中井明日架と井荻リサは真夜中を駆ける-3
「渡さない」
「渡せ」
「渡してもらうません」
「よこせ」「かえせ」「渡さない」
同じ顔をした少女が、同じ声で、反対のことを言いながら襲いかかってくる。
「自分勝手な――」槍のリボンをぎゅっと、かたく結びなおして、「自分では人のものを奪っておいて、人から奪ったものは返そうとしない、そんなの、子どものわがままと一緒じゃない! どうやっても、返してもらうんだから」
パラソルを指揮棒のように、ぴっと差し出した。
「行け――!」
襲いかかってくる『分身』を、リボンの騎士が大剣で薙ぎ払う。鈍い音は一瞬だけで、グローパーを倒した時のように、すぐに黒い粒子になって消えてしまう。それは雨に流れて、どこに行くのかも分からない。
隙を掻い潜るようにして、ヒールで濡れたアスファルトを蹴った。
襲いかかってくる魔法少女を槍で切り払いながら、涼しい顔で立っている『本体』の元へ一歩踏み込む。彼女はなにも言わない。ただ、剣を静かに構えただけだった。
「やああああッ」
私が叩きつけた槍と、それを受け止める剣とがぶつかって、鋭い音が響いた。
背後から、リボンの騎士と『分身』たちの戦う音がやけに遠く聞こえる。槍を引いて、何度も叩きつける。突き出す。赤い眼をした魔法少女は、表情を全く変えないまま剣でそれをいなし続ける。でも私は怯まない。
自分でも不思議なくらい、戦いに慣れてきている。身体の動かし方が分かる。相手の動きが見える。いくらでも力が湧いて出てくる――! 雨に濡れるくらい、へっちゃらだ。
「やあっ!」
「ッ――」
リボンの槍が魔法少女の頬を薄く切り裂く。彼女は後ろにのけぞってふらつくと、足を濡れたアスファルトに滑らせてバランスを崩した。その様子は、ひどくゆっくりに見えた。
逆に私の身体は軽い。槍を握りなおし、切っ先を地面に突き立てるように振り下ろす――同時に魔法少女の方も、倒れながら剣をギロチンの刃へ戻しながら、身体の前に振りかざした。槍の穂先がぶつかるのと、背中から倒れるのは同時だった。
でも、私は槍で魔法少女を突き刺そうなんて考えていなかった。
はっと魔法少女が息を呑む。槍はただのパラソルに戻っている――螺旋に巻き付いていたリボンが消えていることに気が付いたのだ。勢いよく跳ね起きたその身体が、すぐにアスファルトに叩きつけられた。
両手が、脚が、胴が、首が、指先の一本一本まで絡みついた細いフリルが、アスファルトの隙間を割って生い上るタンポポのように、魔法少女の身体を縛り付けていた。きっと私のことを睨みつける眼も覆い隠して、髪の毛すらべったりと雨に張り付ける。
私は無理矢理に開かれた指から離された、ギロチンの刃を拾い上げた。私のパラソルの柄に黄色のライターが埋め込まれているように、その刃にもライターが埋め込まれていた。
水晶のように妖しく、でも綺麗に光り輝く紫色のライター――宝石のようだった。中につまっているオイルは透き通って、でも、それは澄み切った色ではなかった。私たちのライターとは違って、毒々しさを感じるような……
「ひばりさんの――」
がっちりと埋め込まれてなかなか離れないそれを、強く握りしめた。ぴしぴしと家が軋むように、ギロチンが罅割れていく。
それを手放した。
悲鳴のような声がして、空の雷が轟いた。光と衝撃とが、迸った。
○
【White】
電話が鳴り響いた。
心臓が飛び跳ね、膝の力が抜けて崩れ落ちた。刀を鞘にしまって放り投げるように手から取り落とし、鞄の中で光っていた携帯電話を手に取った。
「もしもし?」
『――――もしもし、千夏? 聞こえる?』
大和だ。
どうして、
「あ、うん、どうしたの突然」
『いや、別に? ただ、千夏はどうしてるかなと思っただけ』
大和の声はいつも通りだったけれど、声が途切れ途切れだ。
『ここ、ほんとうに嫌になっちゃう。電波が悪くてさ』
「そうなんだ、でも大和が元気そうでよかったよ」
『何かあったの?』
ドアと反対側の壁に背を付けた。はぁはは、と喉の奥から咄嗟に笑い声が漏れる。
「何もないよ、大丈夫。夏休みを満喫してるよ、こっちは毎日暑くて大変。大和はどうなの? 合宿所は涼しい?」
『私より、千夏の話を聞かせてよ』
私は黙ってしまった。
大和は怒っている。どうして怒っているんだろう? 決まっていた、私がかくしごとをしているからだ。大和に言っていないことがあるからだ。
『電話越しで顔が見えないからって、いま千夏がどんな服を着ているか分からないからって、髪に寝癖がついているのが分からないからって、千夏のこと何も知らないと思っているんでしょ。でも、分かるよ。千夏、ちょっとおかしいよ』
そうだよ、私はおかしいんだ。異常なんだよ。
って吐き出したかった。
『何かあったんでしょ』
「……、」私はたっぷり黙ったあと、「うん。いろいろあったの。ちょっと、嫌なこと。思い出しちゃって――小さいころのこと――大和と会うよりもずっと前にあったこと。それに、体調もちょっと、良くないの。夏バテのせいかな、最近は気圧が上がったり下がったりしてるから頭も痛いし、その、お腹の調子も……良くなくて。こっちは今、雨が降ってるよ」
『やめちゃえば?』
「えっ」
ぽかん、とした。
大和の声色は真剣だったけど、暗い部屋の中で、ありありと彼女の表情が想像できるようだった。
『やめちゃいなよ、千夏を悩ませている、いろいろなこと』
「でも――」
『他人のことなんて考える必要ないよ、あなたの人生なんだから。夏休みはまだ、始まったばかりだよ。宿題も、自由研究も放り出して、好きなように満喫しなくちゃね。私も合宿から帰ったら、また旅行に行こうかなと思ってたところ。千夏と一緒に行くのもいいし、そうじゃなくてもいい。私は、いつだって私が楽しいようにする。それは誰にも邪魔されたくないし、そんな風にはしたくない。だって、私だって女の子なんだもん』
ひとこと、ひとこと。
心の中でメモを取れるくらい、すんなりと、耳に入ってきた。
『だから――やめちゃいなよ。それが何かは分からないけどさ』そこで、電話の向こうで大和がじたばたと物音を立てた。『ごめん、もう切るね。消灯時間が過ぎてるのに起きてるのバレたら、朝から掃除当番だからさ。おやすみなさい、千夏』
「おやす」みなさい、と言い切る前に電話は切れた。「ふふっ――」
思わず笑ってしまった。たまらなく楽しかった。それに、嬉しかった。
いつの間にか、部屋のどこかに放り出した刀は消えていた。私は洋服ケースの中に畳んで入れておいた、スカートとシャツを身に着けて、黒いソックスを履いた。そして、こっそりと窓から外に出て、屋根を伝って雨の降る街へ跳びだした。
「変身」
もう、これで最後にするつもりで、私はライターのスイッチを入れた。
空は暗く、重く、のしかかってくるようだった。私は走り出した。
「もう、やめちゃおう」
でも、せっかくだから、最後に――
○
【Yellow】
「まったく、情けないことね。揺」
声は背後か、それとも頭上か。とにかく視界の外から聞こえてきた。ざあざあ、降る雨に紛れるように、けれど透き通るようなその声。
耳の辺りに何トンもの水の塊を叩きつけられるような、重い音が響いた。そのまま首の骨が軋み、私は狭い路地裏を吹き飛んでいく。閉じられた落書きのシャッターにぶつかり、激しい音と共にひしゃげるそれに突っ込んだ。
ちらりと見えた。魔法少女だった。それもふたり――でも、分身ではない。
あの時のふたりだ。新宿で戦った、あのときの双子の魔法少女がそこにいた。
ふわりと私は抱え上げられる。リボンの騎士がその大きな手で私の背中を支え、立たせてくれたのだ。ふたりは黄色いリボンを無理矢理引きちぎって、揺と呼ばれた本体をあらわにする――本能的な嫌悪感をくすぐられる、気色の悪い光景だった。
倒れた女の子の服を毟ってはぎ取るような、そんな風に見えた。
「使えねえな、ほんとうに。ライターまで奪われてるじゃんか」
鳴海みなと――
私に襲いかかってきた、あの魔法少女だ。長い鎌を肩に引っ掛けて、揺の髪の毛を掴んで引っ張り上げる。彼女はもう、変身が解かれて、ふるぼけたブレザーのような服に身をやつしてぐったりとしていた。
もうひとりの方が私を見た。
私が右手に握っている、紫色の――ひばりさんのライターを見た。
「奪われてしまったのなら、仕方がないわ。奪い返せばいいのよみなとちゃん」
「面倒臭い――夜中に叩き起こされて、なんで私がこんなこと」
「お母さんの言うことなら仕方がないわ。ほら、揺――あなたもしっかりなさい」
言いながら、そいつは懐から拳銃を取り出した。
「あれは――!」
拳銃型ライターだ。さっき見たものと同じだ――! みなとがグイ、と髪の毛を掴んで、揺の身体を引っ張り上げた。うめき声が漏れる半開きの口に、その魔法少女は拳銃をおもむろに突っ込んで、引き金を引いた。
ぼっと、黒い炎がそこに立ちのぼる。
背後から荒々しく、肩を叩かれた。
「良くやったね――リサ」明日架さんはぜえぜえと息も絶え絶えに、けれどしっかりとした目つきで、目の前の光景を睨みつけていた。「ありがとう、助けてくれて……」
「明日架さん――これ」
私が手渡した紫色のライターを、明日架さんは、なによりも大切なものを見るように目を細め、しっかりと握りしめて、懐にしまい込んだ。
「……、ありがとう」
「クウ、よくやったね」私が声を掛けると、リボンのクウは私の前にすいっと現れて微笑んだ。「明日架さんを助けてくれてありがとう」
「いいのよ、りっちゃん……」
「それと、お願いがあるんだ。このことを東さんに伝えて――ひばりさんのライターを取り返したことを」
クウは頷いて、雨空に消えていく。
目の前の炎が晴れた。揺は、身体じゅうをぼろぼろに焦がしながら、なんとかそこに立っているような風体だった。手にした細くて長い時計の長針のような剣は、指先でつまめば折れそうなほど脆いものに見えた。
「手間かけさせやがって――」
「ごめんなさい、ふたりとも」
「お母さんがあなたのことを心配していたわ。でも都合がいいわね、『黄色』、『青』、『紫』で三人分。ちょうどいいから奪っていきましょう、これでみんな幸せになれるわね」
「うん――」揺が剣を構えた。「お母さんのためだもんね」
「リサ、お願い――」明日架さんは、中身がたっぷり詰まった青いライターを構えて、反対側の手を差し出した。「力を貸して。魔法少女を三人、相手にして勝つには――ふたりの力を合わせないといけないと思う。私は『電気』……あなたは『リボン』……伝わる力と、繋ぐ力……きっと私たちの呼吸を合わせれば、何だってできるはず――!」
「はい!」
私は、握り返したその手に、ぐるぐるとリボンを巻きつけた。
離れないように――より伝わるように――!
『変身!』
ふたりの声が同時に響いた。
雷に撃たれたような衝撃と轟音が、私の身体を撃った。




