椎名翼は内なる声に導かれる
【Red】
十分ほど前のことだ。
「ここって、東さんの……」
僕が声に従って辿り着いたのは、東さんの工房のある旧い建物だった。
この建物の中から、それは聞こえてくるようだ。
「東さん、東さん!」
鍵は開いていた。僕は中に入って東さんを呼んだ。東さんは、慌ただしく、余裕のない顔つきで奥の部屋から現れると、
「翼――どうしたんだ、こんな時間に?」
「ううん、わかんない――でも声が聞こえたんだ」僕は落ち着いてしゃべった。なんとなく、慌ててしまう自分を抑えるように、ゆっくりと、「連れて行ってほしい、明日架のところに連れて行ってほしいっていう声が」
はっと、東さんは目を見開いて、
「ほんとうか……どうやって?」
「どうやってって、言われてもなあ。聞こえただけだから」
東さんは閉口して、じっと何かを考え込んでしまった。
「あの、どうしたの?」
「こっちに来なさい」
そして、僕は見た。
村山ひばりさん――じっと横たわる白い顔の魔法少女。ライターを奪われて、失くしたままの意識を取り戻さない彼女のことを。
「あすか……あすか、いま……」
という、うわごとの声は――
僕が聞いた声と、全く同じものだったのだ。
「君の聞いた言葉と、まったく同じことをさっき、うわごとのように呟いていたんだ」
「ほんとうに?」
「翼――君の魔法はまったく、未知数の力を秘めているみたいだ。君の可能性に賭けよう」
東さんは、ひばりさんの額に手を触れると、何かをひとこと呟いた。そして、両手でそれを抱え上げると、僕にそっと手渡した。
それは、毛布のように軽い身体だった。
「連れて行ってくれ。ひばりを――明日架のところへ」
でも、それは違ったのだ。
明日架のところに、じゃない。
きっと、こっちの方が正しいと思ったんだ。ひばりさんのためになるのは、きっとこっちの方だっていう予感がした。
両手で抱えたひばりさんの身体は、両手で抱えられるくらい軽かった。すごく背の高くて、すらっとした女の人で、色白なとってもきれいな人だった。ぐったりしたままぴくりとも動かない、浅い呼吸を繰り返すだけの身体は冷たくて、でも時どき、腕から薄い鼓動が聞こえてくる。この人は死んだように眠っているけれど、まだちゃんと生きている。
気分は王子様だ。
眠ったまま目覚めないお姫様を両腕にお姫様抱っこして、僕は街を駆ける。この人を目覚めさせるために――夢で聴いた声に導かれて。まるで絵本の中みたいな、甘いストーリーだけど、今はそれどころじゃないみたいだ。
また、雷が鳴った。
ビルからビルへ飛び越えていく僕の目の前に、ばっと立ちふさがるようにグローパーが現れる。
「邪魔だぁっ!」
両腕が塞がっている上に、これを放り出すわけにもいかないので、身をひねってひばりさんを庇いながらグローパーの心臓を蹴り飛ばす。手近なビルの屋上に降り立ち、周囲を見回す。
さっきのグローパーと同じような姿をした奴らが、僕らの周りをぐるりと取り囲んでいた。手足がひょろっと長い、サルみたいな姿だ。電線の上、電信柱の上、ビルの影。いたるところから顔をひょこっと出して、僕たちに襲いかかろうと気をうかがっている。
やっつけたい。
僕が魔法を使えば、こんな状況くらい、すぐに切り抜けられると思う。けれど、きっとひばりさんを巻き込んでしまう。そう思った。
「よし――」
深呼吸をする。キキッ! と、サルみたいな声を上げて飛びかかってくるグローパーをジャンプして躱し、その頭を踏みつけてさらに跳ぶ。
今は戦っている場合じゃない。
逃げるが勝ち――今の僕がやるべきことは、戦うことじゃない。この、眠ったままのひばりさんを守って、明日架のところまで連れていくことだ。僕はもう子どもじゃないから、自分のわがままよりも、やらなくちゃいけないことを先にやる。
後ろからざわざわした、黒い波みたいなものが追いかけてくるのを感じる。さっきのグローパーが僕たちを追いかけてきているのだ。
「どうして、こんなにたくさん……!」
いくらなんでも多すぎる。僕が走っていく道々から次々に現れては、僕のことを追いかけ始める。
「グアァッ!」
と、僕の足元からいきなり現れて引っ掻いていった奴もいた。
「危ないっな!」
でも止まる訳には行かない。いま立ち止まったら、ひばりさんごとあの群れに捕まってしまう。早く、明日架のところに行かなくちゃ。
「明日架、どこ?」
そんな時だった。
十メートルくらいはありそうな巨人に殴り飛ばされ、ビルの壁面に吹きとばされていく千夏お姉ちゃんを見たのは。
「お姉ちゃん――!」
目の前でビルの壁に叩きつけられ、腕や首や脚が変な方向に曲がり、ありとあらゆるところから血を噴き出させる千夏お姉ちゃんに、あと少し届かなかった。光がほどけるように変身が解け、千夏お姉ちゃんの身体が崩れるようにぐったり倒れ、地面に落ちていく。
何メートルもの高所から、
魔法少女でも何でもない、ただの女の子の身体で。
「お姉ちゃんっ、」
手を伸ばそうとして、ひばりさんの身体が僕の腕を離さなかった。
お姉ちゃんの身体が落ちていく。
どうしよう、どうすれば――
「簡単だよ、■■■■■」
また、あの声がする。僕のお腹の辺りから、その声が聞こえてくる。
「キミだって魔法少女なんだから、魔法を使えばいいんだよ。お姉ちゃんを助けなくちゃ」
背中からぶわっと、何か――翼のようなものが飛び出した。
それは真っ赤な、タカのような、丸い模様の入った羽だった。その一枚、一枚が桜のように広がって、雨よりもずっと早く滑り込んでいく。お姉ちゃんの身体の下に潜り込んで、その身体をふわっと受け止めた。そして、雨に濡れた地面にそっと、それを横たえた。
ひばりさんの身体は、僕の両手に抱えられたままだ。
「なんだ、今の……」
「これがキミの本当の力なんだ」
こんどは、その声は背後から聞こえてきた。
羽の一枚一枚が震えて、コオロギみたいに聞こえてくる。
「翼――キミの名前。大事にしなくちゃね、お父さんがつけてくれた名前」
僕が降り立った時――
お姉ちゃんはボロボロだったけど、ちゃんと息をしていた。
「ひばりさん……!?」
そして、その近くにいたクウがあわてて近付いてきた。そいつは紫色のライターを背負っていて、それを差し出してきた。
「これを――ひばりさんに!」
「え、どうやって?」
「ひばりさんのライターよ! これで、彼女を目覚めさせることができるはず……!」
そこからは簡単だった。
ひばりさんの左手にライターを握らせ、僕が軽いままの身体を支えた。そして、指にライターを引っ掻けて、僕がスイッチを押した。
ものすごい勢いに巻かれ、僕の身体も背後に吹き飛ばされた。
○
【White】
翼が私の真横にぼすっと転がるように飛び込んできた。
ものすごい「圧」。風とか、勢いとかじゃない、不思議な感覚。きっと、魔法少女特有の感覚なのだろう――それにしても、
「すごい魔力……!」
その時だった。あの巨人がどずん、どずんとよろめいて、腕を大きく振り上げた。それは、魔力の奔流の中心部である、あの少女が立っている所に向かって振り下ろされる。
「危ない――」
駆け出そうとしても、私の身体が動かない。
拳が、光の中心に向かって叩きつけられ――――――――
思わず目をつぶっていたけれど、何も音がしないことに違和感をおぼえ、目を開けた。
巨人の動きが、止まっていた。
今まさに、腕を叩きつけようという、その瞬間のまま固まっていた。
「さむっ、」
腕を掻き抱く。そこで気が付いた――雨が降っているとはいえ、身体じゅう、異様なほど冷えていた。
なにより奇妙なのは、巨大なグローパーの身体が、真っ白に染まっていることだ。
不自然なほどの、艶消しの白。まるで冷凍庫の中に出来る霜のような……
「すっごい……」
翼が溜息をついた。
しゃらん、しゃらん、しゃらん――鈴を鳴らすかのようなその音は、巨人の足元すぐ近くからひとりの少女が歩いてくるときに、熱帯夜のアスファルトに立った霜柱を踏み砕いてくる音だった。
白と、薄い紫色の矢羽柄の着物に、真っ直ぐ整えられた緋袴を履いて、けれど足元は黒いブーツで固めて――白くもうもうと煙が立ちのぼる中を、厳かに歩いてくる。
「あなた達が――」高く結い上げた髪の毛にかんざしを挿して、「あなた達が、私のことを目覚めさせてくれたのね?」白くてほっそりした指に握った薙刀の刃をさっと振るって、「ありがとう。ほんとうに、長い間、眠っていたみたいね。随分と変わったように見える、この街は」
その魔法少女は、恭しく私たちの前で立ち止まり、
「あなた達に、恩返ししなくてはならないな」
「はじめまして、ひばりさん!」翼が立ち上がって、「僕、椎名翼。こっちは千夏お姉ちゃん」
「は、じめまして」
「初めまして。ふ――」
口元に指を当てて笑う白い顔は、人形みたいにきれいだった。
「村山ひばり。よろしくね、後輩さんたち」




