石上香苗、ペインフル-3
電車の屋根で少女が足を引いた途端、ローファーが固い地面を叩いた時の、かつん、という音が車庫の中にこだました。
「クウ、あの子、知っている?」
私はそっと問いかけた。
「私は見たことがないわ。日高、麗、名前も聞いたことがない」
「わたしも、知りません。新しい魔法少女でしょうか?」
「いえ、でも――東さんの持っていたライターは、もう全て使い切っていたはず」
だとしたら、あの子はどうやって変身しているのか? 鳴海みなとのように、私たちも知らない別のライターが使われているのか。もしくは――ひばりさんの時のように、私の知る誰かからライターを奪ったのか……
私の思考は、日高麗と名乗った少女を警戒するグローパーたちの戸惑いに満ちた咆哮によって掻き消された。彼女の振る舞いは気品に満ちた、武術の作法を思わせるものだった。自分の身の丈をゆうに超える長い槍を軽々と振り回し、身体の芯はまっすぐに立っている。
「魔女め。いっぱい数を集めれば私を倒せると思ったら、大間違いです」
彼女は微笑むでもなく、きっと唇を固く結んだ。
「まずは、この化け物たちを蹴散らしてやります。行きますよ――それッ!」
軽やかな跳躍。その後に、台風のような猛烈な暴風が巻き起こった。
麗は細い脚で列車の屋根を蹴り、車庫の屋根に身体をぴったりとつけると、屋根を蹴って地上のグローパーの群れの中へ突っこんできた。槍を真っ直ぐ構え、その中でもひときわ巨大な恐竜のような尖った頭のグローパーの脳天目がけて穂先を突き立てると、そのまま貫いて地面に突き刺さった。
轟音を合図にグローパーたちが群がっていく。
「どうします、香苗さん」
クウが不安げな表情を浮かべている。私は目立たない場所へ下がり、様子をうかがうことにした。幸いなことにグローパーたちはすべて麗のほうへ注意を向けており、こちらに向かってきたり、視線を向けたりするものはない。黒い巨体が次々に襲いかかっていくその中心からは、風を切るようなひゅんひゅんという音と、グローパーの身体が粉砕されていくガラスの割れるような音がひっきりなしに続いていく。黒いグローパーの身体が吹きとばされ、車庫の屋根まで飛ばされて叩きつけられる。車庫の壁、車両、あちこちに撒き散らされていき、あっという間に広大な空間は一面、真っ黒な油のようなグローパーたちの血にまみれてしまっていた。
最後の一体、尾の生えた長い手足のグローパーが、黒山の中からのっそりと姿を見せた。
身体じゅうの力が抜け、だらりと垂れ下がった身体。その中心、心臓の辺りを、銀色に光る槍が真っ直ぐに貫いている。まるで晒し首でもするような格好だ。何分も経っていないように感じられるその短い時間に、日高麗は、グローパーの大群をたった一人で蹴散らしてしまっていた。
「残るは貴女です」
槍を私に向けて真っ直ぐに構え、凛とした声で言い放つ。小さい身体のどこからそんな風に発生できるのかと思うほどの声量だった。息遣いには子どもっぽさが残っているけれど、その声色は随分と大人びていた。
「貴女の持っているライターを渡しなさい。そうすれば、痛い目を見ずに済みますよ」
「――ねえ。麗ちゃん、だったかしら」私は出来るだけ敵意を見せないように、出来るだけ子ども扱いしないようにしながら、「まず、私は魔女じゃない。あなたよりずっと年上だけど、魔法少女よ。あなたと同じようにね」
「黙りなさい。魔女の言うことなど、やすやすと信じるつもりはありません!」
「魔女っていったい、何のことかしら?」一瞬だけ彼女が黙ったのを見て、私はひとつ確信した。この子には、戦う目的がはっきり認識できていない。「教えてちょうだい。あなたはどうやって魔法少女に変身するための力を手に入れたの? そして、何のために、誰と、戦っているの?」
「それは――」
「耳を貸しちゃ駄目だぜ、麗」
不意にどこからともなく、銀色に光る小さな生き物が現れ、麗の周囲をくるくると飛び回り始めた。
「あれは――クウ!」
「いえ、違います」私の隣にいたクウが告げた。「あれは、よく似ているけど、違う――我々の仲間ではありません」
その光は、確かにクウと同じくらいの大きさだったが――、纏う雰囲気がだいぶ異なっていた。身体は蛍光灯の様に淡い光を放ち、背中から大きな翼が生えている。逆立った髪の毛や振る舞いは、小学生くらいの男の子を思わせた。
「いつも言ってるだろ? あいつは、お前と同じ力を持っていても、お前とは全然違うんだ。あいつは魔女で、真っ黒なあのモンスターを街に放って、人間を皆殺しにしようとしてる。麗はそれをぶっ倒す、正義の魔法少女なんだ。そうだろ?」
「――あなたに言われなくても分かってます、パロマ」
麗はふんっと頬を膨らませると、改めて槍を構え直した。そして、きっと私の方を睨みつける。
「私のことを惑わそうとしたって、そうはいきませんよ、悪い魔女!」
「お願い……貴女みたいな小さい女の子を相手にするのはね、決して気分のいいものではないの」
「馬鹿にしないでください――お覚悟ッ!」
ジェット噴射のような砂埃を巻き上げて、麗が飛びかかってくる。流線型の鋭い槍の穂先を真っ直ぐに構えて、私の心臓目がけて突き立てようというのだ。
「香苗さん!」
「仕方がない」私はランプを構えた。「あなたが悪いのよ、私を――私を、傷つけようとするだなんて」
炎が急激に渦となって巻き上がった。一瞬後、ぶわっと広がって壁のようになり、麗めがけて包み込むような炎が燃え上がる。倉庫の中が光に包まれた。やがて炎は小さくなっていき、完全に彼女のことを焼き尽くして、灰も残らないだろう。胃の奥がきりきりと痛み、心臓がやけに大きく高鳴った。動悸と、息切れ。まるで――
だが様子がおかしいことに気が付いた。炎は小さくなっていくどころか、更に広がっていって、大きくなって――やがて膨らみ過ぎた風船のようにはじけると、無数の火の粉へと変じ、車庫のあちらこちらに散らばった。
「炎の魔法ですね。それも、ふつうの炎じゃない。まるで冷たい氷みたい」その中心から現れた麗は、槍をぶんぶんと振り回しながら、「けれど、残念でしたね。そのくらいの炎なら、私の魔法で簡単に吹きとばせます」
槍が真っ直ぐに天を指し示すと、散らばった火の粉と、そこらじゅうの塵と砂と、それから小さなゴミ屑がぐるぐると渦を巻いた。まるで槍を中心にした、小さな竜巻の様に――
竜巻。
麗の首に巻かれたストールが、激しく逆立って翻っていた。彼女が起こした風の魔法。恐らく、さっきの炎を掻き消したのも、あの風によるものだろう。
彼女が槍を振り下ろすと、そのまま竜巻が私に倒れかかってきた。猛烈な風と、冷たさ、熱さ、痛み。いろいろなものが一気に襲いかかってくる。身体のあちこちに小石がぶつかり、風は刃となってあちこちを切り刻んだ。何より、とびちった火の粉が尾を引いて私の顔や髪の毛に降りかかってくる。
もちろん、これは私の魔法だから、私自身がこの緑色の炎に焼かれることはない。けれど、その火の粉は熱や痛みを伴って、私を苛んだ。
ふと前に意識を向けると、すぐそこまで日高麗は突っこんできていた。
「せいッ!」
槍の穂先が突き出される。咄嗟に身をよじって躱すと、遅れた髪の毛が切り裂かれる嫌な音が聞こえてきた。よろめいた身体は一瞬、平衡感覚を失って倒れそうになる。地に着いた右足がよろめいたとき、鈍い感触と共に足が払われた。倒れていく身体を支えようと右腕が動いたとき、手首をがっと掴まれた。
「ふッ!」
ぐいと右腕を引っ張られ、同時に腰が浮いたのを感じた――小さな体とは思えぬほどの、思い切りのよい背負い投げだった。受け身をとれず背中から固い線路に叩きつけられて息が思い切り漏れた。両方の肩を同時に、別々の痛みが貫いた。左肩を思い切りかかとで踏みつけられながら、右肩を槍が深々と貫いていた。
「あああああッ!」
「さあ、ライターを渡しなさい!」
「っ、この……!」
目の奥で火花が散った。身体が融け落ちていくような感覚――私の身体は、身に着けているものから骨の奥まで炎と化した。そのままずるずると滑るようにして麗の下から這いずり出て、グローパーの死体がまだ散乱するほうへと逃げだした。
麗は目を見開いて私のほうへ向き直った。
「なるほど。魔法は使いこなすと、そういうこともできるんですね」
「お前みたいながきんちょには、まだ到底無理だけどな!」
「うるさいっ、パロマ!」槍を振り回し、「子どもだからって……女だからって、私のことを馬鹿にしないで! 何もできないって決めつけて……!」
再び激しい踏み込み。鋭い槍が向かってくる。
「香苗さん、きますよ!」
クウの声がやたらと耳についた。
頭痛も腹痛も、嘔吐感も。ぜんぶ鈍くなって、うっすらと消えていく。
肩にぽっかりと空いた穴。だらだら流れてくる血が、やたらと冷たく、腕を伝っていく。
「私の身体を……よくも……!」
急に怒りがこみ上げてきた。
ランプを翳す。もうライターの残量は少ない。残ったすべての力を使って噴き出した炎が、麗目がけて襲い掛かる。
「何度やっても無駄です!」
麗が空中高くジャンプすると、その後から烈風が巻き起こった。襲いかかる炎が引きちぎられ、細かな火の粉へと変じていく。彼女は一瞬、得意げな表情を見せ、槍を構えて真っ直ぐ私のほうへと落ちてきた。
「お覚悟!」
「馬鹿ね。やっぱり子どもは」私はめまいを抑えながら、襲い掛かってくる彼女の背後に散らばる緑色の火の粉たちに目を向けた。「あなたは自己顕時欲が強過ぎよ。もっと周りを見ないと」
「なにをっ、」
麗は咄嗟に背後を――車庫の天井を見た。
そこには、さっき風で引きちぎられた炎が、きらきらと星のように散らばって浮かんでいた。細かく、無数に漂うそれらは、一斉に強い光を放ち、互いに引き合うように明滅した。
「わざわざ火種を増やしてくれてありがとう」
大爆発が起こった。
目の前が真っ白に焼かれるような思いがした。確かなことは、結局、麗の槍は私の元へは届かなかったということだった。
これは私の魔法だから、私自身がこの炎で傷つくことはない。やがて炎が徐々に消えていくと、そこには身体じゅうから黒い煙をぷすぷすと巻き上げる麗の姿があった。地面に両手をつき、息も絶え絶えと言った風だった。
「この……!」
「やべえ。いったん退くぞ、麗。このままじゃお前の魔力が尽きる!」
「でも!」
「向こうも限界みたいだ。追って来やしねえよ」
麗はこちらにも聞こえてきそうなほどの歯ぎしりを響かせ、うっすらと涙の滲んだ目で私を精いっぱいににらみつけると、
「覚えていなさい、悪の魔女……!」震える手で槍を握り直し、「次に会った時は、絶対に容赦しません!」
そう言い残して再び風を巻き上げると、次の瞬間には、どこかへと消えていた。
「はぁ……」
たまらず、私は変身を解いた。ライターの残量はもう、残りわずかだ。
「だいじょうぶですか、香苗さん?」
「だいじょうぶ、じゃ、ないわね……っつ!」
左の肩に鋭い痛みが走った。まだ、出血が止まっていない。さっき槍を突き刺された場所だ。それが異常だということに気づくまで、少し時間がかかった。
おかしい。
普通なら魔法少女が負った傷は、すぐに魔力で修復されるはずだ。ライターの中にはまだ、わずかとはいえオイルが残っている。なぜ傷が治っていない?
それに、と私は霞みつつある視界で周囲を見回した。
さっき、麗が蹴散らしたグローパーの群れ。その残骸は既に塵となって消えているが、そこに残っているべきものが何もなかった。黒いライター。私の炎でも、明日架の電撃でも、何をもってしても破壊できないはずのあの物質が、影も形もなかった。
あの魔法少女が全て持ち去ってしまったのだろうか? いや、そんなそぶりは見せていなかった気がする。それとも、あのパロマと呼ばれていた妖精が、それをやったのだろうか。
「おいっ! そこで何してる!」
鋭い男の声が私に降りかかった。まずい――見つかった、と思うと同時に、これはチャンスだと思った。
「グローパーよりは劣るけれど、」
あれでも代わりにはなるだろう。私はライターを握りしめた。
「まさか――香苗さん! 彼らは無関係な一般人ですよ!」
「こんなところを見られて、生かしておくわけにはいかないわ」
「馬鹿な……それでも魔法少女か!」
「うるさいわね」
しゅぼっという音と共に、クウは緑色の火の玉になって消えた。
鉄道職員が数人、黒い警棒を手に私の前に現れた。
「おとなしくしろっ。連行するぞ!」
「ああ――――」
頭痛がおさまらない。誰でもいいから、この耳鳴りを止めてほしい。
誰でもいいから。
そう、誰でも…………




