第9話 女神(仮)の暴走
早朝、外で小鳥がチュンチュンと鳴き始める頃、私は布団に包まって気持ちよく眠っていた。
腐臭じゃなく、お日様の匂いがするお布団。自分の血液で固まっていないふかふかのベッド。寝返りを打っても痛くない体。
どれも普通人には普通のことなんだろう。でも、私にとっては奇跡の詰め合わせのようなものだった。
だから、ずっとこのまま眠っていたい気持ちになる。
「おい、カガミ。そろそろ起きたらどうだ?」
そんな楽園に身を委ねている私に声を掛けるのは、偶然私と同じ相部屋となった騎士エリスだ。彼女は一時間前くらいに起きていて、何か作業のようなものをしていた。何をしていたのかはわからない。だって私は寝ていたから。
「…………後、三分」
「ダメだ。今日は冒険者登録に行くのだろう? 用事は早めに終わらせておくべきだ」
エリスは真面目だ。それは昨晩に沢山話してわかった。何処までも気高い騎士のように、自分に厳しく、他人には少し厳しく接してくる。
私を真人間にしようとしているのか? そんなに私はダメに見えるのか? と疑うほどだ。
しかも言っていることは正しいので、反論できないのが悔しい。
「ちょうどいい時間だし、外で何か美味しいものでも食べよう。私の奢りだ。好きなものを選んでいいぞ」
──ピクッ。
「………………ほんと?」
「ああ、本当だ」
「……嘘じゃない?」
「私は嘘を言わない」
「わかった。すぐに用意する」
私はベッドから起き上がり、布団の温もりにお別れを告げた。欠伸を噛み殺しながら、シュウさんに貰った服を着ようとして…………エリスが顔を真っ赤にしながら、手で目を覆い隠しているのを目撃した。
「…………なに、しているの?」
「お、おおお前っ! 下、下着はどうした!?」
「下着? 着てるじゃん」
「下ではない! 上の方だ!」
「上? あー、そういえば着けてなかったな」
シュウさんに貰ったのは服だけだ。下着は地球にいた時のままの物を着けていた。下はどうにかして履いていたけれど、上は厳しかった。ほぼ機能しない腕を後ろまで動かせなかったし、別に胸も大きい方じゃないから無理して着ける必要はないと思っていた。
「女なのだから、どっちも着けるべきだ!」
「えぇ……?」
「冒険者登録をする前に下着を買いに行くぞ!」
「えぇ……?」
「えぇ……? じゃない。ほら、さっさと行くぞ!」
「え、待って、私まだ着替えのとちゅ──あーれー」
そうして私は手を引かれるまま服屋の下着売り場に連れてこられた。到着してすぐに試着室へと放り込まれ、次から次へとこれが似合うあれも似合うと着せ替え人形のようにされた。
私の直感が言っている。これは止められないやつだ、と。
潔く諦めた私は無心になる。成されるがままに棒立ちを決め込み、エリスが満足いくまで着せ替え人形になること選んだ。……これが順応するということだ。覚えておいてほしい。
「……はぁ…………疲れた……」
下着を選ばれること数十分。ようやく解放された私は、店の前に設置されているベンチに腰掛けていた。
「はぁ……異世界、か……」
一人になった私は、感慨深く呟いた。
目の前の広場では、元気な子供達が集まって遊んでいる。
街並みは外国風。日本にはないけれど、地球の何処かにはありそうな風景だ。
だけど、ここは本当に異世界なんだ。
それは私の目が、体が、実際に体験している。
「平和だなぁ……」
人は行き交い、そこらで客引きの声が聞こえてくる。
人、カップル、家族、巡回兵、誰もが笑顔だ。笑い声が弾む。
お日様の光が気持ちいい。心が和む。
ここが戦いに塗れた異世界なのだということを忘れてしまう。それくらい平和な光景だった。
──どうして私は異世界に来てしまったんだろう?
ふと、そんな疑問が私の頭をよぎる。
今更なことだけど、それがわからない。
死んだから? まだ生きたいと願ったから? 思いつきそうな点は何個かある。でも、やっぱりなんで私なんかが、と思ってしまう。
私よりも強い人は沢山いる。私よりも正義感のある人はもっと沢山いる。そんな人達が異世界に来れば、この世界に役立つことが出来ただろう。それなのに、どうして弱くて惨めだった私が偶然にも選ばれてしまったのか。考えれば考えるほど、わからなくなってくる。
「──待たせた、ってどうしたんだ? そんな朝から年寄りみたいな顔をして」
──失礼な。
後ろを振り向くと、エリスが大きな袋を両手に持って立っていた。
その袋の全てが私の下着なのだから驚きだ。一体幾らしたのか。全部払ってくれると言っていたし、着せ替えした下着を全部買った方がいいとエリス本人が言っていたから任せていたけれど、流石にあの量を見たら申し訳なく感じる。
「エリス。もう買い終わったの?」
「ああ、いい買い物が出来たぞ。ついでにカガミに似合いそうな寝間着も何着か買っておいた」
妙に遅いと思っていたら、そんな物まで買っていたとは。だけど、その心遣いもありがたい。
旅服のまま寝るわけにはいかないので、服を着ないで寝ていた。ここら辺は暖かいから別に問題はないけれど、もっと寒いところに行ったら、下着だけじゃ辛かっただろう。
「どうする? 一旦宿に帰る? その荷物で歩くのは邪魔でしょ」
これから何処かに朝ごはんを食べに行って、その後に冒険者登録。相当移動することを考えると、絶対に邪魔になる。そう思って言ったんだけど、エリスは問題ないと一つの袋を取り出した。
そして、信じられないことが起こる。
腰に付けるような手持ちサイズの袋に、巨大な袋二つが吸い込まれるように収まった。どう考えても物理法則を馬鹿にしている現象に、私はしばらく固まってしまった。ザ・異世界というのを早速見せつけられたような気持ちだ。
「あの、それは……?」
「……ん、ああ、これか? これは収納袋だ。見た目よりも荷物が入るので、結構重宝しているんだ。これならば邪魔にならないだろう?」
収納袋か……これは便利そうな道具だな。これがあるだけで遠出をする時に持っていける物が増える。
エリスは任務からの帰りと言っていたのに、何も荷物を持っていなかったことに疑問を持っていたけれど、収納袋を見てその理由がわかった。
「これは希少な物で、とある大きな任務をこなした時に陛下から頂戴したんだ」
「へぇ、凄いね。羨ましいよ」
「なんだ、いくらカガミだろうとやらんぞ?」
「いや、いらないよ。羨ましいと思うけど、無理してねだるほど強欲じゃないよ」
まぁ、本当は欲しいけど、無理矢理貰おうとするほど私はわがままではない。
【承諾。収納を取得しました】
…………待ってください。
そう、私は何も聞いていない。何も取っていない。きっとそうなんだ。
【収納を取得しました】
あー、あー、聞こえなーい。
私は両耳を塞いだ。でも、声は直接脳内に聞こえてくるので、無駄な努力だった。
【……収納を取得しました。収納とは使用者の魔力量によって容量が変化する箱のことです。収納したものは亜空間へと取り込まれ、時間軸そのものが停止します。取り出す際は『アウト』、仕舞う際は『イン』と唱えてください】
ついには説明までしてくれた。絶対女神様って意識持ってるでしょ。そうじゃなければこんな張り合おいとしないもの。
【女神ミリアではありません。女神ミリアの使いです】
だったら様くらいつけなさいよ。
【…………称号、仇なす者を取得しました】
あ、この女神やりやがった。というか絶対にわざとやってるな、あれ。仇なす者ってなんだ。少し口論した程度でそんな物騒な称号を取得するとか、女神の器狭すぎでは? ……畜生、これ以上何か言ったらロクでもない奴を取得させられそうだ。些細なミスで改造人間になるのだけは避けなければ。
相手はこの世界を創った神様。なんでもありだ。慎重に、慎重に…………
【(──フッ)】
…………おのれ、覚えてろよ女神ミリア。