中井明日架と井荻リサは真夜中を駆ける-7
【Blue】
ちらっと、目の前にノイズのような光が散って気が付いた。
「はっ、」背中がびっしょりと冷たい。「う……、一体なにが」
私は雨に濡れたアスファルトの上に倒れ込んでいた。周囲には散乱した窓ガラス、コンクリート、金属片。無数にぶちまけられたそれらが雨で無残に流されていく。身体じゅう、細かい切り傷や打撲のあとでいっぱいだった。
そうだ――思い出してきた。
屋上であの魔法少女と戦っていたとき、突然、巨大な黒い影が現れたのだ。上空から巨大な翼をひるがえし、鋭い牙と目をぎらつかせながら太い肢をふりあげるそいつは、まるでドラゴンのような姿をしていた。
あんな姿の、あんな大きさのグローパーは見たことがない。
そいつの前肢の一撃で、仮にも鉄筋コンクリート造のビルが粉々に砕け散って、私は地面まで落下させられたのだ。
両手の感覚が徐々に戻ってくる。
近くに転がっていた銃を手繰り寄せ、上空を仰いだ。
「どこ……」
あのグローパーとは、ばっちり目が合った。
たった一撃で見逃してくれるとは思えない。まだ、どこかに潜んでいるのかもしれない。銃身を杖のようにして立ち上がった瞬間、膝から力が抜けて崩れるように倒れてしまった。
「どうして……」身体に力が入らない。「魔力は――」銃の根元に埋め込まれたライターの残量を確認する。「まだ、少しだけ、残ってる……はずなのに……!」
――でも、ここで倒れているわけにはいかない。
意識を強く持つ。歯を食いしばると、電極の触れ合った回路のように身体じゅうにばちばち力がみなぎる、そんな気がする。辺りは暗い――すぐ目の前が真っ暗で、手を伸ばしたその先がもう、良く見えない。
けれど感じる――近くに、いる。それも一体や二体じゃない、新宿でのあのときのように、数えきれないほどのノイズの混じった音が、私の脳裏に響き続けている。わざわざ、魔法を使わなくたって分かる。これだけ大量の魔力の反応……雨に掻き消えそうな意識を必死に保つ。奥歯を噛みしめて、半歩、左足を下げた。
ガロロロロロロロロロロ!
「そこっ!」振り返って銃口を向け、引き金を引いた。光の刃弾がグローパーの頭を真っ二つに砕き、黒い油みたいな血を撒き散らす。
同時に、霧散していくその身体の真ん中に向かって駆け出しながら、釣竿をしならせるように銃身をくい、とスナップする。銃口から伸びた、フリルのついた細いリボンがしゅっと音を立てて私の手元に戻ってきた。打ち出された刃弾の先端に結びつけられた黒いライターが、私の手元に飛び込んできた。
リサと同じ魔法――
銃口から伸びたリボンはそのまま吸い込まれるように消えた。霧散するグローパーの身体越しに見えるのは、無数の赤く光る眼。手早くライターの中身を自分のそれに移し替えて、軽くその場で飛び跳ねる。爪先にかかる力、背筋の伸び具合。見る見るうちに意識は鮮明になって来て、鈍い頭痛が晴れていくような、冴えわたる感覚に深呼吸をひとつ。
一気に駆け出す。
引き金を何度も引きながら、グローパーたちの群れに突進する。
ばっと目の前が暗転した。
グローパーの大群の只中に、何か、巨大な塊が落ちてきた。それは巨大な口だ――牙をぎらつかせながら現れたそのグローパーは、獰猛な音を立てて、グローパーたちをその顎でかみ砕きながら、舌なめずりをひとつ。
さっき、ビルを破壊したドラゴンだった。ばりばり、ぼりぼり、ごりごりと。黒い鱗のグローパーを咀嚼するたび、顎から黒い血がぶすぶす流れ出す。
不気味さで咄嗟に銃を構えた。
グローパー同士の共喰い――初めて見る現象だった。身をよじり、巨大な翼を広げて咆哮する。
「ギャラララララララララララララララ――――」
それは、思わず耳を覆いたくなるような――
雨雲ごと雨を吹き飛ばしてしまうような、音の暴力だった。
「まったく、厄介なものが現れたものですわね」
背後から聞こえた甘ったるい声に思わず振り返る。
目と鼻の先、私のすぐ背後まで迫ってきていたグローパーが吹きとばされるのを見た。それをやった魔法少女が、すとっと軽やかにその場に立った。
さっきまでいた双子の魔法少女の片割れ――あの時、ビルの屋上で戦った魔法少女だ。
反射的に銃を振り回していた。銃床がそいつの脳天目がけて振るわれるのを、思い切り仰け反って躱し、両手をついてバック転の要領で軽やかにアスファルトに着地する。
「タイム! タイム、ですわ」と、小さな手で「T」の字を作りながら、「今は貴女と戦っている場合ではないのです。中井明日架さん」
「いまさら何を……!」
「わたしの話を聞いてください」
飛行機のエンジンのような、鈍い吸気音が聞こえた。
ドラゴンが大きく息を吸い込んで、頭を振りかぶる。
「まさか――」ゲームやアニメでしか見たことがない、「火の玉でも吐くつもり……?」
バカげている――そんなことができるなんて!
「一時休戦といきましょう、中井明日架さん。あの巨大なグローパーを倒さなくては」
「は?」
「あんなものが現れては、わたしたちも困るのです。わたしも力を貸しますわ」
「どうやって、信じろっていうの……! あんたの言葉なんか!」
「先ほど、貴女の命を救ってさしあげたというのに――」はぁ、と溜息をついて、わざとらしく肩をすぼめた。「疑り深いことは女の品格に関わりますわよ、中井、明日架さん」
ボボボボボボボボボボ――!
ドラゴンが咆哮した。その口から吐き出されたのは、炎を纏った巨大な金属塊だった。
「まずっ、」
音もしなかった。
その魔法少女が身を軽く沈めて、右足を振り上げた。じゅっと水の蒸発する音がする――炎を纏っているようにも見えた鋭い蹴りは、ドラゴンの火球を粉々に粉砕し、花火のように辺りに火の粉を散らした。それは雨に流れ、白い蒸気になって、消えていく。
「鳴海みらい、と申します」
わざとらしくスカートをつまみあげて、私に一礼した。傷ひとつ負っていない。
「以後、お見知りおきを――二度も命を救って差し上げたのですから、お名前くらい覚えてくださいまし?」
○
【Yellow】
槍の穂先から放たれた電撃が、巨大なカマキリみたいなグローパーの身体を切り裂く。
「はぁっ、はぁっ……!」
狭い路地裏。前と後ろ、それぞれの通路から現れるグローパーたちをひたすら倒し続ける。黒いライターが尽きることはないけれど、それでも、疲労感は蓄積されていくばかりだった。
意識がもうろうとしてくる。
「こんなに、たくさん……いったい、どこから……?」
みなととみらいの姿はない。
みなとの黒い鎌が私の喉に突き刺さる寸前で、私たちは横殴りの瓦礫の雨に叩きつけられて、めちゃくちゃになった。一瞬。気を失って、目が覚めたときにはここにいた。
「う……、」誰もいない路地裏。雨に濡れる身体がやけに不快だった。その時、背中におぞけが走って路地裏の向こう側に視線をやると、そこに無数の光る赤い眼を見たのだ。
「グローパー……!」
十や二十じゃきかない。地鳴りのように聞こえてくる唸り声と、目や耳や、肌とは違う不快感――感じるのは、臭気にも似た魔力の塊だ。
傍らに転がっていたリボンの槍を手に取った。
ぴりぴりと、電気のような刺激を感じる。私の身体に絡みつくように同調している、明日架さんの魔力だ。私の意志ではない電気の力が、体内を駆け巡っている。心臓を打ち、腕から足に抜けていく。
明日架さんも、すぐ近く、どこかで戦っている。さっきの魔法少女はどうなったのだろうか。明日架さんは強いから、きっと大丈夫だろうけど。
「オワアアアアアアアアアアアアア!!」
という悲鳴が聞こえた。目を真っ赤に光らせた人間のような影が私に飛びかかって来て、手にしたナタのような武器を振り上げる。
右手で槍を構えて、
「ふっ!」
と、アーチの軌道を描くように、腹部を切り裂いた。
「グエアアア、アアアアアアアアアアア!」
グローパーが悲鳴を上げて霧散していく。お願いだから、そんなにつらそうな声を上げて消えていかないでほしい――まるで私が悪いことをしているみたいじゃないか。本能的な罪悪感が、心の底から湧き上がってくるようで不快だ。
「オ、オ、オ……」
似たような声がずっと続いている。
「オロロロロロ」
「ウェエエヘヘエ」「ゲボボボ、オボボ」
という、粘性の高い液体の絡んだような声を上げながら、よろよろふらつく足取りで私に近付いてくる。両脚が不自然に太く、逆に腕は折れそうなほど細い。人体を無理矢理に正三角形の枠に押し込んで、上から叩き潰したようなフォルムのグローパーの大群が、私に迫ってくる。その手には、ナタ、鉄パイプ、大きなハンマー、角材、車のホイールなど、それぞれの武器を持って。
不気味で、一歩後ずさった足が何かに捕まれてぐいっと勢いよく引っ張られる。
「またっ、」今日はこんなのばっかりだ! と呟こうとした時、舌を軽く噛んで私は閉口した。ずる、ずると汚い音を立てて、地面に逆立ちするクラゲみたいなグローパーが、その触手をくるぶしの辺りに絡みつかせていた。
槍を振り回して、切っ先をそいつのほうへ向ける。――魔法少女として戦っている経験は少ないけど、こういう時、大切なのはイマジネーションだ。
柄の部分にあるボタンをカチッと押し込む。
ジャンプ式の傘が開くように、ばんっ! という音がする。確かに、私の槍はもともとはパラソルが変化したものだけど、今の音は傘が開く音じゃない――柄から先の部分が勢いよく矢のように飛んで、クラゲのグローパーに突き刺さった音だった。ぶよぶよした身体は、たかが一突きじゃ霧散したりしない。けど、
「これならっ、どうだ――――!」
奥歯をかみしめる。それがスイッチになるように右手から魔力がぶわっと吹き出した。
爆発音にも似た、青く激しい光が閃いた。手に持ったパラソルの柄から、細いリボンで繋がった、槍の切っ先に向かって迸った電撃がグローパーの身体から光沢を奪って黒焦げの消し炭に変えてしまう。
グローパーは霧散していく。
ふらっと、貧血のときのような脱力感が私を一瞬襲う。明日架さんの魔法はとても強力だけど、消耗が激しいみたいだ。私の時とは段違い――
「おぼぼぼぼぼぼぼぼっばばばばばばばばば!」
「うるさい!」
襲いかかってきた人型のグローパーを蹴り飛ばし、後ろの集団に突っ込ませた。それでもお構いなしに、奴らは私をじっとり睨みつけて、にじり寄ってくる。
まるでゾンビ映画だ。いくら倒してもきりがない。
「へこたれるもんか……」でも、私がくじけるわけにはいかない。「へこたれるもんか、負けるもんか……!」
槍を真っ直ぐ構えた。
螺旋のリボンがさらに二重に三重に巻き付いていく、それと同時にコイルのように電撃が渦を巻く。髪が静電気のように逆立つ、けれど、セーターなんかとは比べ物にならない。
「これでも――」柄のボタンを押した。「喰らえええええええええええッッッッ――――!」
爆音と衝撃。
落雷にも似た地鳴りが、私の脚を震わせた。




