【Epilogue】鷺宮千夏は自分自身に思い悩む
【White】
「あら」
充電の切れかかったスマートフォンの地図アプリを頼りに、見知らぬ道を歩いていると、目の前に見たことのある顔が現れた。
「ひばり……さん?」
「貴女とこうして顔を突き合わせるのは、はじめてね。千夏」
村山ひばりさん。
結局、ちゃんと面と向かい合って喋るのは、これがはじめてだった。あの時は戦いに夢中で、気が付かなかったのだ。彼女は魔法少女の時に着ていた和服とは違う、黒いカーディガンと白いスカートという、無難な服装をしていた。長すぎる黒髪は真っ直ぐ、下ろしたまま。とてもきれいな――女の人だった。
「とりあえず、適当に選んでみたのだけれど。どうかしら」
「似合ってる……と、思います。ごめんなさい、私にも、よく分からない」
「ええ、私にも分からない」
話を聞くと――
彼女もまた、『Pisces』のライブ会場へと向かう所らしい。バンドのリーダーから無料で招待されているというのだ。
「この街は変わったわね」
ひばりさんは時々、遠い眼をして街を見上げる。
時刻は午後五時半。真っ赤で優しい夕焼けが、コンクリートばかりの街を包む。街にはいつもの通りに人が行き交い、いつも通りの生活、いつも通りの日常が流れている。
あの日の戦いで破壊された街のことなど――何もなかったかのように。
あの夜の戦いでは、街はひどく傷つけられた。
けれど、それはそれぞれ、なにか当たり障りのない事件や事故として、みんなは認識しているようだった。深夜の大地震でアスファルトが罅割れ、トラックの暴走でビルが破壊され、ガス爆発によって建物が崩壊した。中には、落雷の衝撃で廃ビルが崩れた、なんていうニュースもあった。
それをみんな、当たり前のように信じている。
グローパーや魔法少女のことなんて、誰も知らない。覚えていない。
でもいったい、どうして――誰がそんなことを信じるというのだろう。
「魔法ね」
「魔法?」
「そう。東さんか、あるいは別の魔法を使える人間が――この街にいる人たちの記憶を塗り替えて、無かったことにしようとしているの。魔法少女も、グローパーも、この街にはいない。そういうことにしようと」
それならそれで好都合だ。
でも、誰がどうやって?
「この街は、変わったわ」
ひばりさんは何度も立ち止まっては、何度も同じことを言った。
「でも、変わってない。いつも肝心なところが違う。ビルの看板が変わっても、色や、建物の数が変わっても……、この街はずっと変わらない。人間とおんなじだね」
「そこの角を右に曲がるみたいですよ」
ひばりさんの肌は白くて、透き通るようにきれいだ。赤い夕陽が透けて染み込むように照らされて、黒くてつやつやした髪の毛とコントラストになっている。
もっと気を遣った服を着てくればよかった。
「あれっ、千夏ちゃん!」
ライブ会場はビルの地下にあるらしい。まだ開場していないのか、その周囲に数人の列が出来ているだけだった。その中にはリサさんと、それからスーツ姿の香苗さんの姿もあった。
「なに、千夏ちゃんもライブとか来るの? 意外だなあ」
「いえ、これは……友だちからチケットをもらって、それで。その、おふたりは?」
「え? 千夏ちゃんも、明日架さんの歌を聴きに来たんじゃないの?」
「え?」
リサさんは鞄から折り畳まれたパンフレットを取り出して、指で示してくれた。
「ほら、ここ。『Pisces』っていうバンドだよ」
「『Gt & Vo』……『中井明日架』、ほんとうだ」
「知らないで来たの?」
「はい」
そうなんだ。
大和が何度も勧めるから、いつの間にか、私もよく聞くようになっていたガールズバンド『Pisces』の、力強い歌声――
あれは、明日架の歌だったんだ。
「ひばりさん」
香苗さんがひばりさんに、にこりと笑いかける。
「あの時は、挨拶どころじゃなかったものね。石上香苗です」
「東さんから聞きました。私が下手を打ったあと、ライターを手にしたのだと」
そう語るひばりさんの表情は悔しそうで、辛そうで――ぎゅっと握りしめた手の細い指が、今にも折れてしまいそうなほどだった。
「明日架はいつも、貴女のことを心配していたわ」
「ええ――そうだと思います」
「でも、こうして目が覚めたのだから、終わり良ければ総て良し、よ。明日架に会いに行ってあげなさい――あれから顔を合わせていないんでしょ?」
「え、そうなんですか?」
リサさんの声に、ひばりさんは頷いた。すると、リサさんの服のポケットからクウが飛び出してきて、
「どうして――きっと明日架さんも、あなたに会いたがっているわ」
「明日架との約束なのでね」
「約束……?」
「『歌うことをやめないで』」
その言葉は、静かな言い方だったけれど、今まで聞いたひばりさんのどんな声よりも、重く、熱を帯びていた。
「今にして思えば呪いのような言葉ね。私はそれを言い残したまま、眠りについてしまった――三年もの間、明日架がその言葉にどれだけ苦しめられてきたことか……私には、想像することもできない。でも、ひとつだけ分かることがあるの」
ひばりさんはにっこりと笑って、
「きっと明日架は、歌い続けてくれていたはず。だから、今日のこのライブがあるんだもの。私が眠っている間も、ずっと、準備を続けてきたはずなんだ。そこに、私が顔を突っ込んで――彼女の邪魔をしてはいけないと思ったの。いま、私と明日架が馴れ合ってしまったら、きっと明日架の歌は淀んでしまうと思ったから――だから、彼女の歌を聞いたら、改めて、明日架のところへ行くことにする。それが、約束を守ること」
みんな静まり返ってしまった。
クウも、リサさんも、香苗さんも。
私もそうだ。
ひどい罪悪感に苛まれるような気がした。それは、私になにか、やましいことがあるからなのだろうか。
「……、ごめんなさいね、暗い気持ちにさせてしまったわね」
でも、私は――
ひばりさんに、声をかけてあげたいと思った。
「明日架の歌は、すごく――すごく、」ばっちり合う形容詞をようやく見つけて、「カッコいいですよ」
「――――ええ、私が誰より知っているわ」
ライブ会場は超満員だった。
私たちは四人で丸テーブルの立ち席へ陣取り、ワンオーダーのジンジャーエールをすすりながら、ライブが始まるのを待っていた。
真っ青に照らされた無人のステージ。寂しく立ったマイクスタンドが、会場じゅうに一種の緊張感を生み出している。
「こういうところ、今まで敬遠してたのだけれど……意外と、若い女の子が多いのね」
香苗さんがほっとしたように息をつく。
「煙草の匂いもしないし、いい所じゃない」
確かに、周りの観客を見ると、ほとんどが十代か、二十代の女性だった。男性というだけでもかなり数が少なくて、よく目立つ。制服姿の中高生が一番数が多い印象だ。みんな髪の毛を金や茶色に染めていたり、ぎらぎらしたアクセサリーに身を包んでいるのかと思ったら、そんなことはないみたい……
「調べたところによると、」リサさんがスマートフォン片手に、「『Pisces』っていうバンドは、二年前に結成され、インディーズの中でいま最も勢いのあるバンドのひとつらしいです。主に若い女性から絶大な支持を受けており、一部では、メジャーデビュー目前という噂もあるとか……」
「へぇ……」香苗さんの眼がすっと細くなる。「明日架、凄いわね」
「このライブハウスも、つい最近できた場所らしいですよ。若者、特にガールズバンド御用達。飲酒・喫煙厳禁をウリにしているらしいです」
「知らなかったわ。こんな場所があるなんて。でもお酒が飲めないのはちょっと、残念ね」
「香苗さん、お酒、飲まれるんですね」
「そうよ。大人だもの、もちろん」
「なんか……そうは見えないです」
「リサちゃんも大人になったら、嫌でも飲むようになるわよ。それに、最初は良くないイメージがあってもね――」
ひばりさんは、眩しいものを見るようにずっと黙ったままだ。
観客のざわつき。
まだ、誰もいないステージ。
その向こうをじっと見つめながら、でも、その眼には何が映っているのだろうか。からんとソフトドリンクの氷が鳴る。
私は――
ただただ、人の多さと、スピーカーから流れ続ける大音量の音楽に流されないように、自分で自分を保つことに必死だった。こういう人が多くて狭い場所は、やっぱり苦手だ。大きな音楽が流れているだけで、心臓がどきどきして、落ち着かない。
やっぱり、来ない方がよかったかもしれない。
「ごめんなさい、ちょっと、外の空気を吸ってきます」
リサさんにそう告げて、私はいったんライブハウスの外に出た。
東京の汚れた空気でも、だいぶおいしく感じる。
静かだ。
人の喧騒も、車や電車の音も、遠く感じる。私の身体に触れるものは何もない。
「ふぁぁ」
と、あくびが出る。心地よい風に、ちょっと、疲れが出てしまったのかもしれない。あの戦いの疲れがまだ抜けきっていないのだろうか。それとも、ゆうべ、ちょっと寝付けないのをいいことに、夏休みの宿題をやっていたら、気付いたら夜中の三時半くらいまで起きていたせいだろうか。
ちょうど東西に走るこの路地には、傾いていく西日が、直接差し込んでくる。
アスファルトに強く、濃く落ちる私の影。当たり前だけど、勝手に動いたり、喋ったりすることはない。
「ふぁ……」
なんだろう、あくびが止まらない。
どうしてだろう、この――倦怠感は。
「だいじょうぶ、千夏ちゃん?」
ふと見ると、いつの間にか私の服のポケットに入り込んでいたクウが心配そうな声で見上げていた。周りの人に見られないように自動販売機の前まで行き、財布を取り出すふりをしてクウをつまみ上げた。
あの時――紫色のライターを運んでいた、リボンを巻いたクウだ。
「いつの間に」
「りっちゃん――リサから言われて、ついてきたのよ。気分が悪そうだったから、心配だったからって」
「そんなに心配しなくてもいいのにな。私のことなんか」
心配されるほど、立派な人間じゃない。私は、もっと汚くて、どろどろして――みにくい人間なのだ。
物を壊すとき、グローパーを殺すとき。刃を振りかざして、返り血を浴びながら、夜の街を駆け抜けたあの時――私は、今までの人生でいちばん、楽しかった。
お父さんのために料理をするより、大和とおしゃべりするより、ヘッドフォンで音楽を聴いているときより、どんな時よりも楽しくて、気分が高揚して、嬉しくて気持ちよくて――
「私は異常な人間なんだ」自動販売機に小銭を少しずつ入れながら、「人間を傷つけたり、ものを壊したりすることが、どうしても好きな人間。今までずっと、それを隠して、我慢して生きてきた。でも、魔法少女になって、グローパーと戦うことが楽しくて仕方がなかったの。私は、怖い――」
あの人混みを思い出すだけで吐き気が止まらなくなる。
「いつか、私の力が、大切な人たちを傷つけてしまいそうで……無関係な人たち、私の大好きな人たちまで、傷つけてしまいそうで……」地面に落ちる影は、夕陽のせいで余計に色濃い。「今はまだ、私は魔法少女の力をコントロールできている――つもり。でも、それがいつまでも続くとは限らない。もし、私がお父さんや――大和や――翼。そういう人たちを傷つけてしまったときに、笑っている自分が想像できちゃうの」
夢に見る。
グローパーの黒い血ではなくて、人間の真っ赤でさらさらして、でも白刃にねっとりと下たる血。それに塗れて倒れる、私の大切な人。心臓がどきどきして、笑っている私。
「怖い」
「千夏ちゃんの不安は、当たり前のことだと思うわ」
クウの声はやわらかかった。首元にあたたかい熱を感じる。耳元で喋られると、なんともこそばゆい。
「りっちゃんもね、そうよ。いつも夢の中でうなされているわ」
「リサさんが?」
「私はね。この『リボン』で、りっちゃんと繋がっているの。りっちゃんの魔力を分けてもらって、ふつうのクウよりもずっと強い力で守られている。だから、りっちゃんの考えていること、感じていることを、時どき感じるの――夢を見るように」
とても、そんな風には見えない。
「りっちゃんも、千夏ちゃんとおんなじよ。自分の力の大きさに、いつもおびえている。その力で誰かを傷つけてしまうことを、何よりも恐れているの。毎日、ベッドの中で膝を抱えて、震えながら見る夢の中で――縛り付けられるような苦痛に苛まれているのよ」
クウはとてもつらそうに語るけれど、次の瞬間には、とても誇らしそうな表情になった。
「でも、千夏ちゃんとおんなじで――自分が魔法少女で良かったって、ほんとうにそう思っているのよ」
「そんな。私は、リサさんとは違って……」
「いいえ、おんなじ。りっちゃんも、千夏ちゃんとおんなじように苦しんでいる。でも、千夏ちゃんだって、りっちゃんのようになれるはずよ。自分が魔法少女として戦うっていうことを、きちんと誇りに思えるようになるはず。だって、同じ女の子なんだもの」
「そんな……こと、ないよ」
「りっちゃんは少なくとも、千夏ちゃんのこと、仲間だと思っているみたいだけどね」
リサさんとは違う。
リサさんみたいな、きらきらした、まぶしくて、可愛らしい魔法少女になんかなれない。でも、ひとつだけ確かなのは――
「そろそろ戻ろっか」
リサさんに『千夏ちゃん』と呼ばれるたび、すごく、嬉しい気持ちになることだ。
「千夏ちゃん、遅いよ! そろそろ始まっちゃうよ!」
人混みをかき分け、ようやく元の場所に戻ったとき、リサさんがあわてて私の手を引く。
香苗さんが前髪を耳にかけながら、
「だいじょうぶ? 気分が悪いの?」
「いえ、そんなに。だいじょうぶです」
「無理しないでね。こっちの方に来たら? 空調の風もあんまり来ないし」
「いえ、だいじょうぶですから」
私のことを心配してくれる香苗さんも、ちょっと顔色がよくなさそうだった。
いや、元々かな?
「なんだか、ドキドキしちゃうね……」
リサさんが呟くと、それを合図にしたように――




