6-2 義妹となんかできるか
「なあ、充希。おまえ、ムリに瑞希さんになろうとするなよ」
おれは充希を連れ出し、切り出した。
「ムリなんかしてないもん」
「マジな顔で大きなウソをつくな」
おまえが脱いだ靴をそろえてるって、絶対ムリがあるだろう。玄関に突っ込みそうな勢いで帰ってきたおまえの脱ぎ飛ばした靴が傘立てに突き刺さっているのを、瑞希さんがそろえる。それがあるべき光景だ。
「どうしてそんなこと言うの」
自分の身がカワイイからだが、どう説得しよう。
「おまえはおまえのままでいた方がいいよ。無理に変わろうとするな」
「本当? あたしのままでもカワイイの」
「いや、ちゃんと聞いてた? カワイイなんて言ってねーよ」
おれがカワイイのは自分の体だけだ。
「ねえ、お姉ちゃんと何回キスした?」
「あの、話聞いてる?」
「本当にカワイイんだったら、あたしにもして」
幼児の時にも聞いたことがないような甘い声を出した。こいつ、本当に悪の組織に誘拐されたんじゃないか。
「だから、カワイイなんて1回も言ってないよね。さっき確認したよね」
「どうして、そんな意地悪言うの。意地悪っ」
「おまえ、いい加減にしろよ。ふざけるんじゃない」
「ねえ、本当にカワイイと思うなら証明してよ。ねえ。どうしてだめなの」
「義妹とキスなんかできるかっ。アメリカンファミリーじゃないんだぞ」
バッチンッ!
ねえ、皆さん、信じられますか。ビンタですよ、ビンタ。
それも毎日素振りで本番に備えていたとしか思えない、脳しんとう寸前の。
本物のカワイイ女子なら、幼児の肩たたきの強さで小刻みに「ポカポカポカ」がお約束デショ。
ほんと、ひざをついて、しばらく立てなかったぐらいっスよ。口の中に血の味がしますよ。ビンタを受けるときはきちんと歯を食いしばりましょうね。
あのガキァ、ひとが下手に出てりゃあ、つけあがりやがって。充希相手にいままで一度たりとも強気に出られたことはないけどね。
あんな高レベル危険生命体を一瞬でも「カワイイかも」と思ったのは一生の恥だ。いや、思ってないけどね。
おれ、いろいろ間違ってるよね。
「よう、親友。派手な顔してるな。きょうだいげんかか。それとも痴話げんかか」
こんなときに啓太かよ。でも、義母や瑞希さんに見つかるよりはましか。
「おまえ、これからヒマつぶしにつきあえ」
「なんだ、帰りづらいのか? 浮気でもしたのか?」
「こんな顔を見せたら、義母さんが心配する」
胸のケガがばれたばかりだ。
「ママはお前もついに男の勲章がもらえるようになったかと喜ぶかもよ」
義母は「だから言ったでしょう」と笑うかも。
「たいした叙勲もないやつがエラそうに何言ってやがる」
「そういう他人を見下したようなことを言うやつは、その手形のついた顔、写メにしてさらすぞ」
「お願い、それだけはやめて」
充希も瑞希さんもみんな傷ついてしまう。
「お前の好きなアメリカンジョークだ」
アメリカンジョークは「クソつまらない冗談」という意味だってことを知ってんのか、こいつは。
しかし、歯形の次は手形か。鋭い牙に強力な張り手。オオカミとクマのキメラみたいに無敵の妹だ。
「まあ、はれがひくまでつきあえ」
おれは家に電話をかけた。
「ああ、俺ですけど、啓太に誘われてゲーセン行くことになって。遅くなるんで飯は後で1人で食べるんで。じゃあ、はい」
「お前、いちいちママに報告するのか」
「あのな、教養のないお前は知らんだろうが、なさぬ仲と言ってな、気を使うんだよ。『実の子がいる家には帰りたくないのかしら』とか『自分のせいでグレたんじゃ』とか悩んだらかわいそうだろ」
「お前ママにホレてるだろ」
「その容疑に関しては全面否認ではない。そうだな、20歳若くて独身だったら、結婚を申し込んだかも」
それってほとんど瑞希さんだな。
「右のほおを打たれたら左のほおを差し出せ。目立たなくなるんじゃないか。おれがやってやろうか」
「却下。それにみ・・」
「み?」
充希は右利きだからとか余計なことを言いそうになった。
「お前から見て右になるこっち側は右のほおじゃなくて左のほおだ。つまり、聖書にある右のほおはこうテニスのバックハンドのように打たれていることになる」
うろ覚えのマメ知識でごまかした。
ゲームなんてどうでもよかったが、一応昔かなりやりこんだ体感型テニスに向かった。充希のこと、瑞希さんのこと。頭の中をいろんなことがぐるぐる回って、少しも集中できない。ところが、いつの間にか、おれ史上ありえないステージに突入していた。別に敵のスマッシュなんて返せなくていいし、高難度のショットなんて決まんなくてもいい。なのに、無意識でとんでもないスレスレの技を繰り出していた。
そうか。これがスポ根マンガで「巨人の星」にちなんで「大リーグボール1号の極意」と呼ばれている現象か。つまり、いいショットを打とう、打とう、と思い込みすぎていると、体がこわばり、余計な力が入り、腕が縮こまり、ミスショットになる。ミスしてもいい、いや、むしろ、ミスしてやろうじゃないかぐらい無我無欲になると道は開ける。
そうか、おれは瑞希さんにキスしよう、キスしようと必死になりすぎていた。力みすぎて硬直していた。
心を無にし、キスなんかできなくてもかまわない、いや、一生しないでおこうぐらいに思えていればうまくいったのだ。
くだらないことを考えていたら、とんでもないハイスコアをたたき出してしまった。
家に戻ると、充希が玄関の段差にひざを抱えて座っていた。おれが近づくと、また、泣きそうな目をしている。
こいつ、ホントに絶賛「DV夫作戦」実行中なんじゃないか。おれは、夫の「暴力とやさしさ」の無限ループから抜け出せない依存症の奥さんとは違う。ここは厳しい態度でのぞまないと。
「おにいちゃん。ごめんなさい」
「謝るぐらいならしなきゃいいだろう」
「だって」
「やっぱりおれのせいにするのか。少しは反省しているのかと思ったけど」
このセリフ、ちょっとクール。かっこよくない?
「ちがう。もう絶対しないから許して」
大粒の涙を流している。
いかんな、これは。DV夫の「もう二度と殴らないって約束するから。おまえがいないとだめなんだ。おれを捨てないでくれ」という懇願を妻は絶対信じてはいけない、と本に書いてあったのに。だが、おれは義理の娘たちに激アマなあのバカ親父の血を引いている。
「もう、いいよ。うちに入ろう。ちゃんと目洗えよ」
それにしても、おれの脳を揺さぶるほどの衝撃をぶちかましておきながら、右手に何のダメージもないようだ。こいつ本当にすごいな。
すれ違いざま、瑞希さんが耳元でささやいた。
「お話があります。待っていてください」
メッセージには「22:00」とあった。
さすがの充希でも今日は静かにしているだろう。だから、鍵はずっと開けておいた。
瑞希さんは時間に正確だった。
「それで、何があったんですか」
「まあ、今学期、2度目の負傷というか。運がよくて、今回は医者は必要ないですけど」
「何をしたんですか」
「信じてください。おれは何もしてないんです。本当なんです」
「何もしなかったからじゃないですか」
「・・・。えっ、おれが悪いんですか」
「そんなことはないです」
「ちょっと待ってください。おれたちつきあってるんですよね」
「はい」
「瑞希さんは彼女ですよね」
「はい」
「彼女以外に何かしたらだめですよね」
「では、私には何をしてくれるんですか」
クールな瑞希さんが、子猫がネズミで遊んでるようなちょっと楽しそうな顔になった。
「えっ。じゃあ、キスしても」
「聞いてはだめです」
そうだった。また、ミスった。
「ところで、この前きいたときは何がそんなにおかしかったんですか?」
女子の笑いのツボは理解不能だ。
「だって」
「だって?」
「これからも一つ一つ断るのかなあと思って。肩を抱いてもいいですか。抱きしめてもいいですか。ボタンをはずしてもいいですか。ブラをとっても、あっ」
瑞希さんは自分の言葉で真っ赤になった。ほら、充希、これだよ。お前みたいな地球外危険生命体がうわべだけ少女の皮をかぶって擬態しても、この内面からにじみ出る美しさはコピーできないんだよ。それにしても、なんてきれいなんだ。
見とれているうちに気づいたらおれは。
やっぱ「大リーグボール1号の教え」はグレートだ。途中、充希のことを思い浮かべたのは瑞希さんに失礼だったかもしれない。まだ、ちょっと血の味がしていた。
<大リーグボール1号の極意>
これは杉村風太の造語です。そんな言葉は実在しないので、ググって探したりしないでください。
「巨人の星」で語られる大リーグボール1号誕生のエピソードはこんな感じです。
星飛雄馬は投手としての致命的な欠点を突きつけられ、逃避。訪れた寺で座禅の修業に加わります。コントによく出てくる木の棒(警策)で打つやつです。
雑念の塊のような状態なので、飛雄馬ばかりやたら打たれ続けます。「どうせ負け犬のおれだ。いくらでも打てばいいだろう」と自虐的になると、今度は打たれなくなります。
僧が「打たれまい、打たれまいとすればするほど返って心が姿勢に出て打たれてしまう。打たれてもかまわない。むしろ、打ってもらおうと思ったとき、道が開ける」と説きます。この体験と言葉から飛雄馬は大リーグボール1号の原理に開眼します。
さて、杉村風太が大リーグボール1号の極意に開眼したのは出版業界で短期間働いていたときです。原稿が遅いので有名で、落ちることもあるライターのコラムを前任者から引き継ぎました。
前任者はとてもまじめな性格でした。そのライターにウソをつかれると「どうして約束をを守ってくれないんですか。私のどこが至らないんですか。言ってくれたら直します」などと涙ながらに迫るような人。それで、ライターはますます書けなくなる悪循環に。
私はその正反対の接し方をしました。家にいても書けないというので、編集部に来てもらって書くことが多かったのですが、日時を決めても約束の時間に来ません。電話すると自宅にいて、「今日はちょっと行く気になれません」と正直に言います。私はまったくあわてず、「じゃあ、いつにしましょうか」と次の約束を取り付けます。でも、また来ません。そういうことが3回ぐらい続いても私は平気な顔でした。
また、あるときは、せっかく来たのに、やはり、「今日は気が乗らない」みたいな感じで帰ってしまったり、編集長と飲みに行ったりします(おい、このおっさん)。
とにかく、こうして守られない約束をとり続けました。
どうせ、たいした部数も出ていない雑誌の2ページのコラムです。落ちたら、「先生がいつもの病気で逃げたので、代わりに担当編集者がお届けします」とか書いて、なんかで埋めればいいと本気で思ってました。
ところが、そういう態度をとり続けると原稿が出てくるようになったのです。それも、以前は色校も出ないで入稿即校了だったのが、ゲラまで出るような締め切り前に。私が担当している間、原稿は1回も落ちませんでした。
「原稿を落とすまい、落とすまい」と必死になるから、落ちてしまう。「落ちてもかまわない」。いや、むしろ、「落としてみせよう」と思ったとき、原稿は落ちなくなる。
まさに大リーグボール1号の極意です。




