椎名翼:パラドックス-2
ボクは立ち上がる。
血だらけの右足が、真っ赤な光に包まれる。包帯のようにぐるぐる巻きにされて、ギプスのように固く足首を固定した。
「いたい……」
ずきんずきんと足首が痛んだ。けれど、血は止まっていた。痛いけれど、もう大丈夫。
黒い獣が、ボクの周りに群がってくる。口を開けて、また、ボクに噛みつこうと襲いかかってくる。
大きな剣は手に余る。片手で振り回すには、とても大きすぎる――いつも、こんなものを振り回しているのかと思うと、ほんとうに■■■■■はすごいなあ。
ボクの背中から、大きな、光の翼が生まれた。腕を動かすように、膝を曲げるように、ボクはこの翼の動かし方を知っている。この翼がどういうもので、どんな力を持っているのかを知っている。
怪物たちがもうすぐそこまでやってきている。前にも、横にも、後ろにも。
「せえの――」
ボクは翼を鋭くすぼめた。そして、
「それっ!」
と、大きく広げる。
地面からぶわっと風が巻き上がる。
それは鋭い火花となって、周りの黒い怪物を引き裂き、吹きとばし、あとかたもなく消滅させる。そのままボクは、ふわふわと空に立っているように浮かんだままだ。
地上で黒い怪物たちが、ボクのことを見上げている。彼らには翼がないから、空を飛ぶボクには追い付くことができない。
「ふふっ――あははは!」
思わず笑いがこみ上げてくる。
「残念だったね、君たちには翼がなくって」
切っ先を地面に向けて急降下。怪物の身体を貫き、切り裂き、吹きとばす。
楽しい。自由に身体を動かし、飛び回り、街を暴れる悪い怪物をやっつける。
いつもこんな風に遊んでいるの? ■■■■■――ほんとうに、うらやましいと思ってしまう。でもそれは、ボクが感じてはいけないことなんだろうな。
「はあっ!」
空から急降下。地面をはいずる怪物の頭へ、剣の切先を突き立てる。喉から悲鳴を上げて、怪物は消える。もう、周りに他の生き物の気配はなかった。
「あなたは誰ですか?」
いつの間にか、ボクのそばにふわふわと漂っていた、光る小さな妖精が喋りかけていた。
眉にきっと皺を寄せて、鋭い声で言う。
「さっきまでの人とは違う。まるで、違う人になったみたいだ」
「いっしょだよ。椎名翼――同じ名前だもの」ボクは浮かぶ妖精の頬を突っついて、「それより、キミは誰? 妖精さんみたいな、小さくてかわいい。ふふ」
「どうしてクウのことを覚えていないの?」
「え? ――ああ、そうか。クウちゃん、そうだったね。ごめん」
「どういうこと? 変身すると人格が変わるタイプの魔法少女なんて、聞いたことないよ」
「そう言われてもなあ」
ボクはクウちゃんを手に取って頭を撫でたり、頬を突っついたりした。
「や、やめてよ! くすぐったいなあ」
「ごめん、かわいくって、つい」
「か、かわいいなんて……!」
顔を真っ赤にして辺りを飛び回る。そういうところも、またかわいらしい。
ボクはクウちゃんのことを気に入った。
「ねえ、さっきの……っ痛!」
右足がずきんと痛んだ。血は止まっているけれど、まだ、傷は治っていないみたい。
「だ、大丈夫……?」
「うん、平気だよ。翼で飛べばいいだけだし」
「おかしいな」クウちゃんは私の右足の近くを、くるくると浮遊した。「魔法少女の身体の傷は、魔力ですぐに治るはずなのに……ここまで再生が遅くなるなんて、普通ではない」
「じゃあ、普通じゃない何かが起こっているってことなんだ」
「でも、それが何かは……とにかく、クウではこれ以上は分からない。ご主人様に見てもらった方が……」
「ご主人様……って?」
「それも、覚えていないのですか? あなたはいったい……」
その時、ずしんと音がして、地震のように周りが揺れた。
見ると、建物の影から巨大な影が現れた。大きな車のエンジン音のような、低くて大きな音が周囲を揺らした。建物の屋根を追い越すほどの、大きな身体。その口は鋭くとがって、真っ黒な牙がのぞいていた。
大きなドラゴンだ。
覚えている、さっき■■■■■と一緒に見た。まるで戦隊ヒーローのロボットみたいだ、って思った。さっきまで姿を消していたのに、また出てきたのか。
「さっきの大きいやつ……!」
「クウちゃん、あれをやっつけるよ」
「で、でも! そんなボロボロの足で!」
「だいじょうぶだって、平気だから」
背中の翼を広げて、空高く飛び上がる。
「もうちょっと借りるよ」
まだ、■■■■■は目を覚まさない。
眠っているみたいに。
痛みにこらえきれずに、布団にくるまって、眠ってしまっているみたいに。
「しょうがないなあ。昔から弱虫なんだから」
そのぶん、ボクが頑張るからね。
気にしなくていいんだよ。ボクだって、自分が楽しいからやっているんだ。
背中の翼が大きく膨らむ。
ボクは空に飛びだし、ドラゴンの前へと躍り出た。向こうもこちらに気付いたようだ。全身がよく見える。太い身体と長い尻尾、三角形の翼、大きな口。ボクの身体よりもずっとずっと大きい。
だけど負ける気がしない。
ドラゴンが翼を大きく広げると、そこから弾丸のように鋭い岩のかたまりがいくつも飛んでくる。
「クウちゃん、つかまってて!」
空を自由に飛び回る。鋭い刃は黒く光っていて、ボクらのすぐそばを掠めていく。翼を翻してかわし、目の前の欠片は剣で叩き落す。そうして、少しずつドラゴンへと近付いていく。
巨大な怪物が咆えた。
口の奥が赤黒く光り出した。ものすごい熱を感じる。
「なにか来る! はやく!」
クウちゃんが叫んだ。
「分かってる!」
ドラゴンの首まであと少し。
空中で止まり、相対する。剣を両手で構え、切っ先を真っ直ぐ向けると、その先に真っ赤な光が集まっていく。背中の翼が大きく広がって、ボクの身体を支えてくれる。
「うっ、」
――――目の前が急にチカチカして、身体から力が抜けた。うっかり落ちていきそうになる身体を翼が持ち上げてくれる。
もうちょっと我慢してね、ボク。
こいつをやっつけるまで――
ドラゴンが口の奥から、炎を噴いた。
剣の先から生まれた光が迸る。
二つがぶつかり合って、激しい衝撃と光、熱が、辺りいっぱいに拡散した。
お互いに力は同じくらいだ。光が激しくぶつかって、どんどん大きくなる。目の前がまぶしくて、熱くて――どんどんボクの意識が薄れていくのを感じる。
「もうちょっと……」
「魔法少女! がんばって、もうちょっと――」
「もうちょっと……!」
右足の痛みが消えていく。
視界が白く染まっていく。ひりつくような肌の熱さも、ほとんど感じない。ボクが、どんどん消えていく。
「ボク……がんばれ、もうちょっとだ……!」
グォオォオオオオオオオ!
ドラゴンの咆哮が大きく轟いた。炎の勢いが増し、目の前から熱い風が襲い掛かってくる。
ボクも叫んだ。背中の翼がさらに大きく広がるのを感じた。
がんばれ!
声が聴こえた。ボクの中から。
大好きな■■■■■の声、いつもボクのそばで聞こえていた声――
がんばれ、がんばれ――やっつけちゃえ!
「いっけええええええ――――!」
ドラゴンが光に包まれた。
大爆発と振動がボクの身体を揺らした。ようやく煙が晴れたかと思うと、そこにいたのは首から上を吹っ飛ばされてよろめく、ドラゴンのどでかい身体だった。
「今だ!」
クウちゃんが叫んだ。ボクは剣を握り直し、空高く飛び上がって、大きく振りかぶる。
「とどめ――!」
剣を振り下ろした。
真っ赤な光の柱がそこに立ち上がった。ドラゴンの身体が塵になって消えていく。ジグソーパズルが空中に投げ上げられて、ばらばらのピースに分解されていくように――そしてそれは、ボクも同じだった。がくっと背中の翼から力が抜けて、今度こそ意識が途切れていくのを感じた。
「ごめんね、■■■■■、無理しすぎちゃった」
ふらふらと落ちていく身体。クウちゃんが耳元でわめく声が、遠く消えていく。
「ボク、ちょっと眠る……おやすみなさい……」
○
「ん……、」
「よかった、目を覚ました!」
目の前にクウがいた。ほとんど人間の顔と同じくらいの大きさと勘違いするほど、近く、目の前に。
僕は崩れたブロック塀にもたれかかって、血だらけの右足を投げ出した姿勢で座っていた。辺りは、静かだ。あの小さなグローパーの群れも、巨大なドラゴンも、どこにもいない。
手をもぞもぞ動かすと、何か熱いものに当たった。それは剣だ。光をうしなって、くすんだ刃が重たそうな、ただの剣。根元に埋め込まれた赤い『ライター』の中身は、もうほとんど残っていなかった。
「あいつは……あのグローパーは?」
「え? さっき、あなたがやっつけてしまったじゃないですか」
「僕が……?」
ぜんぜん記憶がない。思い出せない――確か、右足を噛まれて、それで、周りを囲まれて、その後……
「う~ん……駄目だ、思い出せない」
「記憶がないんですか? でも、あなたはたしかにさっきまで……」
「僕が?」
「クウは嘘をつきません! その証拠に、さっきまでそこにいたグローパーが……あ、あれ?」
と、クウが口ごもったのを見て、僕もそっち側を見た。
住宅街の狭い十字路。周囲のあちこちに真っ黒な油のような、煤けた汚れが浮かんでいる。グローパーを倒した時に出てくる、あの黒いライターが何十個も無数にばら撒かれていた。その中心に、小さな人間が倒れているのが見えた――見ると、絵の具でも飛び散ったような真っ黒な汚れ、アスファルトや壁にまでこびりついているそれは、その人の周りだけは丸く切り取られたようについていない。綺麗なままだ。
「グローパーに、襲われたのかな……」
だとしたら助けないと。
僕は右足の痛みをこらえて、剣を杖の代わりにしながらそいつに近付いた。
小さな女の子だ。まだ十歳にもなっていないくらいで、グレーの地味な服装をしている。両手と両足には、何か紐のようなものでしめつけられたようなアザが浮かび、口はガムテープのようなもので抑えつけられていた。
明らかに普通じゃないようすだ。
身体のあちこち、顔にも何か青いあざのようなものが浮かんでいる。だけど、血が出ているということはなさそうだった。目をぴったりと閉じて、完全に気を失っている。はじめてみる僕でも、顔色が悪いということが分かった。
「東さんのところにつれていきましょう」
クウの言葉に僕は頷いた。怪我をしているのなら放っておくことは出来ない。
それに、とクウは続けた。
「あなたの怪我も放っておくことは出来ませんから。魔法少女の魔力でも完治しない傷、きちんとお師匠様に見ていただいた方がよいです」
「うん……そうだね、その方がいいかも……」
まだ右足の、ずきんずきんとした痛みは消えない。だけど、まだ魔力は残っている。
僕は周囲に散らばる黒の『ライター』を拾い上げて、剣の根元に埋め込まれた赤い『ライター』に注ぎ込んだ。二、三個、注いだところで中身はいっぱいになった。
僕は女の子の身体を抱え上げると、左足で地面を蹴ってふわり飛び上がった。
「クウ、案内して」
「お任せください。クウは必ずお役に立ってみせます」




