中井明日架、スタンドアローン-1
【Blue】
「魔法少女を、やめようと思って」
鷺宮千夏がそう言ったとき、私は、正直、驚いたりもしなかった。
そんな気がしていた。
「このライターを、東さんに返す。私は魔法少女じゃなくなる。この『白いライター』が、得体が知れないものだとしても、私じゃなくて東さんの手元にあれば、誰かがそれを勝手に使うことは出来ない。そうすれば明日架は安心でしょ」
「……私への当てつけだっていうの?」
「違う」千夏はかぶりを振った。「ただ……私は、自分が怖くなっただけ。このまま、魔法少女としての力を持ち続けていたら、なにか取り返しのつかないことをしてしまいそうで、怖くて……ずっと考えていたけれど、やっぱり、私はこういう力を持つべきじゃないって、そう思ったの」
千夏の表情は穏やかだ。
でも、ちょっとだけ、瞼が震えているのが分かった。
「私がいなくなっても、リサさん、香苗さん、翼……それに、ひばりさんも、明日架もいる。大丈夫かなって」
「そうね、もともとふたりでも――私とひばりだけでも、十分やれていた。この間の戦いの日以来、不思議とグローパーの出現率も減ってる」
「うん」
「……、私が持って行ってあげようか。ちょうど私も、東さんのところに行くつもりだったの」
手を差し出すと、千夏はちょっとためらうような表情を見せた。
「どうしたの」
「ううん。それじゃあ、お願い」
彼女は私の掌に白いライターを置いた。私はそれをジーンズのポケットにしまい、こちらをじっと見てくる千夏の顔を見た。
「わざわざ、ごめん。明日架」
「敬語……」
「え?」
「私、高三……リサや香苗さんのことは『さん』なのに、私は呼び捨てなんだね。あんた」
「ごめん、なさい……明日架さん」
「……、いい。もう、会うこともないだろうし」
千夏は最後まで私の目をじっと見ていた。
そんな目で見ないでほしい。私は何もしてあげられない。
千夏はきっと、魔法少女をやめる、この決断をするまでに、相当に苦しんだに違いない。私だって、ひばりのことが無ければ、いつまで続けられていたかもわからない。香苗さんはともかく、リサのように、純粋に正義感で続けられるほど、魔法少女という役割は甘いものじゃないのだ。身体の傷はすぐに魔力で治る。でも、心や精神に負うダメージは、消えることはない。目の前でグローパーに喰われて、内臓を垂れ流している人間を何人も見てきた。最初のうちは、帰ってすぐに何度も吐いた。その怪物を倒してしまう自分がとても恐ろしかった。
それでも私が魔法少女でいられるのは、ひとつの約束のためだったのだ。
それを叶えた今――
「これはちゃんと届けておくから」
私は千夏に背を向けた。
「バイ、千夏。――よかったら、またライブには来てよ。次のライブ、未定だけど」
振り返らなくても分かる。千夏は、私が歩き始めてから少しした後に、くるりと振り返って、小走りに大通りへ向かっていった。
『白』のライター。
私が魔法少女になったとき、これは存在しなかったものだ。
ひばりが最初に持っていた『紫』。そして、彼女から私に手渡された『青』。担い手のないまま、箪笥の奥でくすぶっていた『赤』、『黄』、『緑』。グローパーから吐き出されてくる『黒』。だけど、ここまでまっさらな『白』のライターは、見たことがない。東さんが作ったものでもないという。
このライターはどこからやってきたものか? そして、千夏はこれをどこで手に入れたのか? どうして魔法少女になったのか? 私たちに手を貸す目的は何か? 疑問は汲めど尽きない――だが、いまこうして、その『白のライター』は彼女の手を離れ、私のもとに在る。
少なくとも、これで千夏が魔法少女になることはない。そして、得体のしれないこのライターが、誰かの手に渡ることもないのだ。
それでいい。
余計な不安要素を、ひとつ取り除くことができた。それでいい。
魔法少女なんて、この街にはそんなにたくさんいなくていいのだ。わざわざ辛い、苦しい思いをして、見返りのひとつもないのだから。
住宅街に立ち並ぶ何の変哲もない一軒家が、突然、音を立てて中から弾けた。
窓ガラスと、コンクリートブロックが飛散する。屋根は吹きとばされ、破片が雨のように飛び散っていく。その中から、のそのそと、クマのような黒い巨体が現れた。前脚をアスファルトにめり込ませながら、ゆっくりとこちらを見ると――
「グォォォォォオオオオオ――――……」
という、欠伸のような野太い声を上げ、赤い眼で私を睨みつけた。
ギターケースを電信柱の影に置き、白のライターをポケットにしまうと、反対側から青いライターを取り出し、スイッチを入れた。
「変身」
ライターに力が集まり、束ねられ、巨大な対物銃へと姿を変える。グローパーの大きく開かれた口へ銃口を向け、トリガーを引く。光の弾丸がグローパーの頭を吹き飛ばし、大きくのけぞった怪物がゆっくりと後ろへ倒れていく――これまでに何度となくこなしてきた、いくつかの挙動を組み合わせるだけの、いつも通りの戦い。
グローパーは頭から塵のような煙を吹き出しながらも、まだその形を保っていた。――露になった腹の、心臓の辺りに、脈打つ黒いライターが見える。
続けて二発、三発。今度は腹部を狙って弾丸を打ち込んでいく。
「しぶとい……!」
動作は緩慢、こちらに積極的に襲いかかってくる挙動も見せないが、何度弾丸を打ち込んでも倒れるようすがない。
銃身を半回転、変形させ、銃床を構えて跳ぶ。思い切り振りかぶり、叩きつける。グローパーの身体がひしゃげ、アスファルトに重たい地響きと共にめり込んだ。もはや元の四足歩行の身体は見る影もないが、それでも消えない。
それどころか――目を疑った。徐々に身体が再生し、むくむくと起き上がっていく。
いったん後ろに跳び、距離をとった。ここまで耐久力の高い個体は見たことがない。再び銃を展開し、相手に向けて構える。見る間に、吹きとばした頭も再生し、四肢がめきめきと音を立てて元通りに戻っていく。
「グオオオオオオオォォォォォォオオン」
咆哮はもはや、もの悲しさすら感じさせるほど太く、低い声だった。グローパーは完全に身体を再生させるのと同時に、のそのそとこちらへ駆け寄ってくる。
一撃で決めるしかない。
半端なダメージを与えても、すぐにこいつは再生してしまう。その隙すら与えないほどのダメージを、一撃で与えるしかない。
向かってくるグローパーはむしろチャンスだ。銃身をしっかり握りしめ、魔力を込める。バレルからばち、ばちっと青白い火花が散り、高熱を帯びる。
グローパーの巨体が目の前に迫ってくる。
銃身が開き、変形し、まばゆい光が漏れる。あともう少し――
グローパーが前肢を振り上げる。鋭い爪が襲い掛かってくる。
まだ、このくらいでは足りない。あと少し――!
真っ黒な巨体が真上に覆いかぶさるように襲いかかってくる。まだ、あと、ほんの少しでいいから――あと三秒だけ――
地響き。
轟音。目の前が真っ暗になる。頭上からくるプレッシャーと、時どき漏れ出す熱気のような気持ち悪さ。
グローパーは私の真上で止まっていた。真っ直ぐ、柱のように立てた銃身に身体を引っ掛け、苦しそうにもがいている。完全に太陽を覆い隠してしまったその巨体に、完全に力を溜めた、まばゆい対物銃が突き刺さっていた。
中で何かが激しく回転し、火花を散らす。
準備万端。銃口はもう、絶対にグローパーを捉えそこなうことはない――!
引き金を引く。
空に向かって、一条の雷が激しく突き刺さった。
轟音と閃光。
グローパーの身体には巨大な風穴があいた。いや、それどころではない。後ろ足の足首から先を残して、全てが消し飛んでいた。その残った足も、次第に崩れ、灰になっていく。空からからからと、石ころのようなものが落ちてきた。
それはライターだ。
一個や、二個ではない。中身がほとんど空っぽのライターが、十個近くも空から落ちてきた。私が撃ち抜いたグローパーの身体に埋め込まれていたものなのだろうか――それらはアスファルトにバウンドすると、次々に割れて砕けていく。
空を見上げる。
頭上にグローパーの姿はない。もし今のライターがすべて、さっきのグローパーの身体に埋め込まれていたものだとしたら――そんなグローパーは見たことがない。
「ふうん、意外と脆いんだな。元がジジイだからかな」
若い男の声だった。その声の主はグローパーが突然噴き出してきた、その家の瓦礫の中から悠々と歩み出てきた。青いストライプのワイシャツに、黒い高級そうなスーツと革靴を身に着けたその男は、銀色縁の眼鏡越しの気だるげな視線を私にひょいと投げた。
「で、君が魔法少女か。この辺りは君のシマってわけ?」
「あんた、誰」
男は表情を一切変えないまま、道路の真ん中までかつかつと革靴を鳴らして歩いてくると、私に向かい合うようにして立ちどまった。ポケットに突っこんでいた右手を、不自然なほど注意深くとりだすと、指で眼鏡をくいとあげた。左手は、ズボンのポケットに入れたままだ。
「高校生かな? 大人はさ、君たちと違って、夏休みなんてないんだ。仕事の邪魔しないでくれるかな」
「仕事ですって?」
「そうだよ、仕事」
すると、家の中からさらに二つの人影が現れた。
ひとりは、今の男より一回りくらい大柄で、色黒な男。白いワイシャツにモスグリーンのネクタイと、黒いジャケットを着こんでいて、やたらと暑苦しい。
そしてもう一人は――その男に腕を掴まれた、小さな女の子だった。
口に粘着テープのようなものを巻かれた、まだ十歳にもなっていないくらいの。
「なに……!」
怖気が走った。
怒りや焦りよりも、本能的な恐怖が襲い掛かってくる。いま、目の前で行われているこれは――――
不意に、脇腹を鈍器のようなもので殴られたような衝撃が走った。胃の中から空気が思い切り漏れ、大きく吹きとばされる。ぐるぐると混乱する感覚のまま、アスファルトの地面を転がり、どこかのブロック塀にぶつかってようやく止まった。
「馬鹿。堂々と出てくる奴があるか、もっと場所を選べよ」
さっきの男の声が聞こえる。
ようやく立ち上がり、曇った視界が開けていく。そこにはさっきの男はいなかった。代わりに、鉄パイプと針金を無理矢理人型にかたどったような、真っ黒な怪物がそこにはいた。左脚は針のように細く、右腕は円筒状の、バイクのマフラーのように煙を吹いていた。
三つの右の瞳が、赤く爛々と輝く。
グローパーの後ろで、さっきのスーツの男が女の子の腕を掴み上げているのが見えた。
「その子を離せ!」
銃を構える。
グローパーも右腕を構えた。
私と男、光の弾丸を放つのはほぼ同時のことだった。私の横を、真っ赤に焼けた鉄のような弾丸が掠めていく。グローパーの腹部に、青く輝く弾丸が突き刺さり、火花を上げた。
「ぐっ、」しかし、男は平然と立っている。「ふっ、んん。なるほど――おい、さっさと連れていけ。ぼやぼやするな」
スーツの男は頷いて、女の子の手首を掴んだまま引きずるように歩いていく。女の子はじたばたと力なくもがいているが、大の男に敵うはずもない。
「このっ――待て!」
銃を回転させ、男に向けて何度も弾丸を放った。
光の弾丸は何発も命中し、少しずつ、後ろへと身体をのけぞらせていく。だが、致命傷には至らない――身体から白煙を上げながら、まだ、そこに立っている。
「強い……!」
「思ったより拍子抜けだな、魔法少女っていうのも」
グローパーが右腕を上げる。
銃口に赤い光が集まり、熱を帯びた弾丸がすぐさま放たれた。銃を目の前に突き立てるように振り下ろし、弾丸を叩き落す。足元のアスファルトが砕け散り、激しく衝撃と熱が辺りに散らばった。
とてつもない威力だ。
今まで戦ったどんなグローパーより強い。
気が付くと、あの男と少女がどこにもいない。戦いのどさくさに紛れて、姿を消したようだ。
「あの子は何? どうするつもりなの!」
「しつこいな、君」やれやれと首を振ると、錆びた金属の軋む音がする。「ともあれ、見られてしまったら仕方がない。ただで返すわけにはいかないな」
「何を……!」
全身の毛が逆立つ思いがした。電気が周囲に漏れ、私の目の前で粉塵が小さく爆ぜる。
互いに十数メートルの距離を置いて対峙している。銃によるただの攻撃では、効果が薄い。さっきの巨大なグローパーと同じだ、強く、重い一撃を当てるしかない。そのためには――
膝を曲げ、銃を変形させる。
懐に入り込んで、最大の魔力を乗せた打撃をぶつける。
グローパーはキシキシと身体じゅうを軋ませながら、次の攻撃の態勢に移ろうとしている。鉄パイプのような銃身に、身体じゅうから伸びた黒と赤の電気コードのようなものが螺旋状に絡みつき、耳障りな音と共に変形していく。さっきとは違う攻撃を繰り出してくるつもりだ、それでも、私の方が一瞬速い――いける!
力を振り絞って駆け出したその時だった。
身体じゅうから一気に力が抜けて、足が止まった。そのまま膝から崩れ落ちる。魔法少女の衣装も、手にした銃も、全てほどけて跡形もなくなり――人間の私だけが残った。
「え?」
右手に握りしめたライターを見る。まだ、中身は半分以上、残っている。魔力切れで変身が解けるのとは、訳が違う。
「どうし……て、」
意識が遠のいていく。
頭がガンガンと鳴る。両腕を地に着いたまま、起き上がれない。身体が、自分の身体ではなくなったみたいに――
アスファルトから顔を辛うじて上げると、ぼやけた視界の向こう側、赤い光が集まっていくのが見えた。指先ひとつ、動かせない。
変身しなくちゃ。
魔法少女になって、あいつと戦わなくちゃいけないのに――――
目の前が光に包まれた。




