村山ひばり / 鷺宮千夏は過去に思いを馳せる
【Violet】
気分は良い。
身体は軽い。
思考も明瞭。
「ぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃああああああああ!」
飛びかかってくるグローパーに向かって、薙刀を振るう。その軌跡をなぞるように氷の槍が飛んでいき、サルのようなその身体の心臓に突き刺さった。そのまま、真っ黒な鱗のようなもので覆われた身体が氷に覆われていく――そして砕け散り、後には、あの黒いライターだけが残る。
何度も、何度も。何年も、何年も。
幾度となく繰り返したはずの戦い。なのに、ひどく新鮮で、ぎこちないものに感じる。私の魔法、私のからだ、私の力。
「そうか――私、随分深く眠っていたみたいね」
わざわざひとり言にするのは、自分の声をしっかりと聴くためだ。ちょっと細い。喋ることがこんなにつらく、大変なことだとは思わなかった。
背も伸びたみたいだ、視線の位置が高い。腕や脚は凄く、やせ細っていて、肌も青白い。いったい、私が最後に眠ったのは、いつのことなのだろう。そして、今は一体いつなのだろう?
そんな思考を邪魔するように、唸り声と地響きがする。私の周囲を取り囲んでいたグローパーの群れが、赤い眼をぎらつかせながら、今にも襲いかかろうと鋭い爪をアスファルトに叩きつけている。
赤い眼――嫌というほど見てきた、あの眼。恐ろしいけれど、でも、平気だった。ひとりじゃなかったから。そして、今もひとりじゃない。
薙刀を振りかぶり――
地面に刃を突き立てる。その一点を中心に、同心円状に冷気が波を打ち、氷の壁が一瞬で形成される。それは鋭い針のようにグローパーたちの身体を刺し貫き、はるか上空へ突き上げて宙づりにしてしまった。
「んん――」おかしいな、「まだ、加減が上手くいかないな。どうしてかしら」
こんなに強い力を、私は持っていただろうか?
せいぜい、グローパーたちの動きを止めようと、それくらいの力で使った魔法のはずだ。なのに、その意志とは裏腹に、彼らは粉々に砕け散って一掃されてしまった。それだけじゃない、私の足の裏を中心にして氷は、ビルの屋上から壁面をびっしりと覆いつくし、まるで巨大な樹氷のようになってしまっている。
鼓動は早い。
浅くなりそうな呼吸を落ち着けて、深呼吸をする。
まるで誰かに背中を押されているような――
例えるならそう――走っているときに背中から、思い切り風が吹いているような。
「すごい力……ね、ひばりさん」
さっきのクウが、砕け、崩れていく氷の壁を見ながら私に言った。
「あなたは、割合新しいクウね。とても可愛らしい髪紐をつけて。私と喋るのは初めてでしょう」
「はい――そう。わたしは一年前に生まれたの」
「一年前」その頃には私は眠っていたらしい。「いったい、私は何年くらい眠っていたのかしら? ご存知?」
「三年よ」
「三年……」
「そう、聞いているわ。あなたは別の『魔法少女』に襲われて、その――『紫のライター』を奪われた。傷はすぐに魔力で塞がったけれど、なぜか、意識だけが戻らないまま、ずっと眠り続けていたの。東さんはあなたを工房の奥に寝かしつけたまま、目を覚まさないまま、ずっと三年……ここ最近は、時どきうわごとを言ったり、唸り声を上げたりすることはあったみたいだけど……」
「そう」
気の遠くなるような数字だ。
「ということは、私は十八歳になってしまったのね。それに――」
明日架も。
彼女は三年間もの間、戦い続けていたというのだろうか……?
「……、嗚呼、明日架ったら。どんなに辛い思いをしたことか、そんなに長い間」
私の溜息は、白い煙になって、夜空に消えていく――
「早く会いたいわ、明日架」
あなたに話せることは、ほんの少ししかないけれど。
あなたから聞きたいことはいっぱいある。
あなたの歌をもう一度聞きたい。いまはもう遠い思い出……あの日の約束を、君が覚えてくれているなら、だけれど。
「よし。もうひとつよ」
グローパーたちはまだ、減る気配を見せない。
でも、まだまだ負けていられない。
○
【White】
どれだけ倒してもキリがない。――と、思っていたグローパーの大群だけど、徐々にその勢いが衰えていくのを感じていた。
数が少なくなってきているのだ。ビルの屋上から飛び降り、街路樹のあたりでおろおろしているグローパーの背中に着地するのと同時に、落下の勢いのまま刀を脳天に突き刺した。真っ黒な血を吹き出しながらグローパーは倒れる。その断末魔を聞きつけて、その辺にいたグローパーが私に襲いかかってくる。
「いいよ――どんどんこい」
刀についた黒い油を振り払いながら、ひと息、すぐに飛びだす。
やけに調子がいい、と思ったら、雨が止んでいる。そして、月が顔を出しているのだ。うっすらとだけど――アスファルトに落ちた私の影が、私に力を貸してくれているのだ。
地面を蹴るとき、影の足が私のことを蹴り出してくれる。
相手を斬るとき、影も一緒になってグローパーを斬ってくれる。
片側三車線の大通り。目の前に立ちはだかるグローパーの数――だいたい二十。
走る足を止めない。跳んだままの勢いを殺さない。
振り上げられた爪を叩き切り、首を落とし、足を千切り、身体を貫く。心臓を真っ二つにし、頭を割り、胴体を切り裂く。目まぐるしく目の前に現れるグローパーが、次々に、私の手で散っていく――それがたまらなく――
「楽しい」
そうだ。
「楽しい、楽しい、楽しい――――」
そうなんだ。
こうして走って、戦って。
私を睨みつけ、襲い掛かり、傷付け、血を流させる。そういう怪物を斬って、斬って、倒して、殺して。
時には、痛い目に遭うことだってあるけれど――それでも楽しい。
「ふ、ふ、」グローパーの真っ黒で、どろどろした返り血が顔にぶちまけられても、「あははははっ!」
気が狂ったわけじゃないんだ、私はちゃんと、しっかり、私のままだ。
うるさい私の声は聞こえない。
これで良かったんだ、最初から、戦うことが楽しいっていうことを、素直に認めるだけで良かったんだ。
これが私なんだ。
鷺宮千夏じゃない、私――
「あははははははははははは……ははははははははははは……!」
心の底から、思いっきり、笑った。
お父さんの前でも、大和の隣でも、こんなに笑ったことがあっただろうか。こんなにも自由で、解放的で、感じたことを感じたままに発露できるような、こんな気持ちはいつ以来だろう。きっと、生まれて初めてこんな気分になったのだ。
嬉しくて、楽しくて――心の底から、いっぱい笑った。いっぱい笑って、いっぱい殺して、私の通り過ぎたあとに怪物たちの死体がいくつも転がっている。身体中に浴びた黒い油のように汚い血を洗い流してくれる雨は――
もう、降っていなかった。
それが少し残念だ。
ちょっとだけ、思い出した。
三月の終わりごろ――だんだん日の沈むのが長くなってきて、暖かくなってきて。そんなふうに、きれいな夕焼けが燃えるように真っ赤で、窓から差し込んできていた。それを見ていた、まだ小さかった私。
せまいリビングに響くテレビの音がやけにうるさくて、見たくもないアニメのめまぐるしい色彩から目を逸らすように、窓の外をぼんやり眺めていた。リモコンの電池が無くなっていて、画面を消すこともできないし、音量を下げることもできない。
遠くから、夕方のチャイムが聞こえてくる。
公園で遊んでいるとき、聴こえてくるその音が好きだった。でもテレビの音がうるさくて、せっかく家の中が静かなのによく聞こえない。私はリビングから廊下を伝って物置きに行き、ひしゃげたゴルフクラブを引きずって戻ってきた。アニメが終わって夕方のニュースが始まっていた。難しい文字がたくさん並んでいて、男の人と女の人が表情を変えずに難しいことをずっと喋っている。私の方を見ながらしゃべっている。
きもちが悪かった。
いつも見ていたようにゴルフクラブを真っ直ぐ振り上げて、そのままテレビに向かって叩きつけた。こうすると物が壊れるのだと私は知っていたから、やってみたけど、テレビはびくともしない。おかしいな、どうして壊れないんだろう。私が女の子で小さいからかな。
何度も、何度も、何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も叩いているうちに、画面に緑と赤のノイズが走り始めた。音が歪んで聞こえてくる。
壊れてきた……!
やっぱり何度もやっているうちにきっと壊れてくるのだ。だから何度もやるんだ。
だんだん気分がよくなってきた。
早く音が出ないようにして、夕方のチャイムを聞かなくちゃ。でもテレビはかたくて大きくて、がん、ごん、がぎっと、やかましい音を立てる。
うるさい。
ゴルフクラブがいけないのだ。でもがまんしなくちゃ。夕方のチャイムはとってもきれいで、今日は夕焼けが明るい。私はまっさらな空より、浮かんでいる雲がどんどん焼けていくようなそんな空が好きだった。
ああ、いそがなくちゃ。早くしないとチャイムが終わっちゃう。
テレビを壊すんだ。
そう――「ぶっこわす」んだ。早く、早く、早く。この、この、この。
そうして叩きつけたとき、がちゃっと音がした。そのとたんに、テレビはぶつっと黒くなって、音が鳴らなくなった。
「やったぁ」
ぎし。
振り返るとそこに、




