っていたはずの女性が目の前から消えていた。


「そんな!? どこに?」


 慌てて辺りを見回したが待合室の中を見て安心した、そこには彼女の背が見えた。自分の子供を気にもせずいるのが引っかかったが、こちらに一任してくれたのだろう。

 

「なら、探してみるか」


 彼女の指さした方を見る。


「あっちはリハビリ室の方か」


 後藤さんには行かなくていいと言われた方向。


(けど、子供が迷子なのは見過ごせないな)


 俺の足は真っすぐにそちらへと向かう。

 自分の足音だけが廊下に反響した。


(あ、そうだ。後藤さんにインカムで報告しとかないと)


 インカムのスイッチを入れ、


「後藤さん、綱島です。付き添いの方のお子さんが居なくなったそうなので、今から探しに行きます」


「おい。……って? なに……ってんだ?」


 イヤホンから聞こえる声には雑音がひどく混じっている。


「自分が探してみますので、来客の方をお願いします」


「ちょっ……のか!? ……んだ!」


 その言葉の後にイヤホンからブツっとおかしな音がして、声が聞こえなくなった。


「壊れたのか?」


 イヤホンを耳から外し爪の先で突いてみたりしたがこれといって直る気配はない。

 まあいいかとイヤホンをつけ直し、懐中電灯のスイッチを入れる。


「誰か居ませんか?」


 院内の廊下は薄暗い照明のみが光り、日中に比べて棚や観葉植物よって影が深い所が増えていた。その陰にでも座り込んでいたら見えないだろうと、ひとつひとつ丁寧に調べていく他なかった。

 ただ診察室には鍵がかかっているので中をひとつひとつ探さなくて済むのはありがたい。

 だけど見なければいけない場所は多かった。


「どこですか?」


 カツカツと歩く音と自分の声が響く。

 そういえば彼女が探している子供の特徴も名前すら聞いてこなかったと後悔したが、進んだ方向が分かってさえいるのならば根気よく探すしかないだろう。

 診察室の区画を過ぎ、検査室がある区画の廊下が見えてきた。

 カツカツ、カツカツ。

 靴の音だけが廊下に鳴る。

 カツカツ、カツカツ、カツカツ、カツカツ。

 やけに足音がうるさく感じて、立ち止まった。


 カツカツ、カツカツ、カツカツ、カツカツ、カツカツ、カツカツ。


「え」


 カツカツ、カツカツ、カツカツ、カツカツ、カツカツ、カツカツ、カツカツ、カツカツ。


 検査室の先にある方から足音が聞こえる。

 その足音はひとりの物ではない、それに革靴のような乾いた高い音ではなくまるでブーツのような。

 検査室のさらに奥にあるリハビリ室の方からなにかの影がゆっくりと確実に近づいてきていた。

 俺は懐中電灯を向ける。


 カツカツ、カツカツ。

 下をうつむいたままでこちらへと向かってくるカーキ色の服を着た一団、その腕には銃が掲げられていた。


 カツカツ、カツカツ。

 軍靴の音が響いている。


 俺は慌ててその場から去った。



「後藤さん!」


 慌てて救命救急センターに戻った俺は大声で叫んでいた。


「おい、綱島。静かに!」


 待合室の中の眼がこちらに向いていることが分かり、頭を下げた。


「……見ちまったんだな、お前」


 後藤さんの言葉に顔をあげた。


「ココで働くならいずれは当たるとは思っていたが……」


「知ってたんですか?」


「……綱島がナニを見たのかは分からないが、ココは『近藤中央病院』 はそういう所なんだよ」


 それがナニを指している言葉なのかは、実際に見たからこそ理解できた。


「辞めるかどうかはお前さん次第だから決めといてくれ。ああ、そういえばインカムでなんか言ってなかったか?」


「聞こえてなかったんですか?」


「ああ。雑音が酷くてな」


「付き添いの人の子供が居なくなったんです」


「子供? こんな時間にか?」


「ええ。あそこの人が……」


 と、指をさした先にいたワンピースの女性と目が合った。

 そこにいた女性の顔は、俺が話しかけられた人のソレではなかった。

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