鷺宮千夏 / 石上香苗は夜道をふたりで歩く-3
【Green】
相手は二人。ひとりはもう灰になって、影も形も残っていない。まだ立っているうちの一人は身体の奥から緑色の炎を燻らせながら、赤い目を弱々しくちらちら点滅させている。もう一人は、脚を除いた右半身が丸ごと吹き飛んで、煤まみれの汚い煙を吹き出している。
魔法少女になってから、長い間戦ってきた。私の魔法で作られた炎は、物理法則を超越して、あらゆるものを灰になるまで焼き尽くしてしまう。グローパーや人間だって例外じゃない。けれど、このグローパーは違う。私の炎を受けて、まともに燃えている。まるで薪に火が燻るように。
「■■■■■■――――」
ノイズ混じりの機械音で何事か呟きながら、右手の銃口を私に向け、引き金を引いた。真っ直ぐな赤い光線が、すぐ横を掠めていく。
ランプから炎が飛び出し、男の身体に食らいつく。ビルが音を立てて崩壊していくような轟音――は、鳴らない。そう聞こえるだけだ。迸る魔力の勢いが、骨まで響いてそう感じるだけだ。
それでもグローパーは倒れない。
ふと見ると、半身を吹き飛ばされた方の傷口がぐずぐずと、泡のように盛り上がり始めている。赤い瞳がぎょろぎょろ周囲を見回し、やがて私を見つけて焦点を絞っていく。
「はぁ、」
溜息が漏れた。ここまでしつこい男は、はじめてだった。
ライターの残りも少ない。それに、ビルの屋上に飛んでいった、千夏ちゃんのことも気がかりだ。私に目もくれず、千夏ちゃんに襲いかかっていったあの魔法少女は、もしかしたら……
「ふっぅ、」
一息。
ランプを高く掲げると、それはひときわ強く輝いた。炎が大きく揺らめき、取っ手を持つ私の指に這い上がって来て――そのまま、腕をのぼって肩へ、髪へ、そこから燃え下って胸、胴、脚まで――やがて私は完全に炎になる。
思えば不思議だ。私は私が炎になっていくのを自覚しているし、あらゆる五感でそれを認識できている。目も耳も鼻も、炎になっているというのに。身体が軽い。背中が熱い、羽でも生えているように。
ふわっと力任せに浮かび上がる。
グローパーの銃口がこちらに向く。その姿はみるみる小さくなっていく、私が高く高く飛んでいくからだ。赤い光線が、私の身体に向けて放たれる。分厚い雪を踏み潰すような音がした。それはグローパーの放った光線が、緑色の炎の熱に巻かれ、私の身体を貫く直前で蒸発するときに生じる、魔力が螺旋状に圧縮されるときに生じる余波だ。指先でくるくる渦を巻くと、緑色の炎の矢がそこに生れた。軽く、スマートフォンの広告を消すように、指ですいっと飛ばす。
地上に立つグローパーが私に向ける銃口が赤く光った。緑の矢がそこに飛び込むと、閃光が迸った。今度は比喩ではなく爆音がビルの隙間にこだまして、グローパーの身体が内側からはじけ飛ぶ。飛び散った火の粉が、辺りに蛍のように舞った。
残った一匹が私に銃口を向ける。
私は腕を振り上げた。拳を握って、振り下ろす。巨大な緑色の炎の剣が地面に深々と突き刺さり、アスファルトを砕いて辺り一面を緑色の光で塗りつぶした。その炎の海の中から、一条の赤い光が飛び出して私の身体を貫く――寸前で、それは炎に巻かれて消えた。
眼下に燃え盛る緑色の炎の海だけが、夜空を煌々と照らしていた。
「千夏ちゃん」と、私は口に出してビルの屋上を見下ろした。弱い月明りに寒々しく映える白い学生服のような姿。刀を振り回しながら、大量の黒い影と戦っているようだった。それはまさしく、地面に立った人間の視点からアリの行列を見下ろすようなものだった。
もうっと身体が熱くなるのを感じた。
「駄目――」と、言葉にして自制する。「駄目よ、千夏ちゃんまで巻き込まれてしまう。あの子を巻き込んでは駄目」
でも、なぜ?
千夏ちゃんとは今日、たまたま顔を合わせただけの、見ず知らずの中学生のハズだ。同じ魔法少女だから?――グローパーを倒して街を守る正義の味方だから?――それとももっと別の理由がある?
躊躇しているあいだにも、千夏ちゃんは戦っていた。私の右腕は大きく振り上げられ、開かれた手のひらには大木のような炎の剣が浮かんでいた。夜だというのに、昼間のように辺りを明るく照らしている。月の光で辺りが照らされているのかと思ったら、そうではなかった。私の炎がそうさせていたのだ。
「駄目よ――落ち着いて……」
ゆっくり深呼吸をする。肺の中に燃えた黒炭を入れられたように、体が熱い。苦痛に耐えながら、静かに、身体の炎を消していく。早く、早く済んでほしい。どうせ辛いならできるだけ早く。
そう思っているうちに、やがて私は完全に人間らしい形と姿を取り戻す。辺りを照らしていた炎は既に消えていた。弱々しい月明かりも、雲に隠れて消えてしまう。
うまくいった。うまく、いっている。
ランプの柄に腰を乗せて、すっとビルの屋上へとびこむ。ここからではよく見えない。千夏ちゃんは何と戦っているのだろう。
○
【White】
魔法少女『本人』は動かない。じっとうずくまったまま、時どき紫色に光る眼で私を睨みつけるくらいで、こちらに襲いかかってくるようなことはしない。それとは逆に、殺しても殺しても湧いて出てくる、この「分身」の方が増えていく一方だった。
真っ黒に塗りつぶされていた刀は、今ではもうただの刀に戻っていた。影を作るだけの光がないのだ。さっきまでは、香苗さんの緑色の炎が太陽のように辺りを照らして、濃い影を作ってくれた。でも、それももう消えてしまっている。おまけに月が雲に隠れているから、辺りを見回すことも難しい。
香苗さんは私の魔法が『影』によるものだということを知らない。
ぶん、と重い音と共に飛んでくるギロチンの刃を避けて、懐に潜り込んで身体を真っ二つに切り裂く。その背後からふたりがまとめて襲い掛かってくるのを刀で牽制しながら頭に切先を突き刺して、もうひとりのほうは足の裏で思い切り蹴っ飛ばす。そんなことを何度も、何度も繰り返していても、分身は次から次へと湧いて出てくる。
視界のピントが合わなくなってきた。
ライターの残りは少ない。息が上がっている。刀には、血――のような何かがべっとりとこびりついてぼたぼた零れ落ちていく。
「ふぅ!」
短く息を吐いて、私は刀の切先を、自分の左足に思い切り突き刺した。
痛い――そのまま倒れ込んでしまいそうになるくらい。でもこれでいい。
まだ足りないんだ。
ふと。目の前にごうっと、燃え盛る緑色の光が降り注いで、その辺にいた分身をまとめて焼き払ってしまった。少し遅れて、夜闇に紛れる黒いローブに身をやつした香苗さんが、軽やかにその場に飛び込んできた。
「大丈夫? 千夏ちゃん」
「はい、」口元を拭って、「大丈夫です」
「下のグローパーは片付けたわ。ずいぶん消耗したでしょう」
香苗さんは正面を――うずくまったままの魔法少女『本人』を――見据えながら、バスケットボールの選手みたいに後ろ手に何かを投げた。私が受け取ったそれは、黒いライターだった。まだほんのり生温かい。
「使って。魔力が足りなくなってきたころでしょう」
「香苗さん、手伝ってほしいことがあるんです」
「何かしら」
もちろん、決まっていた。香苗さんにしかやってもらえないことだ。私は刀の鍔の辺りに埋め込まれたライターにオイルを注ぎながら、
「思い切り、炎で辺りを照らしてください。あの魔法少女を倒さない限り、どんどん増えていくんです」
「なるほど……そういう魔法もありなのね。でもどうして炎を?」
「私が戦うために、必要なんです。『影』ができないと」
すると、頭を抱えながらふらふらと、『本人』が立ち上がる。
「石上香苗……あなたまで……」
「あら、どちら様かしら。私はあなたのこと、知らないわ。若い子はもうお家に帰る時間よ?」
「……、好都合です。ここで、あなたを倒すことが出来れば、それは……『お母さん』もきっと喜んでくれるはず……」
「駄目!」
叫んだのは私だった。
香苗さんがびくっと、ランプを構えた手を止めた。私の喉から勝手に声が出たのだ。あの魔法少女を燃やしてしまおうという、香苗さんを止める声が。
「駄目です、私がやります」
「そう……? 別に止めないけど」
「おまえたち二人とも、まとめて――――ああああああああああああああああああ!」
『本人』が叫んだ。ビルの屋上がぐにゃっと、トランポリンのように沈み込んでいくような錯覚にとらわれた。なにもない、何の変哲もないビルの屋上から、ずるずる、ずるずる、ずるずるず、と、同じ顔をした魔法少女たちが這い出てくる。
「香苗さん、」刀を構えた。「お願いします。思いっきり、辺りを照らしてください」
香苗さんは何も言わなかった。ただ、ふふん、と鼻歌でもうたうように鳴らして、ランプを高く掲げた。そこから飛び出した緑色の炎が空で渦を巻いて、なにか、生きものみたいな形になる。そこから先は、見る必要もない。
刀からどろどろ、影が漏れ出してくる。
私の足元から。
腕から。
髪の毛の間から。
服の隙間から。
黒いものが漏れ出して、私の身体を包み込んで、勝手に動かしてくれる。魔法少女の分身たちが、あちこちから私に襲いかかってくる。私を無視して跳んで行くのは、香苗さんを攻撃しようとしているのだろうか。
銀色の刀の刃は、今では真っ黒に染まっていた。
私の腕もまっくろだ。
腕を振る。だぢっという重い感触。ほねとないぞうをまきちらして、おんなのこがひとり、どこかへふき飛んでいった。あかい血がとびちった。もういちど、おなじことをした。こんどはくびがはねとばされて、のうときいろい汁がまきちらされる。
「ふふ、」
たのしい。
とまらない。ぶつ、でゅぢゅ、ど、どんど。
「ふふふ、ふふふふふふふふふふ、ふふふふふふ、ふふ、ふ」
ああ――――
だめだ
このままじゃだめ
私はもう
だめ
だめだよ
ひとを傷つけるのはよく
○
「うるさいな」
何のつもり。
私の影のくせに、勝手に私を動かすのはやめて。いけないことなんだ、人を傷つけるのは。
「それは、あなたが思っていることではないでしょう?」
思ってもないことなんて言えないよ。
私の影のくせに、私が嘘をついているかどうかも分からないの?
「わかるよ。わたしはあなたの影だから」
「あなたは嘘をついている」
「人を傷つけるのはよくないこと? それは、そう誰かに言われただけ。あなたのほんとうじゃない。借り物のほんとう、言われたとおりの正解」
「よくないことじゃない、いけないことじゃない、ひどいことじゃない、悪いことでもない」
「あなたは嘘をついている」
「くるしいでしょう、うそをついて生きるの」
「もっとわたしを見てよ」
「わたしを見てよ」
やめて――
「わたしを見て」
「見て」
「見て」
「わたしわたしををを見て見て見て見て見見見見見見見見見見見見見見見てててててててててててててててて見て見見見て見ててわたわたしししししわたし見てわ見わしたててわたわたしししししわたし見てわ見わしたてたしををを見て見て見て見てわたしわたしわたしわたしわたあなたは嘘をついてわたいるしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたくるししいくるしいくるしいわたしくるしいくわるたししいわたしわたしわたしわたしわたしわわたしがあなたをいちばんわかってあげられるたしわたしわたしわたしよくないことわたしわよくないたしくるしいわたしわたしわたし千夏なんて名前わたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしいやいやいやいやいやわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたきらいきらいみんなきらきらきらいきらきらきらしわきらたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたねえ話を聞しわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたし―――――――」
しゅ。
目の奥が真っ暗になる音がした。




