中井明日架は竜と相対する
「お姉ちゃん?」
振り返るとそこに、翼が立っていた。
驚くほど静かだった。あんなにたくさんいたグローパーの群れは影も形も無くて、ただ、夜風だけが心地よく吹き付けてくる。空には星が瞬き、すっかり傾いた月がうっすらと私たちの影をアスファルトに映し出している。
グローパーたちの声はもうしない。
「どうしたの、お姉ちゃん? ぼーっとして」
「ううん、別に」すると、私の手は自然に翼の頭に置かれていた。「がんばったね、翼。ありがとう、私に魔力を分けてくれて」
「う、ううん。そんな」
翼はうつむいている。
その顔が赤くなっているのを見て、私もとたんに恥ずかしくなって手を離した。何やっているんだろう、私は……
「こっちも、大方片付いたみたいね」
気まずい雰囲気は、ひばりさんの言葉で打ち払われた。しゃらん、しゃらんと足元の霜を踏み砕いて歩み寄ってくる音が、なんとも涼しげだった。
「だいじょうぶだった、ひばりさん?」
「聞いたわ。君が、私をここまで連れてきてくれたんですってね」
「え、うん。そうだよ!」
「ふふ――ありがとう」
そう言って、ひばりさんはまた、翼の頭を白くて細い指先で撫でた。
「い、いや。そんな」
「……、」
「そ、それよりも、あれだけの数をあっという間に……凄い力だよ、ひばりさん!」
「まあね。君たちよりもずっと先輩なのですから」彼女は私に向かって姿勢を正し、「改めて、名乗らせていただくね。私は――村山ひばり。この東京で、最初に魔法少女になった者」
「最初に……?」
「そうよ。あなたたちの誰より長く、グローパーと戦ってきた」
その時だった。背の高いビルの向こう側から、巨大な青い雷が空に向かって立ち上がっていくのが見えた。静かな夜空に突然轟いた爆音と青い光に、思わず私は脚の力が抜けそうになった。
「明日架だ!」翼が叫んだ。
「そうよ――それにりっちゃんも、あそこにいるわ!」
ひばりさんのそばで飛び回っていたクウも言う。
その言葉を遮るように、ひばりさんは一歩、二歩と先に歩み出た。視線はまっすぐに空の上へ――空中へ散って消えていく、真っ青な雷の光へ向けられていた。
「どうやら今は、私のことを語り聞かせている場合じゃないね。私は明日架の元へ往かなくちゃ」
そう言って、ひばりさんは跳んだ。アスファルトの地面を蹴り、猛烈な冷気を撒き散らし、その背中から白い翼のような尾を引きながら。
「あっ、待って! ひばりさん……!」
クウもそれを追いかけていく。
また、雷が落ちた。今度はさっきよりも強く、地面がびりびりと震えるほどの衝撃だった。どんなに強いものだとしても、自然の雷でここまでの衝撃はおこらない――間違いなく、明日架だ。
「どうする、お姉ちゃん?」
と、私を見上げる翼は、既にマントを翻して、身を低く沈めていた。
「僕は行くよ。明日架のところに。だって、僕だって魔法少女だから」
「魔法少女、だから?」
「そうだよ。魔法少女はいつだって、困っている人のところに助けに行くものなんだ」
「それが、翼の魔法少女なんだね」
私はそうは思わない。
困っている人を助けたいからじゃない。
私はそんなに、立派で、真面目な人間なんかじゃないんだ。でも、
「行こう」
翼と一緒に、ひばりさんが飛んで行った後を追う。
浮足立つ気持ちを抑えることなく、地面を蹴って飛ぶ。隣に並んでくれる翼の存在が、この上なく心強かった。
このまま明日架を見つけたら――
私、自分を抑えられないかも知れない。
「ふふ」
○
【Blue】
小学生のころ、あまりしゃべらない子どもだった。
小さいころからお母さんのことが大好きだった。でも、お母さんはいつも仕事でうちに居なくて、さみしくて。お父さんはうちにいたけれど、いつも忙しそうで、私のことなんてどうでもいいっていう感じだった。そんな私が自分の家で心を開かずに、部屋にこもりがちになるのは時間の問題だった。
学校でもそうだ。クラスメートとなじめずに、休み時間はいつも図書室にいた。視聴覚資料のエリアに行って、古いCDを聞いたり、変な本を読んだりしていた。友だちと一緒にいる授業の時間が、いつも苦痛だった。
誰かと楽器を弾くよりも、誰かと一緒に歌うよりも、自分ひとりで歌っていた方がよほど楽しかった。お母さんが家に残していったギターを手に外に飛び出し、周りの大人たちのまねをして路上ライブを始めた。奇異の視線も冷笑もぜんぜん気にならなかった。音をかき鳴らして、自分で思いっきり歌って、それが幸せだった。
いつの間にか、私には。
「歌って」
と、私に急かす人が何人も現れた。
一緒に奏でてくれる人。
一緒に戦ってくれる人。
一緒に――
○
「うッ」
不意な衝撃に吹きとばされた。背中から信号機の支柱にぶつかり、金属のひしゃげる音が耳をつく。
地響きが鳴った。
さっきまで私が立っていた場所に、巨大な鉄塊のようなものが突き刺さっていた。
「ぼさっとしなさんな!」鳴海みらいが叫ぶ。「貴女に倒れられては困ります! これだけのグローパーとなると、わたし一人でも……きゃあっ!」
巨大なドラゴンが前肢を振りかざし、無防備なままのみらいを吹き飛ばす。
咆哮をあげる。びりびり震える背骨を必死に立たせ、私は銃を構えた。
重い――ずしっとくる、なつかしい重さ。
「あれ……そんな、」
リサの魔力が消えている。
いつもの私に戻っている。それが異常。
「まさか、リサになにかあったんじゃ……!」
ぐぷる、とグローパーが首をもたげた。
私に向かって巨大な口を開く。銃を片手に、私は駆け出した。前へ――あの巨大な図体の懐に潜り込むように。巨大な炎の塊が、私目がけけて吐き出される。よく見ると、それはただの炎ではなくて、なにか黒い塊が炎を纏ったものだということが分かった。
でも、それが見える。
左右に跳んで、避ける。二度、三度――正面から真っ直ぐ飛んでくる、ひときわ巨大な塊がひとつ。避けられない――
「ならっ、」
刀を引き抜くように銃を展開し、渾身の魔力を込めて叩き落す。それが地面に叩きつけられる勢いのまま、棒高跳びの要領で跳躍する。
竜が私に首をもたげる。私が銃を再び展開し、銃口を向け、引き金を引く方がずっと早い。
電光を纏った弾丸が、グローパーの頭を打ち砕く。
「ッ、やっぱり固い……!」
けれど、それは表面を少し削り取っただけで、奴には全くダメージを与えられていない。
私の身体は重力に従って落下していく。その先には奴が、鋭い牙を向けて待っている。
「このっ……!」
と、照準を構えたとき、視界の外から真っ赤な光が飛んできた。それはグローパーの首のあたりに突き刺さり、巨体を数メートルくらい動かした。
鳴海みらい――あの黒い魔法少女の鋭い爪先だ。
地面に着地すると足を大きく振り上げ、グローパーの顎を砕かんばかりの勢いで蹴り上げる。まるでその部分が爆発したように見えた――いや、爆発した。グローパーの身体がクレーンで釣りあげられるように持ち上がり、巨大な図体がアスファルトに屹立する。
「今ッ!」
「分かってる――」
むき出しになった奴の腹目がけて、銃口に集めた魔力を放つ。
引き金を引いた。
その反動で私が吹き飛ぶのと同じくらい、グローパーの身体も吹き飛んでいった。噴水のように巻き上げられた黒い血が、辺り一面をねっとりと覆いつくした。
「だいじょう、」ぶ? なんて、こいつには言ってやる義理はない。でも、一度は命を助けられたこともある。みらいは膝をついて、その場にうずくまっている。
さっきまでと姿が違う。
今は、半身をびっしりと黒い機械のような部品に覆われて、ぜえぜえと息を荒げている。
「まだ、ですわよ」身体を軋ませながら、みらいは立ち上がる。「まだ、あれは倒れていない……随分と、しつこいですわね」
「……、」
「でも、まだ……! あれは倒さなくては……!」
「どうして――どうしてそこまで、」私は我慢できなくなって、思わず尋ねた。「あんたたちは、街の人間をグローパーに変えて回っていて! それを倒す私たちの邪魔をして、それに――ひばりのことを傷つけて……! それなのに今度はグローパーを倒すって……あんたたちの目的は何? この街をどうしたいの!」
数秒の沈黙。
「貴女に答えることは何もありませんわ、中井明日架さん」
「何を……!」
「今は目の前の敵に集中しなさい!」
「ッ、」悔しいけど、みらいの言うとおりだった。
地響き。巨大なグローパーが立ち上がり、ずるずると身を引きずるようにしながらこちらへ向かってくる。さっきの一撃でだいぶダメージは与えられたみたいだけど――代わりに、私たちを睨みつける赤い瞳は、これまでよりずっと爛々と輝いている。
だらりと垂れ下がった顎の隙間、牙と牙の間から垂れるコールタールのような液体、そして白く熱を帯びた蒸気。低く唸る声は、口が閉じない分、余計に不気味さを帯びていた。さっきのみらいの蹴りで、顎が破壊されているのだ。
銃を構える。
やみくもに攻撃しても駄目だ。あの堅い鱗に弾かれて、攻撃が通らない。
どうすればいい?
みらいは、ぼろぼろになりながら立ち上がると――懐から何かを取り出した。
黒いライター。
右手に握った拳銃に弾倉のように突き刺し、銃口を胸に押し当てた。
「重奏――……!」
次の瞬間、みらいの姿はそこになかった。見ることも困難なスピードで駆け出し、グローパーの頭に強烈なかかと落としを喰らわせる。どずん、と重い頭がめり込むのと同時に、ドラゴンの頭が爆発した。
アスファルトに深く、沈み込むグローパー。
赤い魔法少女はその横っ面を蹴りあげると、また、あの重厚な身体が持ち上がる。グローパーはぐったりとして、みらいになされるがままだ。
呼吸を落ち着かせる。
魔力はまだ、残っている。銃口をグローパーに向け、魔力を集中させる。最後の一撃にするつもりで――これまで込めたこともないほどの力が、銃身に集まっていく。
「行くぞ……!」
どす。
という音が、私の身体の中から聞こえた。




