中井明日架、スタンドアローン-2
【Blue】
とてつもない勢いの風が、私を吹き飛ばした。
視界が白く染まる。身体に力が入らない。立ち上がろうとする暇もないまま、私はすぐそばのコンクリート塀に背中から叩きつけられた。鈍った感覚のせいか、痛みもない。ただ炎天下に在って、肌を貫くような猛烈な冷気だけをひしひしと感じていた。
霞む視界の真ん中に、真っ黒なグローパーの姿が見えた。
右手の光る銃を真っ直ぐ向けたまま、サイボーグのように不自然な姿勢で――固まっている。凍ったように動かない――いや、凍っているのだ。その身体はよく見ると、透き通るような白い氷の檻に閉じ込められていた。
私と目が合うと、一瞬だけ、その目の赤い光が強くなった気がした。その直後、氷の檻に無数の亀裂が入り、たちまち砕け散って氷の塵となって消えた。後に残ったのは、冷凍庫を開いた時のような猛烈な冷気と白いきらきらした雪の結晶。そして、そのど真ん中に落ちていた黒いライターと、それを拾い上げるひとりの魔法少女。
「明日架――――」ひばりは私に駆け寄ると、ばっとしゃがみこんで、「あなたらしくもないわね、こんなにやられるなんて」
「ご、めんね……ひばり」
彼女はひょいと私を両手で軽々と抱えると、巨大な穴の開いた住宅の屋根へ跳び上がり、屋根から屋根へ、塀から塀へと飛び移り始めた。
「ひとまず、東さんの所へ行きましょう」
「まって……」私はかすれる声で、ひばりに精いっぱい呼びかけた。「あれも、一緒に持って行って……」
「あれ?」
「ギター――そこの電信柱に、立てかけてあるから」
東さんの工房に着くなり、私は奥の座敷へ寝かされた。
「ひばり、どうして」
「この子が知らせてくれたのよ」と、変身を解いたひばりの懐から、一体のクウが現れた。「グローパーが現れたっていうから見に行ってみたら……驚いたわ、人間みたいな形のグローパーと、倒れている明日架。間一髪だった」
「間に合ってよかったです。よかったです、はい」
そのクウはせわしなくふよふよと飛び回りながら、自分の身体の二倍近くも長い髪をたなびかせた。
「わたしは新入りなので、はい……はい。少しでもお役に立てたのなら、それが何よりです。何よりですので……えと、」
「無理して喋る必要はないよ、クウ」
円い木の盆を両手に持った東さんが入ってくると、クウはより一層せわしなく飛び回り始めた。
「お前はまた外を回って来なさい。何かあったらすぐに知らせるように」
「はい、お任せください。お任せを、はい!」
すいっとクウが飛び去って行くのを見送ると、東さんは寝かされた私のそばにお盆を置いた。そこには湯呑に入った白湯と、青と緑と白の粉末が交じり合った粉薬のようなものが懐紙に包まれて乗せられていた。
「まずは飲みなさい。ゆっくりでいい――」
私は布団から起き上がり、言われた通り、ゆっくりと、白湯が冷めてほとんどぬるま湯になってしまうくらいまで時間をかけて、少しずつ薬を飲みきった。苦くて、ハッカみたいな刺激性のある何かが舌と喉を激しく苛んだ。それでもぜんぶ飲み終わるころには、気分はだいぶ良くなっていたような気がした。私が薬をゆっくり飲んでいる間、東さんはあちこちの部屋を忙しくなく行き来し、ひばりはずっと私に付き添ってくれていた。
ぜんぶ飲み終わったころに、ひばりは俯いたままぽつりと言った。
「いつも、こんな気分だったのね。明日架は」
「ひばり……いいよ、そんなこと」
「私が、ずっとここで眠っている間、こういう気分だったのかしら。いえ、いまと違って、言葉も交わせない分もっと……」
「もう、いいから」
私はひばりの手を取って、ぎゅっと握った。
「今はもう、ひばりはここに居るんだから。それでいいの。私のことは……気にしないで」
「そうね。ありがとう、明日架」
ひばりの手は、暖炉にかざしていた毛布の様にあたたかい。魔法少女の時のイメージとは、正反対だ。
「明日架、凄く手が冷たいわ」
「ひばりの手があたたかいんだよ」
やがて東さんが戻ってきた。彼女は紺色の作務衣の上に白いエプロンを付けて、急須と湯呑を運んできた。そして、私とひばり、それから東さん自身の分のお茶を順に淹れた。
「明日架、何があった?」東さんは私が落ち着いた様子なのを見ると、単刀直入に尋ねてきた。「今回のグローパーも、また――自我を持った個体だったらしいね。クウから聞いたよ。君が苦戦するほどの相手だったのか?」
「……、」
私は少し悩んだが、ありのままに説明することにした。
「急に、力が抜けて。それで、いつの間にか、変身が解けていたんです。ダメージを負ったわけでも、魔力を使い切ったわけでもない。ただ、急に変身が解けて……そのまま、動けなくなって。そのまま、やられそうになって……」
「まさに、その時ね。私が見つけたのは」
ひばりが食って掛かるように言葉を挟んだ。
東さんは黙ってその話を聞いていた。
「東さん? どうかしたんですか?」
東さんは血の気が失せたような表情をして、私の顔をただ見つめていた。
「明日架、いまは、気分はどうなの?」ひばりが尋ねた。
「うん、もう大丈夫。そうだ、東さん、あいつの仲間が小さな女の子を連れ去っていったんです。急いで追いかけないと――――」
「駄目だ」
ぴしゃりと東さんは、今まで聞いたことのないほど大きな、厳しい声で告げた。
「駄目って、何がですか?」
「明日架。しばらく魔法少女に変身することを禁ずる、君はこれ以上戦ってはいけない」
「え?」
東さんの表情は、真剣そのものだ。
まるで子どもを叱る親の様だった。目尻はつり上がっているが、その奥にはかすかに、潤んだものがあった。私が小さいころ、一度だけ、母さんに本気で叱られたときも、こんな風な顔をされたことがあった。
「どういうことですか? 意味が、分からない」
「君の身体は、もう戦えるような状態じゃないってことだ。これまでも、いろいろな不調が出るたびに、私の精製した薬で調整し続けてきたが――それにも限界がある。今は、君の身体のことを第一に考えるときなんだ。しばらく魔法少女への変身をやめて、身体を休めるべきだ」
何を言われたのか分からなかった。頭をがつんと殴られたような気持ちだった。
魔法少女になることを禁じる?
「私は、大丈夫です」声が震えているのが分かった。「ちゃんと戦えます! そのために必要なことがあるなら、何だってします。だから、私から魔法少女を取り上げないで……それを失くしたら、誰がこの街を守るっていうの!」
「――そのためにも、だ。明日架」
東さんは私の両肩に手を置いた。その時に初めて、私は布団を弾き飛ばすようにして、東さんのほうへ食って掛からんばかりに近付いていたことに気が付いた。
「今はしばらく休むんだ。これ以上、無理に変身することを続ければ――きみは……」
そこで、ぐっと唇を噛んで東さんは押し黙った。
「ふたりとも、落ち着いて」間にひばりが割って入った。「明日架、心配しないで。あなたが抜けたぶん、私が戦うわ」
「そんな、無茶だ! あなたはまだ目覚めたばかりなのに……病み上がりなのに……!」
「私ひとりじゃない。優秀な後輩たちがいるじゃない。香苗さん、翼、千夏。それから、あの、黄色いリボンの……リサ、だったかしら? それだけ魔法少女がいれば、大丈夫よ。あなた達と違って私は、学校に通っているわけでもないし……煩わしい両親に悩まされることだってないんだもの。ふふ、気楽でいいわね、家出娘って」
「でも……!」
「明日架? 私はこの街最初の魔法少女よ。心配してくださるのはありがたいけれど、それを理由に過小評価されるのは、我慢なりませんわね」
「でも……ひばり、でも……」
ひばりは私のことを思い切り抱きしめた。薄いぽかぽかした身体に抱かれると、脳が浮かされたようになって、全てが溶けていくような気がした。
「みんな、あなたが心配なの。魔法少女じゃなくて、あなたという、中井明日架のことを思っているのよ。ここに居ない後輩たちだって、きっとそう。ね、明日架、あなたもあなた自身を大切にする時間よ」
私は何も言い返せなかった。
無性に泣きたかった。
私は何もできない。どうして。私はちゃんと戦える。さっきはちょっと、調子が悪かっただけだ。たまたま、東さんから渡されていた薬を飲んでいなかっただけだ。それだけなのに、どうしてみんな私からそれを取り上げようとするんだろう。私の、青い魔法少女を。
「明日架。ライターを渡しなさい――私の方で預かっておく」
東さんは努めて冷たく言い放つように、私に告げた。
「代わりにクウをひとり、君のそばにつけておくことにする。君の身に危険が迫ったとき、すぐに助けられるように。それと――ひとつ、薬を処方しておくよ。一日一回、寝る前に、必ず服用するように。いいね?」
「……、はい」
「それと、さっきの話――小さい女の子が、グローパーの仲間の男に連れ去られた、っていうことだね? それについては、さっきのクウに様子を見させることにするよ。何かわかったら、こちらもすぐに動けるようにしておかないといけないからね。ひばり、君も暇があれば、街の様子を見て回っておいてね」
「はい、東さん」
「――分かるね、明日架? いざというときのために、君の力は必要なんだ。それまでは身体を休めておけ、そう言っているんだよ」
東さんはそれだけ言うと、何も言わずに地下の工房へと降りて行った。
私とひばりがその場に残されて、気まずい沈黙がおりた。――つらいのは、東さんだって同じはずだ。彼女は自分では戦えない、ほんとうは、私たちのような魔法少女を遣わずに、自分でグローパーや、他の魔法少女と戦いたいはずだ。それも、とてつもない力を持つ『魔女』なのだから、なおさら。けれど、皮肉なことに、『魔女』としての力の代償として、彼女はいくつもの呪いをその身に受け、おいそれと工房の外へは出ていくことができない。
私は自分の意思で魔法少女になったつもりだ。東さんだって、それは納得してくれている。けれど、負い目を感じるのも、当然だと思う。自分のせいで私が苦しんでいると、そう思っているのかもしれない。
私はひばりに、自分の青いライターを差し出した。
「持っていて。東さんに渡してもいいけれど――ひばりが持っていてくれても、いい」
「そう。ありがとう」
ひばりは薄く微笑んで、ライターを懐にしまい込んだ。
「明日架は、学校に通って、家に帰って、バンドの練習もして、曲も作って……そういう生活をしても、いいと思うわ。もうすぐ、大学受験だってあるんでしょう?」
「ひばりから、そんなこと、言われるなんて」
「私にはあまりよく分からない話だけどね」ひばりは心底面白そうに笑った。「でも、ふつうの年頃の女の子にとっては、とても大切なことなんでしょう? だから、明日架も、そういう暮らしに戻ればいいのよ。それで調子が戻ったら、また、一緒に戦って頂戴?」
「……うん。分かった」
「約束――は、しなくてもいいわね」
ひばりは悪戯っぽく微笑んだ。
「だって、あなたが魔法少女じゃなくたって、私はあなたの友だちよ」
二週間分の粉薬を貰って、私はひばりに回収してもらったギターケースを背負い、工房を出た。さっき飲んだ薬のおかげか、随分、気分はいいが、気持ちはいつまでたっても晴れなかった。
「そんなに落ち込まないでよね」東さんが私につけた、ボブカットのクウが頬を膨らませた。「こんなに天気もいいんだもの。気分を入れ替えて、どこかにお出かけしましょうよ? いつまでも辛気臭い顔をしていると、どんどん女の魅力が損なわれていくって、ご主人様もいつも言ってたわ」
「うん。ありがとうね、クウ」
「明日架ちゃん、あなたに何かあっても、絶対にわたしが守って見せるわ。わたしはただのクウだけど、あなたのそばにいつもいることは出来るんだから」
「頼んだよ」
えへん、と小さな胸を張るクウを見ていると、少しだけ微笑ましい気分になってくる気がした。スマートフォンを開くと、秋良からメッセージが届いていた。
『この後、暇? よかったらお茶でもしない!?』
私は「いいよ」とだけ返事をして、とりあえず街のほうへと足を向けて歩き出した。
「どこに行くの?」
「友だちに会いに行くの。クウ、街中では目立たないように、どこかに隠れててよね」
「はあい。でも、どこがいいかしら?」
と、クウはジーンズの左ポケットのほうへ向かっていく。
「あ、そっちは駄目! もう物が入ってるから、窮屈だよ」
「そう? じゃあ……」
「ギターケース、確か使ってない小さなポケットがあったから。そこを貸してあげる」




