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L-cone  作者: 王生らてぃ
第二章
63/93

八坂八宵は傍観する / 鷺宮千夏は狂喜する / 椎名翼は邂逅する

   【◇◇◇◇◇】




 今日この日はきっと、みんなの心に残る一日になる。

 学生も、OLも、会社員も。子どもも、大人も、男の人も、女の人も、おじいちゃんも、おばあちゃんも。きちんと暮らしている人も、そうでない人も。コンビニの店員も、工事現場の人も。



 もう日付が変わって一時間くらい経つ。今日になって一時間だ。

 例えば、新宿の大通りを走っていく赤い光は、実は車のテイルランプではない。何十、何百もあるそれは、林立する信号機をなぎ倒し、互いにぶつかり合って、それぞれの腕に食らいつき、足を引きちぎって、咆哮する。犬の遠吠えのように、猫の嬌声のように。

 それは、激しい雨の音と、雷の地鳴りにかき消されて、今は人の耳には入らない。



 例えば、あたしたちが腰かけているこのクレーンの近くをぶんぶん飛び回る黒い影は、カラスやハトではない。赤い眼をぎらっと光らせ、数メートルはある翼で雨を切り裂いて、どこかへ飛んで行き、また消えていく。



「『とても、おそろしい夜』――」あたしの言葉は形になって浮かんでいく。「『みんな夢の中にいる』――『それは、とても幸せで、けれどおそろしいことでした』――『街には、黒い闇のような魔物がはびこって』――」

「ねえねえ、八宵ちゃん」と、わたしの隣に座った空ちゃんが、退屈そうに背伸びをする。「どうして行かないの? もう退屈で羽が濡れちゃうな、わたし」

「――『けれど、そこにひとりのヒーローが現れるのです』」

「あ、わたしのこと? それってわたしのこと、ねえねえ?」



 本を閉じた。

 立ち上がる。クレーンがぎしっと軋む。

 見上げると、赤く点滅するランプを見下ろすように、ぎらっと光る眼をあたしたちに向ける六本足の巨大なグリフォンがいた。黒い翼を雨にきらめかせながら、鋭いくちばしをカチカチと鳴らして、あたしたちを威嚇している。



「わ――ずいぶんでっかいグローパーだなあ」



 がんっ、がん。



「HYRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRR――――」



 爪を激しく打ち鳴らして咆哮する。猛禽類のように甲高く、遠くまで響いていく気持ちのいい鳴き声だった。そして、あたしたちのいるところ目がけて、がっと飛びかかってくる。



「危ないよ、八宵ちゃん下がってて」



 空ちゃんがかっこよく、にっと笑っていった。

 手を翳すと、そこに青白い光が集まっていって、蛍光灯みたいに輝く、光の槍が現れる――ちょっと身を沈める。背中の羽をひらめかせて弾丸みたいに飛び立つと、グリフォン目がけて槍を突き出した。グローパーが笛を吹くような音を口から鳴らし、鋭い爪を振り翳す。

 どおんと、閃光と共に光が漏れた。

 ビルの一角から煙が上がっているらしい。爆発だ。たぶん、あのあたりでグローパーと、誰か別の魔法少女が戦っているのかもしれない。遠くから若い女性と、若い男性の悲鳴が入り混じった声が聞こえてくる――駅の近くだ。たぶん、遅くまで遊んでいた大学生か何かの集団が、たまたま襲われてしまったのかもしれない。



 きっとあの人たちも、ほかに居場所がなかったんだ。

 仕方ない。

 自分で自分の身を守れない人間に、この世界で生きていく理由はないんだ。






 街に異常者(グローパー)があふれる。

 グローパー――あの怪物にそんな名前を付けた人が誰なのか、あたしはもちろん知らない。あたしはこの『魔法少女』の力を手に入れてから、つぶさに街を観察し続けた。教室の窓から、電車の窓から、ビルの上から、マンションの廊下から、スマートフォンの画面の奥から――そしたら分かったのだ。意外とこの東京には、常識では考えられないようなことがたくさんある。



 例えば、今目の前に広がっているこの光景だ。

 黒くもぞもぞ、地面を蠢いているのは、通勤ラッシュの電車の人山ではなくて――黒く光る鱗のような身体を持つ怪物たちだ。今日、まさにこの夜――夏休み真っただ中のこの夜、何かに呼応するようにいっせいに現れ、街じゅうに放たれた。まるで檻の鍵を外された動物園の猛獣たちのように。彼らは人間を襲い、時に同じグローパーを襲い、時に戸惑ったように佇んだり、あるいは自分の身体を傷つけたりする。



「『怪物たちは――』」と、気付かないうちにひとり言が増えた。たぶん、魔法少女になったからだ。「『みんな、それぞれ生きている』――『人間と同じように、考えたり、お腹が減ったと感じたり、自分なんてもう消えてしまいたいと思ったり』――『でも、彼らの眼は赤いから、自分より弱い存在であるあたし達、人間が、どうしても許せないのです』」



 グローパーを超克するためには、人間を越えるしかない。

 グローパーは人間を喰らい、血肉を魔力に変えて、体内でそれを結晶させる。逆に言えば、人間の肉体は魔力の原料であり、人間の身体にちょっとした刺激を与えてやれば、人間もグローパーに匹敵する力を手に入れることができるのだ。

 あの少女たちは、それを生業としているようだった。

 まともに生きていけない、力を求め、欲する人間たちに刺激を与えるための道具(ライター)を与え――次々にグローパーへ変えていく。

 それは何のため?



「『人間たちは、泣き、叫び、ただただ殺されていく』――『けれど、』」あまり冗長な書き口は嫌いだけど、ここはもったいぶって。「『あたしたち、人間には、ヒーローがいるのです』」

「だーかーらー、それってわたしのことでしょ、八宵ちゃんっ」



 空ちゃんが背後からぶつかるように抱き着いてきた。



「あぶなっ、」クレーンの上からバランスを崩して落っこちそうになるのをこらえた。「あぶないよ、空ちゃん。落っこちたらどうするの!」

「もーぅ、その時はわたしが抱えて飛んであげるって。それより見た、見た? 見てた? さっきのわたしの大活躍! もうこれは一本ブロードウェイが書けるよ、ねっ八宵ちゃん」

「え?」

「あっ……」しゅん、と空ちゃんの翼がしぼんだ。「ひょっとして……見てなかったの? さっきのグローパーと、わたしが戦っているところ……?」

「うん、見てなかった……ごめんね」

「ひどいなあ、もう。でもいいや、八宵ちゃんが無事ならそれでいいんだ」



 ぎゅっと背中に押し付けられた身体は、人間よりもずっと温かい。



「ね、どうするの? まだここにいる?」

「ううん、あっちに行こう」さっきの爆発があった辺りに目をやって、「あそこでなにか、面白いことが起こってるみたいだよ」

「あの大通りの、あれ? あれのこと?」

「違う、大通りとは逆の方――大通りって?」

「ほら、あれだよ、あれ」






 目をやると、片側三車線の国道、グローパーたちが群がる大通り――真っ黒で、いくつもの赤い光がぎらつくその中を、夜空を切り裂く彗星のように走る、白い光が見えた。



「なんだろう。魔法少女かな、わたしたちとおんなじ?」

「行ってみる?」

「うん、気になる!」

「じゃあ、行こうか」本を閉じ、隙間から紅色の紐でぶら下がった栞を取り出す。「『あたしたちを、あそこまで連れて行って』」



 栞に言葉を吹きかけると、ただの紙片だったそれがみるみるうちに膨らんで、ねじれて、一メートルくらいの箒に変わった。それにまたがったあたしと空ちゃんは、大通りに向かって一直線に飛んで行く。雨なんかへっちゃらな、快適な空の旅だ。



「でも、どうして空ちゃんまで乗ってるの?」

「んん、八宵ちゃんと一緒がうれしいの」






   ○



   【White】




 アスファルトを蹴る。



 グローパーの首元に刃を滑り込ませて、そのまま振り抜くと頭が落ちる。



 太い腕が振り上げられ、鋭い爪が私を狙う。

 その手首を切り刻み、肘を落とし、肩を落とし、心臓に切先を突き立てる。



 崩れ落ちる背中を蹴って、空へ跳ぶ。



 鳥が飛んでいる。

 鳥のように翼を生やしたグローパーが飛んでいる。

 刃を警戒して逃げようとするそいつに向かって思い切り刀を投げつける。心臓が貫かれて、そいつは落ちていく。



 地上を見る。

 赤い眼が何十、何百と私を見ている。

 指先から伸びた影――それを引き寄せると、細い鎖のように伸びたそれは私の身体に戻って来て、さっき投げつけた刀を手元に手繰り寄せる。



 落下するまであと三秒。

 空がごろごろ鳴動している。雷が鳴りそうだ。



 二秒。

 グローパーたちは、牙を、爪を、腕を、肢を振り上げて私を待ち構えている。



 一秒――びかっと光った。

 その瞬間だった。剣山のように、地面から突き出した無数の黒い棘が、グローパーたちの身体を一斉に貫いた。それは一瞬のうちに、すぐ消える。



 ゼロ、着地。

 どーん。間抜けな雷鳴が鳴る。

 残ったのは黒い塵と、大量の黒いライターだけ。一個だけ広い、刀の柄にあるライターに中身を注ぎ込む。



「ふう」



 道の向こうにたくさん光っているのは、等間隔に立ち並ぶ赤信号ではない。

 無数のグローパーたち――

 どうしてこんなにいるのか分からないけど、いまの私にとってはちょうどいいかんじ。刀にこびりついた油っぽい汚れ、黒い塵を振り払って、刀を宙にかざす。



「そうそう、その調子――」と、鏡のような刃に写る私が言った。「それでいいのよ、鷺宮千夏。これがあなたの『セイ』」

「せい?」

「『正』。『性』。『生』。考えて見なさい、あなたが、あなたに気持ちいいことをするだけで、人間を襲う化け物たちはどんどん倒れていく。つまりこれって、あなたの行いが『聖』く、『正』しい、そういうことでしょう? ううん、違うと思う」



 かぶりを振った。足元に切先を突き立てると、そこから私の影がぬらっと、刃にまとわりついて、光を飲み込むような真っ黒の刃に変わる。



「私は、異常なんだ。魔法少女でも、そうじゃなくても――いま、とっても痛いの」



 痛い?



「なんだろう、この辺りが――すごく、痛いの。でも我慢する。我慢して、戦う」



 どうして――

 まだ分からないのね、鷺宮千夏さん。いえ――



「言わないで」



 なら、どうして――

 どうしてあなたは笑っているの?



「嬉しいから」



 痛いのが、こんなにも、嬉しい。

 罅割れたアスファルトを蹴って駆ける。グローパーの群れの中へ。こんなに身体が軽い、でも地面を蹴る脚は重く、しっかりと踏ん張れる。

 嬉しい。

 なんだろう、この気持ち。






   ○




   【Red】





「うぅん、」外が騒がしくて眠れない。「んむ……」



 夢の中ではまるで、自分の身体が自分のものでないようだ。

 ベッドから起き上がり、窓から外を見る。雨が強く、ざあざあと降り続いている。時どき、建物が揺れる。強い風のせいかと思ったら、それは雷のせいだと分かる。空がぴかっと光って、ごろごろいう音がするからだ。

 どがーんと漫画みたいな音を立てて近くに雷が落ちた。



「うるさいなあ」

「うるさいね」

「えっ?」



 窓の中に誰かいる。

 部屋の中でも、背後でもなくて、窓の中――ガラスに映った僕が、僕じゃない声で喋っていた。



「行かなくちゃ、ね」

「どこに?」

「ほら――あっちだよ」

「誰、きみは……」

「いやだなあ。せっかく、会いに来てあげたのに」くすっと笑う。「いや、違うかな。ボクはずっと、キミと一緒にいたんだよ。キミと一緒に笑ったり、泣いたりした。辛いこと、楽しかったこと、ぜんぶ知ってるよ。でも、それもあと少し……なのかな。ちょっぴり寂しいけど、仕方ないね」



 そいつは手を僕に差し伸べた。

 そこには、僕のライターがあった。白い手のひらの上にライターが、そっと置かれている。



「ほら、行かなくちゃ」



 そいつは――いや、その子は寂しそうに微笑んだ。長い髪の毛の隙間から、僕と同じ色の目が見えた。



「キミの力が必要なんだよ――■■■■■」






 よく、分からないけれど……



「わかったよ」ライターのスイッチを入れた。「変身――」



 たちまち、僕は変身する。

 魔法少女へ――不思議な力を持った、あのヒーローの姿へ。



「僕の力が必要って……」



 どういうことなんだろう?

 とりあえず僕は窓を開けて、雨の吹き晒す外へ出た。ごうごう、ごうごうと凄い音がする。どっちへ向かえばいいんだろう――



 こっちへ……



 声がした。

 聞こえたんじゃない。ただ、声がしたんだ。弱々しい、聞いたことのない女の人の声……



「こっちへ……こっちへ来て……お願い、」その声は僕の足を引っ張るように、「あなたに手伝ってほしいの。お願い、私を連れて行って」

「連れていくって、どこへ?」

「あの雷の元へ」その声は最後に、ぷつっと途切れるように感じなくなるほんの少し前に、はっきりと告げた、「明日架のところへ」






 明日架も、どこかで戦っているんだ。

 感じる。あの時、明日架と一緒に戦ったときの感覚を、どこかから感じる。



「わかったよ……!」



 まさに、ヒーローって感じだ。誰かの助けを求める声に答える。魔法少女なんて、僕には似合わないと思ってたけど、そんなことないみたいだ。

 この狭くて、暗くて、湿っぽい家で寝ているよりも、ずっとこっちの方が楽しそうだ。



「待ってて、今行くよ!」



 ベランダの手すりを蹴る。すいっと飛ぶように身体が浮かび上がり、僕は走り出した。

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